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 氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことによる伝説のロックバンド、BOØWY。大躍進のきっかけとなり、後の日本のロックシーンを変えたといわれる3rdアルバム『BOØWY』が、オリジナル・アナログ・マスターからテッド・ジェンセン(NY Sterling Sound)による最新リマスタリングによって24bit/192kHz ハイレゾ化リリースされた。30年前の1985年2月26日〜 3月15日、当時まだ東西が“ベルリンの壁”で分断されていたベルリンのハンザ・トンスタジオにて、佐久間正英によるプロデュースのもと、デヴィッド・ボウイの名作アルバム『ヒーローズ』のレコーディングにも参加したエンジニア、マイケル・ツィマリングとともに作り上げた日本のロックシーンにイノベーションを起こした鉄壁のサウンド。その後、ロックシーンはBOØWY前、BOØWY後と分けて語られるようになった。伝説となったベルリン・レコーディングの真相について、BOØWY3rdアルバム『BOØWY』からラスト・アルバムとなった6thアルバム『PSYCHOPATH』までディレクターを担当したユニバーサル ミュージック(※当時、東芝EMI)の子安次郎さんに迫ります。

 

インタビュー&テキスト:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 


 

【プロフィール】

子安次郎(こやすじろう)

ユニバーサル・ミュージック 執行役員 Prime Music マネージング・ディレクター 兼 USMジャパン 邦楽カタログ本部 統括本部長
1956年東京生まれ。大学在学中に大滝詠一氏と出会い、「ナイアガラ・エンタープライズ」において、「書生」として学ぶ。大学卒業後、東芝EMIに入社し、3年間の営業部配属を経て、制作部門に異動。薬師丸ひろ子のADなどを担当後、BOØWYを担当。BOØWY3rdアルバム『BOØWY』から6thアルバム『PSYCHOPATH』を制作し、バンドをブレイクへ導く。その後、ウルフルズなどを担当し日本のロックシーンを牽引する。

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――今回、24bit/192kHzにてリリースされたBOØWY の3rdアルバム『BOØWY』は、1985年の6月22日にリリースされたので、ちょうど30年の節目となりました。このあと8月には、Blu-rayオーディオ盤や高音質CD、重量盤アナログのリリースも控えているそうですが、伝説となったベルリン・レコーディングについてお話を聞かせてください。

子安 ものすごく思い入れの強い作品ですよね。BOØWYに出会わなかったら、とっくの昔に会社をクビになっていたと思いますから(笑)。それに、ベルリンへレコーディングに行く2日前に長男が産まれたんですよ。長男もちょうど今年30歳なので、覚えやすいという(笑)。

――それはすごいタイミングでしたね。子安さんのBOØWYとの出会いを教えてください。

子安 私は当時、どちらかというと歌謡曲・ポップスの制作部にいました。当時、東芝EMIは、BOØWYの事務所であるユイ音楽工房さんに所属していた長渕剛さんや、中原めいこさんをリリースしていました。そんな流れでユイさんのほうから、「(東芝EMIで)バンドをやりませんか?」というお話をいただきました。ディレクターは?となったところで、私が隣の制作部から異動になって、担当することになりました。

――そのころの東芝EMIは、どんなアーティストが活躍していた時代ですか?

子安 やっぱり一番大きいのはユーミン(松任谷由実)、長渕剛さん、甲斐バンドですね。

――その中で、新人バンドで移籍組として迎えられたBOØWYはどういうポジションだったんですか?

子安 実は最初は社内でまったく相手にされてませんでした(苦笑)。当時、ちょうどM-BANDが同じタイミングで移籍してきたんですよ。2つロックバンドが移籍してきて、でも会社的にはM-BANDがイチオシだったんですよね。それは担当として悔しいじゃないですか? だったら逆手にとって「会社の目の届かないところで好きにできるな!」と奮起しました。

――なるほど。それにしてもベルリンでレコーディングって、なかなかない発想ですよね?

子安 なかなかどころか、普通じゃないですよね(苦笑)。BOØWYが移籍してきたときに、進むべき方向性などいろいろ考えたんですよ。とにかくもの凄い才能があるなと。でも才能を全部あらわしきれてない状況が、それまでの彼らにはあったんですね。特にレコーディングに関して。これは誰か兄貴分的に、彼らの才能を引っ張り出してくれるプロデューサーが必要だなと。さて、誰がいいだろうということで候補が3人いて。佐久間正英さん、土屋昌巳さん、伊藤銀次さん。じゃあメンバーに会ってもらおうと。それで最初に会っていただいたのが、布袋さんも会いたがっていた佐久間さんだったんです。でも、佐久間さんは、半分断るつもりだったみたいで(苦笑)。それで「ベルリンでレコーディングするんだったら、やってもいいんだけど……」みたいなムチャ振りをされて。まぁ、そういうことを言えばレコード会社も断るだろうと思ったそうなんですよ。そこで思わず膝を叩いて「それは最高だ!」と答えてしまって(笑)。

――すごい話ですよね。海外レコーディングって滞在費含め、予算的に大変だったんじゃないですか?

子安 これが、意外にも当時のベルリン・レコーディングというのは安かったんですよ。スタジオ代にエンジニア代も含まれていて、なおかつ1週間、2週間とやるとさらに値段が下がって。実際にスタジオを使ったのはレコーディングとミックスで、ちょうど2週間ぐらいでした。そして、結果的にハンザ・トンスタジオでレコーディングしたという経験が、後のBOØWYの成功に凄くプラスになったんです。

――それこそ、ビクターでリリースした1枚目の『MORAL』は一発録りに近かったそうですね。そして、2枚目の『INSTANT LOVE』はメンバーだけの自主制作に近いレコーディングで。実は、BOØWYというバンドは3枚目の『BOØWY』まで、ちゃんとしたレコーディングを経験していなかったということですね。

子安 そうなんですよね。

――そこでいきなり、デヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノ、イギー・ポップ、デペッシュ・モード、ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズの名盤が誕生したベルリンの伝説的なハンザ・トンスタジオで海外レコーディングって、ほんと驚きですよね。

子安 プロデューサーの佐久間さんが、環境が大事ということで提案されていたんですね。海外の閉ざされた空間で、音楽だけに集中できる場所の大切さというか。BOØWYのメンバーは佐久間さんにロックな音作りを望んでいたんです。そこで、本物の欧米のロックを生み出している環境を与えるということが、重要だと考えていらっしゃったようですね。

――実際、日本のレコーディングと比べて、現地でのレコーディングはどのような感じでしたか?

子安 エンジニアは、マイケル・ツィマリングというスタジオを支えていたエンジニアが参加してくれました。彼は叩き上げなんですけどすごく優秀で。レコーディングする時ってヘッドフォンをするじゃないですか? 自分たちの出している音をヘッドフォンで聴きながらレコーディングするんですね。その聴こえてくる音が全然違ったんです。メンバー自身がまず驚いたんですよ。最初に自分たちが「ジャーン!」と音を出したときに、それまで彼ら自身が聴いていた音とまるで違ったそうなんです。みんなが驚きの声を出したのをすごく覚えてますね。やっぱり素晴らしい音を聴きながらプレイをすることによって、プレイもどんどん良くなっていきました。スタジオ自体も、ヨーロッパらしい大きな古いビルで。

――もともとナチスの娯楽施設を改良したスタジオだったらしいですね。

子安 壁がとにかく厚くて。普通はスタジオの扉って、ぎゅっと閉め切ったりするじゃないですか? でも、ちゃんと閉まってなくてもいい音なんですよ。石造りの文化ですよね。建物自体の鳴りがものすごく良かったんです。響いてる音がまるで違う。開放的な環境でした。

――初の海外レコーディングで、エンジニアも海外の方というと、メンタル的に大変だったりということはなかったんですか?

子安 メンタル面で大変だったという記憶はないですね。もちろん身振り手振りのカタコト英語でコミュニケーションだったんですけど「音を出せばわかる」みたいな交流が生まれました。そういえば、スタジオの1階のレストランが美味しかったんですよ。そこのメニューでヴィーナー・シュニッツェルっていう、日本のトンカツのような料理があって、非常にホッとする味でした(笑)。毎日それを食べてましたね。2年目からはトンカツソースを持参して、ボトルキープしてもらってました(笑)。

――ハハハ、それはいい話ですよね(笑)。でも当時は、いわゆるドイツを東西に分けた“ベルリンの壁”があった特殊な時代ですよね?

子安 そうなんですよ。ハーヴィス・インターナショナルというホテルから壁ぞいを歩いて3分、スタジオまで毎日通ってました。石炭の匂いがする真冬のベルリンという生活でした。ホテルのドアマンの方が優しい笑顔で迎えてくれたことを今でも覚えています。

――ロンドンで活動されていたフォトグラファーのハービー山口さんも同行されていたんですよね?

子安 そうですね。アーティスト・ヴィジュアルとなる写真を撮っていただきました。

――プロデュースが佐久間さんで、写真がハービー山口さんというのも素敵な巡り合わせですよね。しかもベルリンでという。

子安 その後いろんな面でお世話になる人たちが、このプロジェクトに集まってきてくれていました。

――BOØWYって、ヴィジュアルをすごく大切にされていたアーティストだと思います。ベルリンでの様子を押さえた写真集だったり、映像素材であったり。アーティスト・ブランディングとして、どんなイメージをアウトプットしていこうというのは見えていたんですか?

子安 ヴィジュアルに関してメンバー自身のこだわりがすごく強かったですし、スタッフもそれを理解していましたね。そういう意味での迷いは無かったと思います。ちなみに、ベルリン・レコーディングをコーディネーションしてくださったのが、GSで活躍された加藤宏史さんがロンドンで設立したL.O.E ENTERTAINMENTという会社でした。そこからヴァン・モリソンやミック・テイラー、ケイト・ブッシュなどと共演されたクマ原田さんにつながったんですね。クマさんが現地コーディネーションをしてくださいました。さすがにヨーロッパの暗い感じの空港に降り立ったときは心細かったんですけど、クマさんが空港でにっこり笑ってらっしゃって、ほんと助かりましたね。沢田研二さん、布袋さんのソロ、花田裕之さん、今井美樹さん、高宮マキさん、湯川潮音さんのツアーやレコーディングに参加されてますね。

――クマさんとの出会いはそこでだったんですね。その後も、クマさんとの付き合いが続いていくわけですもんね。

子安 そうですね、いろんな形で続いていきますね。

――そんな環境でレコーディングされた『BOØWY』が、今回24bit/192kHzとして、ハイレゾ音源で配信されますが、聴かれてみていかがでしたか?

子安 ベルリンの素晴らしい環境の中で録った本当にいい音なんで、それが30年たって、時代のいろんな進歩とともに当時のスタジオで録音した環境に近い音で聴けるというのは感動ですね。空気感ってやっぱり大事で、当時の思い出がよみがえってきましたよ。

――今回テッド・ジェンセンによる、オリジナル・アナログ・マスターからのリマスタリングということで、こだわりも感じますね。オリジナルを忠実にされているなと感じました。

子安 そうですね。いいマスタリングをしていただきましたね。本当に、聴き所がたくさんあると思います。まずは、最初の出音、1曲目「DREAMIN’」のリフの鮮やかな響きがすごく印象的でした。

――では、ちょっと聴いてみましょうか。

 

note「DREAMIN’」(試聴

 

子安 いや~、かっこいいですよね(笑)。あの頃のベルリンの空気感がよみがえってきます。

――ハンザ・トンスタジオで録ったからこそこの硬質なビート感が生まれて、その後BOØWY以降、ビートロック的なカルチャーが生まれて80年代末にバンドブームが起きました。佐久間さんも、日本のオリジナルのロックを生み出す方法論をBOØWYと出会ったことで掴んで、その後のプロデュースワークにも活かせたと話されてましたね。子安さんはもともと大瀧(詠一)さん周りで書生として学ばれていたと思いますが、ニューウェーヴなロックと、日本ならではのポップミュージック・センスを上手く融合したBOØWYならではのオリジナルなロックを、どのようにとらえられていましたか?

子安 最初にデモテープを聴かせてもらったときの印象ですね。デモの時点でとても素晴らしかったんですよ。作品もいいし、歌も素晴らしいし、いままでにない新しさを感じていました。これはどこまで化けていくんだろうと、未知な感じがすごくしました。

――布袋さんは、デモテープの時点ですごく作り込まれてきますし、音楽的才能というのをこの時点で感じられたりしましたか?

子安 最初に20曲以上デモテープで聴かせてもらって。これはこういう傾向の曲という風に、方向性として3つぐらいに色分けしたんですね。それを見ても単にビートロックとは括れないような音楽性、スケール感の大きさ、幅の広さを感じていました。それこそ、今回ボーナストラック的に収録されている「“16”」なんかは、そうして色分けした中の2つの楽曲をひとつにしたらどうなるんだろう?みたいなところから始まって生まれた曲なんです。

――なぜ、もともとは別々だった曲(未発表曲の「TEDDY BOY MEMORIES」と「BOOGIE」)をひとつにされたんですか?

子安 みんなでミーティングをしてた時に……、誰が言い出したのかはちょっと思い出せないんですけど、「頭のスローパートと、アッパーなパートをくっつけてみたら面白いんじゃないかな?」って話で盛り上がったんですね。

――かつてのインタビューでも、子安さんがこの曲をとても推していた記憶があるんですけど。

子安 個人的にとても好きな曲なんですよ(笑)。

――「“16”」は、1985年6月1日にリリースされた、シングル「ホンキー・トンキー・クレイジー」のカップリング曲として収録されたわけですが、なぜ当時はアルバムに収録されなかったんですか?

子安 ベルリンでのプロジェクトでは一番最後にレコーディングした曲だったんです。アルバムに先駆け、シングル盤「ホンキー・トンキー・クレイジー」を出す上で、B面はアルバムに入っていない曲にしようということになりました。

――「ホンキー・トンキー・クレイジー」が、BOØWYの1stシングルとなりましたが、この曲についてはいかがですか?

子安 「ホンキー・トンキー・クレイジー」は、メンバーにシングル候補をデモで聴かせてもらったときに、もう一回作り直してくれないかというお願いをしたことがあって……それに応えてくれた作品なんです。そういう意味でも思い入れが強い曲ですよね。

――この曲だけ、作詞作曲が「BOØWY」名義になってるんですよね。

子安 そうなんですよね。レノン=マッカートニーじゃないけれども、みんなでとにかく作り上げた作品ですね。どこが氷室さんで、どこが布袋さんのパートかって考えると面白いかもですね。

――ビートロック・バンドだけではない、オールディーズ的なポップ感をニューウェーヴで料理したかのような、オリジナリティあふれるポップセンスが開花してますよね。

子安 そうなんですよ。引き出しの多さがすごいですよね。あのコーラスワークを含めて、ロックバンドの方法論として画期的だと思いますよ。あと忘れられないのは、とにかく彼らはレコーディングが早かったですね。彼ら自身が、どういう出来上がりになるかっていうのが最初から見えていたんでしょうね。

 

note「ホンキー・トンキー・クレイジー」(試聴

 

子安 ライブでほとんど毎回演奏されていた曲ですね。外人女性のコーラスや、掛け合いでバンド名があったり、BOØWYらしいシングルへのアプローチがみられますね。

――そういえば、ベルリンのレコーディングのあと、ローリングストーンズ、ヤードバーズ、レッドツェッペリン、ザ・フー、キングクリムゾン、イエス、ジミー・ヘンドリックス&エクスペリエンス、ピンクフロイドなどが出演したロンドンの名門ライブハウス、マーキー・クラブで初海外ライヴをBOØWYは行っているんですよね。

子安 そうなんです。ちなみに、私はライヴには行ってないんですよ。メンバーはレコーディングが終わったらイギリスに渡ってライヴをやりました。私と佐久間さんは、マイケルといっしょにスタジオに残ってミックスの作業をやって、終わってからロンドンに合流したんですね。

――合流はされたんですね。

子安 当時はベルリンから日本には直行できなかったんですよ。パリかロンドンかモスクワからしかアプローチできなかった。帰り道だったんですね。

――当時、海外ライヴって画期的だったんじゃないですか? しかも名門マーキー・クラブでなんて。

子安 L.O.E ENTERTAINMENTがコーディネーションしてくれたおかげで実現したんですよね。後に映像集としてリリースした『“GIGS”BOX』に当時の模様が収録されていますね。

――そして、帰国後は4月に赤坂ラフォーレミュージアムで、マスコミを招いたコンベンション的なライヴを行い、6月には無謀といわれながらも渋谷公会堂で初のワンマン公演を成功させるという、ものすごいスピード感で動員を広げていきました。このスピード感を、子安さんはどう感じられていましたか?

子安 1985年歌謡曲全盛の当時、BOØWYのようなロックバンドが、どうやって世の中にアプローチしていくかって方法論は無かったんですよ。当然テレビに出れる場所は無いし、ラジオでもなかなかかかりませんでした。そんな中で大事だったのがライヴで直接ファンに伝えるということ。あと、レコード店の店頭、そして有線。新宿有線で1位を獲ったりしていました。あとはソニーさんが旗振りになって『PATi PATi』など、音楽雑誌が盛り上がってきていたんです。我々が徹底してやったのはこの4つでしたね。

――そして同時期に、レベッカが売れてきたり、TM NETWORKや米米クラブ、バービーボーイズなど、新世代のバンドが同時期に現れて、ジャンルは違えど音楽シーン全体に勢いが生まれつつあったと思います。BOØWYは、動員力だったり常に開拓者として一歩先を走っていた感じがあるのですが、子安さんの中では、80年代中盤に生まれた新しい音楽シーンに関してどのようにお考えでしたか?

子安 振り返ってみてそうなっていたんだなって感じなんです。BOØWYをやってる最中は、とにかく短期間で駆け抜けたバンドだったのでまわりは見えていませんでした。今と違ってネットもないですしね。常にレコーディングして、ツアーしてプロモーションをやって……という繰り返しで。一切振り返ることがなかったんですよ。とにかく目の前にいるファンの人たちを信じて、作品を届け、ライヴをすることが最大のテーマでした。

――そうですよね、1985年に3rdアルバム『BOØWY』をリリースして、1986年には武道館でワンマン、1987年のクリスマスに渋谷公会堂で伝説の“解散宣言”をしてしまったワケですもんね。実質3年で駆け抜けたという。短いといえば本当に短い。

子安 そうなんですよ。いま、同じようなことを他のバンドでやろうとしても絶対にできないと思います。あの奇蹟的なスピード感というのは。

――それこそ、佐久間さんとの出会いであったり、成長のきっかけとなった海外レコーディングなど、いろんな要素が上手く噛み合ったということなんでしょうね。

子安 結果として彼らのすごい才能がどんどん外に外に広がっていったということが最大の成功の理由なんでしょうね。

――才能ということでいうと、「BAD FEELING」という曲は布袋さんがソロで歌い継がれてますが、この印象的なイントロのギター・カッティングであったり、パーカッシヴでグルーヴィなファンクチューンというのは「只者じゃない!」ですよね。日本の曲でああいうセンスって今を持ってなお無いですよね。

 

note「BAD FEELING」(試聴

 

子安 ほんとそうなんですよ。3ピースのギターバンドでの表現として驚きますよね。いかに音楽性が高かったかがわかると思います。BOØWYならではのオリジナリティですね。ハイレゾだと、アタック感が絶妙に伝わってきますね。

――レコーディングでは、様々なアプローチがあったと思いますが、「黒のラプソディー」ではパブロックっぽい要素だったり、「BABY ACTION」はリズミカルなナンバーだったり、「唇にジェラシー」は氷室さんらしい艶やかなナンバーなど、いろんな要素が詰め込まれています。ディレクターとしてBOØWYを形にしていく上で、子安さんの中で大事にされていたことは何ですか?

子安 私がやったことっていうのは、彼らが才能を発揮できる環境をつくるっていうことだけだったと思うんですよ。彼らが才能を発揮してくれればそれが一番いいワケなんで。そこが一番気を使ったところですね。

――この『BOØWY』というアルバムは、10曲中半分が氷室さん曲というバランスで成り立っているんですよね。その中で「CHU-RU-LU」という曲は、氷室さんと松井さんがアマチュア時代に在籍していたデスペナルティというバンド時代に制作された「ブルー・シガレット・ラブ」という曲が原曲で、BOØWY以前からあった曲なのですが、この曲のデモが3バージョンほど海賊版として出回っていて、聴いているとBOØWYというバンドが、ニューウェーヴの洗礼を受けて出来上がっていく過程というのが見えるんですよね。最初すごく歌謡テイストだったものがどんどんセンスが生まれ変わっていくんですよね。

子安 なるほどね。私の出会いは3枚目のこのアルバムからなので、それ以前はわからないんですけど、そのお話はわかるような気がします。3枚目の『BOØWY』というアルバムは、彼らのこれまでとこれからが絶妙に交差している作品ですね。そして、翌年のリリースとなる4thアルバム『JUST A HERO』でバンドとして完全に覚醒していきます。

――ですね、覚醒という意味では「DANCE CRAZE」という布袋さんのソロボーカル曲がアルバム『BOØWY』に入っているのはインパクトがありました。デモでは、実は氷室さんヴァージョンもあるんですよね。

子安 みんなでミーティングをして「これは布袋さんが歌ったほうがいい」と一致した意見だったと思いますね。このアルバムはいま仰られたように、いろいろヴァリエーションがあるんだけれど、別の言い方をすればひとつの色で統一されている。そこがBOØWYらしさを生んでいてすごいなと思いますね。

――それこそ、3枚目にしてはじめてバンド名をタイトルにつけていますよね。

子安 事務所もレコード会社も変わって、心機一転再スタートという意味合いは強かったのでしょうね。変な大人にもう騙されないぞっていう決意もあったのかな(苦笑)。

――4人の目が並ぶというアートワークもすごくインパクトがあるんですけど、どうやってこういう形になったんでしょうか?

子安 これはもう亡くなってしまった私の同期なんですけど、デザイン部にいた小林さんという方が出してくれたアイデアなんですよ。初めて、事務所のユイ音楽工房の会議室でメンバーと会ったときに、とにかく目の力の強さをすごく感じたんです。迫力があるので怖かったんですよ。向こうからすれば「どうせまたレコード会社の人間に俺たち騙されるんじゃねえか?」みたいな、そういう穿った目で見ている感じがひしひしと伝わってきまして(苦笑)。なおかつ、「子安さん、いままでどんな(アーティストを)担当をされてたんですか?」となって「えーっと、薬師丸ひろ子さんです……」と言ったらみんな椅子から転げ落ちそうになって(笑)。「俺たちロックバンドなのに!」みたいなことでね。

――ハハハ(笑)。当時、子安さんって何歳ぐらいだったんですか?

子安 1985年ということは……、28歳ですね。アートワークが目をフィーチュアしていたのは象徴的でしたよね。

――このアルバムの中で代表曲といえば「CLOUDY HEART」があります。この曲は元々はライヴでもやられていた曲で、「ROCK'N ROLL」というタイトルだったんですよね。

子安 そうなんです。レコーディングしている最中もまだ「ROCK'N ROLL」という曲名でした。でも、エンジニアのマイケルが氷室さんの歌を聴いて「これはCLOUDY HEARTな感じだね」と言ったんですよ。

――この曲は、子安さんにとっても思い入れの強い曲なんじゃないですか?

子安 いやあ……もうすごく強いですよね。このアルバムは「DREAMIN’」から始まって、この「CLOUDY HEART」で終わっていくわけですけど、この曲はやっぱりBOØWYの、彼らにしかできない世界観を持っているし、彼らが解散するっていうのがわかったときにBOØWYの最後の曲はこの曲にしたいなと勝手に思ったことがありました。

――なるほど。

子安 1987年にシングルで「MARIONETTE」が出て、6thアルバム『PSYCHOPATH』も出て。会社からはこのアルバムを売り伸ばすために、アルバムから一曲シングルカットしろと、当時の上司の石坂敬一さんからありました。石坂さんは「PLASTIC BOMB」がいいとアドバイスを頂いたんですが、その時実はすでに解散することが決まってたんですね。でも、石坂さんにも誰にも言えなかったんですよ。そんなこともあって解散ということだったら、やはりA面は「季節が君だけを変える」だろうと。で、シングルなのでB面があるわけですけど、ここは彼らの最後の作品だから……A面が終わってB面ですべてが終わるから「CLOUDY HEART」しかないと。少し音も足したりして……、メンバーにとっても我々スタッフにとっても、もの凄い思い入れの深い作品ですよね。

 

note「CLOUDY HEART」(試聴

 

――あらためて、音がいいですよね。ポイントは、イントロのアルペジオの音の響きですよね。

子安 いいですよねぇ。当時のライヴでは、この曲の前に氷室さんのMCが長かったんですよね。いろんなことを思い出しますね。何より大事なのは、音だけじゃなくてベルリンの空気感がこの中に入ってるということですね。それがすごく感じられます、この音像に。

――以前、氷室さんにロング・インタビューをさせていただいたときに、子安さんのことを伺ったら「大事な友達です」と言われていて。そんな子安さんから見て氷室さんというのはどんな方なのでしょうか?

子安 とにかくとんでもない才能を持った方ですね。あの声は唯一無二のものだし。ものすごく情熱を持ってる方だし。触ると火傷するぐらいのエネルギーを持たれていますね。

――その勢いで引っ張っていったところもありそうですもんね。布袋さんはどんな方だったでしょうか。

子安 氷室さんとはまた違った才能の塊の人ですね。レノン=マッカートニーじゃないですけど、フロントの二人が違った才能だったからこそ、バンドは掛け算以上のものになったのでしょうね。布袋さんは、プレゼン能力も高いんですよ。説明というのがすごく上手いですよね。だからうちの会社では、これは冗談ですけど、うちの会社の営業部長をやって欲しいぞって感じで(笑)。天才的なプレゼンテーションをされますよね。

――じゃあ、松井常松さんは?

子安 松井さんは、すごいピュアですよね。後のソロアルバムにも佐久間さんと作り上げた名盤がありますね。それこそ、アルバム『BOØWY』のレコーディングで佐久間さんにみっちりしごかれ。ベーシストとしてのスタイルが確立されていきました。

――高橋まことさんについてはいかがでしょう?

子安 最高のドラマーであり、最高のキャラクターですよね。とにかく彼がいるからBOØWYってやっぱりBOØWYなんだなっていう。他の3人にないあのムードメーカーなノリですね。たまにレコーディングで、ドラムを叩いてたと思ったらいきなり大声で叫び出して、何事かと思ったら自分の足を打ってたっていう(笑)。バスドラムの音がだんだん小さくなるから変だなと思ったら、叩いてるうちにバスドラムが前に動いてたりとか(笑)。そういう愉快なネタを提供してくれて、スタジオが非常に和むんですよ。

――いまの時代、アナログもまた盛り上がりつつあり、8月には音の良い重量盤のアナログもリリースされますが、高音質CDやBlu-rayオーディオ盤など、オーディエンスの需要に応えることって素晴らしいことだなと思います。次世代への音楽文化の継承にもつながるんですよね。CDに変わる音楽を楽しむフォーマットは、音楽配信やストリーミング・ビジネスなど、いまは本当に過渡期だと思いますが、そうした中で『BOØWY』という作品を高音質なスタイルでリリースできるということは、当時ディレクターだった子安さんとしてどのような感覚なのでしょうか?

子安 時代が進歩して、様々な高音質なフォーマットで聴いて頂けるというのはスタッフ・サイドとしてもすごくうれしいことです。特にこのアルバム『BOØWY』は、最初から最後までアナログでレコーディングしているので、そんな意味ではハイエンドに最も対応している作品なんですよ。

――アルバム『BOØWY』が、24bit/192kHzハイレゾ化されたことは、ファンにとってうれしいと同時に、新たなリスナーの方が聴くきっかけにもつながると思います。あらためてBOØWYの音楽性の高さが伝わると嬉しいですね。あと、最後にお聞きしたいのが、当時の東芝EMIの制作部では、洋楽制作部時代にザ・ビートルズやピンク・フロイドを手がけ、原田知世、薬師丸ひろ子、本田美奈子らを育て、クリエイションを海外で売り出し、音楽業界に大きな貢献をされた石坂敬一さんがボスだったと思いますが、今作『BOØWY』のレコーディングにおいてどんなやり取りがありましたか?

子安 石坂さんご自身が元々欧米のロックを日本に紹介されていた方なんですね。「お前ら、ディレクターはとにかく海外に行かなきゃダメだ!」という持論をお持ちだったんですよ。普通なかなか海外レコーディングって社内では言い出しにくかったりするんですけど、石坂さんはチャンスがあるんだったらとにかく行けと。絶対にプラスになるからいろんなことを吸収して来いと。すごく背中を押してくれましたね。

――そうなんですね。

子安 その代わり、当時はパソコンも、FAXすらまともになかった時代なので。海外に行った際は、毎日電話で報告をしなきゃいけなかったんです。だから石坂さんが会社に出社されたころを見計らって、ベルリンで深夜に、毎晩メンバーがみんな見てる中で電話していました(苦笑)。制作費を抑えるために、私と事務所の糟谷(銑司)さんとマネージャーの土屋さんは3人部屋で、メンバーはそれぞれ2人部屋で、佐久間さんは1人部屋でした。夜は広いところということで、わたしがいた3人部屋にみんなで集まってお酒を飲んだりしてたんですよ。そのタイミングで必ず電話しなきゃいけないという(苦笑)。

――ちょっと緊張しますよね(苦笑)。ベルリンでは観光的なこともできたんですか?

子安 スタジオがあったのが西ベルリンなんですが、観光客は24時間だけ東ベルリンに行って帰ってこれるという制度があったんです。「じゃあ子安さん偵察してきてよ!」ってことになって(笑)。ひとりで東ベルリンに行きました。ドイツ語かロシア語しか通じなくなるんですね。心細いのですが、カフェとか見つけてお茶飲んだりケーキ食べたりして、帰ってメンバーやスタッフに報告しました。で、次の日に残りの全員で行ってましたね。なので、東ベルリンでの撮影の際は僕だけ留守番してました(笑)。

――では、最後にアルバム『BOØWY』秘話を是非……。

子安 そうですねぇ。細かいことですよ。当時は24チャンネルのアナログ・マルチトラック・レコーダーで録音してまして。レコーディングが終わって、メンバーはロンドンに行って、今度はそのテープのミックスダウンが始まったんですけど……なぜか、なぜだかはいまだにわからないんですけど、その前に使っていたエンジニアが、テープレコーダーの1chから24chと、通常の逆につないでいたんですよ。なので、マイケルがマスターに信号を入れる作業をやっていて、空いてるチャンネルに信号を入れ始めたんですけど、何か変だと急に言い出して。テープが逆にセットされていたことに気がついたんですね。そこで、なんと音が入ってるところに信号を入れてしまったんですよ。で、青ざめて「俺はもう一生このまま西ベルリンから帰れない……」と絶望したのを覚えています(苦笑)。結果、ラッキーだったことにドラムのエフェクトした音のチャンネルだったので、それはミックスのときに再現できたんですよ。これがもしボーカル・トラックだったらと思うと、冷や汗どころじゃないですね……。

――まさに不幸中の幸いという奇跡的なお話です。いろんなことがありつつ完成した作品だったということですね。貴重なお話をありがとうございました。

 


 

『BOØWY+1』

M.01 DREAMIN'
M.02 黒のラプソディー
M.03 BABY ACTION
M.04 唇にジェラシー
M.05 ホンキー・トンキー・クレイジー
M.06 BAD FEELING
M.07 CHU-RU-LU
M.08 DANCE CRAZE
M.09 ハイウェイに乗る前に
M.10 CLOUDY HEART
M.11 “16”

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「匠の記憶~Memories of Legend~」バックナンバーはこちら

 

 

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 自身の主演映画の主題歌をコンパイルしたハイレゾスペシャルアルバムが好評配信中の薬師丸ひろ子。

 「匠の記憶」第4回のゲストは、彼女のアイドル女優としての黄金期を支えた東映の宣伝プロデューサー・遠藤茂行さんと、今回のハイレゾ音源の制作にも携わり、歌手としての充実期を現在に至るまで併走し続けているレコーディングディレクターの山川智さんを迎えてお送りします。

(聴き手:安場晴生/ソニー・ミュージック)

 


 

「セーラー服と機関銃」「探偵物語」
「メイン・テーマ」「Woman "Wの悲劇"より」収録!

ハイレゾ×ベスト 薬師丸ひろ子

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――角川映画全盛期の薬師丸ひろ子さんが歌った主題歌4曲のA面曲とカップリング曲をコンパイルした、ハイレゾスペシャルアルバムが発売されました。音源のご感想をいただきながら、当時のエピソードをお伺いできればと思います。まず遠藤さんから、簡単な経歴と薬師丸ひろ子さんとのお関わり合いを教えていただければと思います。

遠藤 角川春樹さんがプロデュースの薬師丸ひろ子さん主演の映画は、それまで東宝さんでやられていたものが、『セーラー服と機関銃』という映画から東映の配給になって、その宣伝を私が担当することになったんです。それ以来、『探偵物語』、『メイン・テーマ』、『Wの悲劇』と角川映画作品の宣伝プロデューサーという形で関わっていくことになるんですね。で、『セーラー服と機関銃』で、相米慎二監督が「主題歌お前が歌ったら?」と(薬師丸さんに)言われて、みんなが「なるほどね」という話になって。角川さんも「本人たちが盛り上がってるんだからいいじゃないか」ということで、キティレコードさんが主体で音楽制作が進められていったんです。

――キティレコードというと、多賀英典(プロデューサー)さんですね。

遠藤 そうです。そんな経緯もあって、初めて主題歌を歌うことで、今まである意味では映画ファン層にしか認知されていなかった薬師丸ひろ子という女優さんが、一気にアイドルの世界にまで踏み込むことになったきっかけとなっていったんですよね。

――その辺りは僕らの世代は臨場感を持って体験させていただきました(笑)

遠藤 薬師丸さんに関しては、本当に公開直前でないと世の中に露出しないというスタンスでした。当時カリスマ性っていうのを角川さんが大事にされていたんで、当時の歌番組も『夜のヒットスタジオ』と『歌のトップテン』などにどう出るか、という事を考えなければいけませんでした。どうしてもレコード会社さんだと仕切りづらい部分もあるので、窓口を映画サイドでやらせていただいていました。

――じゃあ映画の宣伝だけではなく音楽のほうの宣伝も、ということですね。

遠藤 そうです。まあ怖いもの知らずっていうか、あくまで映画のキャンペーンとして割り切って出させていただければやるけれども、音楽のルーティーンワークの中には彼女は入ってこないので、そういうことでもよろしいですか、という大前提でやらせてもらっていました。『歌のトップテン』『ザ・ベストテン』に関しては1回ないし2回の出演を大前提で。だからお断りすることのほうが圧倒的に多い。

――そっちのほうが大変ですよね(笑)

遠藤 お願いすることが前提のレコード会社の人を窓口にしちゃうと、それができないものですから。僕らは角川さんと表裏一体なんで、「角川の戦略はこうなんだ」ということを受けて、取材・出演をセーブしていくっていう時代だったんですよね。

――当時は角川春樹事務所に所属する形で彼女がいて、映画のほうのパートナーシップを結んでいた。で、音楽のほうでもまた別にパートナーシップを結んでいたという。

遠藤 あくまでも映画の主題歌以外は歌手活動をしていませんので、映画のキャンペーンのときしか活動しないというのがありました。当時まだ学生さんだった薬師丸さん自身の思いもあって「学業優先」としていたので、「この時期でないと観られません」と飢餓感を一気に煽っていくっていう。それが『セーラー服と機関銃』で爆発して、映画興行史上初めて、関西1日目のキャンペーンで梅田と道頓堀と京都の大宮東映という劇場が、上映中止になったっていう。

――事件になってましたよね、当時。警察沙汰とまではいかないですけど。

遠藤 いや、警察沙汰なんです。機動隊も出てくる、警察も出てくる。例えば梅田東映ですと、通りがもう満杯に人があふれ出してて、道路がもう人であふれちゃって、交通規制が全くできない状態。で、警察が相当数、パトカーが何台も出てきたんですけど。とにかく今すぐ上映を中止しなきゃダメだっていうことになって。本人は結局劇場には行けずに、ホテルでテープにメッセージを入れて。

――お客さんには全く触れることなく。

遠藤 そうですね。そこに行ったら大変なことが起きるんで。もう劇場も満杯だし、劇場を取り巻く道路にずっとお客さんの列ができて、その最後尾と先頭が、劇場をぐるっと取り囲んでしまって、まあ一気に彼女のアイドルブームが爆発をしてしまう、ということになるんですね。『セーラー服と機関銃』の興業の大阪での舞台挨拶中止のあとに、結局名古屋までタクシーで行きました。新大阪も飛行場もダメ。タクシーで名古屋まで行ってくれって言われて、名古屋から東京に戻ってきたんです。これもここだけの話、本人が劇場を遠くからでもいいから見たいって言うから、「いいって言ったら頭上げてね」と言って、パッ!って。そうしたら「すごいことになってますね」って他人事のように(笑)。京都の劇場も見たいっていうから遠回りして見て。それでようやく帰ってきたんです。

――スゴイですね! では山川さんのお関わりを教えていただけますか。

山川 現在、ユニバーサルミュージックで制作を担当しています。薬師丸さんとの出会いは、25年ぐらい前に東芝EMIで宣伝で関わらせていただいたのが最初です。当時、薬師丸さんはデビュー10年で、既に地位を築かれていた時期で、『PRIMAVERA』というアルバムで宣伝の現場担当をやらせていただきました。その後制作に移り、今から4年前、東映さん制作の薬師丸さん主演映画『わさお』で、主題歌も歌われるという事で、その曲「僕の宝物」の制作として担当させていただきました。そこからずっと制作と、今回のハイレゾのリリースも関わらせていただいています。

――ではご用意した4曲を順番に聴いていただきながら、当時のエピソードをお伺いできればと思います。

 

note「セーラー服と機関銃」

 

――いかがでしょうか。

遠藤 この曲は最初の、彼女の歌との出会いです。あらゆるキャンペーンで爆発的な熱狂を生みました。アルタ前で2万5千人が集まってしまったイベントとか、そういうことが昨日のことのように思い出されますけど。あの小さい身体のどこにエネルギーがあるんだろうという風に思っていて……早稲田大学の学園祭に行ったことがあって、そのときに「これは機械で作った音だ」ってある学生が言ったこともありましたね。そのぐらいすごく透明度の高い声だったんだろうと思います。

――映画を楽曲が引っ張っていた部分が大きかったのでしょうか。

遠藤 大ブレイクすることになるきっかけとして、それぐらい音楽の持っていた力が大きかったんじゃないでしょうかね。薬師丸さんを認知させるための起爆剤になった作品ですよね、『セーラー服と機関銃』は。

――そうなんですね。その前から薬師丸さんっていうのは、スターっていう感じはあったんでしょうか。『野性の証明』とか。

遠藤 『野性の証明』でミステリアスな魅力を持った少女だっていうことはあったにしても、主演映画が配収10億を超えるとか、そういう規模の映画にはめぐり逢えてないんですね。

――じゃあやっぱりみなさん、この作品でブレイクするということは予想してなかったと。

遠藤 やはり火をつけたきっかけがこの主題歌になってくるんですね。もちろん今となっては「セーラー服と機関銃」というタイトルの意外性であるとか、赤川次郎さんの原作であるとか、相米監督作品のクオリティ……全てのことがポジティブに向かっていった。想定外のヒットになった最後のポイントが、本人が主題歌を歌ったっていうことですね。

――そうなんですね。これはちょっと基本的な質問になっちゃうんですけど、「角川映画」の定義というか、どういうところだったんですか? 当時は。

遠藤 まさしく「読んでから観るか、観てから読むか」っていう、書籍と映像の連動というのを、それまでの日本映画はやってなかったんですね。なおかつそのプロモーションを、テレビのスポットを使ってやるというのを、映画会社はどこもやってなかった。もっと言うと全国キャンペーンを回るなんてことも、映画会社はやっていなかったんです。

――じゃあ舞台挨拶とかもやってなかったんですか?

遠藤 舞台挨拶はもしかしたら特別興行にはあったかもしれませんけど、初日に舞台挨拶をするという習慣はなくて。

――じゃあ宣伝自体も角川映画は非常にエポックというか。

遠藤 もちろんこの作品の前にも『野性の証明』や『人間の証明』っていう大きな作品があって、それ以降音楽と書籍と映画、映像っていう三位一体のジョイントをしていく映画作りが定着して。日本映画の大きな転換期を引っ張った作品の一本ですよね。

――僕は普通に巻き込まれていた世代の人間なので、なるほどとしか言い様がないんですけど(笑)。ではもう一曲聴いていただきたいと思います。

 

note「探偵物語」

 

――ハイレゾの音源というのはいかがですか?

遠藤 いやあ、いいですね。聴き入っちゃいますね。

――透明感が際立ちますよね。やっぱり彼女の声の感じとアレンジの贅沢なハーモニーがあって。

山川 声の粒がはっきりしていますし、演奏者も例えばストリングスの弦の立ち上がりや、ベーシストが弾く指使いまでわかりますね。

――CDだとストリングスとかが奥のほうに引っこんで聴こえるじゃないですか。それがこう前に来て、さらに声が前に来て……というのがすごく気持ちいいというか。

山川 確かな歌や演奏が際立って、しかも生身の人がやっている温かさが伝わりますね。

――この作品は『セーラー服と機関銃』という大ヒットした映画から2年も空いているのですが。

遠藤 ちょうど高校から大学に行くっていうこともあって、1年半休養するんだっていう「休養宣言」を戦略として角川さんがとって、結果として飢餓感をさらに煽ることになるんですね。それが久々の復帰作という位置づけだったものですから、それは大変な待ち遠しさと期待感という。

――1年半の休業というのは今の速度よりも、たぶん時代の流れで言うとだいぶ待つ感じですよね、きっと。

遠藤 それまでは半年に1回のペースでやってた人なので……確かにそうですね。本当に期待感は相当すごかったですよね。

――プロデューサーの立場から言うと、もうちょっと早いペースで、というのはなかったんですか?

遠藤 まあ「満を持す」という言葉もあって……実はこの間に原田知世さんと渡辺典子さんが選ばれたオーディションっていうのがあって、「第二の薬師丸ひろ子を探す」と。その彼女たちの主演映画もあったりしたんで、映画作りのほうはぐりぐり回ってました、角川さんを中心として。

――じゃあ充分に濃い時間だったっていうことですね。

遠藤 そうですね。

――『探偵物語』の相手役は松田優作さんだったわけですけど、すごく意外性があった記憶が。

遠藤 1年半ぶりの超期待作に相応しい人が誰かいないか、ってみな自薦とか他薦とかいろいろしてたんですけど、なかなかうまくいかなくて。セントラルアーツの黒澤満プロデューサーが、「松田優作ってことは考えられますかね」と言ったら、みんなが思わずばっと腰を上げるぐらい、「そういう発想もありですね」ってなって……そこから一気ですよね。でもそうしたら「なんで俺がアイドル映画に出なきゃいけないの」的なことが松田優作さん本人からあったみたいで。ところが今でも覚えてるんですけど、麻の茶色の上下のよれよれのスーツをあるスタイリストが持ってきた瞬間に、「見えた!」って言ったんですね。

――優作さんが。

遠藤 ええ。テレビでやってた彼の『探偵物語』っていう有名なシリーズにもある、帽子をかぶって、足の長い、颯爽とした……という姿とは違う、ちょっと猫背にして、大きな体を持て余し気味の、麻の茶色のスーツということで、新しい探偵の像が彼には見えたんじゃないですかね。それまではかなり躊躇してました、やることに対して。その後はもう薬師丸さんと彼の世界にどんどん入って行くし、最後の最後で、映画ではラストシーンになりますけど、成田空港での別れのシーンっていうのがあって。あそこを当時の根岸(吉太郎)監督と、松田優作さんと、延々とどうしたらいい、っていうのをやって、結果、完成した映画のようになったという。

――すごく余韻のあるエンディングでしたね。

遠藤 かなり長い長いキスシーンですよね。まあ身長差が30cmの、極端な凸凹コンビができあがったっていう。ビジュアル的にすごく面白いコンビにはなりましたよね。

――そうですね。曲に関する歌番組の思い出とか、覚えていらっしゃいますか?

遠藤 ここはもう『セーラー服と機関銃』の大ヒットのあとの曲ですから、いつどこの番組にどう出すんだ、っていうことをレコード会社と本当に侃々諤々話して、まずフジテレビの「ヒットスタジオ」に出させていただいて。その後に「ザ・ベストテン」「トップテン」の順番だったかな。

――根岸監督のようなアート系の方が、こういうエンターテイメントを撮るっていうことは予想されていたんですか?

遠藤 もともと黒澤さんが日活の撮影所長だったんですよ。そのころ助監督でいた人たちが、成長して監督になっていくっていうことで、みなさんの力量をすごく把握されていたので。だからまったく作品だけを見たわけじゃなくて、彼らのいろいろなプロフィールも全部知っている黒澤さんの推薦があった上で、根岸さんに決まったんですよ。

――そうなんですね。

遠藤 一番決まらなかったのが……

――松田優作さん。(一同笑)

遠藤 そこに行くまでが大変だったってことですね。

――では次の「メイン・テーマ」にいってみます。

 

note「メイン・テーマ」

 

――いかがでしょう。

遠藤 個人的にこの曲は大好きなんですよね。当然歌詞の通り、彼女20歳。「20年も生きてきたのに、涙の止め方も知らない」ってすごいフレーズだと思うんですよ。今聴いてもいい詞だなってつくづく思いますね。

――「愛ってよくはわからないけど、傷つく感じがすてき」なんて、まるで何かのコピーのような歌詞ですよね。

遠藤 すばらしいですね。本当にすごい詞だなって思いますね。

――これは台詞から引っ張ってきたとかっていうことではないんですね。

遠藤 ぜんぜん違うんです。もちろん主人公は20歳っていうことと、ちょっとだけおしゃまな……等身大に近い女の子がひとり旅をしていく話なんですね。そこで出会った男の子とちょっとしたラブストーリーになっていくんですけど。当時新進気鋭の森田芳光監督とは、ここで出会っているんです。

――森田さんは『家族ゲーム』の後ぐらいですかね。

遠藤 そうですね。(『家族ゲーム』で)松田優作さんと組まれたこともあり、森田さんの評価っていうのは角川さんのほうでも高まっているわけです。当然(監督の)最有力候補に常に上がっていましたね。

――歌詞を書くのは映画と同時進行だと思うんですけど、どういう発注があったんでしょうか。

遠藤 角川映画に関して言うと、音楽を推進していくチームがまた別にあるんですね。もちろん角川春樹さんにも相談して、最終的にジャッジしていただいて。東芝EMIのプロデューサーもいらっしゃって、それでシナリオをお渡しして。松本隆さんと南佳孝さんにこういうことで、もちろん薬師丸さんのイメージをふまえた上で書いてくれ、っていうオーダーを出していくんですね。

――タイトルだけは映画と同じにしてくれ、とかそういった。

遠藤 それは基本的な条件ですね。「映画を主題とする主題歌である」というのが角川映画の場合は大前提なんで。主演が歌うんで、ほかのタイトルをつけようがないっていうのもあったり。

――そういうことなんですね。でもヒットパターンでいくんじゃなくて、新しいクリエイターというか、新しい監督をどんどん起用していくっていうのはなかなかチャレンジングというか。

遠藤 まあ内容を見てもらうとわかるんですけど、たぶんルーティーンで映画を作る気が全くなく、いい意味でとんがっていて、才能あふれる監督と薬師丸さんを出会わせていったっていう、そういうことになるんだと思いますね。

――だからこそ時代的な作品になったっていうことですよね。

遠藤 と、思いますね。ルーティーンで、職業監督で撮るというのはまったくなかったんです。だから企業内監督とはほとんどやってないんですよね。最後に出てくる沢井さんの『Wの悲劇』っていうのはこのあと唯一の企業内監督ですよね。

――そうですよね。そのあたりのことをお伺いしたかったです。では『Wの悲劇』を聴いていただきましょうか。

 

note「Woman~Wの悲劇」

 

――すばらしいですね。

山川 詞曲演奏、全てに奥が深いですね。

遠藤 これも大変だったんですよ。

――何か思い出されることはありますか?

遠藤 この作品のラストカットの、泣き笑いのような表情でカーテンコールというか、スタンディングオベーションに応えるっていう……世良政則さんに会って、最後のお礼をするためのお辞儀をするようなカットがなかなかOKにならなくて、何回も何回も撮ってるんですね。

――こだわりのシーンだったんですね。

遠藤 泣きすぎたり、ちょっと泣きが足りなかったり、微妙なんですよ、監督が求める具合が。そこに彼女が必死で応えるんだけど、なかなかOKが出ない。相米さんと違う意味でものすごい……澤井信一郎さんっていうと、名伯楽って呼ばれている……アイドルの、松田聖子さんとかも手がけられた監督で。

――『野菊の墓』ですね。

遠藤 そうですね。澤井さんが、マキノ雅弘さんっていう有名な方の最後の弟子なんですね。そのマキノさんもご自分でやって見せたりする監督だったものですから……そういうことを含めて現場で勉強された澤井さんが、自分の思いの丈を演出にぶつけたっていう。で、ぶつけられた薬師丸さんがそこにいて……僕、ポスターも考えさせてもらったんですけど、「少女から女へ」っていう風にして。やっぱり映画の中でもラブシーンがありました。作詞作曲はユーミン(松任谷由実)さんと松本隆さんのコンビで、この人たちもやっぱり彼女が主演作品の主題歌である、ということを充分踏まえてくるから、それでこの詞が出てくる。ただ実は完成した楽曲を、東芝EMIのプロデューサーと一緒に聴いてもらった瞬間に、監督がぜんぜんピンときてなかったんですよ。それはなぜかっていうと、監督が持ってる映画のリズムと合わなかったんですね。僕はそのときは少々生意気だったんで「いやいや、角川映画ってこういうものですから、使ってもらわなければ困るんです」「それはもう角川春樹さんに相談もして、これを納得していただいた上で現場にお届けしてるんで」と言って(笑)。でも完成されて試写会をやった瞬間に、試写場が号泣の嵐だったんです。この曲が流れた瞬間に。

――ああ……すごいです。

遠藤 それを見て「いいじゃない」って軽い感じで(笑)。どうしても監督はリズムで映画を撮ってますから、そのリズムが最初に試聴してもらったときに合わなかったんですね。でも映画を見て、自分で音をつけて、エンドロールの中にこの歌が、ラストシーンの彼女の泣き笑いの顔にものすごく合ったんですよね。それはご自身の思わぬ方向以上に広がっていったんじゃないですかね。澤井さんとしても。

――予想だにしなかった、じゃないですけど、そういうことですよね。

遠藤 まあそうですね。自分のイメージと違うものがあがってきたけれども、結果すごく合っていたっていう。初めて聴かせたときはもう……

――けちょんけちょんだった、と(笑) 相手役が三田佳子さんであったり、監督もそういう方であったり……原作との関係も、原作の中にある「劇中劇」が映画になったという、原作ものとしてはだいぶ高度な映画化ですよね。

遠藤 そう言う意味でも、いろんな意味で変化球をいっぱい投げた映画でしたね。それを見事に打ち返したっていう感じじゃないですかね。

――歌番組にも出られました?

遠藤 出ました。これもさっきの3番組には出てましたね。ただこの頃は、こう言っては申し訳ないけど、スタジオにはほとんど行かずに、毎回ロケーションにしていただいて、そこに追っかけて来ていただくというやり方をしていて。まあ『夜のヒットスタジオ』だけはスタジオに行かなきゃいけないんですけど、それ以外の番組ではスタジオじゃないところでやらせていただいたりしてましたね。ただこれを機に、彼女が「自分は女優に向いているのかどうか」ってしばらく悩んじゃう。

――この作品で。

遠藤 そうです。先ほどのラストカットも含めて、ある種の完全燃焼に近い。『セーラー服と機関銃』をやり終えて1年半で復帰するまで、本当に女優を自分の天職としてやっていっていいのかっていうことに対する悩みがあって、それで実は角川春樹事務所を辞めるんです。学生に戻って、どうするかっていうことが見つかるまでやらない、と。

――転換期だったわけですね。

遠藤 まあある種の、『セーラー服と機関銃』とは違う意味で大きなターニングポイントになっていく作品ですよね。

――でも周りの評価は高かったわけですよね、きっと。女優さんとしてもこれ以降、また評価が高まっていって。

遠藤 今まではアイドル映画と思われていたものが、本格派の女優に旅立っていくと思われた矢先だったんじゃないですか? そことギャップがあったんじゃないですかね。一方、三田佳子さんがこの作品でこれで初めて助演に回られて、助演女優賞を総なめにされるんですね。

――そうですね。

遠藤 三田さんの助演女優賞の獲得具合が凄まじくて、三田さんがどんどんすごい女優になっていくっていうか。のちのち薬師丸さんと話したんだけど、薬師丸さんはたまたま『三丁目の夕日』で助演に回った作品が同じ41歳なんですね。「ひろ子ちゃんこれ偶然だと思うけどさ、助演女優賞総なめにしたのって、三田さんとほぼ同じ年齢・時期だと思うよ」って。

――すごい一致ですね! 『セーラー服と機関銃』以前からのお付き合いかもしれないですけど、そこからやっぱり女優さんとして、すごく変化していったということなんでしょうか。

遠藤 変化は当然時代の流れとか年齢的なこともあるんですけど、基本的には何も変わらないと思うんですね。素朴だし、もうひとりの自分を冷静に見る目がいつもあるっていう。

――客観性を持っていらっしゃる。

遠藤 チャンネルがもう一個あるんでしょうね、きっと。「薬師丸ひろ子はこういうことをしちゃいけないんだ」っていうことを冷静に思って、「自分はこんなことやってみたい、でもこれはやっちゃいけないんだ」っていう葛藤をいつもやっていらっしゃる。若いうちからそういうことに長けてましたね。

――そこに才能がすごくあったということですね。

遠藤 だからということはないですけど、おばあちゃん子だったらしくて、言葉づかいから何から、とても15、6歳の子が使う言葉じゃなくて。さらにちゃんと自分を律することができる人だった。若いうちからですよ。

――品性を感じたわけですね。歌手としての魅力はどのように感じられてました?

遠藤 もともと中学高校まで合唱団に入っていらしたんですね。だから歌い方はすごく素直で、まるで合唱のリーダーが歌うようなっていうか、そんな感じの歌い方で。だからプロの歌手としての歌い方がどうというよりは、きれいで透明な声、というのが彼女の一番の魅力なんだと思います。

山川 レコーディングのときも、薬師丸さん自身が納得するまで何度も何度もテイクを録って、もうそろそろ疲れてくる頃かなと思ったら、またすごい上昇のピークが来るんです。

――やっぱりご自分で、「もっと、もっと」と気持ちを持っていく方ということなんでしょうね。

山川 その気持ちをカバーするほど、喉も強いですね。

遠藤 人の見えないところで努力しているんだと思いますよ。あまりおくびに出さないっていうか、表に出さない人なので。負けず嫌いは負けず嫌いですよね。かけっこでも一等賞にならないと気が済まないみたいな。

――そういう風には見えないですよね。

遠藤 自分でテンションを上げていくっていう感じもあるから。そういうモチベーションというか、芝居をするっていうことに関して常に必死なんですよね。一番最初の出会いは『戦国自衛隊』っていう映画で、ワンシーンだけ「少年のような武士」っていう役で竜雷太さんを刺すっていうシーンがあって、「子どもじゃないか」と言って竜雷太さんが自衛隊のピストルで撃ち返す。そうすると倒れるわけですけど、受け身を取らないで、そのまま後ろにドーンと倒れたんですよ。

――ええっ! 普通自分を守りますよね。

遠藤 撃たれた瞬間「吹っ飛ぶ」感じってあるじゃないですか。ああいう感じでびっくりしたんですよ。

――その年齢の女の子にはあり得ないガッツですね(笑)

遠藤 いやいやびっくりした。別に監督も、そんなことをやってくれなんて指導もないですよ。ははぁー、この人は何にでも一生懸命な人なんだなって。

――そんなエピソードも踏まえつつ……山川さんは、歌手としての魅力はどのようにお考えですか?

山川 歌手としてイコール、人としての魅力ですね。先ほど遠藤さんが『Woman』のとき、悩まれている時期があったとおっしゃいましたが、この当時、松任谷由実さんの苗場コンサートに、気分転換に行かれたそうです。由実さんも、そこで薬師丸さんと一緒にスキーをした事を昨日のように覚えておられました。薬師丸さんのすごいところが、作家の人とすごく繋がってるっていうか、これまでに作品を提供していただいた大滝詠一さんや井上陽水さんも、去年、紅白で(松任谷)正隆さんがピアノを弾いてくださった事も、やっぱり彼女自身の魅力が深いから、音楽アドバイザーの枠を超えて、長いお付き合いが続くんだろうと思うんです。人としての素晴らしさが、そのまま歌に表れている気がします。

――先日クラムボンというバンドの、非常に音にうるさいミトさんという方にインタビューさせていただいたのですが(記事参照)、彼も薬師丸ひろ子さんのハイレゾ音源のことを非常に素晴らしいと言っていて。僕も改めて聴いて本当にすばらしいなと思いましたし、今回のハイレゾ化にあたってのポイントなどもお伺いできましたら。

山川 一般的に圧縮した音に慣れているところがあるので……一番気をつけたのは歌や演奏している人の空気感をどう伝えるかっていうことです。

――なるほど。今回は全部アナログマスターですか。

山川 はい、当時の空気感がしっかりと記録されていました。ユーザーの皆様も感慨深いと思います。

――ありがとうございます。角川映画世代と言っても過言でもない僕からしても、本当に貴重なお話をお伺いすることができました。

山川 今思うと、遠藤さんのプロデュースの元で、デビュー初期に露出をうまくコントロールされて、それが神秘的なイメージに繋がっていたと思います。その頃のプロデュース感覚が、薬師丸さんの一本の芯として礎となっているからこそ、今も第一線で活動されているんだっていう気がしますね。

――その通りだと思います。改めまして、本日はありがとうございました。

 

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インタビューの様子。意外な裏話も次々と飛び出し、終始和やかなムードで進んだ。(イラスト:牧野良幸)

 


 

 

《プロフィール》

 

遠藤 茂行(えんどう しげゆき)

1972年東映入社。経理部を経て洋画配給部宣伝担当となり、角川映画を担当。主な作品として、『戦国自衛隊』『蘇る金狼』『野獣死すべし』『スローなブギにしてくれ』『セーラー服機関銃』『探偵物語』『里見ハ犬伝』『メインテーマ』『wの悲劇』『天と地と』『失楽園』など。
1997年、企画を兼務し『新生トイレの花子さん』『バトルロワイヤル』『あぶない刑事』『go』『フライダディフライ』『北の零年』『今度は愛妻家』『俺は君のためにこそ死にに行く』などを担当する。
2010年、執行役員企画開発部長となり『ツレがうつになりまして』『聯合艦隊司令長官山本五十六ー太平洋戦争70年目の真実』『わさお』『想いのこし』『王妃の館』等に関わる。現在は『さらばあぶない刑事』『ターミナル〜起終点駅』が公開予定。

 

山川 智(やまかわ さとし)

東芝EMIからEMIミュージックジャパンを経て、宣伝、販推、制作を歴任。
担当アーティストに於いて、日本レコード大賞アルバム賞、特別賞、新人賞、日本有線大賞新人賞、日本レコード協会プラチナシングル賞等、数々の賞を受賞他、世界初の8cmシングルCD-EXTRAを発売。
現在はユニバーサルミュージックにて、デューク・エイセス、フォーセインツ、山川豊、薬師丸ひろ子、徳永ゆうき等の制作を担当している。

 

 


 

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 今回のハイレゾ放談は、TK (凛として時雨) が登場。実は先日、人気アニメ『東京喰種トーキョーグール』の1stシーズンに提供した「unravel」が、2ndシーズン最終話にて、ストーリーに合わせてTK自ら再アレンジを行ったアコースティック・バージョンが流れて話題となりました。そんなレア・ナンバーが、5月にハイレゾ配信リリースされることが決定。もともと、独自のセンスでエンジニアリング、ミックス、マスタリングなどに携わり、音へのこだわりを感じさせるTKさん。そこで、興味津々だという最新のハイレゾ環境の魅力をいっしょに体験することになりました。作り手でありアーティストならではの視点をお楽しみ下さい。

 

インタビュー&テキスト:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 


 

【プロフィール】

凛として時雨:2002年、埼玉にて結成。男女ツインボーカルから生まれるせつなく冷たいメロディと、鋭く変幻自在な曲展開は唯一無二。プログレッシブな轟音からなるそのライブパフォーマンスは、冷めた激情を現実の音にする。TK(Toru Kitajima)は、ボーカル&ギター、ソングライティングを務める。

凛として時雨 公式サイト:http://www.sigure.jp
TK from 凛として時雨 公式サイト:http://tkofficial.jp

 


 

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TK from 凛として時雨

 

――ミックスを自分でやられたり、音へのこだわりがハンパないTKさんだと思いますが、ハイレゾへの興味のきっかけは?

TK ミックスをやっているので音へのこだわりがすごいと思われがちなんですけど、オーディオ的な意味合いではないんです。もともとエンジニアの勉強をやっていたワケでもなく、作品として作りたい音の追求の結果なんです。曲づくりの延長線ですね。たとえばビットレートとかにも興味がありませんでした。自分が違いのわかるものだったり、音として自分が欲しいもの以外にはあまり興味が向かなくて。

――なるほど。

TK 世代的なものもあるかもしれないんですが、僕はあんまりMP3にも抵抗がなくて。自分が高校生のころとかMDだったので、いまだにMDの音とか好きだったりして(笑)。圧縮をしてるので、オーディオ的には良いものではないんですよね。でも、ある種コンパクトに聴きたい音がダイレクトに自分に伝わってくる環境なのかもって思っていて。ものは捉えようですよね。

――はいはい。

TK だからハイレゾ音源として192kHzや96kHzの音源をちゃんと聴こうとすると、自分が今まで聴いていた天井よりもっと上のところに音がくるんですよね。さっきハイグレードな高音質空間でノラ・ジョーンズを、目の前に吸音材と1本100万近いスピーカーしかない状態(笑)で聴かせていただきましたけど、体験したことの無い音で驚かされました。今アナログなレコード文化も盛り上がってきていると思うんですけど、MP3で手軽にたくさん持ち歩くというのもいいですし、LPやハイレゾで違った音の世界を体験するのもありだし、選択肢が広がったってことが音楽文化において素晴らしいなと思いました。

――いろんな楽しみ方が出来ますよね。

TK 僕としては自分がミックスした音源を、絶対録音したままの48kHzで聴いて欲しいとか、96kHzで聴いて欲しいというエゴはないんです。聴いている人が選択できるという環境が良いと思うんですね。余韻や音の定位がはっきりわかりやすいハイレゾを体験することで、音ってこうやって出来ていたんだというところに意識が向くことは面白いですよね。もともとこういう音を圧縮して聴いていたんだという発見にもなりますし。これまでのリスナー環境って、そんな視点に意識が向いてなかったと思うんですよ。そこは音楽業界全体の成長としてとして大きいことですよね。

――ハイレゾウォークマンNW-ZX2をアンプPHA-3とMDR-Z7のヘッドホンで聴かれてましたがいかがでした?

TK MP3やCD音質とはぜんぜん音の聴こえ方が違いますね。さっき僕はマイケル・ジャクソンを聴いてましたけど、たとえば天井が低いほうがコンプ感が強いのでロックとかそういう音源の場合は、曲によっては44.1kHzなど、ハイレゾじゃない音でも良いかもしれないなって。でも、ハイレゾで更に高解像度のまま伝えられることによって、自分としてはミックスのやり方も変えていかないといけないなって気がつかされました。どうしても耳に一番最初に届いてくる音っていうのは、個人的に一番上のきれいな透明感だったりするんですよ。曲の印象や音の印象がすごく透明な感じで聴こえるんですね。なので、いままで歪み感として聴かせたかったものが、透明感が加わってくるので同じ状況で聴くと、お客さんがハイレゾで聴くことを想定してミックスしたくなるな〜と。マニアックな話ですけどね(笑)。

――学生時代に聴かれていたという尾崎豊はいかがでした?

TK 歌の余韻や演奏の息遣いが当時聞いていた音とは別物に感じますね。NW-ZX2というウォークマンのフラッグシップモデルで試聴させて頂いたんですが、そもそも普段自分が聞いているプレイヤーとの音の差が違い過ぎちゃって(笑)。なんでもかんでも高音質というとちょっとオーディオ的な意味合いを強く感じますが、マスター音源に近いということはより本人の声だったり意図していたものに近いということですよね。もう生で聞く事の出来ない歌声であれば尚更ハイレゾというのは限りなくそれに近いものを感じられる1つの選択だと思いました。

 

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(今回、試聴に使用していただいたハイレゾ対応ヘッドフォン)

 

――あと、宇多田ヒカルさんもお好きなんですね?

TK 僕は、凛として時雨をやりながらも最初はあまりロックを聴いていなかったんですよ。最初、ロックを聴き始めたのもLUNA SEAやラルク アン シエルとかをテレビで見たのがきっかけだったりして、いわゆる洋楽は聴いてきませんでした。元々は普通に小室さんの音楽とかJ-POPが好きで今に至りますね。その流れで、宇多田ヒカルさんは今聴いてもですが、当時全てが新しかったですし好きで良く聴いていましたね。それこそ無意識にミックスやマスタリングの音選びもかっこいいなと思って聴いていました。

――このmora readingsというコーナーの第一回目って、宇多田ヒカルの音を作って来たチームが登場しているんですよ。(リンク:宇多田ヒカル・スタッフ、ハイレゾの魅力を大いに語る!

TK あ、そうなんですね。それは気になりますね。

――あと安藤裕子さんもお好きなんですか?

TK はい。ちなみに、この前弾き語りでご一緒させていただきました。マスターにDSDを使った一発録りのライブ音源『Acoustic Tempo Magic』を出されているじゃないですか? どういった感じで聴こえるかがすごい気になって。さっき聴いたらやっぱりライブでしか感じられない様な空気感や緊張感が、ここまでリアルなまま伝わってくるんだなと耳ですごい感じました。余韻がすごい耳に入ってきますね。あといままで聴いていたCD音源と比べると圧倒的に景色として色が見える感じがありました。天井が高くなってさらにそこに色がつく感じ。僕はイヤモニになる前はライブの時にモニターから爆音出し続けてやってきていたので、結構上のほうの耳は死んでるんですよ(苦笑)。それでもハイレゾ・ウォークマンで聴くと、すごい情報量だなって思いました。普通にちゃんとした耳を持っている人が聴くとよりすごいんじゃないかなと(笑)。

――ははは(苦笑)。そして、上原ひろみさんも聴かれたり。

TK 大好きで聴いていますね。家では歌がない曲を聴くことが多いかもしれません。キース・ジャレットとかもそうなんですけど、テクニカルな部分もありつつ、メロディアスな部分も全部聴こえてくるんですよ。次の瞬間何が起きるかわからないような人たちなので、すごいドキュメンタリー性が強いんですね。その中でぐっとメロディーが心を掴む瞬間っていうのがいろんなところにちりばめられていて。毎回聴いていると、その発見があるのがすごいうれしくて。僕が作っている曲だったり一般的な曲って構成を覚えられるじゃないですか? でもそういうのじゃなくて毎回新しい曲を聴いているような感覚でハっとさせられる感覚なんです。

 

――普段は、音楽を聴く時はどんな環境なんですか?

TK 僕はポータブルだとアップル社の電話を……(笑)。なので全然違う音世界ですよね。だからヘッドホンアンプとかも興味を持ってなかったんです。意外とミックスダウンが終わっちゃうと、聴くときはイヤホンも下も上も出ないもので聴いてましたから。なので、今日はハイレゾはもちろんウォークマンの音の良さにもびっくりしました。

――そして、ヘッドホンもフラッグシップモデルのMDR-Z7と、人気商品のMDR-1Aで聴き比べられてましたね。

TK そうですね。余韻や定位の聴こえ方の違いはもちろん、ヘッドホンで音が届くスピード感が同じ曲でもこんなに変わるってことに驚きました。本当に多様化してきているんだなと思いました。となると、どこに焦点をあてて自分が音を作ればいいのかっていう部分に意識はいきますよね。でも、結局いろんな事を考え始めるときりがなくなってくるので、だったら自分の環境を信じるのが良いかなと思っています。

――より高音質なDSDレコーディングにも興味はありますか?

TK 噂は聴きますね。あれもCDよりも何倍もの情報量というハイレゾという括りになるんですか?

――そうですね。海外のヨーロッパのクラシック方面ですごい盛り上がって、今moraでもDSD配信もスタートしていますね。元はSACDの規格です。

TK DSDの再現性がすごいって話をよく聞きますね。DSDで録ってそれをPCMに変換してやるとどうなるんだろうなっていうのにはすごい興味があって。逆にPCMで録ってDSDにする人もいますよね。どっちが面白いのかなって。最後だけDSDにするほうが楽ではあるんですけど。

――そういう方も多いですね。DSDの雰囲気ってやっぱり出るんですよ。その効果が欲しくてそうやってる方もいますね。ハイレゾで聴きたい音源としてキース・ジャレットをあげていたのは、それこそ音の響きとか余韻とかがわかりやすそうですね。

TK キース・ジャレットは普段よく聴いているので、LPでもMP3でもCDでも全部で体験していますね。なので違いがわかりやすかったです。ライブ音源でいえば、44.1kHzと96kHzの違いのほうが、96kHzと192kHzの違いよりわかりやすいのは何でなんですか?

――ひとつ聞いた話では、アナログテープって40kHzまでらしいんですよ、それを96kHzでカバーできるので。それ以上の192kHzとかになってくると、今度はまたぜんぜん別の話になってきて。50kHzをEQでぐっとあげると、体感上聴いた感じがだいぶ変わるとそういう効果がだんだん出てくる領域に入ってきて、いわゆる別の領域らしいんですね。CDでも50kHzでフィルターかけると音が変わっちゃったりしますし。

TK なるほど。ちなみにハイレゾって何だ?ってわからない人もまだまだ多いと思うんですけど、そもそもハイレゾって分かりやすく言うとどんなものなんでしょうか?

――数値的な定義はありますけど、作り手次第なところも大きいですね。基本的には、スタジオでアーティストさんなり、プロデューサーさん、エンジニアさんがOKした音をそのまま届けられるということですよね。

TK CDが標準で、更に手軽な選択肢としてMP3もあったけど、もっとマスターに近いものが普及できるようになったということですよね。

――料理が冷めないうちに届けられるっていうことですね(笑)。作り手や聴き手がフォーマットを選べるようになったというのが一番ですね。

TK カップラーメンのほうが美味しい場合もありますもんね(笑)。

――CDが生まれたのが約30年前ですから、30年ぶりに新しいフォーマットが普及しつつあるこの1年という感じですね。

TK ここからさらに先のテクノロジーの進化ってどうなるんですかね?

――ハイレゾが普及して、音の良さに気がつくようになると機材や、ミキシング、マスタリングなどレコーディングのやりかたまで変わってくるかもしれませんね。それによって面白い表現が出てきたら楽しいですね。

TK 今ってハイレゾの配信をしているアーティストの方は増えているんですか?

――増えていますね。この1年半くらいで、特に年末からの4ヶ月がすごかったと思います。moraさんが公表しているデータでは、mora売り上げの3割強はハイレゾ音源になったそうですね。

TK 80年代とか、マスターでテープしかないものって多く存在しているじゃないですか? マスターテープから44.1kHzのCDになっていたものがほとんどの中で、それを192kHzや96kHzにするというのは、マスターをまた再生してそれを192kHzや96kHzで録るということですか?

――そうですね。今の状況にあうようなマスタリングをかけて最後24bit/96kHzのパッケージにするっていう流れが多いですね。

TK ビクターのK2HDみたいなハイレゾではない音の音質をアップグレードするような技術はソニーには無いんですか?

――ソニーの場合は機械に入っています。DSEE HXって名前で好きにオンオフができますね。

TK じゃあCD音質な44.1kHzのものがあって、DSEE HXをぽんと押すとハイレゾに近い音になるっていうのは凄い技術ですよね。

――お持ちの音源をハイレゾ相当まで高解像度化して、ハイレゾっぽくするということですね。CDにする時に失われたであろう部分を補完するプロセッシングが機械の中に入ってますね。

TK 簡単にいうと44.1kHzに入っている基音の倍音を計算して出すってことですか?

――おおざっぱにいうとそういうことですね。CDより、MP3とかAACなど圧縮率の高いものにかけると効果が大きいですね。TKさんは、ハイレゾ音源をいままで購入されたことはありますか?

TK あります。この前クラムボンの新作も聴いたんですが、空気感や余韻が全然違うのでとても楽しめましたね。僕もまだそんなにハイレゾ音源を持っていないので、新譜を聴ける楽しみとハイレゾを体験出来るという2つの楽しみがあります(笑)。

――それを聴くハイレゾ環境はどんなプレイヤーだったんですか?

TK ウォークマンは持ってないんですが、家で聴くときはパイオニアのデジタル・アンプとELACのスピーカーですね。もともとはONKYOのコンポで聴いていて、それを軸に最近いろいろアンプとスピーカーを探し始めて、アナログ・アンプも良かったんですけど、もともと使っていたONKYOのアンプがデジタルで、デジタルのほうが立ち上がりの早さだったり、聴いている間に音の変化がない印象があるんです。わりとシャキっとした速めの音が好きなのでデジタル・アンプを使ったシステムでミックス作業だったり音楽を聴いています。

 

――そして、5月にTKさんの作品もハイレゾでのリリースが決定したと。

TK あっ、そういえば(笑)。

――アニメ『東京喰種トーキョーグール』の「unravel」のアコースティック・ヴァージョンですね?

TK 去年リリースした「unravel」のアコースティック・ヴァージョンを最終回の挿入歌として作って欲しいというお話を頂いたんです。たまたま録るときにトラック数も少なかったので88.2kHzの32bitで録っておいたんですね。元々はリリースの予定も無かったんですが、冗談っぽくハイレゾでも配信できるねって身内で話してたんです。そうしたら、反響が大きかったみたいで、僕も興味を持っている良いタイミングだったのもあって初めてハイレゾで配信しようということになりました。バンド(凛として時雨)ではまだハイレゾ化をやってないんですが、CDを最終形として考えるかどうかで音の作り方が全然変わって来ますよね。

――別物な感覚として受け止めているのですね。

TK 今回はソロで弾き語りというのもあって、歌の響きだったり、隙間を活かしたアレンジになってます。なのでハイレゾで聴いても面白いのかなと思って。リバーブ感だったり、声の倍音や息遣いとかも綺麗にでてますね。初めてハイレゾで聴いてもらいたい音ができた感じなんです。

――今後またハイレゾを想定したレコーディングであったりリリースっていうのは?

TK そうですね。いつもは48kHzですが、やっぱり96kHzや88.2kHzで自分で録るとなると機材面の問題があるんです。トラック数が半分になっちゃったりとか。録りながらミックスでプラグインもどんどん挿していくのでどうしてもPCのスペックの問題にも直面してしまいます。そうなってくるとプロツールスで誰か外部のエンジニアの方にお願いしてという感じになるので、そういう難しさはあるんですけど、バンドとしてやってみたいアプローチではありますね。ハイレゾって名前は聴いたことあるけど、たとえば時雨がやりはじめたから試しに聴いてみようかなとか、そういった形で自分たちが誰かにとって新しい扉を開けられるミュージシャンになれればいいなって思いはあります。僕も好きなアーティストのリリースがきっかけで聴いたのもあって、そこは先導してやっていきたいですね。

――それこそフェス好きな若いリスナーの子たちは、まだまだハイレゾ文化に縁遠い方が多そうですね。ライブ的なリアルな視聴体験がハイレゾで出来ることを考えると、TKさんの行動によってリスナーの触れられる機会が増えると面白いですよね。

TK 時雨だと、僕も声の成分ってすごい上の周波数が多いので、ハイレゾになると情報量の多さが逆に心配ではあるんですが(苦笑)。なのでいままで耳障りだったものが、更にエッジーに(笑)。そこも含めて、音の新たな選択肢として楽しんでもらえれたら嬉しいですね。

 


 

TK from 凛として時雨、自身初のハイレゾ音源!

『unravel (acoustic version)』
(TVアニメ『東京喰種トーキョーグール√A』挿入歌

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凛として時雨 moraアーティストページ

TK from 凛として時雨 moraアーティストページ

 

 

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 近年、急激に期待が高まっている高音質ハイレゾ・シーンにおいて、J-Pop、J-Rock界で開拓者的アクションを行うクラムボンのミトさんと、人気アニメ『ラブライブ!』でハイレゾ市場を広げたレコード会社ランティス系列の制作会社アイウィル所属の音楽プロデューサー、佐藤純之介さんによるハイレゾ雑談を実現。お互いが気になるハイレゾ作品をカードのように出し合い、魅力についてフェチ的に語り合うという対決方式でお届けします。音楽への愛に溢れ、マニアックながらも、ついつい聞き耳を立てたくなるトークを、完成したばかりの代々木ハイレゾBAR『Spincoaster Music Bar』からお届けしましょう!

インタビュー&テキスト:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 


 

【プロフィール】

ミト(クラムボン):クラムボン(Clammbon)は、原田郁子、ミト、伊藤大助の3人による日本のバンド。1995年結成。ミトはバンドリーダー。1975年生まれ。ベース、ギター、鍵盤、その他を担当。
https://twitter.com/micromicrophone
http://www.clammbon.com
最新作『triology』好評配信中! ご購入は⇒こちら

佐藤純之介(音楽プロデューサー):レコード会社ランティス系列の制作会社アイウィルの音楽制作部。1975年生まれ。自称カリスマ機材系男子にして音楽司書、テクノポップ考古学者にして三宿のトーマスドルビー。 https://twitter.com/junnoske_suite
http://www.iwill-music.co.jp

ふくりゅう(音楽コンシェルジュ):1976年生まれ。音楽ライター、エディター、音楽プランナー,WEBプランナー、選曲家など多岐にわたり活躍。近著は「ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本」。
https://twitter.com/fukuryu_76
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fukuryu/

 


 

■ミト(クラムボン)×佐藤純之介、二人の出会いのきっかけ

――それでは、お二人の出会いのきっかけから。

ミト 佐藤さんが手がけられていたプロダクト(楽曲)を、ほとんど自分で買っていたんです。その中の1曲を「Amazonで2009年に自分が買ったトップワンをあげてくれ!」という趣旨の企画で、麻生夏子ちゃんの「Programming for non-fiction」を選びまして。方や、いろんなアーティストが洋楽だ邦楽だとあげている中で、ひとりだけアニソンをあげて大問題になって(笑)。そうしたら、Twitterで「あの曲のプロデュースをやっている僕です!」って声をかけられたんですね。すぐに会うことになりました。

佐藤 三茶に飲みに行って、最初の10分でTM NETWORKの話題で盛り上がって(笑)。

ミト 10何時間くらいずっとTMの話をしてましたよ(笑)。

――その後、雑誌『サウンド&レコーディング・マガジン』のTM表紙号で、対談もされてましたよね。

佐藤 サンレコでTKの次にページ数多かったですから(笑)。機材というか、音色の話で会話ができるという。

ミト あの対談をそのまま載っけたら、本になる内容だよね。

――なるほどです。ミトさんはなぜハイレゾにハマることになったのですか?

ミト 以前、僕と音楽業者の二人でハイエンド・オーディオシステムに作り替えたバーがありまして、クラシックを爆音でかけるイベントをやっていたんです。基本的にはCDをかけてたんですけど、中休み的な感じで24bit/48kHzで作っていた僕らのマスターをかけたんです。そうしたら、お客さんがみんなびっくりしたワケですよ。「すごい音が良いぞ!」という話になって。音の良さがこれだけわかりやすくお客さんに届くんだというのがあって、じゃあこれハイレゾで出せたら面白いなと思ったら、たまたまそこにいたお客さんのひとりが高橋健太郎(音楽評論家)さんだったんですよ。偶然も偶然で。彼が「実はototoyでハイレゾをやろうと思っているんだけど」という流れで、「じゃあプロトタイプとして僕らのヤツを出しますか?」ってなって。でも普通にハイレゾで出すだけだと面白くないから、「無料配信しましょうよ!」って出したのが2009年の「NOW!!!」なんです。なので、わたしのマイワークの基礎中の基礎というのは「NOW!!!」の24bit/48kHzというのが最初ですね。

――その後、e-onkyoやototoy、moraが配信でマーケットを広げて、ソニーのハイレゾ・ウォークマンNW-ZX1が決定打となって、市場が広がったというワケですね。

 

■ミトに聴く、最新クラムボン・ハイレゾ・ワークス

――moraで購入出来るクラムボンのアイテムとしたら、「yet(24bit/96kHz)」と「サラウンド-出戻Re-mix-(24bit/96kHz)」ですね。他にも高音質でアナログやBlu-rayオーディオでも盤を出されていますが、今回moraでのハイレゾ化はシングル的な感覚なのでしょうか?

ミト そうですね。「サラウンド-出戻Re-mix-(24bit/96kHz)」は、菅野さんのリミックスというか、菅野さんのアレンジした「サラウンド」を、僕がリミックスしたっていうややこしいやヤツが入ってます(笑)。

佐藤 もう弦が素晴らしくて。CDでもMP3でも、良いものは良いというのは大前提なんですけど、やっぱりこだわった環境で聴いたときの感動の倍増感はすごかったですね。

ミト ワイドレンジは確実に違いますね。ストリングスのステレオ感というか、サラウンド感ですね。

佐藤 クラムボン自体も前回のアルバムと比べてレコーディングのメソッドというか、アウトプットをどうするか。作り方も変わったように感じましたね。

ミト そうかもしれない。フォーマット自体も32bit floating/96khzなんですけど、よりハイスペックな状態に対応できるように考えています。実際Pro Toolsも内部処理は64bit対応になったわけじゃないですか? どこまで読解して吐き出せるかっていうこだわりですね。わたしたちはエンジニア同士でもあるから、32bit floatingの状態で聴く時には、それをダウンコンバートした時に、どれくらいレンジアウトするのかな?ということを気にしていますよね。

佐藤 いわゆるマスタリングの段階で、どう自分たちが聴いてきた音楽が変化するか?というのはすごいシビアに見てます。

ミト あと24bit/96khzでマスターを作るというのが通例化したというのも大きいかも。それによってちょっとした問題も起きてるんですけどね。

――ほぅ、それは?

ミト それを語ると業界にご迷惑が……(苦笑)。例えばハイレゾで「yet」を出したり、純之介さんが出している作品って、たぶん世で言う一般的な「ハイレゾで出そう!」という感覚とはまったく違うんですよ。

――あぁ、そこは大事なポイントなのですね。ちなみにハイレゾ化でいう、ミトさんならではのこだわりとは?

ミト 今回シングルのハイレゾ化することによるこだわりでいえば、ストリングスのレベルですね。ハイレゾならば壮大に広く聴かせられるんです。そしてこれはアルバムで3人バージョンを収録するということを前提の上で作っています。しかもシングルですし、菅野さんが絡むんだったら、もはや菅野さん主役でいいんじゃないかって思ってました。「もっとストリングスをあげてください!」って言うとエンジニアさんがすごく困った顔するんですよね。「こんなに上げたらバランス崩れちゃうような気がするんですけどね」って。でもハイレゾ化で聴かせられるのはその臨場感だから。それを体感できるという意味合いでミックスしているんです。

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佐藤純之介さん(左)とミトさん(右)。

 

■ミト 1作品目: 花澤香菜「Make a Difference」

――では、本題に入ります。ミトさんワークスでオススメなハイレゾ楽曲は?

ミト 花澤香菜さんの「Make a Difference」ですね。ワイドレンジ幅は、シンセを使っているということもあるんですけど、圧巻です。そして、これはフェチ寄りな話になりますが、花澤さんの声がより輪郭として二次元を超えていく感がすごくありました。リアルで間近な声……ハイレゾの良さはそれですよね、結果的には。

佐藤 「Make a Difference」という曲では、実はシンセでお手伝いをしているんです。ハイレゾだハイレゾだって言っているのに、使っているサンプラーとかシンセが12bit/22khzとかなんです(笑)。なのでローレゾ感をハイレゾで再現したことも面白かったですね。

ミト アート・オブ・ノイズを、今に再現したみたいな状態ですよね。

佐藤 ハイレゾのアート・オブ・ノイズは存在していないですからね(笑)。

ミト それをうちらが代弁したみたいな感じだよね(笑)。

佐藤 しかもそれが声優さんの作品というところが面白いと思います。

――お二方で話すと、常にそういう特別な会話になるの?(苦笑)。

ミト ごめんなさい、これの何が特別なのかさえもわからない(苦笑)。

佐藤 どこがマニアックなのかすら判断できないですよね(笑)。

 

■「リアルサウンド」でバズったミトのインタビュー記事

――そういえば、先日は音楽情報サイト「Real Sound」での、音楽評論家の小野島大さんによるインタビュー記事『クラムボン・ミトが語る、バンド活動への危機意識「楽曲の強度を上げないと戦えない」』が、大きくバズりましたよね。

ミト バンド的にはたいしたことを喋っているつもりはないんですよ。今の今まで活動してきて、こういったバンド内変革や、接触はずっとお話ししてますし。フォーカスされたポイントの問題かなと。でも、みんなが興味を持ってくれたので全然それでいいかなと思っています。

――ちょうど昨日、ミトさんが「Real Sound」の記事で絶賛されていたじん(自然の敵P)さんと会ってたんですよ。彼は実はクラムボン・ファンでもあって。人気曲はもちろん、アルバム『2010』が好きだと語っていました。2011年に『カゲロウプロジェクト』が始まる前に、聴いていたみたいです。

ミト 俺は『2010』を出した後に、じんさんの作品を聴いて、もうげんなりしちゃったんですよ。うちらのリリックがどこまで当時の時代とかけ離れているか。だから逆に言えば、こちらこそインスパイアされているっていう。

――あのインタビューで名前があがったことを、すごい謙遜されてましたよ。

ミト 本当ですか? 今度ぜひお逢いしたいですね。彼の作品はとっても好きなんです。

 

佐藤純之介 1作品目: TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND『TRINITY SEVEN : MAGUS MUSIC ARCHIVE』

――それでは佐藤さんワークスでオススメなハイレゾ楽曲は?

佐藤 2013年の10月に「ラブライブ!」のアニメシリーズのハイレゾ盤を出したんですけど、その時って、いわゆるスタジオで作った24bit/48khzのマスターをそのまま配信したんですよ。ミトさんが冒頭に話していたBARで24bit/48khzマスターを流したら良かったってのと同じ実験的な試みですね。すごく評価された部分もある一方で「24bit/48khzってフォーマットは果たしてハイレゾなのか?」みたいな論争もあって。

――いまでこそソニーが、24bit/48khz以上であればハイレゾと規定しましたもんね。

佐藤 当時は過渡期でした。それで、オーディオ・マニアが求める音圧感とか、広がり感をいろいろ研究した上で、マイワークスとして挙げたいのが『トリニティセブン』というアニメのサウンドトラックで『MAGUS MUSIC ARCHIVE』という作品をmoraさんでアルバム2枚組(1枚目2枚目)でリリースしているんですけど、実はこれミックスダウンまで自分でやっているんです。TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDが音楽を作って、声優さんの声をサンプリングして、それをまた楽曲に昇華するという形をとったんです。

――それはまたこだわりな制作スタイルですね。

佐藤 今でいうハイレゾ・ウォークマンなNW-ZX1やNW-ZX2や、人気のAK240とか、あの辺を含めたポータブル機器でも十分なレンジ感、音楽的な太さだったりグルーブ感を感じられることを前提にミックスしました。ビンテージシンセサイザーを使いながら、Pro Toolsの中で32bit floating/96khzですべて作って、ミックスをやって、最終的にCDと実はマスタリングをハイレゾ版では別々の人に頼んでマスタリングした作品なんですね。そんな意味では、今流通しているハイレゾ機器に完全にカスタマイズしたというか、オーディオにこだわる人たちにも喜んで貰える作り方を意識しました。僕の自信作です。アニメ音楽プロデューサーでミックスまで自分でやる人って現状ほぼいないんですね。最初に立てた自分のコンセプトとか意思を、徹頭徹尾突き通せたかなという作品なので、ぜひ聴いてほしいです。

 

■こだわりのポータブル機器とは?

――佐藤さんは、ポータブル機器や、ハイエンドなインナー・イヤー・ヘッドホンへのこだわりや、所有数がすごい多いじゃないですか? きっかけは?

佐藤 ハイレゾ配信をはじめたタイミングではイヤホンは1台しか持ってなかったですし、その当時はポータブル・プレイヤーもiPodを使ってました。もともと「ハイレゾ配信をしませんか?」という話を持ってきてくれたのは、オーディオ・ライターの野村ケンジさんという方で。その方に協力していただきハイレゾ分野でどんな曲が人気あるんだとか、マニアが納得する機器はどれだとか、どんな音源が求められているのか?いうのを完全にリサーチしたんですよ。なので気がついたらプレイヤーもイヤホンもいっぱい増えていました。こういうのって自分で試さないとわからないんですよね。

――凄い数をお持ちですよね。しかも、ケースに入れて持ち歩ける体制をされていて。歩くハイレゾ・エヴァンジェリストですよね。

佐藤 オーディオ雑誌の方とか、ユーザーの方とか、それこそ家に2000万円くらいのオーディオを組んでいるマニアの家にいって実際に曲を聴いてもらって、この音源の何がダメなんだとか、どこが良いんだとか、それこそPro Toolsを持ち込んで、こういうバランスだったらいいのかとか、評論家の人、ライターの人、ショップのオーナーの方とかに話を伺いまくったんです。その中で自分的に納得のいく手段をまとめて、それをノウハウに、ミックスやマスタリングなど、自身の制作の哲学にしている感じです。

――ミトさんはポータブルではどんな機器を使われているんですか?

ミト ソニーのNW-ZX1です。イヤホンはFitEar。それは普通に業者として買い入れてますね。もともと、日本のステージ用のインナー・イヤー・モニターとして一番のシェアがあるし、僕らもユーザーなんですよ。

――たしかに、インナー・イヤー・モニターの世界ではライブをされるアーティストが一番身近な世界ですよね。

佐藤 FitEarさんが面白いのが、社長がアニソン大好きで、アニソンにあわせてチューニングしているモデルもあるんです。

ミト 月一や月二のペースで、須山社長とオーディオ・チームが集まる会があるんですよ。そこで集まって何をやっているかってのは企業秘密なんですけど、須山社長のアニソン愛はハイレゾ界隈でも如何無く発揮されているんですよ。

――ハイレゾ・シーンで面白いと思うのが、日本のインフラな音楽周りってiTunesやAmazonなど海外勢に持ってかれているなか、ポップミュージックにおけるハイレゾって、日本中心で盛り上がっている気がするんですけど。

ミト 厳密にいうと、ヨーロッパのクラシック方面がすごいんですけどね。

佐藤 DSDが多いですね、あっちはね。

ミト 2008年とか10年代入る前に、24bit/96kHzでクラシックは普通に発売していたんですよ。ようするにあまたのオーディオ・ユーザーたちが好んで買い入れていたんですね。それがカジュアルにシフトしたきっかけは、クラブ系だったりテクノ・レーベルなんです。まさに配信サイトBeatportがそうですよね、Beatportが完全にハイレゾにシフトして。だけどおっしゃる通り、カジュアル・ジャンル、ポピュラー・ミュージックというマーケット市場での流通の多さは、確実に日本が優位だと思いますね。

――なるほどです。あ、トークが横道にそれすぎて、もう時間があまりないですね(汗)。それではミトさんオススメな80s90sハイレゾ楽曲を教えてください。

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■ミト 2作品目: 薬師丸ひろ子「Woman "Wの悲劇"より」

ミト 1984年にリリースされた薬師丸ひろ子さんの「Woman "Wの悲劇"より」がめちゃくちゃ良かったんですよ。当時アナログで聴いていた曲なんですけど、CDパッケージになった瞬間に音像が奥まったんです。元がアナログテープというかアナログマスターだったろうから、ダイナミックレンジをとろうとすると音像が後ろになってしまう。こと16bit/44.1kHzだとそれがすごい顕著なんです。なのであの時代の作品って、CDで聴くのをけっこう敬遠していた時期があったんですよ。あとはエレドラのタムの大きさですけど、当時めっちゃでかかったんですよ。だからコンプで抑えられ歌がどんどん遠くなったり、オケが遠くなっていたんですね。それと同じように、ストリングスを使ったバラードで最大にサビでダイナミクスを持って行くような曲でも、いつもオケが遠い印象だったんです。今回、それが解消されていたんですね。この曲はミニマルというか、ピアノからフォルテに向かう音圧がスムーズだし、すごく音像も生き生きしてるんですよね、ハリがあるし。それは媒体の容量が多いからということなんですよ。あともうひとつ、これは蛇足な話ですけど、C-C-Bの「Romanticが止まらない」がこの前ハイレゾで出たんですけど、C-C-Bのシモンズのタムあるじゃないですか?あのタムがでかすぎていつも後ろに鳴っていた他の音が全部前に来るようになったんです。だからシンセの音がめっちゃ良い音で聴こえていて。

佐藤 もとのマスターもアナログテープでしょうしね。

ミト で、やっぱりレコードで聴こうとしても薬師丸さんのとかは、もう古いのでクラックルがのっちゃってるというか、けっこう使ってるから針乗っけるとノイズが、S/Nがあまり良くなかったんですよね。なので、よりまた後ろに行ってしまうという問題が解消されたんですよ。

――面白い。じゃあ佐藤さんは、80s90sでオススメなハイレゾ作品は?

 

佐藤純之介 2作品目: TM NETWORK『TWINKLE NIGHT』

佐藤 ここはやっぱり1985年にリリースされた、TM NETWORKのミニアルバム『TWINKLE NIGHT』ですね。アナログ・マスター・テープからハイレゾ用にリマスタリングされているんです。アナログの素のテープの音からのマスタリングというところで、やっぱり当時のCDのマスタリングって、もちろん大好きな音ではあるんですけど、技術的に今よりもいろいろとDAコンバーターの性能とか解像度が高性能ではなかった時代のマスタリングなワケですよ。で、今この現代の最新のデジタル技術で復元したTM NETWORKのアナログ音源というのが『TWINKLE NIGHT』ですね、DAコンバーターをデジタルにする時に、不要なものが削られず、立体感が残りつつ音圧もありつつ、ちゃんと小室さんのコーラスのひとつひとつまで聴こえるんですね。さっき花澤さん「Make a Difference」の時にお話したローファイの機材をハイファイで録音してたんですけど、まさにそれで、当時の機材のローファイな音がローファイのまま入っているんですよ。それをちゃんと聴き取れるというところで何回聴いても飽きないですね。

ミト 輪郭がはっきり見えるようになったんですよ、ようするに。しかも2曲目の「組曲 VAMPIRE HUNTER D」とか、SEの爆発音がしっかり聴こえるんですよ。これがCDだと余韻が鳴らせなかった。

佐藤 やっぱり広がり感とか音圧感とかが無理ないし、音圧があるのにダイナミック・レンジが損なわれていないっていうところで、やっぱりTMのハイレゾは画期的ですね。特に初期のものは変化が大きいので。

 

■ミト 3作品目: スフィア『Third Planet』

――では、最後はアニソン・テーマで1曲ずつピックアップお願いします。

ミト えーと、どこ入ったらいいんだろう。(佐藤さん)どれ挙げます?

佐藤 僕は『ラブライブ!』かなと思っているんですけど。

ミト じゃあ私は避けましょう。どうしようかな? わたしはアニソン周りだと声優さんの声をリアルに感じ取れるという意味でスフィアをあげようかな。一番3rdアルバム『Third Planet』が、密度がある音源がそろっていますね。あの時のスフィア音源には、彼女たちのみずみずしさと決意のしっかりした部分がすっごい聴こえてくるんです。いち声優ファンとしてもすごいし、その周りで作っている黒須(克彦)くんだったり、みんなが作り上げたトラックの良さが、アニソンという垣根を越えた部分で、しっかりクオリティ高く聴こえているというのは素晴らしいと思います。

――佐藤さんが担当されている作品ですね。

佐藤 がんばって良かった(泣)。

ミト 他で言えば、アニソンってテンポの速さだったり展開や情報量の多さに特徴がありますが、それがハイレゾだと可能な限りマックスで入れられるんですよ。だからテンポの速い曲とかがハイレゾになるとアドバンテージが凄いんですよ。それこそアニメ『境界の彼方』のOPである茅原実里さんの「境界の彼方」みたいなテンポの速い曲とか、アニメ『艦隊これくしょん -艦これ-』でいったらAKINOさんの曲(「海色」)とかね。ああいうギターのメロディックでハイパーな感じとかが過不足無くスコーンって前にくるんです。そういった部分がスフィアの作品にも入っているので、おすすめかな。

佐藤 乃木坂のソニーのマスタリング・スタジオでやっていただいたんですけど、レベルの管理とか方向性を事前に打ち合わせをしっかりやらせて頂いて、すごい良かったですね。

ミト あのみずみずしさは素晴らしいなと思います。

佐藤 スタジオで作った音を、まぁ変えてほしくないと言うと嘘なんですけど、良くしてもらえる分には良いんですけど、悪くしないでほしいという気持ちが作り手の正直な気持ちなんですね。いかに意思の疎通をはかって作業するかということに、時間をかけた思い出があります。

 

佐藤純之介 3作品目: μ's「No brand girls」(※ハイレゾ配信なし)

佐藤 僕はアニメ『ラブライブ!』で、μ'sの「No brand girls」ですね。要はテレビアニメになってからの挿入歌の一曲なんです。もともと、テレビアニメでの音源は24bit/48kHzで納品しているんですよ。でも、ポータブルのハイレゾ再生機で聴いているうちに、自分は24bit/48kHzに物足りなくなってきたんですよ。もっといけるだろうと思って。実はPro Toolsのマルチの段階からアップコンバートして、そのアップコンバートした中でトラックダウンを全部やり直したんですね。もちろん、やれ20kHz以上がないだあるだって話にはなるんですけど。やっぱり音の広がり感とかダイナミックレンジをすごい拡張した中でミックスができるんです。やっぱり初期に配信した時に9人の声がそれぞれが独立して聴こえるみたいなポイントが評価されたので、ハイレゾ24bit/96kHzの世界でより9人の個性を際立たせる、際立たせるけどユニゾンで歌っているみたいな、そんな聴こえ方をゴールにこだわって作りました。苦労した思い出の曲なんですよ。それが、24bit/48kHzでハイレゾに入ってきた、アニメ好きなオーディオファンの方々に納得して頂けたというのが、僕にとってひとつ自信になりましたね。

ミト やっぱりコールとかあるじゃないですか? 合いの手周りのコールの部分って、奥に行きがちなんですよね。でもハイレゾだとレスポンスが速いから、しっかり聴き取れてなおかつ勢いが消えていかないんですね。特に「No brand girls」はコールのやりとりが命というか、あれの心地よさはすごくありましたよね。

佐藤 ボーカルをとにかく重ねている曲で、ひとり16トラックを9人分声を重ねているんですね。

ミト 今のPro Toolsの最高スペックでも同時再生数が足りなくなるっていうね(笑)。150トラック以上歌に使っているワケですから(苦笑)。

 

■成長した耳でもう一回、同じ曲を新しくして聴いてもらいたいなという気持ち

――音楽好き的に言えば、ケイト・ブッシュの傑作アルバム『THE DREAMING』的な病的なこだわりですよね。

佐藤 ハイレゾでやるとさらに倍になっちゃうんですよ。なのでうちのスタジオはハイレゾ配信で96kHzで9人組をやるようになってから、Pro Toolsの拡張カードを倍に増設したんです。トラック数を増やすために。

ミト 事故ですよもう(笑)。

佐藤 3つあるスタジオのPro Toolsを、全部倍のスペックにしたんですよ(笑)。

ミト Pro Toolsのトラックロール画面とかえげつないですからね。まだ終わらないのかよって(笑)。

佐藤 ハードウェア的なところからの取り組みも、ソフトウェア的な取り組みも全部やっていますね。

ミト 傍から聞いていたらバカだなと思われるかもしれないんですけど、ちゃんと成果として素晴らしいサウンドで聴こえてしまうというのがやっぱりいいんです。

佐藤 それこそ、初期に出した24bit/48kHzでのスタジオ・マスターのまま配信した作品を作り直したいんですよ。24bit/48kHzを聴いていて気づいたんですけど、アニソンでハイレゾって急激に広がった分野じゃないですか? 僕がこの2年間でリスナー的な耳が成長した自覚があるので、ユーザーの方も相当成長したと思うんですよ。その成長した耳でもう一回、同じ曲を新しくして聴いてもらいたいなという気持ちがあって。

ミト ミックス・バッファが64bitにあがるので、そうすると音への解説というか説明がしっかりつきやすいんですよね。余韻だったりなんだったりを。こうしたかったところを結局伝えられなくて、そこにさらに圧縮が加わってしまった部分ってけっこうあるので。

――BUCK-TICK『惡の華』のハイレゾ化は、さかのぼってやりなおしたみたいですね。

ミト 結果が歴然だからすごくいいんですよ。絶対に間違ってないはずです。

佐藤 ミックスのやり直しは時代によっても変わるのと、やっぱりサンプリング周波数をどの周波数でやるかでやり方がぜんぜん違うんですよね。

ミト ワークフローが64bitになって、実はふつうに昔のPro Tools6くらいで混ぜていた音源を立ち上げるだけでもサイズ・バランスがぜんぜん違うんですよね。それをコンディショニングするだけでもぜんぜん違うんです。プラグインの立ち上がりだってぜんぜん違いますし。

 

■耳が良くなったユーザーに「お叱りを受けたい!」みたいな、そんな感じです(笑)

佐藤 リスナーから支持の高い曲に関してはよりアップグレードという形で。CDと前のハイレゾと今のハイレゾを聴き比べるとかというところで耳を鍛えてもらえればと。ユーザーも関係者も含め、この業界の底上げがしたいですよね。底上げをして耳が良くなったユーザーに「お叱りを受けたい!」みたいな、そんな感じです(笑)。言われたら、「待っとけよお前ら!」みたいな(苦笑)。

ミト どんだけドMなんですか(笑)。

佐藤 ハハハ(笑)。そういう流れで192kHzやDSD11.2Mhzで作ってリリースした作品とかもあるので(笑)。

――簡単に一言でハイレゾ化と言ってもいろんな考え方、出し方があるということですね。過去の名盤とかでハイレゾ化されていない作品ってけっこうあると思うんですけど、いかがですか?

ミト 松任谷由実さん、ユーミンは確実に出してもらいたいですね。全時代欲しいですが、個人的に89年とか90年代は、松任谷正隆さんがシンクラヴィア(※シンセサイザーの一種)を使っていたので、かなり極上だと思いますよ。

佐藤 シンクラヴィアは100khzで収録できますからね。

ミト 絶対良いですよね。ユーミンはいろんなところを網羅してるんですよ、アニソンだってそうだし、ポップミュージックとしてもそうだし、洋楽的な発想でもリバイブできる作品もあるのと、あとアイドルとも噛んでますからね。実は相対的な意味で、歴史的価値があると思います。

佐藤 あとはめちゃくちゃベタなんですけどやっぱりビートルズですね。24bit/44.1kHzのUSBは存在してますけど、いわゆる今のクオリティのハイレゾ音質が無いんですよ。どうもいろんなことを調べると、アーカイブは24bit/192kHzでマスターテープをコピーしているという情報があったりするんですけど、世の中には出てないので……。

ミト マスターのコピーがまた果てしなくあるバンドだったりしますからね。

佐藤 やっぱりそういう作品をDSDとかでも聴きたいなと思いますね。

――DSD配信についてのお話も2人に伺いたいですね。

 

■自分がエンジニアをやりはじめてから、何か伝えきれていないという葛藤

ミト DSD配信の話になると、また別の話になりますからね(笑)。それもう1時間以上組まないと少なくとも終わらないですよ。しかも入り口を話すのに1時間ですから(笑)。実はクラムボンで、2003年に『imagination』をDSDで出したかったんですよ。恐らくアーティストで一番最初にソニーへ直談判したのは僕らなんです。でも、ソニー・レーベルで出さないといけないという制約があって、コロムビア所属である俺らは涙を呑み、その後坂本龍一さんが出されたんです。

――ミトさんの中で、音へのこだわりへのモチベーションって何なのですか?

ミト やっぱり当時スタジオを自分で立ち上げたというのが一番でかいですね。そして、自分がエンジニアをやりはじめてから、何か伝えきれていないという葛藤がはじまったんだと思います。

――そしてようやくハイレゾを聴けるプレイヤーが安価に全国の家電量販店で普通に売られる時代となりました。この状況は面白いですよね。また続編インタビューを、良きタイミングでお願いします。

ミト佐藤 そうしましょう(笑)。

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【4/22リリース! お二人の関わった最新作】

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M7「Trace」の作編曲にミトさんが参加
花澤香菜『Blue Avenue』

通常音源ハイレゾ

 

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ユーザーとのコラボから生まれた楽曲!
μ's『ミはμ'sicのミ』

通常音源

 

 

 

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「匠の記憶」第3回目のゲストは、3月21日に全シングルがハイレゾ音源で一斉配信される小泉今日子さんの当時のディレクター、田村充義さんです。

今回のハイレゾ化に際しても監修で参加されています。当時のヒットの裏側を語る貴重なインタビューをお楽しみください。

(聴き手:安場晴生/ソニー・ミュージック)

 


 

小泉今日子 ハイレゾ配信一覧ページは こちら

 


 

――田村さんが小泉今日子さんを手がけられたのは、どのあたりからでしょうか?

田村 最初は会社の先輩が担当していて、僕は5枚目のシングル「まっ赤な女の子」からです。その前はSpectrumや山田邦子さん、コスミック・インベンションを担当していました。実は「まっ赤な女の子」は次のシングル「半分少女」とほぼ同じ時期にできていた楽曲なのですが、あえてこちらを先に出すことにこだわりました。

――どちらも作曲は筒美京平さんですね。

田村 当時のPopsはとにかくまずは京平先生という。いつも順番待ちでした(笑) すべての業界の情報はまずは京平先生に集まるという。「まっ赤な女の子」には面白い音を入れて新しいサウンドにしたかったので、それなら「ヴォコーダー」(英: vocoder、電子楽器やエフェクターの一種。代表的な使用例はロボットボイス)だと。このころは京平先生はほとんど編曲はされていなかったので、新しい音ならば佐久間正英さんだということになりました。多分彼の初めてのアイドルの編曲ではないでしょうか。彼女はこの頃より少し前に髪の毛をショートにしたのですが、糸井重里さんの手がけた「日刊アルバイトニュース」のCMの2代目キャラクターに選ばれて、一瞬本人とわからないくらいのショートカットへの変身のインパクトが受けて評判になり、これがひとつのきっかけとなってどんどん広がっていったと思います。

――ではハイレゾ音源を一曲聴いてみましょうか。20代のスタッフの女の子のセレクトです。

 

note渚のはいから人魚」(1984年)

 

田村 これははじめてのオリコンナンバー1の曲です。やはり特に歌がとても当時より自然な感じに聴こえていいですね。

――田村さんは今回のハイレゾ化にも関わられたということで、他の曲もすでに聴かれているということでしたので、感想をまずはお聞かせいただけますでしょうか。

田村 やはり特に歌まわりがのびやかでとてもナチュラルです。すごくいいですね。エンジニアの高田英男さんとはよく話すのですが「いい音」と「売れる音」は違います。その時代によって有線放送だったりラジオだったり、今だったらiPhoneにヘッドフォンだったり……その時代のリスニング環境に合わせて音源を作る方法もあります。でもハイレゾにするととても全体の統一感も出て、しかもナチュラルになってすごくいいですね。

――ではもう一曲聴いてみましょうか。

 

note艶姿ナミダ娘」(1983年)

 

田村 この曲は馬飼野康二さんなのですが、彼は本当に打ち込みと生音の融合が素晴らしくて、ハイレゾだとそのあたりもすごくいいですね。

――本当にいろいろなアレンジャーや作家の方とお仕事をされていますが、小泉さんのポジションなどはどう考えられていましたか?

田村 まずは、3番手を狙っていました。僕が担当した当初、彼女はおそらくアイドルで言うと5番手くらいだったのではないかと。で、当時でいいますとまずは松田聖子さん、中森明菜さんのお二人がいて、とても歌の力では太刀打ちができない。当時の流行りの言い方でいうと「良い子 悪い子 普通の子」(1981年スタートの人気番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から)の「普通の子」が小泉今日子のポジションだと。でも「普通の子」だからいろいろなことをやらなくては続けてはいけないので、常に変化は考えていました。

――その変化をコンペではなく、作家さんとの決め打ちでやるという事に関してのお考えをお聞かせ願えますでしょうか。

田村 それはもう簡単なことで、曲を集めた中から選ぶのは「セレクター」。僕の仕事は「ディレクター」です。あるものから選ぶのではなくて、生み出して新しいものをどんどん作り出すのが役割です。Victorの先輩ディレクターからそう教わりました。

――では、コンセプトも決められて、タイトルとかももちろん?

田村 そうですね。作家の方とタイトルを出し合ったりしました。実は担当して初期の頃のタイトルは全部キャッチコピーになってるんです。制作をしているその時はもちろんそんなことは言いませんが。キャッチコピーが全盛の時代でした。

 

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インタビューの様子(イラスト:牧野良幸)

 

――それでは難しい質問かもしれませんが、そんな「ディレクション」の手ごたえがあった楽曲を何曲か教えていただけますか。

 

noteなんてったってアイドル」(1985年)

 

田村 まずは「なんてったってアイドル」です。この時に音楽シーンががらっと変わったんです。おニャン子クラブが出てきて「セーラー服を脱がさないで」でしょ。このタイトルでOKなんだって(笑) 絶対に負けられないと思い頑張りました。歌詞先行、楽曲先行で秋元康さん、筒美京平さんコンビで2曲同時に作った曲のうちの一曲です。「なんてったってアイドル」は詞先で、曲先のもう一曲はアルバムに入っています。

――なるほど。

 

note木枯しに抱かれて」(1986年)

 

田村 次に時代のシーンがかわったなと思ったときに、ことさら意識してディレクションした楽曲が「木枯しに抱かれて」です。当時バンドブームでBOOWYやレベッカが出てきて世の中の音楽の主流になった。そんな時代の流れを受けて、この曲ではバンドサウンドを意識しました。だからアイドルなのにギターソロとかが入っている。

――でも、バグパイプ(リード式の民族楽器。スコットランドのものが有名)のような楽器の間奏からの大サビへの展開は、バンドにはできない職業作家の方ならではの素晴らしいお仕事だと思いますが。

田村 バグパイプに聞こえる音はギターです。編曲の井上鑑さんはこの曲の作曲者・高見沢俊彦さんのアルフィーのアレンジから大瀧詠一さんのストリングスアレンジまでやってますから、そこらへんはもう。

――素晴らしいですね。

 

note快盗ルビイ」(1988年)

 

田村 「快盗ルビイ」は……大瀧詠一さんは昔から知っていて、担当していた山田邦子さんでも仕事をしたことがあったのですが、なかなか曲を書いてくれない(笑) 映画の仕事があってやっと書いていただきました。で、歌詞は?と聞くと大瀧さんは和田誠さんがいいという。和田さんは(映画の)監督ですよ(笑) でも文章の方でもあるので、時間がない中喜んでやっていただけました。でも、レコーディングには一曲で一カ月かかりました。僕は彼女の歌入れは全部やっているのですが、この曲だけは大瀧さんです。だから他の曲ともしかしたら雰囲気が違うかもしれません。大瀧さんの仮歌入れも大瀧さんはスタジオに鍵をかけて、外に監督やら映画のプロデューサーをひたすら待たせているので、ロビーはとんでもない圧迫感(笑)

 

noteあなたに会えてよかった」(1991年)

 

――ハイレゾだと印象が違って聴こえますね。

田村 (この曲の)メンバーはね、根岸孝旨さんだったり佐橋佳幸さんだったり、小田原豊さん、編曲の小林武史さんがキーボードだったりするような当時もバリバリで、今でも一流のメンバーです。ハイレゾだとより皆さんの演奏能力が出てきますよね。この曲はアイドルと言われるジャンルでは初めてのミリオンセラーで、とても嬉しかったですね。

――これは歌詞も素晴らしいなと思ったんですけど、このあたりから小泉さんが歌詞を書かれるようになりますね。

田村 そうですね。1985年頃からペンネームで書き始めました。この曲ではレコード大賞の作詞賞を頂きました。まあ作詞をしてもらうきっかけとしては、ある時に「自分でも書きなよ」って言って。何故かと言うと「テレビに出て彼女が紹介した本が売れます」とか、そういうことがあったり、普段も話しているとドラマのここが面白くってとか、なぜ面白いかとかいうのをすごく明確に説明してくれるんです。で、「歌詞書けるんじゃないの?」って言って。

――そうなんですね。書き上げるのは早いのですか?

田村 曲によっては時間がかかったり全然書けなかったりするのもありまして、もちろん時には書き直してとかって言うもんですから、渋々やってもらってました(笑) 歌詞も手を入れて、メロディも手を入れて、大サビ作って……とかって嫌がられましたね(笑)

――まるで職業作家にやるような発注を(笑)

田村 最後の最後に「わかった」って言って。歌詞もらって、「どう?」「うん、いい」って……よかったと思って(笑)

――あと、ぜひ僕が聞いてみたかったことがあったんですけど、近田春夫さんプロデュースの「Fade Out」っていう曲が、僕は当時斬新すぎて本当にびっくりしたっていうか。

 

noteFade Out」(1989年)

 

田村 そうですね。なんか今でもディスコでかかってるみたいですね……ディスコじゃなくてクラブですか(笑) きっかけは「来年誰とやろうか」っていうときに、2人とも「近田君でいいいんじゃないの?」って言ってて、それで会いに行ったら、「最近ハウスにしか興味ないんだよね」って言われて(笑) ビブラストーンの活動を始めたばかりの頃で、ああそうなんだって。それで出来たのが「Fade Out」です。

――その流れで言いますと、小泉今日子さんは時代ごとにスタイルは変わっても、全くぶれていないという気がします。そのあたりはいかがでしょうか。

田村 そうじゃないと残っていかないですよね。だから海外でも時代に合わせてどんどんスタイルを変えている人しか何十年もできないじゃないですか。我々の時代で言うと、ローリング・ストーンズとビートルズ、どっちが好きかみたいな話になるんですけど、そのあとだって、たとえばビージーズだってスタイルを変えるし、デヴィッド・ボウイだってみんなスタイルを変えないと、時代と合わなくなってきて、懐メロみたいになっちゃうじゃないですか。だから最初の設定から言っても、その時代その時代に敏感に作っていかなきゃならないっていうことは、どんどん変わっていかないといけないっていう風に思っていたので。

――ではどんどん変わるっていうことが前提だったとして、なぜ小泉さんはブレないんだと思われます?

田村 いろんな作家とやって、いろんなお話を伺っている中で「ヴォーカル力が強いから、個性が強いから、どんなサウンドと合わせても当てはまるから気にしないでいいよ」っていう風に言われました。

――なるほど。さっきの話とは逆のようなことなのですけど、声に関しては普通ではなく、かなりの強さを持っているっていうことなんですね。

田村 そうですね。「歌の力が強いから、何と合わせてもそんなにブレることはないから」っていうことを言われて、ああそうなのかな、と思いました。思い切ってやってみても、やっぱり歌の力が強いんだなって納得しました。

――今回、マスターがアナログのものとデジタルのものがあるのですが、ハイレゾ化にあたってそのあたりの違いはどうだったのでしょうか。

田村 デジタルのものを聴いてみたんですけど、すごく印象が違うかなと思ったら意外とそうでもなくて、デジタルのものもとてもいい感じになっていてよかったです。

――僕も聴いた感じとても良かったです。「あなたに会えてよかった」とかもマスターはデジタルですもんね。

田村 「快盗ルビイ」までアナログテープだったんで、スレイヴテープ(トラック数が足りないので、マスターレコーダーと同期させたレコーダーでトラック数を稼いでさらに録音されたテープのこと)がたくさんでてきて大変でした(笑) 大瀧さんのものはマルチテープが何本もありますので(笑)

――最後に、小泉さんとのスタジオでの印象的なエピソードなどありますか?

田村 そうですね……前任者と変わったときがやっぱり一番大変でしたね。それまでの常識があるじゃないですか。「○○はこうだ」とかいう大前提が前任者とは違っていたので、半年ぐらいケンカしてましたね(笑) 「それはだめでしょ」「え、前の人よかったよ」「いやそれはだめでしょ、歌に影響あるんだから」とか大変でした。でもそのうちむこうも諦めたみたいで(笑)

――(笑) 今日は貴重で楽しいお話をありがとうございました。

 


 

田村 充義(たむら みつよし) プロフィール

ビクターエンタテインメントでディレクター、プロデューサーとして活動した後、独立して田村制作所を設立、同社の代表取締役となる。
アーティストのプロデュースやライブ・コンサートの企画、制作をする傍ら、新人アーティストの発掘・プロデュースや企画提供にも力を注いでいる。現在は広瀬香美、ポルノグラフィティ等をプロデュースしている。

 


 

 

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