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スペシャルコンテンツのトピックス

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 レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジによるリマスタリング・シリーズ、最後の『プレゼンス』『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』『コーダ(最終楽章)』がついに7月31日に発売された。今回は7月29日に東京の豊洲PITで、ジミー・ペイジ自身がスペシャル・ゲストとして登場した試聴会の模様をご報告しよう。

 会場には2000人以上の応募から当選した500名の人たちが集まっていた。ジミー・ペイジが来るという期待からか、淡々としたなかにも試聴会らしからぬ熱気が会場には溢れていた。

 そのジミー・ペイジの登場は試聴会の後半で、前半はジミー・ペイジ自身が選んだ10曲を聴くブログラムだ。『プレゼンス』『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』『コーダ(最終楽章)』の各アルバムのコンパニオン・オーディオからの選曲である。

 1曲目は『コーダ(最終楽章)』のコンパニオン・オーディオから「Friends」。1972年、インドのボンベイで地元のミュージシャンを集めて録音された曲だ。初期のツェッペリンらしいエスニックなムードだが、インド風というところが新鮮。スクリーンには曲に合わせてアルバム・ジャケットや当時のツェッペリンの写真を使ったムービーが映し出されている。

 こんな感じで曲が続けられていく。『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』からの「Bonzo’s Montoreux」はミックス途中の音源であるが、正規のヴァージョンに負けず劣らずの迫力である。「ボンゾのドラム、すげえ…」とひたすら耳を傾けてしまう。他の曲も「ジミー・ペイジが選んだのなら、その聴き所は?」と、観客はそれぞれの思いで聴きいっている。10曲を通して40分ほどだったであろうか。

 こうしてジミー・ペイジ選曲の10曲が終わると、ついに本人が登場である。司会者が出てきて「ジミー・ペイジさんは、ご自身も音が聴きたいというので、先ほどは皆さんの後ろの席で聴いておられました」と言う。えーっ、と思わず後ろを振り返るが、もちろんジミー・ペイジはもうそこにはいない。再びステージに振り返ると、「ジミー・ペイジさんの登場です!」。

 

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 あらかじめ、最初だけ写真を自由に撮っていいと言われていたので、感動にひたる間もなく写真を撮った。僕にしてみれば中学三年生の時、シングルの「ブラック・ドッグ」を友人から聴かされてブッ飛んで以来、42年たって、ついにジミー・ペイジの姿を見るのだ。感激もひとしおだ。

 あのレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが、巨大なPAもなく、色とりどりの照明もなく、何の飾り気もないステージに立っている。しかし、ひとり手を振っているだけなのに、なんと存在感があるのだろう。

 ジミー・ペイジはよく喋った。長い話も通訳の女性が上手く観客に伝えていく。今回の『プレゼンス』『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』『コーダ(最終楽章)』のリマスター作業は、昨年に『レッド・ツェッペリン』『レッド・ツェッペリンII』『レッド・ツェッペリンIII』のリマスター盤が発売された時点で終わっていたのだそうだ。「コンパニオン・オーディオに収める曲もハッキリしていた」と言う。問題はむしろブックレットに収めるマテリアルのほうだったらしい。各ブックレットはリリースに合わせて製作していったとか。

 ブックレットはともかく、今回発売になった3作品のリマスター作業が、シリーズの開始の時点で終わっていたなんて、いかにも凝り性のジミー・ペイジらしいなと思った。まあその凝り性のおかげで、僕たちは今日ツェッペリンのリマスターされた音を聴くことができるのであるが…。

 ジミー・ペイジのコダワリは、各アルバムのエピソードでもわかった。たとえば『プレゼンス』の「Achilles Last Stand」。ギター・オーケストレーションとも言える、あのギター・トラックはメンバーが帰ってしまったスタジオで、ひとり残ってオーバーダブをして完成させたらしい。メンバーがあとで聴いてビックリしたとか。

 『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』では、当時ジョン・ポール・ジョーンズがヤマハの“ドリーム・マシーン”(GX-1のこと)を買い、初めて曲を作ってきたことがきっかけで、「このアルバムはキーボードをメインに作ろうと決めた」とか。「ツェッペリンはアルバムごとに違うことをしようとしていたんだ」とジミー・ペイジ。

 『コーダ(最終楽章)』は、「レコード会社との契約上製作しなければいけなかった。ジョン・ボーナム(通称ボンゾ)の死の痛手も残っていて最初は乗り気でなかった」。しかしジョン・ボーナムとモントルーで録音した“ドラム・オーケストラ”ともいえる「Bonzo’s Montreux」を骨組みとすることで、アルバム『コーダ(最終楽章)』ができ上がっていったのだという。

 その『コーダ(最終楽章)』、今回ジミー・ペイジが「コンパニオン・オーディオを加えて“新しい『コーダ(最終楽章)』を作りたかった」と言っていたのが印象的だった。「コンパニオン・オーディオを合わせることによって、バンド全体を振り返る“セレブレイション”のようなものにしたかった。ツェッペリンのストーリーを感じてもらえたら嬉しい」と。

 こうして30分ほどにわたったジミー・ペイジの話が終了した。最後に「リマスターの仕事が終わって、これで自分の時間が持てるようになった。またギターを弾く時間ができた、ということだよ」と微笑む。そして立ち上がると、観客に手をふってステージを去っていった。

 初めて伝説のギタリスト、ジミー・ペイジをこの目で見た僕としては、レッド・ツェッペリンのコンサートを観たかのような満足感があった。この先ジミー・ペイジの姿は何度も見れるものではないだろう。しかしレッド・ツェッペリンの音楽はいつでも手に届くところにある。家に帰ったらすぐにリマスター盤を聴こうと思った。

(文・イラスト/牧野良幸)

 


 

試聴会で聴いたジミー・ペイジ自身の選曲(いずれもコンパニオン・オーディオからの音源)

1.「Friends(Bombay Orchestra) 」     Coda (Deluxe Edition)
2. 「In The Evening(Rough Mix) 」  In Through The Out Door (Deluxe Edition)
3. 「Desire(The Wanton Song)(Rough Mix)」    Coda (Deluxe Edition)
4. 「Sugar Mama(Mix)」    Coda (Deluxe Edition)
5. 「Poor Tom(Instrumental Mix)」   Coda (Deluxe Edition)
6. 「10 Ribs & All/Carrot Pod Pod(Pod)(Reference Mix)」   Presence (Deluxe Edition)
7. 「Fool In The Rain(Rough Mix)」   In Through The Out Door (Deluxe Edition)
8. 「Bonzo’s Montreux(Mix Construction In Progress)」   Coda (Deluxe Edition)
9. 「Two Ones Are Won(Achilles Last Stand)(Reference Mix)」   Presence (Deluxe Edition)
10. 「If It Keep On Raining(Rough Mix)」   Coda (Deluxe Edition)

 


 

レッド・ツェッペリンの配信タイトル一覧はこちら

 

牧野良幸の連載「ハイレゾ一本釣り!」はこちら

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テキスト:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 


 

1st ALBUM『SUNRISE JOURNEY』

M1. 焦燥
M2. サンライズジャーニー
M3. 褒めろよ
M4. MIDNIGHT CIRCUS
M5. 踊りに行こうぜ
M6. 夜が明けたら
M7. さよなら僕の町
M8. WONDER ALONE
M9. ロルカ
M10. 大人になったら
M11. リアル鬼ごっこ
 
 

 

GLIM SPANKY メンバー本人によるアルバム全曲解説インタビューはこちら

 


 

 7月29日(水)に、2人組ロックバンド、GLIM SPANKY(松尾レミ/Vo,G、亀本寛貴/G)の、名盤1stフル・アルバム『SUNRISE JOURNEY』がハイレゾ配信されます。

 そこで、1週間前の7月22(水)の夜20時〜。moraにて募集、厳選されたプレミアムなリスナーを前に、ハイレゾ音源を気軽に楽しめる話題のスポット、代々木Spincoaster Music Barにて、いちはやくGLIM SPANKYハイレゾ試聴会がおこなわれました。

 ユニバーサルミュージック梶望さんからの挨拶の後、筆者による“ハイレゾとは何ぞや?”という解説をさせていただき、ハイレゾ試聴会がスタート。

 そもそも今年のフジロック2日目早朝、レッドマーキーのステージでの名演が話題となったGLIM SPANKY。そんな、生々しい迫力にあふれるロックなサウンドを、音の響きを存分に味わえる高音質なフォーマットで浴びる喜び。60年代,70年代のロックを彷彿とさせる生音サウンドは、スタジオでの録音を忠実に再現するハイレゾ・フォーマットと相性が良いですね。

 スクリーンに歌詞が映し出され、1曲目「リアル鬼ごっこ」が鳴り響くヴォーカルの迫力、快楽ポイント高いギタープレイのダイナミズム。何かを必死に追い求めて駆けぬける様を歌った歌詞もグッときます。感情が大爆発した時に生まれたという「大人になったら」での、GLIM SPANKYの本質が垣間みれる言葉が刺さってくる感動。ジャニス・ジョプリンのカバー「MOVE OVER」で聴ける20代前半と若いながらも、レジェンダリーなロックを体現する安定感。しかし、その視線の先には圧倒的な新しさがほとばしっていたのです。そんな“今を感じさせる”存在感のオリジナリティに注目ですね。

 なお、Spincoaster Music Barの音響機器にも注目です。音響系ベンチャー企業が開発した高性能スピーカーKOON。プロミュージシャンのスタジオモニター用に作られたスピーカー。原音忠実再生にこだわりぬいたサウンドを楽しめます。実はまだ大量生産されておらず、世界に4、5台しかないそうです。

 

 そして、20時半からは、筆者がMCとなり、GLIM SPANKYの二人をむかえてのスペシャルなトーク&ライブのスタート。ツイキャスでも生中継されました。トークで印象的だったのは「カバー曲として『MOVE OVER』を歌っているけど、歌い上げるタイプのジャニス・ジョプリンより、メッセージや物語を投げかけるパティ・スミスの方が自分としては共感できるんです」とレミさんが話されていたことでした。GLIM SPANKYのアイデンティティを伺える発言だと思いました。

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 フジロックでのレッドマーキーへの出演については、亀本さんが「フジロックに来る洋楽好きなお客さんは、GLIM SPANKYみたいなロックを待ってたでしょ?って思うんですよ。絶対にファミリーになれると思います」と熱く語っていたことも印象的でした。

 そして、レミさんはアコースティックギター、亀本さんはエレキギターを抱えて二人だけでのスペシャルライブがスタート。目の前で、リアルに吐き出される、生々しく伝わってくる刺激的な音世界。これぞ本物のロックを感じられた瞬間でした。

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 レミさんによるライブ後半MCでの、友人へ語りかけるような熱いメッセージにもグッときました。

 「今回の1stフルアルバムでは、まだGLIM SPANKYは完結していない、完成してないんです。なので11曲ともすべて違うロックだし、ポップロック、フォークロック、カントリーロック、ハードロック、サイケデリックロックっていういろんなロックがあるんだよっていう引き出しを紹介してきました。なのでロック大全の1ページ目ですね。高校時代の曲も3曲入ってたり、最近書いた曲も入ってるんですけど、私にとってスタート地点にあった曲を盛りこみました。なので、これから先にどんな景色が待っているんだろうっていうワクワクや希望と野望しかないアルバムになっています。時代を問わず、みんなの背中を押したり、寂しい時には心が温かくなるような曲になって欲しいなと思っています」。

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 この言葉、信頼できます。やはりGLIM SPANKYはライブがすごいなと。配信やCD、ハイレゾでレコーディング音源を楽しんだら、必ずライブを体験すべし。秋には全国ツアーも開催されますよ。あっ、せっかくだから期間限定でもいいのでライブ音源を常にハイレゾでリリースして欲しいなぁ。ライブは生もの、オフィシャル・ブートレグみたいにコレクションしてみたいっす。ハイレゾって実はライブ音源向きなんですよね。えらい人、お願いします!!!

 


 

■アーティストプロフィール

GLIM SPANKY
“オーセンティック・ロックの旗手”
 
松尾レミ Remi Matsuo Vocal/Guitar  1991.12.7
亀本寛貴 Hiroki Kamemoto Guitar  1990.8.24
 
長野県の同じ高校に通っていた2人が出会い、2007年に結成。
2009年「閃光ライオット」のファイナリストに選出。
2013年12月、初の全国流通盤「MUSIC FREAK」をSPACE SHOWER MUSICよりリリース。
 
ロックとブルースを基調にしながらも、新しさを感じさせるサウンドを鳴らす、男女2人組新世代ロックユニット。
ザ・ストライプスやジェイク・バグといった、60年代~70年代のオーセンティックな音楽を鳴らす若手アーティスト達のムーヴメントが世界的に生まれつつある現在、
日本における「オーセンティック・ロック」の旗手として、今後の邦楽音楽シーンにおける台風の目となることは間違いないだろう。
また、「ジャニス・ジョプリンの再来」「10年に1人の歌声」とも称される松尾レミの強烈なボーカルは、多くのオーディエンスを虜にしている。
 
2014年6月11日、1stミニアルバムでメジャーデビューを果たす。


オフィシャルサイト:http://www.glimspanky.com
ライブ情報:http://www.glimspanky.com/live

 


 

■執筆者プロフィール

ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)
Yahoo!ニュース、J-WAVE、MTV81、2.5D、ミュージックマガジン、音楽主義などで書いたり喋ったり考えたり呑んだりしてます。 著書は『ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本』〈ダイヤモンド社〉

Twitterアカウント:https://twitter.com/fukuryu_76

 

 

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 2015年moraイチオシのニューカマー・バンドといえばGLIM SPANKY(グリム・スパンキー)。60年代や70年代のロックやブルース、絵画やアート、映像作品などサブカルチャーをルーツに持ちながらも、“いまの時代を熱く感じさせる時代を超越した存在感”のもと、颯爽とテン年代の音楽シーンに登場した2人組新世代ロックユニット。ついにリリースされた7月22日発売の1stフルアルバム『SUNRISE JOURNEY』における、生々しくも爆発力のある骨太なロックっぷりが素晴らしい。完全に、“いまの時代の王道のポップミュージックを塗り替えてやろうという気概”を強烈に感じるのです。“大人への階段を登る途中の不安や焦燥を形にしたメッセージ性の高さ”、そして“研ぎすまされた声の魅力”、“こだわりの生音感”が突き刺さりまくりなんです。松尾レミ(Vo,G)と亀本寛貴(G)による最強の2人組ロックバンド。時代を超える音楽の素晴らしさ。そんな可能性に魅了されまくりな、2015年を代表するであろう新しい才能に要注目です!!

 

インタビュー&テキスト:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 


 

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GLIM SPANKY
“オーセンティック・ロックの旗手”
 
松尾レミ Remi Matsuo Vocal/Guitar  1991.12.7
亀本寛貴 Hiroki Kamemoto Guitar  1990.8.24
 
長野県の同じ高校に通っていた2人が出会い、2007年に結成。
2009年「閃光ライオット」のファイナリストに選出。
2013年12月、初の全国流通盤「MUSIC FREAK」をSPACE SHOWER MUSICよりリリース。
 
ロックとブルースを基調にしながらも、新しさを感じさせるサウンドを鳴らす、男女2人組新世代ロックユニット。
ザ・ストライプスやジェイク・バグといった、60年代~70年代のオーセンティックな音楽を鳴らす若手アーティスト達のムーヴメントが世界的に生まれつつある現在、
日本における「オーセンティック・ロック」の旗手として、今後の邦楽音楽シーンにおける台風の目となることは間違いないだろう。
また、「ジャニス・ジョプリンの再来」「10年に1人の歌声」とも称される松尾レミの強烈なボーカルは、多くのオーディエンスを虜にしている。
 
2014年6月11日、1stミニアルバムでメジャーデビューを果たす。

 


 

1st ALBUM『SUNRISE JOURNEY』

M1. 焦燥
M2. サンライズジャーニー
M3. 褒めろよ
M4. MIDNIGHT CIRCUS
M5. 踊りに行こうぜ
M6. 夜が明けたら
M7. さよなら僕の町
M8. WONDER ALONE
M9. ロルカ
M10. 大人になったら
M11. リアル鬼ごっこ
 
 

 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――moraチームがものすごくGLIM SPANKYにハマっているんですよ。あ、もちろん僕もなんですけどね。

松尾レミ(以下、レミ) ありがとうございます。うれしい限りです。

――もともとは、10代限定フェス『閃光ライオット』に出場されていた頃から観ていて。ズットズレテルズ、THE SALOVERS、挫・人間とか同期ですよね?

レミ え~! 6年前とかですね。よくご存知で(驚)。

――そこから新宿レッドクロス、ロフト、青山レッドシューズなどでのコアなライブ活動があったり、インディー盤『MUSIC FREAK』のリリースがあったり。実はGLIM SPANKYって、若いですけど紆余曲折ありながら成長しつづけてきたバンドなんですよね。ちなみに、お二人の世代にとって『閃光ライオット』っていうのは、とても大事な場所だったんじゃないかなと思うんですが。

レミ そうですね。『閃光ライオット』は、音楽で生きていくことを現実的に夢を見させてくれた第一歩みたいな感覚があります。それまで長野県の田舎の出身なので、音楽で食べていくなんて夢物語だったんですよ。

――なるほどね。

レミ 自分たちの廻りでも、音楽で生活していくなんて絶対に無理だって言われつづけてましたから。たとえば音楽や絵を描くことっていうのは、趣味でやるべきだって諭されるんですね……。でも、『閃光ライオット』に出てみると、10代で音楽で食べたいって人が普通にたくさんいるわけです。実際、その後に成功しているミュージシャンもいっぱいいて。それを目の当たりにした時に、ああ、こうやって生きている人達がこんなにいるのに、思い込みで「なれるはずがない」とか、「そんなのあり得ない」とか言っちゃうのがおかしいってことに気がついて。だから私たちにとって、夢で憧れだった世界が、憧れではなく現実に見えた場所なんですよ。

亀本寛貴(以下、亀本) そうですね。『閃光ライオット』は、都会でバンドをやっている同世代の子たちとはじめて接することが出来た場所なんです。ハマ・オカモトくんとか、とんでもない感じの人たちもいて、やっぱりすごいな、都会は違うなって思いました。その時は、全然自分たちはまだまだ埋もれてるなと思っていたんですね。実際、ぼくらはファイナリストとして残ったんですが、賞はなかったし、特別注目されたというワケではなかったんです。でも都会で最先端でやってる10代の子たちってこんな感じなんだという基準を知れて。よっしゃ、だったらもっと頑張って一丁やってやるかって気持ちになれたんですよ。

――ちょっと前ですが青山レッドシューズで、ロックファンの間で有名な某テレビ局のプロデューサー、YOU-DIEさんのイベントにも出られてたじゃないですか? ああいう目利きの方だったり、紙資料ではリリー・フランキーさんなど、本物の音楽を知ってる方からの応援の声がどんどん高まってますよね。そういう状況でアルバムを完成させてみて、お二人はどんな心境ですか?

レミ そうですね、YOU-DIEさんもそうなんですけど、いとうせいこうさん、リリー・フランキーさん、みうらじゅんさんとか……そういう方たちが気がついたらいろいろ応援してくれていることにまず驚きました。すごくうれしいことですし、光栄ですよね。この1stフルアルバム『SUNRISE JOURNEY』は、去年『焦燥』っていうミニアルバムを出してからすぐレコーディングに取りかかったんです。なので早い段階でほぼ完成していました。なので、少しずつ理解してくれる方々が増えている状況は夢のようですね。

亀本 音楽っていま、世の中にめちゃめちゃ溢れ返っているじゃないですか? どれも製品としてちゃんと作られていて、細部まで抜かりがないと思うんですけど。でも、だからなのか逆に自分の中に入ってこなかったり、ということもあると思うんですね。自分の曲をラジオとかで客観的に聴くと、自分だからかもしれないですけど、すごい違和感があるんです。……悪い言い方をすると、整ってないとか、粗削りに聴こえるんですね。でも、普通に人間が歌を歌ったらそうなるはずだし。人間が本気で伝えたいと思ってギター弾いたら、それが気持ちに生々しさとしてあらわれるはずなんですよね。本当の生の音を、生として伝わるように生々しくあったからこそ、耳に引っかかってくれたんじゃないかなって僕は考えていています。ちゃんと作られている音楽ばかりだと飽きちゃうと思うんですよ。聴いたときの存在感というか、他とは違う際立った要素って大事なんだと思っています。GLIM SPANKYのこだわりですね。

――先日、音楽配信の新しい潮流としてApple Musicがサービスを開始しましたけど、YouTubeやmora、iTunesなど配信サービス登場以降、過去のレジェンド作品に触れやすくなって、新作も旧作もフラットな感覚で音楽を楽しめる時代になったと思います。

レミ そうなんですよね。

――GLIM SPANKYのお二人が奏でるサウンドも、今の時代にはいい意味で違和感のあるアナログなロックのセンスを持ちつつも、でも“いま聴くべきだなってセンスを感じさせる”ところが、数々の新人アーティストがデビューしていく中で、GLIM SPANKYが目立っている特徴なのだと思っています。もともと、どんな風に音楽は楽しまれてきたのですか?

レミ 高校まで生活していたのが、とにかく田舎で村だったので(苦笑)。CDショップがあったとしてもTSUTAYAさんだけだったんですね……。

亀本 あとは、地元のローカルなCDショップ。

レミ そこもランキングのトップ10ぐらいしか置いてないところで……。レコードも置いていないし、素敵な本屋さんもないので、情報源といえばテレビか雑誌しかないんです。10代半ばで、やっとYouTubeとか観るようになるような環境でした。でもたまたまうちの実家が、父親がすごいレコード・マニアだったので、あれが聴きたい、これが聴きたいって言えば、それに関連付けて20枚ぐらいレコメンドされたんですね。

――それはすごい。

亀本 生き字引きみたいなね(笑)

レミ 最新のも古いのもいつもチェックしてるし。

――お父さん、何者なんですか(笑)

レミ ただレコード好きな、変なおじさんです(笑)。なので親にすごく助けられたというか。さらに音楽は音だけじゃない、ということも毎日のように言ってまして。音楽とともにカルチャーも教えてくれたんです。60’sのモデルさんがいっぱい載ってる雑誌だったり、ファッション誌を一緒に持ってくるわけです。「これを見とけ!」みたいな感じで(笑)。それを見ながらレコードを聴いていたら、いまの自分が見てもかっこいいと思うセンスに出会えるんですね。それで、だんだん自分の好みがわかってきて、60’sにたどり着きました。でもそれは60’sが大好きって当時から思っていたワケではなくて、知らない間に身の回りのものを見たら、音楽もファッションもそういうモノが好きになってたんです。気づいたらそうなっていたって感じで。

――それは面白いカルチャー体験でしたね。ちなみに、世代的にはBUMP OF CHICKENとかASIAN KUNG-FU GENERATIONとか好きな感じですか?

レミ そうですね。あとはRADWIMPS。もちろん聴いてましたよ。

――そういうものから入りつつ、ルーツを遡ったりして、自分に合うものが段々わかってきたと。

レミ そうですね。BUMP OF CHICKENも好きで聴いていたんですけど、それと同時進行で、たとえばBUMP OF CHICKENが影響を受けた音楽ってどういうものだろうと辿っていくと、自分が探っていったルーツに辿り着いたんです。BUMPが影響を受けたのは何だろう、って知ったのがThe Whoだったし、ローリング・ストーンズだったりビートルズだったり。そこから派生していきました。それと同時にホワイト・ストライプスに出会ってドハマりして、レッド・ツェッペリンを知って。ウッドストック(・フェスティバル)にも衝撃を受けたり、ツィッギー(60年代に活躍したモデル)がすごく好きになったり、その当時のファッション雑誌をいっぱい見るようになって、どんどん世界が広がっていった感じですね。

――亀本さんもそういう感じですか?

亀本 さっき、話されてましたが、僕らはビートルズを聴いても昔の曲を聴いているという感覚がないんですよ。普通にビートルズの方がBUMP OF CHICKENより後に聴いているので。僕の中ではBUMP OF CHICKENより後の音楽なんですね。時代感とか全く関係なく音楽を聴いてはいるんですけど、ちゃんと自分の好みというのはあって。昨日もオープンしたばかりのApple Musicを試してみて、最初に好きなアーティストを選ぶじゃないですか? そうしたら「For You」というオススメ欄に自分の好きなアーティストが、時代はバラバラなんですけど出てきて。どこかみんな似てるんですよね。時代とかは関係なく。我ながら今時な子の聴き方をしてるんだなと思います(笑)。

――これだけたくさんの音楽を聴ける時代ってすごいなと思いますよね。しかも、より高音質なハイレゾという選択肢も広がっているワケで。こういう時代はかつてなかった。なので、そんな時代から生まれてくる新しい表現、新しいアーティストが登場してくるんだろうなと思っていたんです。なので、GLIM SPANKYの存在にはすごく興味を持っています。

レミ ありがとうございます。

――レミさんは、もともと画家志望だったとか。

レミ そうですね、全然上手というわけではないんですけど、本当に好きで。たまたま祖母の親戚が画家だったり、祖母も絵でお仕事していたり、母親もイラストをやってました。保育園に入る前から絵の具を与えられていたんですよ。街の写生大会に出たりしていたので、好きでした。好きな画家もいたし……だから絵で表現していきたいなってずっと思っていたんですけど、中学生のころにバンドにハマりまして。どっちもやりたいなと思って、じゃあどっちもやればいいじゃんと思って、バンドをやりながら、そのバンドのアートワークだったり、グッズだったり、ファッションだったりを全部プロデュースすればいいじゃんと思って、いまに至りますね。

――全部つながってるんですね。

レミ そうですね。

――グッズだったりアートワークだったりも含めて、GLIM SPANKYのひとつの表現だと。

レミ 音楽って音だけじゃないと思っています。周りのモノも全部含めてのGLIM SPANKYなので。そこは一番こだわりたいところ。ロックスターは見た目が98%って思っています。もちろん、音だけこだわってるというのも素晴らしいと思うし、リスペクトできるんですけど、私のやり方ではないなというか。音だけではない周りの部分も、しっかりと世間に提示していけたらいいなって思ってます。

――ちなみにGLIM SPANKYらしさというのは、どのぐらいのタイミングで掴めてきたんでしょう?

レミ 最初は学園祭でコピーバンドから始まりました。なのでどうやって曲を作ったらいいかわからないし……、自分の表現したいものをどう表現すればいいのか、その術がわからなかったんですよね。でも、中学校からThe Whoとかホワイト・ストライプスにハマったというのもあって、クラシックロック、ブルースロック的な部分も好きでした。たとえばホワイト・ストライプスはアートワークも黒と赤のインパクトで面白いんです。そんな音だけじゃない部分というか、提示をしっかりやりたいなとはずっと思っていました。徐々に成長していくにつれて、表現方法を学んで。なので、GLIM SPANKYらしさが生まれたのは、高校を卒業してからぐらいですかね。『閃光ライオット』が終わったぐらいかな。

――いろいろなものを吸収してきて、自分たちのインスピレーションで、オリジナルなものとして再解釈したと。

亀本 アートワークだったり、着るものだったり、持つ楽器だったり、髪型だったり、靴だったり……自分たちのやりたいことができるようになってきたのはメジャーになったタイミングですね。3年前のライブ映像とか観ると、「何この服!?」とか自分で思ったりするんですよ(苦笑)。ヴィジョンは元々持っていたんですが、思い描いていたものを表現できるようになったのは最近ですよね。

M11. リアル鬼ごっこ

――そんなメジャーデビューして盛り上がりつつあるタイミングで、いま映画『リアル鬼ごっこ』のイメージソング「リアル鬼ごっこ」が話題になっていると思うんですけど。この曲は、ぶっちゃけ別に映画のイメージソングじゃなくても、イントロからポップな要素が上手いバランスで表現されていてめちゃくちゃかっこよくって。この楽曲はどのようにして生まれたんですか?

レミ これは映画のお話をいただいたときに、園子温監督が、以前にも映画化されている『リアル鬼ごっこ』という作品をまったく観たことがなく、原作も読んでいないけれども、「リアル鬼ごっこ」というワードから新しい映画を作ったという話を伺って。こちらもクリエイターとして、「リアル鬼ごっこ」というワードから音楽でどれだけ自分たちの表現ができるかという勝負というか、遊びというか、そういうきっかけで作り始めました。

――なるほどね。

レミ その後、映画の台本を読んで、映画の内容も自分の中に入れて形にしていきました。今回の映画が、高校生から篠田麻里子さんぐらいの年齢までの……トリンドル玲奈さんも私と同世代だし、少女から大人になる時期……いまでも自分の中には焦燥感があるし、いろいろ葛藤があるんですね。なので、リアルに共感できた部分はあって。やっぱりタイアップというか、こういうお話をいただくときでも、自分の心で共鳴できないと作りたくないんです。それで共鳴せずに、作品に迎合して作ったとしたらそれは意味がない、ソウルがないものだし、完全なる商業音楽になってしまうのはすごく嫌なんです。今回は共鳴できてよかった。何かに追われて、何かを追いかけているときが一番素晴らしいという、そのテーマ性に自分でもすごくハマって。死ぬまで青春でいたいんですよ、私は。でも青春ってなんだ?って思ったときに、それって年齢ではなくて、あきらめないことというか、満足しないことが青春だなって思っていて。なので満足しないということは、何かを必死に追い求めて駆けているし、何かから逃げているのかもしれないし。そういうことがすごく輝いているなって思うんです。60歳になっても、80歳になってもそういう魂を持ってる人って絶対にかっこいいな、私もそういう大人になりたいなって。そんな気持ちを自分なりに、リアルな鬼ごっことして捉えて作品にしたのがこの「リアル鬼ごっこ」です。アルバムにはラスト11曲目に収録しています。

――園子温監督の作品は以前から観られていたりしましたか?

レミ いままで観たことがなかったんです。亀本は観てたんですけどね。けっこうグロテスクな表現が多そうじゃないですか? そういう要素がなかなか苦手なもので……。きっかけがなかったんです。でも、あるときに園子温監督のWikipediaを読んだことがあって、一番最初の映画作品の名前が『俺は園子温だ!』という。そして、漫画雑誌の『ガロ』に連載もしていたという話もあって……それを見たときに「あ、私だ」と思ったんですよ(笑)。私も「私がGLIM SPANKYだ!」と思ってるし、『ガロ』も昔から読んでいたし。すごく共鳴することがあって。だからこそ同じベクトルに立って作品を作ってみたいなと思ったんですね。

――バンドの結成の流れでいうと、長野県から亀本さんは名古屋の大学に行かれて、レミさんは東京の大学に進学されたと。で、その後亀本さんは大学を入り直して東京に出てこられるわけですよね。レミさんにすごい才能を感じられていたのですか?

亀本 そうですね、もちろん。一緒にだったら絶対何かできるなと思っていたので。

レミ 私が受験を考えるときに電話して「私は東京に行くけど、一緒に来ない?」って言ったら「大学辞める!」って言ってくれて。幸運でしたね(笑)。その後は、ライブばっかりやってました。

――レッドクロスとかロフトとかで観ましたよ、ライブ。

レミ ええ~! 本当ですか。うれしいです。けっこうライブ終わった後も朝までいるタイプでした(笑)。なので、大学には遅刻して行っちゃったり、授業休んだりとかいろいろあったんですけど。実技だけはやっぱり大好きで(※進学したのは日芸。一限はだいたい英語とか勉強系なので、それはハネて(笑)。午後から行ってひたすら絵を描いて、デッサンして、絵の具やって……という感じで。友達もみんな夢が……デザイナーになりたい、絵本作家になりたい、イラストレーターになりたい、という子ばかりでした。お互い切磋琢磨できる環境にあったので、課題とかもあるし大変でしたけど、楽しかったです。いい大学だったなと思うし、去年中退したんですけど、中退してもずっとみんなとは関わりがあって、一ヶ月に一度ぐらいは連絡取り合って「いまの状況どう?」とか「新しい仕事が決まったよ!」とか、情報を共有してます。「いつか雑誌とかで対談できるといいね!」なんて話したりもして、すごく私の糧になっています。

――いまエンターテインメントでかっこいいものって、アートとしての価値をちゃんと理解しているかどうかって大きいと思うんですね。よい出会いの中から、新しい発想や作品が生まれてくるといいですね。

レミ そうですね、いろいろつながれたらいいなと思います。

M1. 焦燥

――それでは7月22日発売の1stフルアルバム『SUNRISE JOURNEY』の話を。ド頭からハマったんですけど、1曲目の「焦燥」は初期からあった曲なんですよね?

レミ この曲は本当に初期で、高校2年のときに作った曲ですね。この曲で『閃光ライオット』にも出ました。GLIM SPANKYとして活動していくきっかけになった曲ですね。

――いしわたり(淳治)さんがサウンド・プロデュースで参加されるなど、アレンジにも変化が起きました?

レミ そうですね、『閃光ライオット』に出たときのアレンジは、曲を作りたての自分の、できることを最大限やったアレンジだったので、どうしても「こうしたらいいのに!」とか、「ああしたらよかったのに!」など、いろいろ思うことがあったんです。ちょっといまの自分ではこの曲はできないなと思っていた時期もあって。でも、歌詞で伝えたいことは変わっていなくて。これをどうにか世間に伝えることはできないかと思ったときに、まずはすべてぶち壊そうと思って。弾き語りの状態にして、イチから構築し直しました。そこに淳治さんを加えて、朝から晩まで唸って唸って考えて、作っていきました。

――歌詞がほんとにすばらしくて。泣けてくるんですよね。そこにドラムがBOBOさんで、ベースにはハマ・オカモトさんが入ってくるとなると、またいろんな融合というか、広がりが生まれてますよね。

レミ ハマ君はやはり『閃光ライオット』でライバルというか、違うバンド(ズットズレテルズ)だったので、この曲を弾いてもらうのは驚きですよね。「ベーシストを誰にしよう?」と考えていたときに、昔から知っている人がいいなって思ったんです。初めてのレコーディングだったし。BOBOさんもすごくタイトで、BOBOさんが叩くと、なぜかルーツロック的なものをやっても新しく感じるみたいな感覚があって。そこは、あえてそういう要素を求めてお願いしましたね。

亀本 全体的にいえることだと思うんですけど、ヘッドフォンで聴いたときに、ドラムがめっちゃいいんですよ。ドラムがリズムも音もタイトなんで、そのおかげでギターもかっこよく聴こえるという。ありがたいですね。

M2. サンライズジャーニー

――2曲目が「サンライズジャーニー」。この曲がまたとても好きで。もともとシングルの中に入っていた曲ですよね?

レミ 「褒めろよ」のシングル盤に入っていた曲ですね。

――歌詞もやっぱり素晴らしくて。この曲はどのようにして生まれたんですか?

レミ これは『焦燥』をリリースしてすぐに作り始めたんです。いままでずっとバンドをやってきて、ライブハウスにお客さんが一人二人来れば良いほう、っていう中でやっていて。たとえば友達のバンドが先にデビューしたり、解散したり、他の事務所やレーベルが声をかけてくれたこともあったけど、それを全部バスに喩えたとするならば、すべて自分たちで自分たちの判断で見送ってきたわけです。で、ずっと私たちはバス停で自分たちの乗るバスを待っていたんですけど、なかなか来なくて。もちろん乗り込もうとすれば乗り込めるバスもたくさんあったんですけど、これは自分たちの乗りたいバスではないなっていうものばかりで。やっと今、いままで見送ったすべてのバスよりも一番人が乗り込みそうで、一番かっこよくて、一番遠くまでいきそうな、でっかいバスが自分たちの目の前にやってきて、それに乗り込んだところっていう気分なんです。もしかしたらつらい旅になるかもしれない、でこぼこの道、坂道もいっぱいあるかもしれないけど、すでに自分たちの前にいた乗客たちは、それさえも一緒に乗り越えてくれそうな人たちに思えて、だから乗り込んだというか。旅の途中でたくさん人が乗ってきて、でもそれもみんな収容できる、すごく魅力的なバスに思えたので。始まりを予感させるというか、自分たちのスタートでもあるし、自分たちのための朝がきて、これから始まるっていう思いを思いっきり込めて書きました。

――実は、誰もの生活や気持ちに当てはまるメッセージ性を持つ曲だと思いますね。

レミ ありがとうございます。人それぞれみんな始まりのときがあって、スタートのときがあると思うので。それぞれのテーマソングにして欲しいなって思っています。

M3. 褒めろよ

――そして3曲目が「褒めろよ」。非常にアッパーな曲なんですけど、これはドラマのタイアップ曲だと思うんですけど、ハマりまくってるんだけど自由度は高いという不思議な感覚があって。何か制約などはあったんですか?

レミ 「褒めろよ」のときは、『太鼓持ちの達人』というドラマのお話と同時に書き下ろしで書いてくださいということで。まずミーティングに行ったんですよ。そうしたら「GLIM SPANKYの曲なら、なんでもいいよ!」と言われて(笑)。テンポも歌詞も曲調もね。だからこそ私たちも燃えるわけです(笑)。なんでもいいんだったら「もうすごいドラマに合ってる曲書いてやる!」って思って(笑)。

――そういうことなんだ。いやぁ、本当にかっこいい曲ですよね。

レミ それでこのドラマの内容が、『リアル鬼ごっこ』のときも言いましたけど、自分とすごくリンクしまして。相手を褒めて、ボスを倒して先に行くというか、上に登っていくというドラマだったので、実際私たちもメジャー・デビュー、スタートのとき、上に登っていきたいと思っている状況なので、まさに自分のことを書きましたって感じです。だからみんなにも「自分のことを歌ってる!」と思ってほしいし、年齢も関係なく、たとえば小学生が「明日クラス替えだ、どうしようこわいな!」って思ってるときにも聴いて自分を奮い立たせてほしいし、疲れて帰ってきたサラリーマンが寝る前に聴いて「よし明日も頑張るぞ!」って思ってほしいし。そうやってみんなの背中をぐいっと押せる一曲にしたいなと思って、このテンポ感だったりこの勢いある曲調に仕上げました。

M4. MIDNIGHT CIRCUS

――次の曲は「MIDNIGHT CIRCUS」。すごくGLIM SPANKYらしい、サイケデリック感が表現されているという。歌詞とサウンドが生み出す世界観が、最高な雰囲気を生み出しているんですよね。

レミ これは元々あった曲なんです。上京してすぐぐらいに書いていて、題名も「キャラバン」っていう全然違うものでした。歌詞もこんなに長くなくて、五行ぐらいの歌詞をずっと歌い続けるっていうものだったんですけど、こうやってもう一度出すっていうことになったときに、もともと自分が好きな幻想的な世界観をより明確に伝えたいなという思いがあって。歌詞も書き足して、サウンドもより風景が浮かぶようにというか、真夜中の幻想的な煙に巻かれたような雰囲気にしたいなと思ってアレンジを進めました。自分が持っている好きな世界……真夜中だったり、幻想文学だったり、絵画の世界だったり。そういうものを落とし込んだ作品ですね。

亀本 これは「キャラバン」から「MIDNIGHT CIRCUS」になったときにかなり作り変えました。より重厚感とか、夜の雰囲気だったり、全体的に作り直しましたね。頭の中で想像していたイメージは変わってないんですけど、ちょうどメジャー・デビューもして、いろいろ曲作りの方法を勉強してたんで。吸収したものは全部出すという感じで詰め込みましたね。

――余談なんですけど、ダイアモンド☆ユカイさんといういまはタレント活動もされてイメージが全然変わっちゃった人がいますが、80年代にRED WARRIORSっていうサイケ要素のあるバンドをやっていて。後期RED WARRIORSの持っていたサイケデリックな要素とGLIM SPANKY「MIDNIGHT CIRCUS」は、自分の中でつながったんですよね。

レミ え~! それは初めて言われました。RED WARRIORSって、ギターが木暮"shake"武彦さんですよね?

――そう。さすが詳しいですね。アルバム『Swingin’ Daze』あたりは、サイケで幻想的なかっこいい曲が多いんですよ。

亀本 和製ジミー・ペイジみたいな感じですよね。

レミ ぜひ聴いてみたいですね。

M5. 踊りに行こうぜ

――次が「踊りに行こうぜ」。これはずばりロックチューンという感じですね。

レミ そうですね。ハードでヘヴィな感じです。

亀本 ベースがくるりの佐藤征史さんなんですよ。

レミ 佐藤さんはみんなのアイドルみたいな感じで。場を和ませてくれて、楽しかったです。

――くるりとの接点はどんなところから?

レミ ディレクターの嶋津さんが提案してくれて。

亀本 「サンライズジャーニー」、「踊りに行こうぜ」、「夜が明けたら」の3曲を同じメンバーで録っているんですね。プロデューサーがいしわたり淳治さんで、ドラムがBOBOさん、ベースが佐藤さんというメンバーで録ったうちの一曲なんですけど。「サンライズジャーニー」を作ったときに、佐藤さんに弾いてほしいなという話をしていたんですよ。

――バンドが二人だからこそ、プレイヤーを都度ピックアップできるというのは面白いですよね。

レミ そうですね、二人だからこそできるスタイルですね。

M6. 夜が明けたら

――で、6曲目は「夜が明けたら」と。すごく優しさの感じられる曲調で。レミさんとしては、歌詞はどんな風に生まれてくるものなんですか? 言葉へのこだわりも半端じゃないですよね?

レミ そうですね……やっぱり感情が爆発したときにしか書けないですね(笑)。なので、感情が爆発すれば一瞬で書けます!

――おお~。

レミ だから大変です(笑)。タイプ的には一日一曲すぐ書けちゃう人と、一ヶ月に一曲しか書けない人ってなったときに、私は完全に一ヶ月に一曲しか書けない人で。どうしても自分が思ってることを書きたいし、きっと私が思ってることなら、他のみんなも思ってるはずって考えているんですね。たとえば「MIDNIGHT CIRCUS」みたいな、幻想的な世界観ももちろん表現したいんですけど、一方で「褒めろよ」だったり「夜が明けたら」みたいな、感情的な世界観も好きなんです。こういう曲は、心のタンクが溢れたときに書けます。この曲が書けたのもそんな時でした。

――GLIM SPANKYって、サブカルチャー的なセンスとメインストリーム的なセンス、実は両方書けるワケですもんね。

レミ そうですね、本当にそういうバランスでやっていきたいなと思ってます。

M7. さよなら僕の町

――7曲目は「さよなら僕の町」。これは一発録りに近い感じでしょうか? 臨場感を大事にしたバイノーラル録音をされていると、資料にはあるんですが。

亀本 そうですね。人形の頭にヘッドセットをつけて。

レミ これは高校三年のとき、大学に合格したときに書いた曲です。リアルに自分が東京に出ていくとき。いままで家族と暮らしていたけど、それも全部田舎に置いて東京に行かなきゃいけない、友達もいない、知らない街にいかなきゃいけないってときに、やっぱり寂しいという気持ちがあったんですけど、憧れも強かったので「やってやるぞ!」って思っていたんです。でも、そのときって「やってやる!」という思いと同じくらい「寂しいな……」という思いもあって。ああ「ママのご飯食べられなくなるのか……」とか。「この自然が見られなくなるのか……」と思うと、寂しい気持ちもあったんですけど、でもその「やってやる!」という、自分の気持ちを奮い立たせるには、その寂しさに鍵をかけるっていう。一聴すると切ない感じもあるんですけど、それよりも「鍵をかける!」というのは上に行くための前向きなことなんですね。すごくポジティブというか、希望に満ち溢れた曲だと思っていて。だからこそ当時の感情もいまも鮮明に思い出せるし、どれだけ当時の感情をこの曲に入れられるんだろうって考えたときに、一本一本スタジオでマイクを立てて防音室で録るよりは、地元の思い出の場所で録りたいと思って、高校の美術室で録音しました。

――それを実現しているってすごいですね。

亀本 そんなに手間なことではない気もするんですけどね。予算的には安いくらいかも。

――卒業された長野の高校で。

レミ いつも大学受験のデッサンを描いてた思い出の場所で完全一発録りで。雑音が入ってもいい、と思っていたので、外で野球部が部活していたんですけど、その音も入ってます。音楽に空気を閉じ込めるにはこの方法が一番かなと思って、このレコーディングを選びました。

M8. WONDER ALONE

――次が「WONDER ALONE」。サウンド・プロデュースが高田漣さんなんですね。この組み合わせも面白いなと……オーセンティックなんだけど、疾走感も出ているという。

レミ (高田漣氏の父親の)高田渡さんが大好きだったので、それは以前にもディレクターに話していて。で、サプライズ的に「高田漣さんどう?」って言われて「わぁ!」ってなって(笑)。細野晴臣さんも大好きなんで、細野バンドの皆さん……伊藤大地さんもそうだし、伊賀さんもそうだし。こういう曲だし、ばっちりだなと思ってやりました。

――となると、自分の中のカルチャーの蓄積でGLIM SPANKYをこういう風にしてみたい、ああいう風にしてみたい、というのがまだまだいろいろあるんじゃないですか?

レミ そうですね。やりたいことだらけなんです。

M9. ロルカ

――次が「ロルカ」。これもサウンド・プロデュースが高田漣さんですね。

レミ そうですね。

――柔らかなテイストで、漣さんらしさも表れていて。

レミ これも「さよなら僕の町」と同時に作ったんですけど、ちょうど高校を風邪で休んでいたときに作って。すごく具合が悪くて、夕方ぐらいに起き出して自分の部屋で曲を作っていたら、友達が“今日のお便り”とかを持ってきてくれたり。そういうのを見たときに「早く学校行きたいな!」と思って。だからこそ「明日もお互い元気でありますように」っていう歌詞を本当にそのまま書いたんですけど。そのころ「ロルカ」って詩集にハマっていて、その世界観と自分の部屋の夕暮れの世界観の切なさというか、感情が溢れているところがすごくリンクしていたんです。

M10.大人になったら

――で、10曲目が「大人になったら」。これがまたものすごいいい歌だなあと。最高ですね。

レミ ありがとうございます。

――GLIM SPANKYの根本というか、大事なところを歌っている曲なんじゃないかなと思ったのですが。

レミ そうですね。これも感情が大爆発して、一瞬のうちに書き上げた歌詞で。ちょうど大学三年で、就職活動の時期でみんなそれぞれ悩んでいたときに、大人もいろいろ言うし、いろんな考えもあるし、というときに、じゃあ自分にとっての就職とはなんだろう?というのも毎日考えていたんです。で、私は音楽でやっていきたいとずっと思っていたし、でも就職ってなると、会社に所属するってことが就職なのか、とか、企業で働くことが就職と呼ぶのか、って考えたときに、いやそれは違う、と思って。私の解釈する本当の意味での就職というのは、自分がやるべき使命感を持って、世間に提示だったり、貢献していったり、そういうのも含めて自分のやりたいこと、自分にしかできないことを還元するというか。そういうことが本当の意味での就職だなと思ったので、私は音楽が就職だと思っているし、一方で友達は「親があの会社に行けって言うから受けたら受かっちゃった、でも本当はやりたくないんだよね」、「でも給料はいいからいっか」って言っていたり。でもそれって本当の就職といえるんだろうか、そうやっていい企業に受かって喜んでるけど、でも「本当は自分はやりたくないんでしょ?」って思いがあったりとか……いろんな感情が渦巻いて。一方である人が「バンドなんて絶対無理だからやめろ!」って言ってきたり。その人はもともとすごく音楽が好きで、自分もずっと楽器をやっていた人なんですけど、叶わずにあきらめちゃった人で……「お前はわかっていない、明日死んでも後悔しないのか。俺は後悔しない。すべてをわかっているから!」みたいなことを言ってきて。でもこの世の全てを本当にわかっているんだったら、決してそんなことは言わないだろうと思ったんですね。音楽をやっている人がこれだけいて、これだけ素晴らしい仕事をしているのにそんなことを言うなんて、逆にお前は何もわかっていないと思ったんです。でも、そういう人も心の中ではまだ音楽をやりたいと思っているかもしれない。夢を自分で閉ざしている人たちに向けても、心の鍵をこじ開けて同じ気持ちにもう一回なろうよって言いたいし、逆に自分たちと同じ年齢の人や高校生や中学生、これから大人になっていく人たちにも聴いてほしい。本当にすべての年代の人たちに対して届けたい曲なんです。

――亀田誠治さんプロデュースなんですよね。一緒にやってみてどうでしたか?

レミ GLIM SPANKYだったらどういう音にするかっていうのをすごく細かくわかってくれて。ロックの中でもたくさん方向性はあるんですけど、すごく的確に「こういう音はどう?」と提示してくれて。レコーディング方法は「こういうのはどう?」とか。私たちにとってはすごく勉強にもなるし、逆に亀田さんのほうがキッズなんじゃないかっていうくらい純粋だったりするんですね。「どんどんハミ出していこう!」みたいなことをずっと言っていて。「GLIM SPANKYはハミ出していたほうがいいから!」と、音もそうしてもらったし、だけどハミ出してるだけじゃ駄目だから、ちゃんと世間に届くものを確立しながら、ハミ出しているという絶妙なバランスを取ってくれた方ですね。

亀本 この曲はそんなにアレンジが大きく変わったわけではないんですけど、やっぱり亀田さんがベースを弾くだけで変わりますね。メロディーをめっちゃ弾きまくるんですけど、他のメロディーを殺さないからすごいなと思いました。

――これでアルバム『SUNRISE JOURNEY』収録楽曲すべてのお話を伺いました。さらに、7月22日にジャニス・ジョプリンのカバー「MOVE OVER」のハイレゾ音源、29日には『SUNRISE JOURNEY』のハイレゾ音源もリリースされます。CDよりも約三倍密度が高い、24bitのハイレゾ高音質サウンドなんですけど、これまではそんなにハイレゾって楽しまれてはなかった?

レミ 全然聴かずに(笑)。プレイヤーを持っていませんでしたから。

亀本 よく電気屋で、それこそソニーのヘッドフォンとウォークマンで試聴できるところってあるじゃないですか? よく電気屋さんで聴いてました(笑)。

――ハイレゾは、スタジオで作っていたときに鳴っていた音に近いサウンドが、リスナー側でも楽しめるんですよね。GLIM SPANKYにぴったりの試聴スタイルかもしれないと思います。

レミ うん、本当に面白いなと思っていて。言ってしまえば全部レコーディングし終わったものを「完成しましたー!」って、みんなで卓の前で聴くのとたぶん似てるんだと思うので。それは迫力もあるし、より生々しく聴こえるので、もちろんヨレてる部分とかもはっきり聴こえるってのもあるけど(笑)、それも良しとしちゃうみたいな。それもその時の空気ですからね。

――そうですね、それも楽しさのひとつなんですよね。

レミ そんな風に聴いてもらえたら面白いな、もっと身近に、生々しい音楽を届けたいですね。

――GLIM SPANKYにとって「生々しさ」っていうのは大事なキーワードですもんね。

レミ そうですね。生々しいものはやっぱり心臓に響くと思ってるので。私がルーツミュージックを好きな理由も、生々しいからというのがあって。現代の音でも、何が好きかって考えたときに、今どきのミュージシャンでも、生々しさをちゃんと音源に込められるミュージシャンが好きなんです。だからその系譜というか、GLIM SPANKYも、空気感だったり、生々しさを大事にしているので、ハイレゾだとどんな反応がくるのか楽しみです。

 

 

 

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 7月11日に劇場公開される園子温監督の映画作品『リアル鬼ごっこ』のサウンドトラックがmoraにて独占配信されます。
 今回、園子温監督とは『地獄でなぜ悪い』、『ラブ&ピース』に続いて3度目のタッグとなる菊池智敦さんと 音楽制作をおこなったカナイ・ヒロアキさんと秋月須清さんにお話をお伺いしました。
 『リアル鬼ごっこ』のサウンドトラックの制作秘話と意外と知られていない映画音楽の制作の裏側に迫ります。

 

(聴き手:安場晴生/ソニー・ミュージック)

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

 

――まずは今回『リアル鬼ごっこ』のサントラを制作をするにあたる経緯を教えていただけますでしょうか。

菊地 園子温監督とのお仕事は2013年公開の『地獄でなぜ悪い』が1本目で、その後今(2015年6月)公開されている『ラブ&ピース』というのをやらせていただいて、この『リアル鬼ごっこ』が映画全体の音楽プロデュースということだと3本目になります。今回、監督には「バンドの音楽でサントラを作りたい」っていうイメージがあって、実際とあるバンドを想定していたらしいのですが、撮り終わってみると、そういう面もあるけど、そうじゃない面もある、みたいなことになったらしく、僕に相談して頂きました。初めてラフ編集を見せてもらったときには、バンドサウンドの部分と、いわゆる劇伴部分の混在したイメージがある風になっており、最終的にバンド部分は監督がかねてから使ってみたかったというMONOの楽曲をお借りすることになりました。で、MONOの曲でまかなえない部分。オーケストラ的な劇伴とバンドサウンドで書き下ろしが必要な箇所をどうするか。作家の選択は僕に任せて頂きました。まず劇伴のところどうしよう、というときに秋月君を考えました。秋月君はソニー・ミュージック・パブリッシングの作家でこれまで何度も仕事をしてきたし、今回の感じも得意だろうっていうので。バンド的な部分については、昔からの仲間である、カナイ・ヒロアキが適任だと。彼はもともとスーパーカーのプロデューサーもやっていて、しかも映像にも関わっていたことがあるから、ロック的なアプローチの曲を画に合わせて書いてもらえると思って、お願いしたという流れでした。

――秋月さんの、今までのキャリアを踏まえての抜擢ですか?

菊地 彼とは僕がソニー・ミュージック・パブリッシングに在籍中からずっと一緒にやってきて、園監督の映画でも『TOKYO TRIBE』でちょっと手伝ってもらったりとか。優秀な劇伴作家です。

――じゃあその、バンドと劇伴を分けるみたいなことは監督のイメージを受けて菊地さんがやられたんですか?

菊地 園監督の場合というか、海外の映画監督もそうだと思うんだけど、仮当てっていうのをだいたいしてるのね、編集のときに。既製楽曲で。多分英語だとtemp trackって呼ぶんだけど、一回仮当てしてるわけ。

――じゃあ音楽のイメージがちゃんとある監督ということですね。こういった場合、スケジュール的にはどんな感じなんですか?

菊地 スケジュール的にはですね……まあ撮影が終わって、ラフ編集のタイミングで呼ばれて、それがいつだったかな?

秋月  2月の終わりぐらいに呼ばれて、終わったのが4月頭くらい?

菊地 そうだよね。

――最初からある程度、画もできていて、合わせていったと。

菊地 うん。そう。で、音楽作りながら画の編集も細かく入っていって。

――納品したあとから作っていくっていうのもあったんですか。

菊地 デモを出して仮に絵にあててみて、そしたら今度また画が変わったり(笑)。「え、そこ伸ばしちゃったの?!」みたいなのがあって(笑)

カナイ  逆に「12秒削ってください」みたいな。こっちは小節で作ってるからどうしたらいいんだろう?みたいなこともあって。せっかくこのシーンで「バーン!」となるように作ったのに、その「バーン」が合わねえよ!、みたいな(笑)

――曲ができて絵に当てて、実際にやってみると「いや、やっぱり?」ってなった時には、もう一回戻ってくるっていうことですね。

カナイ  何回も何回もです。

――それって普通なんですか?

菊地 本来は、曲の直しはいっぱいあると思うんですけど、画の尺は普通は変わらないですね。 ピクチャーロックっていうのがあって、ここからは画をいじらないよ、って言って、そこから音楽を書くのが一般的。園さんはね、結構ぎりぎりまで編集が続く。

――ぎりぎりまで編集して粘って、音楽と画を合わせていくっていう作業に時間がかかるっていうことですね。

菊地 音楽でOKが出ても、編集でタイミングが変わるとまた直さなきゃいけないっていうことが。曲はOKでも編集が変わっちゃったからまた直すっていう。

――そういうことですね。12秒とか(笑)

菊地 そう(笑)

カナイ  でも結果的にはよくなってましたよね。悪くなることは一回もなかったです。

菊地 僕は割と編集にも立ち会ってるんですけど、ちょっとカット抜くと、もう全然画が締まるっていうことがよくあって。延ばすよりは削ることのほうが多かったですね。

――じゃあやっぱりどちらかというと、テンポ感をあげることが多いってことですね。

菊地 そうですね。ほんとにシーンを削るっていうよりも、例えば人が振り返る画があったとして、振り返り際からでいいよ、みたいに数フレーム抜くみたいなことをやってくの、どんどん。プレイバックするとまったくテンポ感が違っていて。

――尺とかっていうことではなくて、曲自体に関してのダメ出しのやり取りっていうのはあるんですか?

菊地 ある。

――じゃあそのあとのイニシアチブは音楽プロデューサーの菊地さんが取りながら、お二人と会話していくというか、微調整していくということですか?

菊地 僕がイメージを説明して、まあ2人には手間をかけるんだけど、「1回ちょっと出してみてよ」っていう(笑)。

秋月  うん、そういう感じです。

菊地 合うか合わないか。でも、監督から「全然違うよ」っていうのはあんまりなかったかな。

――だから求められているんでしょうね。こんな言い方もなんですが、便利なスタッフっていう(笑)

菊地 そう、便利な人(笑)トンチンカンがない(笑)

カナイ  菊地さんは「園語」を……園さんの言語を翻訳して僕たちに伝えてくれるんですね。僕たちも映像を丸々もらうんで、ほぼ何を言ってるかは理解できるんで……とりあえず早目に投げるっていう。もうそれこそ、次の日、その2日後ぐらいには曲を投げるようにするとうまくいきますよね。

菊地 で、割とパタパタっと2日にいっぺんぐらい監督が画の編集に入るので、そのときに、無理矢理デモを持って行ったり、送ったりするんです。で、編集の方とも親しくなってるんで、僕が行けなくても「これとりあえず編集のときに、当てて聴いてもらっておいてくれる?」っていう。

――そういうのは結構ちゃんと対応してくださる方なんですね。

菊地 そうですね。ただ編集が急な時もあって、後で編集の方やプロデューサーに「どうだった?」って言ったら、「あの曲のときは不機嫌そうでした」ということも(笑)。で、編集後のムービーを送ってもらって、こっちの作った音楽が残ってれば採用。送ったんだけど、監督の仮当ての曲が残ってたら、そこはダメだったっていうことで(笑)

――なるほど。無粋な質問なのかもしれないですけど、これを読んでる人が一番知りたいところで言うと、音楽プロデューサーの一番の役割っていうのはどんな感じなんですかね? 今回の映画に関してでいいんですけど。

菊地 園監督には音楽のイメージははっきりあるから、まずは僕がそれを汲み取って。今回で言うと、この2人に翻訳というか、伝えて、汲み取ってもらって、それをまた園さんに戻す。だから実は今回の映画では2人と園さんは会ってないんです。

――そういうことなんですね。

カナイ  こっちとは一度もやり取りしてないもんね。

――なるほど。ちょっと話が変わってしまうかもしれないんですけど……テーマ曲みたいものってあったんですか?『スター・ウォーズ』だと「あの曲」と思い浮かぶような。

菊地 今回はなかったです。ただ、いわゆるテーマ曲っていうのではないんだけど、エンディングに使っているMONOの「Pure As Snow」はすごくイメージに合ったみたいで、割と最初から「エンディングに使いたい」って監督の意向があって。あと、最初に秋月君が書いた、主人公が追いかけられるシーン用の曲がばっちりで、この映画は追いかけられるシーンが多いので、そういうシーンではやっぱりそのモチーフをどんどん使った感じ。テーマじゃないんだけど、すごい印象的な曲になってるんじゃないかと。それが、「BUS」だね。

秋月  タイトルがもったいないですね(笑)。「FIRE」も「RUN TO TOWN」も、多分同じ曲のヴァリエーションかな。

――そういう曲の割り振りも考えて、その変奏じゃないですけど、バリエーションっていうのは菊地さんが考える。

菊地 僕も考えるし、そこは仮当てでも基本同じ曲が入ってるのね。ヒントにはなる。でも監督的には必ずしも「同じ曲がほしいわけじゃない」っていう(笑)

――禅問答をちゃんと解釈して。

菊地 でもそうすると、方向は合ってるっていうことだから、そこは秋月くんと相談して、「あれを基本形として、もっとこのシーンに合わせてやってこうか」っていう。そうすると画に合わせてどんどん変えてくれるっていう感じ。

――劇伴といつもやってる作曲活動との違いみたいなことを、教えていただいてもいいですか?

カナイ  普通の作曲っていうのは歌ものとか?

――そうですね。

秋月  僕は劇伴中心の活動なのですが、歌ものとの違い……そうですね、やっぱり編成の違いでもありますよね。(ひとつの作品の中で)たとえばファンクも、オーケストラも作りますっていうのも単純にあるし。

――劇伴のほうが音楽的なバリエーションが多いということですね。

秋月  そうですね。あと劇伴でも、テレビとかアニメとかだと、規定の1分半で作ってくださいっていうのが何曲もあるんですけど、映画だとそれがないので、シーンに合わせてとか。

――そうか、そうですね。

秋月  シーンが切り替わるところは、音楽的に合うように、転調しても音がちゃんとつながるようにとかっていうのを計算して作ったりとかしますね。

――音楽の引き出しを開けまくるっていう感じなんですか?

秋月  そうですね。

――その中で、基本は画を引き立たせるというか、裏切らないっていうことがもちろん基本だと思うんですけど、その中で、あえて違和感のあるアイデアを入れたりすることはあるんですか? 異化効果じゃないですけど、悲しいシーンにあえて明るい曲とか……。

秋月  あります。やっぱり監督の裏をかきたい、とか(笑) 監督を感動させる、っていうのが最初の目的なので。

――それがハマるときと、無いな、って言われるときと(笑)

秋月  そうそうそう(笑) 無いときが多いですね(笑)

――カナイさんはどうですか?

カナイ  僕はまた彼とはタイプが違うんで、どっちかっていうと、すごい縛りがある風に感じてるんですね、映画の場合は。普段作ってるのはほぼ自由に作ってる曲だけなんで。映像を丸々見ながら演奏するんですよ、コンピュータを持ち込んで。100%シンクロさせながら音を出していきます。どっちかっていうと僕は、シーンの色とか形とかを見ながら音を出してる。だから、僕に当てられたシーンはそういうことだったのかなっていう。秋月くんと逆で、ある種僕のキャラクターをある程度買ってくれて選ばれてるっていう感じなんですよね。

――じゃあそれは画をみながらのインプロビゼーションみたいな感じなんですか?

カナイ  そうですね。だから僕はまったく理論的なことは考えずに作るんで。

――通常の作曲方法だったりっていうのとはちょっと違うじゃないですか、そういう風にやられることって。

カナイ  あ、普段からそうやって作ってるんです。

――なるほど。じゃあ、まあそれで言うと、普段もうちょっと自由な中でやっているのと比べて、明らかに縛りがありますよね。

カナイ  はい。でもそれが面白いですよね。

菊地 でもあれだよね。普段だとやらないようなキメとか作らないといけないよね。

カナイ  そうなんですよ。やっぱりその、変なところで一回キメないといけないっていうところを……「一回ジャンジャンジャンって入れてくれ」とか(笑)

――しょうがない、編集してやるか……となるわけですね。

カナイ  そうですね。

――今回、音楽がすごく海外の映画に比肩するような感じになってるなっていう気がしたんですけど、そのあたりのサウンドのこだわりみたいなものはあったりしますか?

菊地 ありがとうございます! 何にみんなでこだわってるかというと、まず2人とも出音にはこだわってるんです、ギターだったりとかシンセサイザーの。出音にすごくこだわって作ってるので、チープに聴こえないというのがひとつあるのと、そこは頑張ってもらいつつ、僕はやっぱり絶対に最後にエンジニアを入れてミックスするようにしてる。これを省略する人は結構多いんです、映画とかでも。いつもお願いしてるシャングリラスタジオの沖津さんっていうエンジニアさんに入ってもらって、彼らがこだわって出した出音をサラウンドミックスでちゃんと仕上げると。

カナイ  で、それを僕たちもちゃんと確認しにスタジオ入って。

菊地 そう。最後一緒に確認して。

――方向性がちゃんと大作映画のマナーになってるなって思ったんですね。

菊地 (監督が)今回はそうしたかったみたいですね。

――そうなんですね。完成した本編を見た率直な感想はいかがでしたか?

カナイ  でも、そんなに変わらなかったですね、僕は。どちらかというと、音楽よりも、台詞とかSEとかのバランスのほうが初めてだったんで、僕たちが作業してたときは、どうしても音楽が大きくずっと聴こえてるんで。でもすごくまとまってましたね。

――じゃあやってる途中の感じ方と、完成形は非常に近いというか。

カナイ  大きく違くはなかったですね。やっぱりエンジニアの人を入れてミックスで整えた結果が良くでてますね。恐らくそうしないと場面場面で音がポコっとなっちゃうとか、邪魔しちゃうのもあると思うんですけど、そこはきれいにできてたんで。

――秋月さんはいかがですか?

秋月  僕は……でも、ミックスにも立ち会って、MAにも行ったんで、僕も作ってる段階とイメージは全然違わなかったです。やっぱりミックスを通したことによって、より臨場感も出たし、空間もあったし。そういうところで曲がどんどん生まれ変わっていくのが面白かったですね。やっぱり自分の曲がよりよく届けられるっていうのが嬉しかったですね、映像を観て。

――菊地さんいかがですか?

菊地 最後のダビングでの台詞と効果音と音楽を合わせる作業にも立ち会って、音楽の当て方みたいなのも監督と話しながらやってくんだけど、それまでの作業では、音は全部仮なの。台詞はほぼ本物だけど、効果音もまだ仮なんですよ。一応入ってはいるけど。あとCGも仮。それをダビングで全部を持ち寄って、音楽もサラウンドで出して、効果音も来て、CGもそこで合わせて通して見ると、そこでようやく、映画!っていう感じになって。こちら的には音楽を作ってる最中から、「ここで効果音が来るから、この音色はあんまり入れない方がいいんじゃないか」とか。「ドカンドカンいってる場面のときにあんまり低音を入れても効果ないかも」とか。そういうことも音楽制作のときに考える。それが最後にうまく合わさって、今回もすごい映画になったなっていう感じはします。

――最終段階でも微調整するということですね。現場でステム(音量などを調整できるようにパート別に音をまとめた音源)でやるっていうことなんですか?

カナイ  僕たちは納品がステムなんですよ。

――そうなんですね。

カナイ  デモの段階ではステレオなんですけど、僕の場合はドラム、ベース、ギター、シンセ1、シンセ2とかで分けて送って、最終段階でバランスを取るんですよね。

菊地 その作家さんのデータから作ったサラウンドのステムミックスをダビングに持っていくんです。多少バランスも取れるように。台詞や効果音との兼ね合いで「ちょっと金物系の音は避けたほうがいいんじゃない?」とかっていうことも調整できる。

――じゃあ、ポスプロのエンジニアをもう一回通るっていうことなんですね。

菊地 そうそう。そこでバランスはちょっと変わる。だから、そういった意味だと、このサントラと映画で実際鳴っている音楽がまったくイコールじゃなかったりする場所もある。

――そうですよね。その辺りのことは知らない人も多いと思います。では、その延長線上ってわけじゃないんですけど、おひと方ずつ、サントラとしての聴き所を教えていただけますか。

カナイ  そうですね……僕が作った曲になっちゃうんですけど、どの曲も好きです。オーダーがあって作った曲にしては……ちゃんとやらせてもらえた感があるっていうか、オーダーが強くなかったっていうか。ダメ出しで結局バージョン8とか9とかいってる曲もあるんですけど(笑) 全然それも納得した上でいいものができてるっていうか。ほんとに「あ、映画に使ってもらえるんだな」っていう感じがして嬉しかったです。

秋月  この映画は結構風景の描写とか空撮も多かったので、単純に風景を思い出しながら聴いていただければっていうのと、いろいろなシーンのつながりで実は音楽がリンクしている部分を意識して聴いてもらえれば面白いかな、と思いますね。

菊地 これ(サントラ)はね、映画に出てくる曲順なんですよ。最後にMONOの曲で終わるっていう時系列でやっていて、映画を見てから聴くのか、聴いてから映画見るのか、いろいろな方がいると思うんだけど、結構映画をちゃんと追っていけるかなと。

――なるほど。頭の中でもう一回再生できるぐらいの。

菊地 あ、こういうことが起きてたなっていう。同じモチーフが出てくるところは、「また逃げてるな」とか。走っているシーンが多いので、「あ、あのキャラクターが走ってたところだ」なんて思い出せるとか。という中では、個人的には冒頭の3、4曲の流れっていうのがすごい好きで、事件が起こる前の平和なシーンの「Beginning」から、そうだな、4曲ぐらいまでの流れがすごい好きで。何回も観たし。映画的にもかなりインパクトがあるオープニングかと思います。

――じゃあここまでは一気に聴いて。

菊地 いや、最後まで一気に聴いて! それで最後のMONOの曲もすごいと(笑)。

――わかりました(笑) では、みなさんにとっての「サントラ観」みたいなものがもしありましたらお伺いしたいと思います。

カナイ  今回作ったやつは「サウンドトラックなんだな」って感じがしますよね。無理やり当てはめてった感があるようなサウンドトラックもあるじゃないですか。そういうんじゃない感じがするんで。純粋にシーンをベースに作ってるんで……それこそが、サウンドトラックなのかなって思いますね。

秋月  やっぱりサントラはいろんな音がする。音が楽しいっていうか。やっぱり僕がサントラというものを好きなところで。今回は大編成とかも多いし、まあ、そうじゃないメタルみたいなのもあったり。単純にそういうバリエーションを楽しんでもらえればっていうのもあるし、またその音楽だけ聴いたときにも何か見えてくるものがあれば楽しいかな、と思います。

――お気に入りのサントラとかはありますか?

秋月  僕はやっぱり、この仕事をやるきっかけとして、ジョン・ウイリアムスのサントラが。

――『スター・ウォーズ』とか。

秋月  『ジュラシック・パーク』とか、『E.T.』とか。

カナイ  それぞれ仕事に現れてるよね、好きなのがね。今ふと思ったんだけど、僕は『ブレードランナー』とか好きだから、サントラをそういう風にとらえちゃうのかな。

菊地 自分のことで言うと、音楽制作をずっと長くやっていて、20何年やっている中の、前半10年ぐらいはいわゆるアーティストものの音楽制作をやっていて。後半この15年ぐらいは、基本、いわゆるゲーム、アニメ、映画の劇伴制作をしてるので、まずはやっぱりサントラって全然違うものなのがよくわかるつもり。映像があるものに対して音楽の制作をやっていくっていうことは、個人的にはすごく好きな作業かな。で、サントラって映画を見ているときには音楽を意識されないくらいが理想的なのかもと思います。だけど、とても効果的で重要で、もし外したらまったく映画として成立しないと。そんなのが理想ですね。もちろん、逆に印象的な楽曲が必要な場合もあります。たとえば『スター・ウォーズ』のテーマとか、ああいうやっぱり誰もが1回聴いて覚えるテーマっていうのもすごく重要だったりする。

――菊地さんにとって、思い出のサントラは?

菊地 いっぱい持ってるからなあ(一同笑) でもほんと、『ブレードランナー』もそうだし、ヴァンゲリスのサントラは、『炎のランナー』とか、ああいうのはレコードで聴くというか、まさに映像と切り離して聴いていた記憶が。

――特にヴァンゲリスはそうですね。

菊地 やっぱり仕事柄たくさん聴きますが、映画と切り離してサントラだけでもいいというか。映画を観ているときにはあんまり気を取られない音楽がいいとは思ってるんだけど、逆に切り離して聴くと、サントラはサントラで音楽として面白く聴けるという楽しみもあります。

――ビデオがない頃はサントラで映画を脳内再生したり、そういう風に聴いてましたよね。

菊地 そうそうそう。古いやつだと、たとえばバーナード・ハーマンのヒッチコックものとか、ああいうのもすごくいいし。

――サントラの道は長くて深い、ということで。本日はみなさん、ありがとうございました。

 


 

映画は7/11(土)~公開!

「リアル鬼ごっこ」オリジナル・サウンドトラック

秋月須清/カナイ・ヒロアキ/MONO

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 日本中を驚かせた大ヒット曲『帰ってきたヨッパライ』(オリコン史上初のミリオン・シングル)、『悲しくてやりきれない』、『イムジン河』を作り出したザ・フォーク・クルセーダーズのコア・メンバー、加藤和彦。
 加藤は若くして度々イギリスを訪れ、マーク・ボラン(T-REX)、デイヴィッド・ボウイ、ブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック)らの破天荒さ、煌びやかさを世界に向かって放つグラム・ロックとファッションに多大な影響を受けることで「フォークからロックへ」と自らの音楽を変革させていく。加藤は妻でノン・ミュージシャンの(福井)ミカをシンボルにして日本から世界へと飛び立つことができるバンドを結成。それがサディスティック・ミカ・バンドである。
 メンバーは加藤和彦、高橋幸宏、小原礼、高中正義、今井裕、そしてミカという現在では破格のスーパー・バンドと化し、ザ・ビートルズからピンク・フロイドまでを手掛けていたイギリスの名プロデューサー、クリス・トーマスを迎えてセカンド・アルバム『黒船』をリリース。遂には日本のバンドとして初めてイギリス・ツアーを敢行(しかもグラム・ロックの覇者の一つ、ロキシー・ミュージックのフロント・アクトとして!)した。世界を目指す加藤和彦、サディスティック・ミカ・バンドと音楽を共有したディレクター(※当時、東芝EMI)の新田和長さんに日本のロックに新たな発想と展開をもたらしたレコーディングに迫る。

 

インタビュー&テキスト:伊藤亮(プロジェクト・コンサルタント)

 


 

【プロフィール】

新田和長(にった・かずなが)

早稲田大学在学中の1967年、「ザ・リガニーズ」を結成し「海は恋してる」などを発表。
1969年 東芝音楽工業株式会社(現EMIミュージック・ジャパン)に入社。プロデューサーとして、赤い鳥、オフコース、トワ・エ・モワ、RCサクセション、はしだのりひことクライマックス、加藤和彦、北山修、サディスティック・ミカ・バンド、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、かまやつひろし、加山雄三、寺尾聡、稲垣潤一など数々のアーティストを担当。
1984年 株式会社ファンハウスを設立し、代表取締役社長に就任。オフコース、稲垣潤一、舘ひろし、小林明子、岡村孝子、小田和正、永井真理子、辛島美登里、シングライクトーキング、S.E.N.S.、大事MANブラザーズバンド、ACCESS、斉藤和義、THE YELLOW MONKEYなどを輩出。
1998年 株式会社BMGジャパン取締役、RCAアリオラジャパン社長兼務。
1999年 株式会社BMGファンハウス代表取締役副社長。
2001年 株式会社ドリーミュージックを設立、代表取締役社長兼CEO就任。
2013年 株式会社新田事務所代表取締役社長、現在に至る。
これまでに日本レコード協会理事、同副会長、音楽産業・文化振興財団理事などを歴任。

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――サディスティック・ミカ・バンドは70年代初期では極めて特異な存在だったと思います。あのサウンドはどのように受け止められていたのでしょうか?

新田 まずミカ・バンドが世界的に評価を得るまでの日本の音楽の状況をお話しておきましょう。1973年にサディスティック・ミカ・バンドのファースト(『サディスティック・ミカ・バンド』)が出た。同じ年にチューリップは『心の旅』を出しています。そして、サディスティック・ミカ・バンド、チューリップ、アリス、赤い鳥で“ラヴ・ジェネレーション”というコンセプト・ツアーをやったんです。まだ彼らにはヒットがないからイベンターやプロモーターを通さずに音楽メーカーが自ら「これからはこういう音楽です」と伝えるためのツアーでした。有料媒体に広告を出すよりも目の前で観て、聴いてもらったほうが確実にリスナーに伝わると考えたからです。同時期にユーミン(荒井由実)もデビューしたばかりでした。ヒットこそなくても、誰の耳にもアコースティック・ギター中心のフォークから新しい音楽へと移行していることが明らかでした。
 しかし、そこには弊害がありました。加藤君がロックをやろうとするとその頃のロック・バンドたちには「オマエはフォーク出身だ。ロックじゃない」と言われる。チューリップの財津(和夫)さんはフォーク・ギターにアッテネーター(アコースティック楽器の音を電気的に変換し、音量に強弱をつける機器)をつけていて、バンドにはドラムがいたもんだから、フォーク・シンガーたちには「オマエはフォークじゃない。ロックだ」と言われていました。僕は彼らの担当で、困惑したわけです。「ミカ・バンドはロックじゃないと言われ、チューリップはフォークじゃないと言われる。それじゃ、彼らの音楽は何なんだ?」と。そして、同時期に音楽業界で自然と発生し、広まったのが“ニューミュージック”という言葉でした。ロックでもない、フォークでもない新しい音楽を総称した言葉です。今となってはニューミュージックなんて誰も使わないし、あの頃でも「言葉が軽すぎる」とも言われました。しかし例えばユーミン(荒井由実)の音楽はフォークではないし、ロックでもないですよね。既存の音楽へのアンチ・テーゼとなった音楽が次々に産まれてきた時代でした。そういう音楽をニューミュージックと総称し、僕たちは「芸能界じゃなくて音楽界を作るんだ」と言ったんです。生意気なことですけどね(笑)。その中でも加藤君、サディスティック・ミカ・バンドは「日本から世界へ」を目指していました。

――ミカ・バンドの『黒船』がイギリスでリリースされた経緯をお話いただけますか?

新田 日本語の音楽だけど、サウンドも演奏力も世界でイケるぞ、という気概があったんでしょうね。まだ日本ではシングル至上主義でしたが、欧米はもうコンセプト・アルバムの時代になっていました。ミカ・バンドにはシングル・ヒットはありませんでしたがアルバム全体で何度も聴いて尚、耐久性があった。そこで、イギリスのEMIに“ハーヴェスト”というレーベルがありまして、そこのマネージャーのスチュワート・ワトソンという男を日本に招いて2カ月ほど僕の世田谷の家に泊まってもらったんです。彼を招いて、日本を知ってもらうことが目的でした。彼も「日本に招待してくれるなら出す」と言ってくれてね。

――日本のバンドの海外リリースが担当者の日本滞在で決まるなんて、相当に牧歌的なエピソードですね(笑)

新田 そうですよね(笑)。でも、おかげでイギリスのEMIから日本の東芝EMI原盤を海外盤でアルバム・リリースをすることができました。思えばあの時代は“西高東低”と言って「日本の音楽は西欧の音楽には敵わない」というのが常識としてずっと続いていました。日本の音楽は西欧の、あるいはアメリカの音楽のパクりだと、ね。いや、実際に影響の大きさは誰も否定してはいませんよね。でも、パクるんじゃなくて影響を受けて咀嚼し、日本の音楽にしてきたんです。加藤君は言わばコンテンポラリー・フォーク(戦後のフォーク・ミュージックの初期)を完璧に把握していました。とにかく詳しいんだ。ボブ・ディランやピーター・ポール&マリーはもちろん、キングストントリオだって何だって知ってる。もちろんビートルズは言うに及ばず、デイヴィッド・ボウイだって完全にコピーできるほど研究していました。その感性の速さと強さには驚きましたね。西欧の音楽を模倣することから、洋楽をしっかりと咀嚼して日本の音楽のオリジナルを作るということにおいて加藤君の知識は重要な意味があったんだと思います。

――ミカ・バンドは成り立ち自体にも当時の加藤さんが考えた新たなバンドの在り方が反映されていると思います。

新田 ビートルズのメンバー、ポール(マッカートニー)は奥さんのリンダとウィングスを作り、ジョン(レノン)はオノ・ヨーコさんとプラスティック・オノ・バンドを作った。サディスティック・ミカ・バンドはモロにプラスティック・オノ・バンドからきてますからね。加藤君は「これからは家族が核になったバンドだよ」と言っていました。ヨーコさんもミカさんも所謂ミュージシャンではありませんが、個性が強くシンボリックな存在です。

――ファーストの『サディスティック・ミカ・バンド』とセカンド『黒船』の大きな違いはどこにありますか?

新田 一つはバンドの編成。最初のドラムはつのだ☆ひろさんですが(高橋)幸宏さんに変わった。そしてファーストにはキーボードがいなかったけど、セカンドで今井裕さんが入ってきた。この二点はバンドのサウンドに大きな変化をもたらしています。そして最大の違いはセカンドの『黒船』にはプロデューサーとしてクリス・トーマスがいます。

――エンジニアはどちらのアルバムも蜂屋量夫さんですよね。

新田 そうです。当時はレコーディング・エンジニアのほとんどがレコード会社所属、所謂ハウス・エンジニアでした。蜂屋君は東芝EMIのエンジニアです。彼のレコーディング技術も偉大なんです。70年代初期、イギリスではグラム・ロックが流行っていて聴感的にレコードの音がデカい。リミッターを使って音量を突っ込んでいってました。加藤君も「リミッター、リミッター!」って呪文のように言っていた。そこで蜂屋君とのファースト・アルバムのレコーディングは最初のテーマが「T-REXよりも音を突っ込もう!」と(笑)。かなり突っ込んでると思いますよ、70年代初期の日本のロック・サウンドとしてはね。

――あとからフォローした世代の僕にはどれだけ「突っ込んだ」音かは判断できないんですけど、改めてハイレゾでファーストを聴くと、ところどころヴォーカルが歪みそうだったりしてますし、ドラムのキックとベースの音がデカいですよね。

新田 そうかもしれません。でも、もちろん東芝EMIのスタジオの機材なんて大したことはなかったから、実はそんなに音がデカくなったりしてないはずなんです。だから今はちょっと冷静になって「突っ込んだのは音以上に情熱だったんだな」なんて思いますね(笑)。だけど、ファーストの時点で加藤君は吉田拓郎のアルバム・プロデュースをやったりして、言わばアーティスト・プロデューサーの先駆けで、スタジオで言ってたことはエンジニアにすごく近かった。工学的な技術はないから、そこは蜂屋君とガッチリ組んでいましたけど感覚的にはそこら辺のエンジニアよりも優秀だったと思います。

――加藤さんはプロデューサー気質だったんですね。

新田 ザ・フォーク・クルセーダーズで大ヒットを飛ばしたし、東芝EMIの“エクスプレス”からソロ・アルバムも出した。次に彼がやってみたいことが二つありました。一つは加藤和彦個人のレーベルが欲しい、と。それがミカ・バンドをリリースした東芝EMI内の“ドーナッツ・レーベル”です。日本のメジャー音楽メーカーの中にアーティスト個人の自由度が保証されたレーベルなんてなかったんじゃないかな。もう一つはライヴのPAです。70年代は海外のバンド、アーティストが来てライヴをやると前座は日本人のバンドたちです。そうすると日本のバンドの音はPAのマスターで音を下げられちゃうんです。独自のサウンド・システムが日本にはなかったからね。それでイギリスのライヴ・サウンドを目標にして加藤さんがPA一式を買ってシステムを組んで、PA会社を設立しちゃうんです。それが“ギンガム”って独自のライヴ・サウンド・システムの会社です。そこに社員としていたのが重実博君です。忘れることが出来ないスタッフの一人ですね。彼は松任谷正隆さんと同級で慶応幼稚舎から一緒でしたね。重実くんも『黒船』のレコーディングに参加し加藤君のみならず何かとメンバーのヘルプもしてくれました。勿論、私の補佐もしてくれました。イギリスにおける、ロキシー・ミュージックとのジョイントツアーにも私の代理で同行してくれるなど、ミカ・バンド、『黒船』を語るとき黒子としての重実君を外すことは出来ないんです。その後、彼は東芝EMIに入社し、私の部に配属されて稲垣潤一君などを担当してヒットを出すことになるんです。

――改めて考えると一人の音楽家がメジャー・メーカー内にプライヴェート・レーベルを持ったり、PA会社を作っちゃうなんて欧米でもなかなか例がないです。

新田 バンドを作るだけではなくて、「これからの時代」を作ろうとしていたんだと思います。だから彼はファーストの『サディスティック・ミカ・バンド』はまだまだ中途半端な挑戦だと考えていました。常に「次は世界だ!」と言っていました。では「世界に通用するアルバムを作るにはどうすればいいか?」。それはやはり「世界的なプロデューサーを起用すべきだ」となるわけです。加藤さんが僕らに提案してきたのがクリス・トーマスです。

――彼はすでにビートルズに始まり、プロコル・ハルムにピンク・フロイド、加藤さんも影響を受けていたブライアン・フェリーのロキシー・ミュージックと、まさにイギリスのスーパー・プロデューサーになっていましたね。

新田 それでクリスにプロデュースを依頼に行ってくると僕が言うと、加藤君も一緒にと。加藤君が行くとなれば幸宏さんも高中さんもと、男どもがゾロゾロとロンドンへ(笑)。僕らは予算がなかったから一泊4ポンドくらいの宿ですよ。ミルクと紅茶とパンが一切れの朝ご飯ってホテル。ベッド&ブレックファストですね。すでにクリス世界的なプロデューサーです。どうやって彼に会えたのかと言うと、僕がたまたまジョージ・マーティンさん(ザ・ビートルズのプロデューサー)弟子でもあって、その頃、幸運にもマーティンさんの秘書のシャーリー・バーンズさんがクリスの秘書を兼任していた。バーンズさんが親身になってコーディネートしてくれたこと、クリスがミカ・バンドのファーストを気に入ってくれたことでプロデュース依頼の交渉は思いの外に上手くいきました。ほぼ二日で契約まで漕ぎつけたんじゃないかな。加藤君たちは余裕が出来て、その週末にはパリに遊びに行ってましたから(笑)。

――クリス・トーマスさんとの契約で差し支えない内容を教えていただけませんか?

新田 とにかく大きかったのはレコーディング期間、つまり彼の日本滞在期間です。2カ月も必要だと言うんですよ。もう世界的なプロデューサーですからね、それ相応のホテルに滞在してもらおうと思って都内のホテルで宿泊費を計算したらそれだけでアルバム制作費が吹っ飛ぶ金額になりそうでした。そこで僕が産まれて初めて某大手不動産会社を訊ねて一戸建ての家の賃貸物件を探しました。スタジオからあまり離れた場所では困るんで、六本木の星条旗通りに一軒家を借りました。家賃は一カ月15万円くらいだったな。その頃の僕の月給が4万円ですからけっこうな家ですよね(笑)。クリスはそこで2カ月間、完全にサディスティック・ミカ・バンドのセカンド・アルバムのプロデューサーになったんです。

――おそらく日本で初めてアルバム丸ごとを海外のプロデューサーに完全委任した作品だと思います。

新田 そこからがたいへんでした。レコーディングの初日です。クリスがレコーディングをしないんですよ(笑)。東芝EMIの1スタ(第1スタジオ)のコンソールの「スピーカーの左右バランスが違う」と彼が言うんです。それだけでなく音質まで違うと言い出した。スタジオのスタッフは「そんなはずはない」と。なぜなら当時の東芝EMIのスタジオのメンテナンスは細心の注意を払っていて、世界的にも誇れる環境を維持していたからです。モニター(スピーカー)はアルテック、604Eというシルバーメタルの機種です。クリスは東芝EMI中から、あらゆるスピーカーを1スタに持って来ては吊るして鳴らして組み直して、「違う」「まだ違う」と延々とやるんです。スピーカーの状態を調整するだけで1日が過ぎ、2日が経つ。僕らはスタジオのモニター環境は「そういうものだ」と信じ切っているのが当然だった。でも彼は完全にモニター調整ができなければレコーディングはしない。「海外のプロデューサーはすごいなぁ。スタジオのスピーカーを変えさせちゃったよ!」とただただ感心するしかなかった(笑)。

――今でもそんなことは誰にも出来ませんよ。プロデューサーがモニター環境を変えちゃったら今度はエンジニアがモニターを信じられなくなります(笑)。

新田 次にね、スタジオのイコライザーのシステムは当時の東芝電機が作ったものでした。まだSSLやニーヴ(いずれも70年代後半以降に日本でもスタンダードになったレコーディング/ ミキシング卓、録音システム)もないですからね。クリスは「こんなシステムじゃ足りない」ってんで、東芝EMIにありったけのイコライザーを片っ端から1スタに持ち込んでどんどん繋げていってデカいシステムを作っちゃったんです。さらにリミッターも足りないってあちこちからリミッターを持ち込んでモジュールに繋いでしまってね。気がつけば1スタのコンソールは軍艦みたいな物々しい様相ですよ。僕らはみんな「これが1スタかよ!?」と(笑)。そうなってくると、1スタはもうクリス以外の誰にも使えないスタジオになってしまっているわけです。当時はロックアウト(数週間から数カ月間、一つのスタジオを独占的に使用すること)なんて言葉はなかったけれど、自ずと1スタはサディスティック・ミカ・バンド専用スタジオと化していました。

――加藤さんのお話によると「アナログのスタジオは一度で電源を落とすと音が変わってしまうから、『黒船』のレコーディングでは電源を落さなかった」とまでおっしゃっておられます。

新田 さすがに2か月も電源を落さないってことはなかったと思うけどね(笑)。加藤君がそう言っているなら、そのくらいの勢いというか、厳重にサウンドを管理していたんでしょうね。とにかく過去やったことがないことばかりをやっていましたから。僕が驚いたのは“テープ編集”です。その頃、録音テープは2インチ、チャンネルは16です。そのテープをクリスが「切ってくれ」って言うんですよ。録音テープは普通に剃刀で切って、別に切ったテープに貼り付けて繋げる。それはいいんです。なぜならそれが出来るテープがあり、それが出来るカッティング・レール(テープを切るための専用の台)ってのがあったからね。でも16チャンネルの2インチのテープですよ。専用のカッティング・レールもないのに、そんな高いテープを日本では誰も切って編集したことなんてないです(笑)。そんなもん怖くて切れないってんで、わざわざアメリカのキャピトル・レーベルに頼んで2インチのレールを送ってもらったんです。その上に2インチの幅、しかも厚みのあるテープを乗せてホルダーでガチャガチャって固定する。そうしないとテープが弛んでしまいますからね。テープは固定された。しかし、切る役目のエンジニアの蜂屋君の手が震えていました。失敗したら、取り返しがつかない。今みたいにデータでバックアップもない。2インチのテープが音の記録の全てなんですから。

――この記事を読んでくださるみなさんにも想像を絶する緊張ですね!

新田 エンジニアの蜂屋君の偉業には暇がないんです。『よろしくどうぞ』のチンドン屋風の演奏の録音も面白かった。ノイマン(ドイツの名門マイク・メーカー)の87(ハチナナ)のマイクを使っています。このマイクは12ボルトで交流じゃなくて直流で使えます。それで電池を入れて複数の87を立てて、スチューダ(マルチ・トラック・レコーダー)でバランスをとりながら当時、デンスケって言われてた2チャンネルのテープ・レコーダーに繋いで録った。一発録音です。ヘンなことをやってましたねぇ。蜂谷君がよくぞそんなわけの分らない録音方法に対応してくれたな、と思います。それにミカ・バンドには管楽器奏者はいなかったけど、この曲のサックスは今井さんが吹いている。彼は芸達者だったので、キーボードだけじゃなくて、マルチに楽器を演奏できたんだ。

――それもクリスさんのプロデュース・ワークですか?

新田 彼は意表を突くと言うか、スタジオの現場を驚かすことが好きだったんです。他にもジーパンを使ってジッパーの開け閉めの音を録ったりとか、コップを5、6個ほど割った音をいくつかのチャンネルに振って、何十個ものコップが割れているような音にする。

――今で言うサンプリングですね。

新田 そうそう、まさにサンプリングの手法をアナログ・テープでやっていた。70年代の初めですからね、それこそが作りたい音に対する創造力です。

――最早、何をやっても社内で治外法権だったんですね。プロデューサーとしてクリスさんを立てた『黒船』らしいエピソードです。

新田 だけど、とても印象的なことがありました。クリスがミカ・バンドのプロデュースをするに当たり新聞のインタビューを受けた際にこう言ったんです。「今回はプロデューサーではなく、ディレクターになりたい」って。僕らはディレクターっていうポジションが嫌でプロデューサーになりたいんですよ。でも、彼は「ディレクターがいい」って。プロデューサーは予算を管理しなきゃならない、レコーディングを順調に進めるためにはメンバーたちの健康管理にも気を使わなきゃなりません。クリスは『黒船』に関してはそんなことを考えずにディレクターとしてレコーディングのクリエイティヴに徹したい、集中したいと言ったんです。そういう彼の姿勢が罷り通ったのは日本のミカ・バンドであり、『黒船』だけだったのかもしれません。だから、彼がレコーディングに集中できるように、それ以外のことは僕が全部やった。さっきお話した『黒船』の海外盤では僕はエクゼクティヴ・プロデューサーという肩書になっています。それはディレクターよりもエラいということではなくて、クリスをディレクターとしてレコーディングに集中してもらうために僕が出来ることをやった、それだけです。僕は喜んで裏方になりました。

 

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クリス・トーマス氏(左)と新田和長さん(右)。今回新田さん自らご提供いただいた貴重すぎる一コマ!

 

――そこにクリスさんと新田さんの暗黙の了解があったんですね。それと、もう一つ、『黒船』のレコーディングではメンバーたちはほとんど曲を作らないでスタジオに入ったという説があります。現場でヘッド・アレンジをするライヴ感を活かしたかったのかな、と思うのですけど。

新田 うん、それは間違いないです。ライヴ感というよりは実験的と言ったほうがいいかもしれない。全く何も無い状態でスタジオに入ったというのは誇張だけど、そういう意味では“ほとんど”曲は出来ていなかった。スケッチ的なメロディはあっただろうし、作詞をされた松山(猛)さんと加藤君が話をして、「日本から世界へ、世界から日本へ」って逆輸入の発想で「イギリスのプロデューサーのクリスとアルバム作ってやろう」ということでの『黒船』というコンセプトもあった。日本人バンドが海外のプロデューサーと『黒船』を作るんだってね。だからスタジオでクリスが居る現場で曲を作る。一緒に実験してみる。「一緒に黒船を作って世界に向かって船出するんだ」ということでしょうね。

――予め曲を作らず、アレンジせず、リハーサルもしていない状態の『黒船』のレコーディングで最も印象的な曲はどれでしょうか?

新田 1曲目の『墨絵の国へ』かな。

――意外ですね!ミカ・バンドの代表作とは言われていませんけど。

新田 この曲はね、幸宏さんのナレーションと言うかな、詩の朗読が素晴らしいんですよ。彼の詩の朗読が左と右、ステレオでそれぞれに違いますよね。一つの朗読テイクをパニングしてグルグル回したんじゃなくて、敢えて左右を別々に録って加藤君のヴォーカルとはタイミングをズラしています。丁寧にレコーディングしました。

――幸宏さんは今や世界的にも有名な「曲を作って唄ってドラムを叩くシンガー・ソング・ライティング・ドラマー」ですけど、幸宏さんの「声」が初めてきちんと聞こえたのはこの曲だと思います。

新田 こういう録音にこそ時間がかかるわけです。何でもなさそうなことなんだけど、アルバムではスゴく意味がある。

――それに、この曲の小原さんのベース・ラインが最高にファンキーですね。ゆったりとしている曲なのに、リズミックです。

新田 こうやってハイレゾで聴くとベースの響きが伸びやかですね。ベースをPAで鳴らしてルーム・エコーを使って響きを拾っているように聴こえます。でも、小原さんのベースはこのときは全てライン(ミキサー卓に直接繋ぐ)で録っています。これって、ハイレゾがミックス段階でのエコー処理を活かしているからなんでしょうね。個人的な感想だけど、ミックスの仕方が良く分るなぁ。『黒船(嘉永6年6月4日)』を聴いてみましょう。

――完全にプログレッシヴ・ロックですね。

新田 良くこんなアルバムを作れたなぁ。本当にすごいアルバムですね。今でもそう思います。

――今井さんのキーボードのフレージング、幸宏さんのドラムのタイトさとエコー処理に高中さんのギターが奔放に重なって……。時代が交錯すれば、ミカ・バンドが先かピンク・フロイドが先か?というくらいにプログレです。

新田 この曲は今井さんのキーボードからの始まりもいいし、高中さんのギターの語り方もいいんだけど、何よりも幸宏さんのドラムの入り方が最高なんだよねぇ。あのドラムのフィルに震えるために何度、この曲を聴いたことか(笑)。ハイレゾで聴くと確かにドラムのエコーも実に気持ちいいですね。

――『黒船』はファーストに比べると全体のミックス・バランスが整っているように聴こえます。

新田 『黒船』では「音圧を突っ込む」ということに拘るのをやめたんです。クリスがモニターのバランスに徹底的に拘ったというように、音圧よりは加藤君が理想としたアルバムの世界観とメンバーそれぞれの演奏力、エンジニアの蜂屋君とクリスの実験。そのバランスがあって出来たアルバムです。

――デジタル機材がないときに、どうやって録音してミックスしたのかが分らないエフェクトもあります。

新田 フェイザー(音の位相をズラす効果を出す)みたいな機材も東芝EMIのスタジオにはなかったからね。それで、どうやってフェイザーみたいな音を作ったかと言うと、録音した音をスピーカーで鳴らして、それをマイクで録り直すんですよ。

――録った音をまたモニター・アウトして、それを……?

新田 そう!ご想像の通りです。ステレオでモニター・アウトした音をまた二本のマイクでステレオで録るんですけど、そのときにスピーカーの前で二本のマイクを手動で左右に大きく振るんです。そうするとマイクから拾う音に「シュワシュワ」という左右に響く妙な音響効果が出る。フェイザーに近い音が出来るんです。フェイザーがないなら、フェイザーに近い音を手で作る。

――そうなってくると音響バカですね。

新田 バカですよ(笑)。日本のマイクをスピーカーの前でブンブン振るなんて傍から見たら「オマエら何をやってんだよ?」という姿です(笑)。でも、それが面白い音を作る。今のデジタル・フェイザーでも出来ない音が出来るんです。

――『黒船』って、僕らの世代にとっては革新的でありながらも、スタンダードな作品なんですけど、新田さんのお話を伺っているとデジタル・レコーディングになった今でも手動で面白い音が作れそうなヒントがたくさんあるんですね。

新田 クリス、蜂屋君と加藤君、メンバーたちが『黒船』を東芝EMIでレコーディングしたことで音楽的にというだけではなく、音響だったり録音技術的に東芝が獲得したことは多かった。『黒船』によって日本で初めて実現したサウンドがあります。この音を真似した音楽メーカー、音響機材メーカーの方々は少なくなかったと思います。

――『黒船』は音楽的というだけでなく、録音、音響的にもチャレンジされていたんですね。

新田 「どうして一枚もヒットもないバンドのアルバムにあんなに時間がかかったのか?」と思えば、実験をする時間が必要だったということなんですよ。すでに出来上がっている曲をただ音として録ればいいって言うのが当時の日本のレコーディングの主流だったけど『黒船』ではスタジオでクリスと蜂屋君と加藤君がスタジオで理想のサウンドを議論する時間も必要だったんだと思います。

――日本では『黒船』はどれだけ売れたんでしょうか?

新田 僕はプロデュース側でセールス側ではなかったから正確な数字は分らないですけど、国内では少なくとも8万枚は売れていたんじゃないかな。今ならかなりのヒットですよね。最終的には15万枚くらいは売れたんじゃないかな。

――『黒船』がリリースされて、ミカ・バンドはイギリスでブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックとツアーを敢行しました。クリス・トーマスさんの力も大きかったとは思いますが、ミカ・バンドは西欧で歓迎されたようですね。

新田 蜂屋君と話をしてみると事実としては必ずしも成功していたとは言えない。会場によっては前座のミカ・バンドのときにはお客さんが外に出ていて、ロキシー・ミュージックになったら大盛況ってこともあったらしい。

――ロキシー・ミュージックとのツアーを終えて日本に帰ってくるとき、ミカ・バンドのメンバーは「さぞや空港でファンもメディアも待っているだろうと思ったら誰も待ってなかったからガッカリした」という話もあります。

新田 それはねぇ・・・僕らスタッフがもっと気を使えば良かったよね(笑)。凱旋して歓迎されるだけのことはやったんだからね。音楽評論家たちだって諸手を上げて『黒船』を評価してくれていたのに、大ヒットにはなってなかった。でもね、加藤君、メンバーたちは当時の日本ではサディスティック・ミカ・バンドの音楽は大ヒットはしないという予感はあったんだと思います。だからこそ、世界に出る意味があったんだろうな、と。

――『黒船』をリリースして売るための東芝EMIの戦略はどんなものでしたか?

新田 やっと『黒船』が完成して、リリースになるってときに僕はレコードの帯に「録音時間300時間」って書きました。どれだけすごいレコーディングだったかを時間で表してリスナーに伝えよう、とね。でも、それはウソなんです。実際には600時間はかかっていました。だけど、「録音時間600時間」って書いちゃうと、東芝EMIの誰が見ても制作予算をオーヴァーしちゃうんです。僕が会社から怒られちゃうよね!だから、仕方なくて半分の「300時間」って書きました(一同爆笑)。本当は「600時間」って書きたかったんだけどねぇ(笑)。でも、僕らの悪知恵ですね。リスナーにはとっては「300時間」でもスゴいわけですから、実際にかかった時間の半分でも驚いて興味を持ってもらえるだろう、とね。

――加藤さんも、新田さんも、クリス・トーマスさんもそれぞれに気質はプロデューサーなので、相互が当たり合うことはなかったんでしょうか?

新田 それはなかったな。クリスが先生で加藤君も僕らも生徒。彼が言うこと、やろうとすることを理解してメンバーに伝えてレコーディングするという意味では加藤君もプロデューサーだったし、クリスが2カ月に渡ってミカ・バンドのレコーディングに集中するために僕がやったこともプロデューサーだったとも言えるのかもしれない。それぞれが『黒船』というとてつもないアルバムを作るために出来ることを精一杯にやっていただけです。それは、「僕らには出来ないことはない」、「日本で作られる音楽が世界へ行けるだけの力を持っている」というメンバーたちの感性と演奏力の素晴らしさへの確信があっただけですね。

――『黒船』のサウンドから今でも伺える多幸感はその確信から40年以上経っても活き活きとしていると思います。

新田 ハイレゾになった『黒船』を聴いて、ありありと思い出すのはやはりあの軍艦のようになったレコーディング・スタジオです。東芝EMIの1スタがクリス・トーマスというプロデューサーによって僕らが知っているスタジオではなくなってしまった。ケーブルで足の踏み場もない。積み上がった機材で照明も十分ではない。そして暑い。気持ちが熱いだけじゃなくて、積み上がった機材に電源が入っているからスタジオの温度が高くて暑い。その熱量は『黒船』を作るぞ、というバンド、クリス・トーマス、蜂屋君、僕らスタッフ、お互いの理想と尊敬の熱量の高さだったんだと思います。

――新田さんはそうして作られ、これまで“ロック・クラシック”になっている『黒船』を今の若い世代が聴いたときに、どう感じると思われますか?今後、CDではなくハイレゾで初めてこのアルバムを聴く世代も現れるでしょうし、サブスクリプションで初めて聴く世代にもなっていくと思うのです。

新田 アナログ・レコードと聴いたこともないし、CDさえも聴いたことがないという方々の話ですね。音楽業界のセールスの中心であるCDというメディアの恩恵は計り知れません。ソニーとフィリップスが世界で標準化した規格で僕らはここまで音楽を作って、届けることが出来ました。しかし、その規格に捕らわれ過ぎてきたとも言えます。16bitと24bitの差、サンプリング周波数での44.1kHzと96kHzの差。この差は大きい。でも、その差の大きさを知らない世代がこれからの相手になるんですよね。

――音楽がインターネットで流通されるようになってからは、「如何に音楽を圧縮するか?」が重要な技術開発になっていましたし、そういう音に耳が慣れてしまった世代も産まれています。

新田 確かにそうですね。そこで改めて考えてみてください。映像の物理メディアの容量はDVDからBlu-rayへとどんどん大きくなっているのに、音楽のデータはCDを基準にして、それ以降はどんどん圧縮される方向に向かってしまったわけです。しかも、“アナログ・レコード”という僕らの耳に最も充実したサウンドが届くメディアを捨ててしまったんです。
 僕は音楽をハイレゾ化する最大の目標は「デジタル化される音楽がアナログ・レコードの音に近づいていくことだ」とさえ思っています。音楽はどこまで追求しても空気の振動なんですから、声を録るマイクも、その声を聴くスピーカーも完全にデジタル化は出来ないわけです。マイクもスピーカーも電気的ではあるけど、デジタルではない。感覚的にはデジタルには隙間がないように思いませんか?隙間を埋めて圧縮することがデジタルであると。そこで圧縮されるのは音と音の間、隙間、空気の響きなんじゃないかな。「どれだけ小さな空間にどれだけの音を詰め込めるか」という、ね。
 ハイレゾはそうではなくて、デジタルの音像、音と音の間に本来のスタジオ録音で僕らが聴いていた隙間をとり戻せるか、ということのように思うんですよ。
 お話したように、クリス・トーマスというプロデューサーはレコーディング・スタジオで2日もかけてステレオのモニターの空間的な響きを調整しました。その音を僕らは聴いていますし、その音が僕らに最大限に再生出来たのはアナログ・レコードです。CDではその「最大限の音」の再生は無理でした。僕らが知っているスタジオの空間的な響きが届けられるならハイレゾ化にはCDからずっと進んだ音楽の未来があるんだろうと思います。

 


 

サディスティック・ミカ・バンド
『黒船』

M.01 墨絵の国へ
M.02 何かが海をやってくる (インストゥルメンタル)
M.03 タイムマシンにおねがい
M.04 黒船 (嘉永6年6月2日)
M.05 黒船 (嘉永6年6月3日)
M.06 黒船 (嘉永6年6月4日)
M.07 よろしく どうぞ (インストゥルメンタル)
M.08 どんたく
M.09 塀までひとっとび
M.10 四季頌歌
M.11 颱風歌
M.12 さようなら

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