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 グループアイドルの先駆けであり、ドラマチックな解散劇が今なお語り継がれるキャンディーズ。代表曲を一挙収録したベスト盤がハイレゾ配信されたことを受け、それら大半のプロデュースを手がけたまさに「生き証人」、松崎澄夫さんにインタビューを行った。三人のメンバーの奇跡的なハーモニーと絆、また彼女らを支えるバックミュージシャンやエンジニアとの秘話など、ファンならずとも貴重な証言の数々が飛び出した。「歌とサウンドのバランスがとても気持ちいい」と松崎さんも語るハイレゾ音源を聴きながら、ぜひ名曲の生まれたプロセスに思いを馳せてみてほしい。

(リード文:mora readings編集部)

 


 

【プロフィール】

松崎澄夫(まつざき・すみお)

1948年(昭和23年)生まれ。
1965年、専属ミュージシャンとして渡辺プロダクションと契約。
1971年、渡辺音楽出版入社。
1988年、アミューズ入社アミューズ常務取締役(1991年)、専務取締役(1999年)を経て 2005年4月、代表取締役社長に就任。
2010年4月、株式会社エフミュージック代表取締役。 

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――松崎さんがキャンディーズと出会う以前のキャリアを教えてください。

松崎 僕はアウト・キャスト(1967年デビュー)、そのあとはアダムス(1968年デビュー)というバンドをやっていまして、解散したあと渡辺音楽出版に入って制作ディレクターになったんです。伊丹幸雄さんのデビュー・シングルの「青い麦」(1972年)が僕が最初に手がけたレコードです。当時、渡辺音楽出版にはディレクターが十何人かいて、渡辺プロダクション所属のタレントさんのレコードのほぼ90%の原盤制作をしていました。

――そういう中でキャンディーズと出会ったわけですね。

松崎 東京音楽学院(渡辺プロダクションが設立した音楽学校)に別の用事で行ったときに、たまたま授業を覗いたんですよ。そのときに、遅れて来た3人の女の子が一番前にちょこんと座ったんです。かわいかったので気になってスタッフに訊いたら、キャンディーズというグループで、まだデビューはしていないけど、NHKの「歌謡グランドショー」にレギュラー(マスコットガール兼アシスタント)で出ていると。それで会社に帰ってから、「キャンディーズの担当をぜひ僕にやらせてほしい」という話をしたんです。

――キャンディーズのデビューにあたっては、どういう方向性を目指したのでしょうか?

松崎 3人のコーラスを活かすのが面白いと思いましたね。ユニゾンは一番大事なんだけど、3人だとハーモニーを使っていろいろできるから面白いんじゃないかな、と思いました。

――その当時の3人の歌唱力はどうでしたか?

松崎 3人の声質のバランスは、最初はスーさんが一番メロディーに合う声で、3人でハモるとランさん、ミキさんの声が生きて、あのキャンディーズのサウンドになりましたね。

――だから最初はスーさんがセンターだったんですね。

松崎 そうです。

――では、デビュー・シングルの「あなたに夢中」をハイレゾで聴いてみたいと思います。

 

♪「あなたに夢中」(1973年)pc_btn_play.png

 

松崎 3人の声の違いまではっきりと聴こえますね。本当に当時のアナログのレコーディングで、3本のマイクで彼女たちが歌っていたときのそのまんまの感じに聴こえますね。

――当時、レコーディングではどういうご苦労があったのでしょう?

松崎 最初のころは、歌詞をまず一緒に読ませて、呼吸が少しでもずれたらやり直しさせていました。歌詞が頭に入って気持ちが一緒になってくると、だんだん呼吸が合ってきて、ブレスも一緒になってくるんです。それをずっと、4小節に5時間ぐらいかけて練習させていました。そのうちに自分たちでそういうことが全部できるようになって、ハーモニーも自分たちで付けられるようになっていったんですけど、「その気にさせないで」(1975年)ぐらいまでは本当に大変でしたね。

――「年下の男の子」(1975年)からランさんが真ん中でメイン・ボーカルを取るようになって、キャンディーズはブレイクしました。それにはどういう経緯があったのでしょうか?

松崎 当時のマネージャーの篠崎(重)さんから、ファンレターの数もランさんが断然多いし、地方へ行っても人気がものすごい、だから今度はなんとかランさんを真ん中にしたいから、合う曲を作ってくれないかという依頼があったんです。本当はシングルB面の「私だけの悲しみ」がA面の予定だったんですけど、その依頼を受けて「年下の男の子」を作ったら、こっちのほうがいいねということでA面になりました。夜中にランさんだけスタジオに呼んでレコーディングしましたね。

――スーさんとしては、ショックだったということはなかったんでしょうか?

松崎 そんなことは全然なかったですね。彼女たちは、3人でキャンディーズを作ろうね、という気持ちが強かったし、彼女たち自身がキャンディーズのファンだったんです。僕は彼女たちをデビューさせるときに、グループというのは3年ぐらいしか続かないものだから、思い切り3年間頑張ろう、という話をしたんですよ。自分がバンドをやっていたせいで、グループの難しさがわかっていましたからね。

――そういうある種の覚悟があったから、誰がセンターだということは、彼女たちにとっては関係なかったんですね。

松崎 そうです。解散宣言(1977年)をしたあとに、ランさんとスーさんが僕のところに、ミキが真ん中でやったことがないからミキを真ん中にさせたいんです、って言いに来たんです。あ、気がつかなかった、そうだよね、って言って(笑)。それで「わな」(1977年)でミキさんが真ん中になったんですけど、そういうお互いへの思いやりを彼女たちは持っていましたよね。

――では、キャンディーズのターニング・ポイントになった「年下の男の子」を聴いてみましょう。

 

♪「年下の男の子」(1975年)pc_btn_play.png

 

松崎 生でスタジオで歌ってるみたいな感じですよね。バックの音も、そんなに分厚くはないんだけど全部バランス良く出てきてるし。僕と穂口(雄右/アレンジャー・作曲家/元アウト・キャストのメンバー)さんはアマチュア時代から一緒にバンドをやってきた仲なので、アレンジはツーカーでできちゃっていました。ギターもほとんどの曲が水谷(公生/元アウト・キャスト、アダムスのメンバー)さんでしたし。キャンディーズの曲はだいたい、そうした僕の周りの仲間たちが集まった固定チームで作っていました。そういえば、「暑中お見舞い申し上げます」の頭の、ウ~ワォ! っていうのも水谷さんが考えたんですよ(笑)。

――この曲のヒットで、彼女たちに変化はありましたか?

松崎 とにかく忙しくなって、いつも眠そうでしたけど(笑)、でもこの曲のおかげで自信を持ったということはあると思いますね。この曲のあとから、ライブのイメージも変わりましたしね。大里(洋吉)さんがマネージャーになって、MMPをライブのバックにつけたことで、楽曲も演奏もガラッと変わりました。あのころのライブは本当にかっこよかったですよ。この時期から彼女たちは、それまでと違う音楽性をいっぱい得ていったと思います。

――そして、1976年3月発売の「春一番」がオリコンチャートの3位という大ヒットになりました。

 

♪「春一番」(1976年)pc_btn_play.png

 

松崎 この曲は水谷さんのギターがなかったらこんなにヒットしなかったと思いますね(笑)。最初、ソニーの六本木スタジオで別のレコーディングをやっているときに、空いた時間に穂口さんがピアノでこの曲を歌って聴かせてくれたんです。気に入ったので、この曲をキャンディーズでやろうという話になったんですけど、最初はもっと童謡みたいだった(笑)。それが、水谷さんのギターが入って、アレンジを施されるとこんなにノリが良くなるのかと驚きましたね。最初はアルバム『年下の男の子』(1975年)に入れた曲だったんですけど、ライブでやると異常に盛り上がるから、どうしてもシングルにしてくれって大里さんが会社に頼んだんです。でも、(渡辺)晋(渡辺プロダクション創業者)さんがうんと言わないから、CBS・ソニーからプロデューサーの稲垣(博司)さんも出て来て頼み込んだんです。そしたら「イニシャル50万枚ならやっていい」ということになって(笑)。

――50万枚はすごいですね。でも実際にヒットになったわけで、これは松崎さんにとってもかなり嬉しいことだったのではないでしょうか?

松崎 あんまりそれはなかったですね。当時は渡辺プロの歌手がベストテンに7曲ぐらい入っている時代でしたから。でも、チャートの上のほうにいられるというのはいいことだとは思いました。なぜかと言うと、好きなことができるからです。違うことにトライもできるわけで、それでいい結果になれば、またさらにいいものを作れる。そういう感覚でした。

――では次に、1977年の「やさしい悪魔」をお聴きください。

 

♪「やさしい悪魔」(1977年)pc_btn_play.png

 

――このあたりの時期になると、コーラス・ワークが本当に素晴らしいですよね。

松崎 このコーラスを録るのには4~5時間ぐらいかかりましたね。“あの人は悪魔、ハァ”や“ア~ア~、デビル”のところの微妙な間合いがなかなか上手くいかなくてね。最後の余韻みたいなものがなかなか出せなかったんですよ。これをやるのは本当に大変でした。

――そして、1977年7月17日、日比谷野外音楽堂のライブでキャンディーズは突然の解散宣言をします。そして、最後のシングル「微笑がえし」(1978年)で念願の1位を獲得するわけですね。作詞には阿木燿子さんが起用されています。

松崎 これに関してはソニーのプロデューサーの酒井(政利)さんのアイディアでした。ただ、泣いて別れるのはやめよう、笑って別れよう、明るく終わろうということは全員で決めましたね。それを受けて、「微笑がえし」というタイトルにして、シングルの曲名を歌詞に入れたっていうのは、やっぱり阿木さんは大したものだなあと思いました。

 

♪「微笑がえし」(1978年)pc_btn_play.png

 

松崎 シンセ・ドラムをシングルに使ったのは、日本でこの曲が一番初めだと思います。うーん、こうして聴くと歌が上手いですね。解散を決めて、気持ちがスッキリしたのが声にも出てるんだと思います。実は解散前に、青山のピアノ・バーであるパーティーがあって、そこで彼女たちはピアノ1台にマイク1本だけでこれを歌ったんです。それが素晴らしかったのを思い出しました。あれは本当に上手かった。彼女たちのあんなにすごい歌を聴いたのは、僕もあの1回だけしかないです。

――最後に、今回こうしてハイレゾでキャンディーズの楽曲を聴いてみたご感想を改めてお願いします。

松崎 アナログに近い感じがありますよね。歌とバックの音のバランスが良くて、ひとつずつの音もとてもよく聴こえて来ます。当時は、最先端のサウンドをどうやって取り入れるかということばっかり考えて作っていました。だから、全体的にどうかというのは実はあまり考えていなかったように思うんですよね。でも、こうして聴いてみると気持ちいい音になっています。レコーディング・エンジニアの吉野金次さん、野村正樹さんのお2人がキャンディーズのサウンドをしっかり育ててきた功績は大きいと思いますね。

 

(インタビュー&テキスト:細川真平)

 


 

今回ご紹介した代表曲の数々を含む決定盤ベスト!
GOLDEN☆BEST キャンディーズ コンプリート・シングルコレクション

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「匠の記憶~Memories of Legend~」バックナンバーはこちら

 

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 「太く短い」人生を地で行った伝説のアイドル・岡田有希子。竹内まりや、小室哲哉、坂本龍一など現在も日本の音楽界で「巨匠」と仰がれるミュージシャンが数多く参加した彼女の楽曲が、全56曲一挙ハイレゾ化。mora readingsではこれを記念し、当時のディレクターであった国吉(旧姓:飯島)美織さんにインタビューを実施。岡田さん本人の学習能力・センスのよさ、またそれに導かれたかのように綺羅星のごときアーティストが関わっていった記憶を、情感たっぷりに語っていただいた。

(リード:mora readings 編集部)

 


 

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(イラスト:牧野良幸)

 

――岡田有希子さんと言えば渡辺有三さんというポニーキャニオン(当時キャニオンレコード)の名物プロデューサーが有名ですが国吉(クレジットでは旧姓:飯島)さんはどのような経緯で岡田さんのディレクターになられたんですか?

国吉 キャニオンに入社して「有三さんの下で勉強しなさい」ってことで当時有三さんがプロデューサーをされていた堀ちえみちゃんの仕事を渡されて、それと「アーティストの尾崎亜美さんから色々と学びなさい」って話しで先ずこの2人の担当になったんです。そこから今度は「その現場で色々と学んだことを岡田有希子という子につぎ込んでくれないか」と言われたので彼女のディレクターになりました。

――最初に彼女に会われた時の印象って憶えています?

国吉 普通のカワイイ高校生だったんですけど、一緒にショッピングやカフェに行ってお話しをした時に頭の良さは感じました。とても勘が良くて反応も良いし、ちょっと言った事を直ぐに受け止める力が強かったので面白い子だなって思いましたね。

――楽曲だと初期は竹内まりやさんの印象が強いのですが、そこはプロデューサーの渡辺有三さんのセレクトだったのでしょうか?

国吉 そうですね。彼女をどういうタレントにしようかってなった時に他のアイドルの子達よりもしっとりとした知的な子だったので、有三さんが「六大学野球を観に行く山の手のお嬢さんのようなイメージでいきましょう」って言い出して、みんなも「それはピッタリかもしれない」って話しになったんです。それで「そのコンセプトだったら竹内まりやでしょう!」っていうことでまりやさんの名前が上がったのでお願いに行った所快諾して下さいました。

――以前BOXセットで発売になったCD「贈りものIII」に入っていたブックレットに、有三さんご自身が書かれた手紙をまりやさんが読んだ事が楽曲提供の秘話として載っていたのですが、一方でファンの間では一度断られたのを岡田さん自身が直談判しに行った事が決め手になったという話しも有名なのですが。

国吉 私もその話し小耳に挟んだ事がありますけど、私の記憶ではそうではなかったと思いますが(笑)

――直談判の話しはガセだったんですね。長いこと信じている昔からのファンもいると思うのでこのことは今回ちゃんと書いておきましょう。

国吉 そうですね(笑)。快諾して頂いて有希子ちゃん本人も凄く喜んでいましたから。まりやさんはデビュー曲のレコーディングの時スタジオに来てコーラスまで歌って下さったんです。

――そのレコーディングはどんな感じだったんですか?

国吉 まりやさんの楽曲に決めたとはいえ、初めはまだ岡田有希子の可能性というのがどんなものなのかスタッフにもわかりきれていない所があったので色々な人達に曲やアレンジを頼んでいて、それを彼女に歌わせて合っているものを見極める所からレコーディングは始まりました。まりやさんも何曲か書いてくれていたのでそれらを同時に録って比較して、デビューシングルはちょっと哀愁の入ったマイナー調の曲なんだけれども、ルンルンキャンキャンじゃないアイドルなんだよっていう所も見せたかったからあえて「ファースト・デイト」を選んだんです。

――1980年代はアイドル全盛時代でしたが、岡田さんの曲は一聴して明らかに当時のアイドルソングとは違いましたよね。

国吉 そうですね。それを本人が歌いこなせたっていうのが一番大きいと思うんですよ。曲に派手なコーラスが入って来たり、豪華なプレイヤーの素晴らしい演奏が入って来ても負けない歌が存在したのでいい音楽が作れたっていうのはあったと思います。

――今回ハイレゾ音源になった全作品を聴いてみてどう思われました?

国吉 スタジオで聴いていた音がそのままお届けできる時代になったんだなって凄く嬉しかったですね。10の世界観が2ぐらいになってしまっていた音が10届けられるっていう風に聴いた時に思いました。普通のCDだと歌、ドラム、メイン楽器に他がちょっと聴こえるぐらいだったものが、細かいキーボードやパーカッションとか音楽的な彩(あや)の部分も聴こえてきますし、人間が生み出すグルーヴ感とか空気感とか世界観て言う本来音になっていない部分までもが聴こえてくる感じがしましたね。そういうのって実際あると思うんですよ。CDでは表現出来ていなかった暖かい音みたいなものがハイレゾでは感じられるんだなと思いました。

――当時のレコーディングはアナログマルチだと思うのですが、そういうアナログの良さみたいなのも出ていると思いますか?

国吉 出ていると思います。デジタルのように信号で録るのではないので、芯の音だけじゃない周りにある音とかもアナログの時は録れていたと思うんです。CD化された時にアナログ盤と比べて硬い音になってしまったなって感じていたので、今回ハイレゾのマスタリングでは中音域を上げてもらって当時の音に戻したサウンドにしました。なのでアナログ録音した良さというのが凄く良く出ています。

――岡田有希子サウンドの特長というとどういう所なんでしょうか?

国吉 デビューシングルではまだ掴みきれていない所もあったんですけど1枚目のアルバムを録った後に、この子はどんな曲が来ても自分の色に変えて表現出来る力があるからかなりのテクニックを持ったプレイヤーやアレンジャーの曲でも大丈夫なんじゃないかって話しになったんです。上品な歌声の子だったから、私としてはそれがもっと出せるアルバムが作れたらいいなと思って色々考えたのですが、その中で松任谷正隆さんのサウンドが一番ぴったり合う気がしたので2枚目のアルバムは松任谷さんにお願いしました。そこからはもう自信を持って岡田有希子ワールドを作って行こうという気持ちになりましたね。

――今回マスタリングにも立ち会われたとの事ですが何か改めて発見した事とかありましたか?

国吉 1stアルバムの1曲目「さよなら・夏休み」はデビューシングル候補の1曲だったので、ラジオやテレビで流れた時に派手に聴こえるようにしようって当時出始めだったコンプ(コンプレッサー)を使ったんですよ。でもそれが掛かり過ぎていて「ここまでやると音が潰れちゃってるよね」ってぐらいだったんです。レコードやCDにした時はその音が派手で良かったんですけど、ハイレゾで聴いた時に「コレは!」ってなって(笑)。でも今からコンプを取る事は出来ないので何回かやり取りをして「これならいいよね」って所まで持って行きました。せっかくハイレゾで出る1枚目のアルバムの1曲目が「なんでこんな潰れた音なの?」ってなったら悲しいじゃないですか(笑)

――いい音で聴こうと思ったのに「あれっ?」てなりますよね。岡田さんの作品にはお話しに上がった竹内まりやさんや、松任谷正隆さんを始め数多くの有名ミュージシャンが参加されていますよね。そう言った方々との制作エピソードみたいな所も曲をあげて頂きながらお聞かせ頂ければなと思うのですが。

国吉 では先ず2枚目のアルバム「FAIRY」の中の「森のフェアリー」なんですけど、これはかしぶち哲郎さんにお願いした曲で。

――そう言えば、かしぶちさん始めムーンライダーズのメンバーが参加されているのは國吉さんのセレクトだとお聞きしたのですが。

国吉 そうですね。誰とやりたいかっていう話しを有三さんとしていた中で私はムーンライダーズのメンバーを上げていて、特にかしぶちさんは絶対合うと思ったんですよ。堀ちえみちゃんは白井良明さんみたいな明るいキャラクターで面白がれる人がいいなと思ったんですけど、かしぶちさんのしっとりとした上品な世界観というのが岡田有希子ちゃん向きだなと思っていたのでお願いしました。でもお願いしたのはいいんですけど「大丈夫かなぁ」とも思ってしまって(笑)

――それはどういう意味で?

国吉 凄く難しい曲が上がって来て歌いこなせなかったらどうしようっていうのが心配だったんです。でも頂いたのがアイドルにピッタリの曲で、しかもかしぶちさんならではの世界観もあったので、これだったら松任谷さんがアレンジした時に広がりも出せるし「やった!」って思って本当に頼んで良かったなって感謝したんですよ。実際の歌入れでは有希子ちゃんもそれを直ぐにキャッチして歌いこなしてくれたので良かったと思います。

――かしぶちさんは4枚目のアルバム「ヴィーナス誕生」では全曲のアレンジを担当されていますよね。

国吉 ムーンライダーズの中でもどちらかというと派手な感じではなくてマニアックな人達が好む曲を書いていらっしゃる方だったので、頼んだ時には「オレ?」って感じでした(笑)。でも結果的には凄く相性が良かったんじゃないかと思います。

――かしぶちさんの曲だと7枚目のシングルだった「Love Fair」が僕は大好きな曲なんですけど。

国吉 「Love Fair」をシングルにしようっていうのは、サンミュージックのプロデューサーだった杉村さんが言い出したんです。「アルバムの曲としてこういうのも歌いこなせたらいいよね」って話しからかしぶちさんに頼んだ曲だったので意外だったんですけど、そんな曲を事務所のプロデューサーがシングルに選んでくれたっていうのは私としては凄く嬉しかったですね。それと同時に有希子ちゃんもこの曲が出たことで、他のアイドルとは違う路線が歩めるようになったので良かったんじゃないかなって思いました。

――ファルセットからの曲の始まり方が独特で当時聴いた時に衝撃だったのですが、あそこは最初からあの感じだったんですか?

国吉 そうですね。かしぶちさんに頂いた時からあの感じでした。ハイレゾで聴くとあそこがいいんですよ。デモテープの段階でも凄く良い曲だなと思ったんですけど、松任谷さんのアレンジがそれを更に更に良くしてくれて「わぁーもっとこんなに良くなるんだ」っていうのにも当時驚きました。それと有希子ちゃんの声がちょっと鼻声でそれも気持ちいいですね。この曲は中音域の音の豊かさがハイレゾだと良く出ていると思います。

――80年代の中頃はニューミュージック系のシンガーソングライターがアイドルに曲を提供する事が増えて来ていた時代でしたけど、岡田さんはそこだけではなくジャパーニーズニューウェーヴと呼ばれていたようなアーティスト達も曲や演奏に参加していたので当時面白いなと思っていたのですが。

国吉 私や有三さん、倉中さん(4thアルバム「ヴィーナス誕生」ディレクター)みんな音楽好きで、特にコアな音楽が好きだったっていうのがあったからだと思います。せっかく制作に携わっているんだったら人と人を結びつけたり、世界と世界を結びつける役割をディレクターとして100%出したいって思いはありましたね。だから岡田有希子ちゃんのレコーディングはこれでお給料貰っていいのかなってぐらい毎回楽しかったです(笑)。一流のミュージシャンがいい意味で裏切った曲やアレンジをあげてきたり、演奏をしてくれる度に「こう来たか!」って思ったりとか。勿論有希子ちゃんの歌や私達の仕事が彼等から引き出したものもあると思うので「新しい音楽が出来た!」っていう喜びがありました。そう言えば3枚目の「十月の人魚」の1曲目「Sweet Planet」と10曲目の「水色プリンセス―水の精―」は小室哲哉さんの曲なんですけど、これは彼が初めて他人に提供した作品なんですよ。小室さんはまだ無名時期で、この2曲は誰かに提供したくて作っていたデモテープの中に入っていたものだったんです。

――レコード会社とかに良く配られる作曲家の売り込み用デモテープの1本だったわけですね。実は今回お話しを伺うにあたって小室さんが参加されていた件については是非聞いてみたいなと思っていたんです。「十月の人魚」の発売が1985年でTMネットワークがデビューした翌年ですよね。小室さんが提供した最初のヒット作渡辺美里の「My Revolution」が1986年なので目をつけるのが凄く早かったなと思ったのですが。

国吉 そういうこれから育って行く人に着目するのもディレクターの大事な仕事なんじゃないかなと思っていましたね。やっぱり小室さんのデモは他の人と違うキラメキがありましたし凄く才能を感じました。それで曲がちゃんと出来上がったので松任谷さんのご自宅のポストにテープを置いて来たんです。

――ポストに直投函だったんですか!勿論メールもバイク便も無い時代ですもんね。

国吉 そうなんですよ(笑) 3ヶ月に1枚のシングルと半年に1枚のアルバムリリースでとにかく有希子ちゃんのスケジュールが厳しかったし、私達も含めてずっと走り続けないといけない感じだったのでいつも車やタクシーを飛ばして渡しに行ってました。それでそのテープを松任谷さんが聴いて後日スタジオに来た時に「誰これ?面白いね」って反応されて。

――特に「水色プリンセス―水の精―」は小室サウンドと呼ばれるものがもうこの頃には出来上がっていたんだなってわかる曲ですよね。

国吉 まさにそうですね。この曲は有希子ちゃんも頑張ってくれたんですけど、歌いこなせていなかったかなって感じでした。あの世界観は最終的には出せなかったかなって思っていて、デモテープの小室さんの歌が凄く良かったのでそれを出したいぐらいなんですけど(笑)」

――今でこそ馴染みのある小室さんの音ですけど当時としては斬新すぎますよね。

国吉 譜割りもこれここに言葉を入れていいんだろうかって(笑)。作詞家の方も凄く迷ったみたいでした。

――アルバムに関して「十月の人魚」では水、「ヴィーナス誕生」では宇宙みたいに毎回コンセプトがあったのも特長だと思うのですが、これはどういう所からの発想だったんですか?

国吉 それは洋楽好きの私達の意向ですね。シングル用に10曲録って選ばれなかった曲を集めてアルバムを作るんじゃ寂しいなと思っていて、曲ごとの良さっていうのも勿論あるんですけど、アートワークも含めてアルバムをトータルで聴いた時にもっと違う世界観が見えて来るんじゃないかっていうのが私達の考えでした。

――そういう意味ではシングルもアルバムを意識して作られていたって事ですか?

国吉 そうですね。デビュー曲は「シングルとしてどうしましょうか?」って話して作りましたけど、その後は全部アルバムとして録っていた中からのセレクトで出していました。

――やっぱりそういう作りだから冒頭にもちょっと触れましたが、当時ヒットしていたアイドルソングと比べた時に異質に感じたんでしょうね。タレントとして凄く人気がある人だったのに、シングルチャートでベスト3に入ったのも最後の作品となってしまった8枚目の「くちびるNetwork」の1位だけですし。

国吉 商品を作るか作品を作るかって天秤にかけた時に私達は作品を作るって方に傾いていったんだと思うんですね。でもそのおかげで結果ではありますけど今回みたいに何十年も経った時に形を変えてリリースする事も出来たし。良い作品というのは必ず残っていってそこからまた何かが始まるんじゃないかって当時も信じていました。チャートが7位だったから次必ず1位を獲れるものをみたいに焦って制作するのは違うんじゃないかなって考えはありましたね。

――岡田さん本人はそういう制作スタンスについてどう思っていたのでしょうか?

国吉 チャートに関しては話したことはなかったのでわかりませんけど、絵が描けたり、文章も書けたりアーティストに近い特別なアイドルでいたいって気持ちはあったと思うので、スタッフがやっていることを多分喜んでくれていたんじゃないかなって思います。

――彼女の凄さとか魅力はどういう所だったと思いますか?

国吉 学習能力が高い子だったので、こちらが意図している“こうやって歌って欲しい”とか“こういう音楽を作りたい”とかいうのを掴み取る力がとても強かったんです。だから“こんな風に出来上がったらいいよね”っていう音楽がそのまま再現出来たっていうことがスタッフ達の喜びでもありました。とにかく世界観を掴むのが上手かったです。どこかでレッスンを受けてああしなさい、こうしなさいって言われたわけではなく、こうしたらいいんじゃないかなっていうのを自分で掴んで取り入れてやっていたし、とにかく真面目な子でしたよね。歌手として長いこと通用する人でいてほしかったので、色々学んで吸収してくれたらいいなってスタッフはみんな思っていました。マイナスな所をあまり見せない子だったのでそこは可哀相だったかなとは思いますけど。レコーディングのスケジュールがなくて3時間の中で4曲録ってくださいとか言われて、こちらが「そんなの無理ですよ」って思っていても彼女は自分の力でそれを可能にしてしまったりしていましたからね。レコーディングのあとに仕事が入っていたりすると「今日はけつかっちん(終了時間を延長出来ない業界用語)ですか?」って自分から聞いてきて時間内できっちりレコーディングを終わらせるし、自分のレコードの売り上げもちゃんとチェックしていましたから当時は凄い子がいるんだねっていう風に思っていましたけど、今思うとそういうのが大変だったんだろうなって思います。

――岡田有希子さんが亡くなってから来年で30年になるわけですが、今回全作品がハイレゾ配信と高音質CDで発売されるにあたってのお気持ちを最後に訊かせて頂けますでしょうか?

国吉 ストリーミングだったり無料配信されたりする楽曲がある一方で、こういうハイレゾで聴ける昔のいい演奏、いいアレンジ、いい歌唱っていうものもあって、そこには両方の良さがあるんですけど、私は音楽にハマるとか堪能するって意味でハイレゾ音源を若者達にも是非聴いてもらいたいなって思うんです。ストリーミングとかで聴いていると音もあまり良くないし音楽を聴くことが嫌いになってしまうんじゃないかなって思ってしまうんですよね。当時のアナログで録った素晴らしいミュージャンやアレンジャーの音楽を聴いて頂いて、そういう風に今の若者も大切に音楽を作って行くべきだし、そうすれば今回みたいに30年経っても聴いてもらえるチャンスだってあるだろうし、それは残って行く音楽になるんじゃないかなと思うんです。なので大事に音楽を紡いでいく事をハイレゾ音源を通して私は訴えていきたいなと(笑)

――岡田有希子さんは勿論ですが渡辺有三さんがご存命だったら今回の音を聴いて喜ばれたでしょうね。

国吉 本当に喜んだと思います。みんないいものに対する気持ちが強かったしその人達が作り上げた賜物なので。今回新たな形でそれを出してもらえることは岡田有希子に関わっていた全てのアーティスト、スタッフ、ファンが嬉しいと思うんです。

(インタビュー:山村哲也)

 


 

<プロフィール>

国吉美織(くによし・みおり)
上智大学英文学科卒 在学中EAST WESTにてグランプリ、最優秀キーボーディスト賞を受賞。 1982年(株)ポニーキャニオン入社、女性第一号のディレクターとなる。 退社後は、自ら作曲・演奏・プロデュースするmilly la foretの活動を軸に、 Zaine Griff、錦織健、斎藤ネコ、三橋貴風ら重鎮音楽家達との共演、 陶芸家、華道家、役者、ゲームクリエータとのコラボレーションなどを行っている。
HP:http://miorio.net/

 


 

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“天まで響け!”のキャッチフレーズでデビューし今年40周年を迎えた岩崎宏美が、ビクター時代にリリースした全105曲を9月9日よりハイレゾで配信開始されます。50枚以上のシングルを一挙にハイレゾで配信するのは業界初の快挙です。この貴重な企画を余りある情熱で推進されてきた3人のキーマン、エンジニア袴田剛史さん、A&Rディレクター森谷秀樹さん、監修者の臼井孝さんにお話をうかがってきました。

(聴き手:安場晴生/ソニー・ミュージック)

 


 

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イラスト:牧野良幸

 

<<岩崎宏美 ハイレゾ配信一覧>>

 

――これだけキャリアのある方のシングルがハイレゾで全作品配信されるということは画期的なことだと思うんですけど、私は1964年生まれなのですが、どちらかというと素晴らしいシンガー――アイドルとかではなく――というイメージがあって。とにかく歌が上手い人であると。

臼井 アイドルなんですけど、クラシックファンの人とかも結構いらっしゃるんですよ、当時から。

――そうなんですね。その辺りのことも、おいおい伺っていければと思います。では岩崎さんとのお関わりについて、森谷さんからお願いできますか。

森谷 はい。私はいまビクターのストラテジック部という、カタログ制作を担当するセクションに所属しています。岩崎さんとの関わりという意味では2007年、全オリジナルアルバムを紙ジャケットで復刻するというプロジェクトがありまして、その時にロングインタビューをさせていただいたりとか、臼井さんとの関わりというのもその時からなんですけど。それが非常に好評だったということもありまして、今回の企画につながっています。

――ありがとうございます。臼井さんのお関わり合いは?

臼井 私はそうですね、小さいころから『スター誕生』は観ていたんですよ。それで「ファンタジー」という4枚目のシングルのときに、すごく歌が上手いなと思って。ファンとしてレコードを買いだしたのは、84年ですね。『ダル・セーニョ』っていう10周年ベストが出て。全部買いだしたのは95年に『ファンタジー』というセカンドアルバムが、CD選書っていうので出たんですよね。

――。廉価版のシリーズですね。

臼井 そうです。CDでようやくオリジナルアルバムが出てきて。で、その『ファンタジー』というのが凄まじく完成度の高いアルバムで。それは洋楽ファンにもすごく人気で。その後、音楽業界に来て色んな提案を出せるようになってから、宏美さんの復刻をやりたいってビクターさんに何年もずっと言ってたんですけど、森谷さんがようやく手を挙げてくださって、2007年からのべ50作くらいの復刻をしまして。それを機会に宏美さんにはずっと可愛がっていただいてるというか。いまも毎年ライブには行くようになっています。

――ではその辺りのことも後ほど。では最後に袴田さん。

袴田 はい。私も森谷さんと一緒で、一番深く関わらせていただいたのは、2007年に紙ジャケを作るときに全タイトルをマスタリングさせていただいて。現在はマスタリングエンジニアですが、その前はレコーディングエンジニアをやっていて、その時にアシスタントとしてなんですけど、岩崎さんがちょうどビクターの後期のとき、参加してまして。

臼井 どの辺りの作品になるんですか?

袴田 13 CATSがプロデュースした『FULL CIRCLE』とかですね。

臼井 ああ、95年の。AORファンとかにも人気の作品ですよね。

森谷 おそらくマスタリングとか復刻という意味でも、岩崎さんの作品をここまでやったのは袴田さんが初めてですよね。たぶんそれまではビクターの中でももっとベテランの方がやっていたと思うのですが。膨大な量の、22タイトルのマスタリングを細かいところまでやるということで、三人で徹底的に2007年にやったというのが、今回の企画にもつながってるんですよね。マスターもすごく直したりしてますもんね。

臼井 そうですね、結構ノイズがあったので。

森谷 ファンの間でも、ノイズがあるって言われていたところを全部チェックして。

臼井 「シンデレラ・ハネムーン」が特に有名で。音がちょっと「ぶにゅっ」となってたのを、袴田さんに移植していただいて。

森谷 オリジナルマスターの修復作業を。

――それを2007年のリマスタリングの際にされた訳ですね。すばらしいですね。

袴田 かなりやりましたね(笑)

臼井 ライブ録音で、花束がばさっ!と鳴る音とかも。

森谷 ああ、その後ライブアルバムも出しましたよね。ちょっとしたイントロの違いとかでも、全部バージョンを明らかにして、全部ボーナストラックとして収録して(笑)

臼井 「四小節長い」とか(笑)

――それは2chマスターで残っていたということですか? バージョン違いが。

森谷 すでに商品として発売はされてて。

――それを全部検証したということですね。

臼井 そうです、そうです。

森谷 当時はあまり明確な区別をせずに発売していたので。

臼井 特にアルバムバージョンとか書かず発売されてたんですけど、ちょいちょい違うのを全部洗いだして。

森谷 全部違うバージョンとして、ボーナストラックとして入れたと。

――あ、なるほど。ではその延長ということになりますけど、今回のハイレゾ化のプロセスというのを教えていただけますか。

袴田 今回は全シングルをやらせていただいて……今まであまりやってなかったんですけど、アナログまで戻ってやっているんですね。半分くらいですかね?

森谷 アナログが良い状態で残っているものはすべてですね。

袴田 それが一番大きな点ですね。

――Uマチック(デジタルの3/4インチテープのカセット規格)ではなく?

袴田 シブイチ(1/4インチ幅のテープに収めた2chのマスター)ですね。オリジナルのマスターです。

――いわゆるアナログマスターということですね。

袴田 2007年の紙ジャケCDの際も、アナログまで遡って復刻しているのですが、残念ながらそのときはハイレゾフォーマットではなく、CD用に44.1kHzで取り込んでいたんですね。今回のように全てアナログまで戻って、ハイレゾ用にマスタリングし直すというのは、初めてなんじゃないかな。やり方としては今回アナログのシブイチ……これも状態のいいものと悪いものとあって、経年劣化は多少なりとも必ずあるんですけど。それを調べるために一回デジタルにして。必要なものはノイズを取る処理をしたり。かなり時間をいただいて進めてますね。で、その後の作業に関しては普通のマスタリングの作業と同じなんですけど。

――これはどこまでの作品がアナログマスターになるんですか?

森谷 83年までは全部ですね。

――ではかなりの全盛期というか。

森谷 ベスト盤がすでにハイレゾで配信されているんですけど、それはアナログからではないんですよね。ビクターがハイレゾ配信を始めたとき、まだ数タイトルしか出していなかったときに、<COLEZO!>というベスト盤が配信されたのですが、中身は紙ジャケCDの時のマスターをK2HDで24bit/96kHzにしたんですよ。それがすごく売れてるんですよね。それで40周年のタイミングで、全タイトル出しておきたいなということになり。

――すべてをやり直したということですね。

森谷 そうです、そうです。だから同じ曲でも、(ベスト盤として配信されているものとは)今回音源が違うということです。

――なるほど。それはだいぶ貴重な音源ですね……。

袴田 当時のレコーディングエンジニアさんがすごく優秀だったのもあって、やっぱりすごく音が良くてですね。みなさんの耳に残ってる音って、CDの時代のものがご存じのものだと思うんですけど。アナログマスターだともう少しやわらかくて、レンジが広い素直な音がするので。なるべくそれも活かしつつマスタリングさせていただきました。一方で臼井さんのアドバイスもあって、みなさんが耳にしてきた音とあまりにもバランスが変わってもいけないので、そこは十分比較しながら、いいところを見つけてやらせていただきました。

――なるほど……CDが普及してきたのって、83年くらいですかね。

臼井 そうですね。宏美さんも83年くらいからCDが出てますね。CDシングルは、88年からなんですけど。アルバムとしては。89年の「夢見るように愛したい」までは、アナログも出てますね。

――EP盤はやっぱり音がいいですよね。でもそれに近い形で、今回のハイレゾ音源では聴けるのは素晴らしいことですね。

袴田 だいぶリラックスした音にはなってると思います。

――岩崎さんの歌の持つ、包容力というのを活かしてということですね。では一曲聴いてみましょうか。

 

♪「想い出の樹の下で

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臼井 芳醇な感じがしますよね。

――アレンジの狙いと、宏美さんの歌もしっかりと前にくるんですけど、それでいて包み込むような感じがします。CD音源とも聴き比べてみて、ご感想のほうはいかがでしょうか。

森谷 マスタリングを始めるときに、アナログテープの音をどういう方向に持っていくのかということは、臼井さんに立ち会ってもらって。結局は変えようってことになったんですよね。アナログのマスターを忠実にというよりは、やっぱりイメージを近づけていくというか。あらためて聴くと、絶妙な気持ちよさが感じられました。

袴田 臼井さんも仰っていたんですけど、楽曲のイメージがだいぶ違うものに聴こえるねと。とはいえ質感とか楽器の鳴りとかっていうのは結構そのまま残していると思うんですけど。その中にちょっと力強さを出したりとか、全体の音量感を調整したりだとか。それでもCDには引けを取らないぐらいまではなっているんですが。あまりやりすぎていくと音がつぶれていってしまうんで。

――より聴かせたいスタジオでの鳴りというのを大事にされて創られたということでいいんでしょうか。

臼井 そうですね。

森谷 紙ジャケのときの音にそっくりにしようということでもなくて。やっぱりハイレゾフォーマットでの気持ちよさを追求したという感じですね。

臼井 CDはボーカルがより良くなってたり、ストリングスがより良くなってたり、「個人戦」で聴けるんですけど、ハイレゾは「団体戦」で、全体が良くなってるというのがすごく出てるなと思いました。

――そうですね。聴きどころが違うというか。

臼井 そういうところがより「ライブ感がある」と言われるところなのかな、と思いましたね。

――私はヘッドフォンでよく聴くんですけど、スピーカーで聴くとハイレゾの音ってスピード感が少し落ちる場合があるじゃないですか。それがまったくないので、素晴らしいなと思いました。(筒美)京平先生の楽曲とかは、意外とちゃんとしたブラックミュージックだったんだなということに気づいたり。スウィング感とかがより感じられて。

臼井 そうですね。すごくソウルフルで。

森谷 たぶん、マスターをそのまま忠実に再現すると仰ったようにスピード感がなかったとかそういうことになると思うんですよ。それが、そうならないように、紙ジャケのときのお手本があったので。それを比較しながら作業することができたと。

臼井 そのままの音だと“もったり”していたんですよ。それを袴田マジックで(笑)

森谷 (笑) でもその感じを決めるときは、臼井さんにも来ていただいて、確かめながらやっていって。

――では岩崎宏美さんのハイレゾ入門編というところで、おすすめの楽曲をお伺いしていければと思います。

森谷 僕も「想い出の樹の下で」ですね。岩崎さんの非常に伸びやかな声の良さが聴ける曲なので。元々好きな曲でもありますし……より聴き比べをしていただきたいなと。

――私もこの曲を当時聴いたときに、「何なんだこの曲!?」となりましたね。やっぱり世界観がすごくあって、大人っぽいというか……。

臼井 いわゆるアイドル歌謡というのとは、一線を画していましたよね。

――では、袴田さんのお勧めはどうでしょうか。

袴田 鉄板なんですけど……「シンデレラ・ハネムーン」ですね。ポップスって耳に残ることが非常に大事だと思うんですけど、今回もマスタリングをしていて頭の中でメロディがずっとループしてたのがこの曲で。そのぐらいわかりやすくて強烈で……でもそれが、いまのご時世音数も多い音楽が多い中で、すごくよくできたアレンジだなと思って。すごく基本的な、大事なところを押さえた楽曲だなと思って。大好きな曲ですね。

――ああ、こういう曲だったんだという。ブラックミュージックのマナーというか。それに負けない宏美さんのボーカルというのもあり。当時は流行歌としてすごく流行ってたと思うんですけど……僕もびっくりしました。では臼井さん、いかがでしょうか。

臼井 「思秋期」とか「聖母たちのララバイ」とかも好きなんですけど、ハイレゾでどうなるのかなという意味で一番楽しみだったのが「未完の肖像」っていう84年の10周年に向けて出されたシングルで。コアなファンが支持している曲ですが(笑)……阿久悠さん、筒美京平さん、萩田光雄さんというトリオで。デビュー曲の「二重唱(デュエット)」と同じトリオで、あらためて作られた曲なんですね。それと79年の「夏に抱かれて」という作品。あとは一番好きなのは「決心」という曲なんですよ。事務所が変わって第一弾の曲で。85年4月の曲なんですけど。ビクター時代ではその3曲ですね。

 

♪「未完の肖像

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臼井 ヘッドフォンで聴いたら、さらにダイナミックなことになってるなと思いました。初期のCDで聴いたころは、何かごちゃっとした印象だったんですよ。それがいま聴いて、すごく細分化されつつも、全体のよさも出ているなと。「夏に抱かれて」というのはサンバの歌で。明るい歌っていうのがあまりなかったので。ハイレゾになってどうなるのかなと。

―― 作曲が馬飼野(康二)さんなんですね。

臼井 そうです。最近でもアイドルの曲を手がけられていてご活躍ですが、この頃は岩崎宏美さん以外にも西城秀樹さんとか、たくさん書いてらっしゃいます。

―― そして、カップリングが筒美さんで。

臼井 この時期は前のシングルの誰かとリンクさせてあるんですよ。前のシングルの作詞が山上路夫さんだから、「夏に抱かれて」の作詞も同じ山上さんとか。「夏に抱かれて」と「万華鏡」の間は作曲・編曲は同じだったり。ちょっとずつ変えているというか、冒険されているのかなという感じはしますね。

 

♪「夏に抱かれて

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臼井 天まで響け!(岩崎宏美さんのデビュー時のキャッチコピー) みたいな感じですね(笑)

――伸びやかさと、これもスピード感がちゃんとありますね。

 

♪「決心

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臼井 この頃から打ち込みの音が顕著になりだしたんですけど、CD化したときはわりとデジタルな部分が目立ったなと思ったんですが、いま聴いてみると生楽器を足してる部分とのミックスがすごくいい感じだなと。

森谷 抜けた感じがありますね。

――さすが、バラエティに富んだ選曲ですね。今回はシングル盤のハイレゾ化ということで、B面曲もそれぞれ収録されているんですけど。何かおすすめはありますか?

臼井 「ロマンス」のB面曲の「私たち」ですね。これは「ロマンス」と争ったくらいの、京平先生はこっちをA面にしたかったという曲で。でも宏美さん自身は、朝の生番組だとちょっと辛いな~という、すごく高音が多い歌なんで、「ロマンス」を推されたんですね。で、阿久先生はより岩崎さんの世界観に合っているという理由で「ロマンス」を推して。2対1ということでロマンスになったんですよ。

森谷 でもそれで「ロマンス」がヒットしてなかったら違ってましたもんね、岩崎さんのキャリアは。

臼井 そうですね、それは京平先生も仰ってて。そこからよりしっとりする曲を宏美さんには歌ってもらうという流れができて。

――ひとつの分岐点になったわけですね。

臼井 「私たち」っていうのは独立されるまで、ずっとコンサートの終盤で歌われるくらい、ファンの間では超

人気曲だったんですよ。ご本人も25年ぐらい封印されてたんですけど、35周年のときにようやく歌われたんですよ。

――難しいということもあったんですかね。

臼井 というよりも、アイドル然とした歌で、ちょっと今とは路線も違いますし。

森谷 当時出してたライブアルバムには必ず最後に入っていて。当時コンサートに行っていた方には、もうおなじみの。

 

♪「私たち
(『ロマンス』収録)

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臼井 まだデビュー三か月なんで、声はまだまだ幼い感じなんですけど。

――でも、これを聴いたらやっぱりアイドルだと思いますね。

臼井 そうですね。アイドルポップスですね。確かに幼いんだけど、すごくさわやかで。いい曲です。

森谷 あとはまたA面曲になるんですけど、「センチメンタル」とか「ファンタジー」とか「未来」とか、この辺は全部推しですね。「ロマンス」がいいのは皆さんわかってると思うんですけど、その後の京平先生作編曲のシングル。それは全部素晴らしいと思うんですよね。中でも「未来」は、やっぱり突き抜ける感じがハイレゾとしてどう響くか、というところが気になります。

臼井 アイドル歌謡なのに、パーカッションとかギターとか、演奏も聴かせるようなところが当時からあって。その良さがすごく出ていて。

――改めて聴くと、かなり本格的なサウンド感ですよね。それをちゃんと歌いこなす、だいぶ難易度の高いことをやってこられたんだなと。

臼井 そうですよね。京平先生の曲の中でも、宏美さんの曲は難しいんです。他の方に提供した曲では1オクターブに収めたりしてるのに(笑)

 

♪「未来

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森谷 CDでも相当いいんですけど、苦しいところが何一つないですよね、ハイレゾで聴くと。

臼井 よりビブラートの部分とか、コーラスと混ざってるところとか、そういうところがよく聴こえるなあと思いました。

袴田 アレンジもすごくあると思うんですよね。隙間のあるアレンジで。一生懸命バランスを取らなくても、音数がすごく少なくても成り立っている感じがしますね。

――それでは締めとして、岩崎さんは現在も現役で活躍されていらっしゃいますが……いまに通じる魅力というものを最後に語っていただければなと。

森谷 岩崎さんはいまはテイチクでずっとやっていらっしゃるので。いまでも深く関わっていらっしゃるのは臼井さんなんですよ。

臼井 指名されてしまった(笑) 宏美さんは、現在ではファルセットとかも多用して母性とか優しさみたいなところとか、震災以降は明るさとか、前向きに希望を歌ったりされてることが多いんですよね。特にライブに行くと、その良さが本当によく分かります。デビュー当時から高音がきれいに出たり、伸びる感じというのが人気なんですけど、そこだけじゃなくて、いまはより全体での表現力というか。そういう部分も聴いていただけたらと思います。たとえば「聖母たちのララバイ」は、その後も何回もレコーディングされてるんですね。そのたびにより優しい感じとか、包まれる感じみたいなのが出てるので。

――なるほど。ちなみに今後のハイレゾ化の予定などは…

森谷 アルバムもハイレゾにしたいとは思っていますね。

――ライブにすごく魅力があるということなので、ライブ盤などもどうなのかな、と思ったのですが。

臼井 オリジナルのLP時代24枚、CD時代8枚の他に、ライブアルバムも14枚ほどあるので……(笑) 長い道のりが。

森谷 オリジナルアルバムとライブアルバムを、毎年1枚ずつ出しているんですよね。

――それもすごいことですよね。

臼井 その中でも10周年の時に出た『I WON'T BREAK YOUR HEART』というアルバムは、海外のアーティストが参加しているロサンゼルス録音のアルバムで。洋楽ファンにもすごく人気の作品なので、ハイレゾ化でどうなるのかなというのが楽しみですね。

――阿久悠さんや筒美京平さんといった、職業作家の方々のすばらしい仕事を順に追っていけるという意味でも、こうしてまとめて聴けるようになるのは意義深いですよね。 それでは最後に一番リクエストもされる「聖母たちのララバイ」を聴いて、締めとしましょうか。本日はありがとうございました。

 

♪「聖母たちのララバイ

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〈プロフィール〉

 

臼井 孝(うすい たかし)
京都市出身、音楽マーケッター。化学メーカー、広告代理店勤務を経て、05年にT2U音楽研究所を設立。音楽市場分析、ヒットチャートに関する執筆(つのはず誠名義)、企画CD・配信サイトの選曲や監修をつとめる。岩崎宏美作品では、30周年BOX、『GOLDEN☆BEST』『GOLDEN☆BEST II』の選曲、ビクター時代のオリジナルやライブアルバムの復刻監修、『Dear Friends BOX』ブックレットの執筆など、のべ66枚の制作に携わる。

 

袴田 剛史(はかまた たけし)
1970年東京生まれ。2004年よりFLAIR MASTERING WORKSに参画。いわゆる"復刻もの"の大きなプロジェクトに参加することは多く、普段はジャンル問わず様々なマスタリングワークにも従事している。

 

森谷 秀樹(もりたに ひでき)
1992年、ビクターエンタテインメント入社。 1998年より、A&R/ディレクターとして、 リイシュー/新録を問わず、数多くの作品を手がける。 担当するジャンルも幅広いが、常に丁寧な作りを心がけている。

 

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「20代のうちにやれることをがむしゃらにトライして、バンドの可能性を広げたかった」とNICO Touches the Walls のVo.&G. 光村龍哉(以下、光村)は語る。2014年は、ベスト盤『ニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ ベスト』を発表し、2度目の日本武道館公演も成功させ、2015年には、彼らにとって初のハイレゾ版を含むアコースティック・アルバム『Howdy!! We are ACO Touches the Walls』を発表するなど、精力的に動いてきた。新章に向け、ニュー・シングル「まっすぐなうた」を発売し、全国ツアーを終えたばかりだが、その勢いのまま、9月2日に「渦と渦」をリリース。彼らの今の歌への思いが、ハイレゾの音で、より鮮明に届けられる!

インタビュー&テキスト:古城久美子

 

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(イラスト:牧野良幸)

 

――ベスト盤から、今回のシングルに至るまでにアコースティック・アルバムを出されていますよね。これはどういうきっかけだったんですか?

光村 アコースティック・アルバムは、自分たちの可能性を広げる目的で作ったんですけど、自分たちの芯というんですかね、本来バンドがどうあるべきか?というのが浮かび上がってきて、手応えがありました。純粋に自分たちが積み重ねてきたものが何かというと、やっぱり「歌」。メロディ、言葉なんですよね。それをわかって、すごく肩の力が抜けたところがあって。6月に出た「まっすぐなうた」は3分ちょっとという、今までになく早い曲ができて、今回リリースされる「渦と渦」とセットで、歌に込めるエネルギーみたいなものが、すごく爆発したなと思って。

――アコースティック・アルバムは、これまでの楽曲をアコースティック・バージョンで録った作品でしたが、やはり違いましたか?

光村 違いますね。よくも悪くも素っ裸になるというか。エレキだったら、エフェクターで音を調整していくんですけど、一切ない。僕らも、純粋にプレイヤーとしての進化がそれぞれ問われる経験でした。歌い方に関しても、一度、録音している曲を歌い直すわけですが、アコースティックで、周りの音が削ぎ落されている分、同じ歌い方をしてもダメで。エレキの場合だとデカい声出して、高い音もワーっと出せるんですけど、アコギと合わせると過剰過ぎてしまう。テクニックでもごまかせないし、歌い方も一から考え直したり、裏声を使えるように練習したり。ベスト盤も出している身分で言うのもなんなんですが……アコースティック・アルバムで、初めて歌の特訓しました(笑)。
対馬祥太郎(Dr. / 以下、対馬) あの経験は、ドラムもベースもそうだし……今一度みんな基礎に返るというか。そう思わせる何かがあったよね。 光村 グルーヴ感がすごく問われるからね。

――そういう意味では、日本武道館のライブを拝見しても思ったんですが、バンドの底力が格段についていて、アコースティック・アルバムでも出せているのでは?

光村 あの武道館って、今、振り返ると、自分たちの中では過渡期、そのど真ん中にあったライブで。バンドの勢いはある種自信があったし、さらなるバンドの可能性を考えて、アコギ1本で弾き語るコーナーもやったんですよね。その日は、実験のつもりでやっていたんですけど。

――チケットも完売していましたね。

光村 9000人入っていたんですよね。でも、その9000人の前でも、アコギ1本でも届いている手応えがあった。それがなかったら、「アコースティック・アルバムは辞めよう」と言っていたと思う。そういう1つ1つの実験を経て、この1年くらいで、バンドの引き出しというか、懐も深くなったのかなと思います。

 

■「渦と渦」のウリは、バンドの芯となる歌

――芯は「歌」だというところで、バンドは?

古村大介(Gt. / 以下、古村) バンドの中で、「歌」を中心にして、曲のアレンジもみんな同じ意識で向かいました。みっちゃん(光村)の歌があって、じゃあ、バンドはどういう温度感がいいのか? さらに歌はどうあるべきか?そういうやり取りが充実していて。だから、武道館以降目まぐるしかったですね。「ここはこうしなきゃ」とか、問題点も含めどんどん出てきたんですよね。でも、まだその途中でもあり、バンドの芯があった上で、進むべき道にどんどん近づいているところというか。
坂倉心悟(Ba. / 以下、坂倉) この2年くらい、みんなの中で自分たちの可能性を考えた時に、芯になる強いものって「歌」だと共有してきて。その中で、ライヴやアコースティック・アルバムを通して、自分の演奏にしても、やればやるほど課題が見えてくる。それは、いつもそうなんですけど、やればやるほどっていうのが正直なところで、基礎的なことも含め自分を見直す期間にもなったし、やればやるほど続けなきゃなって思いました。それを意識していく中で、やはり歌やメロディが一番の武器だなという実感が、今回の全国ツアー(5/21〜7/19、15カ所17公演)を通しても身体に入ってきた。自分たちの芯を体現できた時間だったなと思います。

――そして、「渦と渦」にもつながるわけですね。

光村 そうですね。「渦と渦」はBメロのメロディ・ラインと、サビのコード感ができた時に、もう、これはウリにしたいなと。ウリにすべきポイントが歌なんだぞっていうことを自覚してやれたからこそ、自然と沸いてきた。

――この曲、頭の中でループしていますよ。

光村 よかった、よかった。4人の中で狙いがブレていないからこそ、歌に集約されるエネルギーが今までで一番大きなものになったんじゃないかな。5分弱歌いっぱなしですからね。

――確かに。「渦と渦」をハイレゾ音源で聴かせてもらったのですが、王道のロックではありますが、“矛盾だらけの日々に〜”の節では、何重にも音が重なり作り込んであって面白かったです。

光村 そこは、相当こだわって作っていますからね。王道な曲だし、ストレートに作れば、あそこでギターソロがくるんでしょうけど、あまり今までやったことないような、不思議かつ壮大なコーナーをそこに集約しようって。ここ3、4年、コーラスワークもテーマにしていて。ライヴでは、僕がメインで、ドラムの対馬とハモる感じだったんですけど。今、古君(古村)もコーラスにあがってきたので。
古村 がんばっているところです(照笑)。
光村 だから、ライヴで3声でハモったりできるようになってきたから、新しいことをやろうと思って。あの部分だけで、メイン、上、さらに上、さらに上……オクターブ下も入れたな。全部で5パートを不思議かつ壮大に聴こえるように重ねているんですよ。コーラスラインも違ったメロディも組んだり、あそこだけギターもやたら重なっているしね。そこがあるから、その後、激しくなるところが気持ちいいから、音を重ねた甲斐があった。ハイレゾで聴くと解像度が高くなっている分、より聴きやすくなっているのではないですかね。

――ここは時間がかかったのではないですか?

古村 アレンジの時間はかかっています。
光村 7割方がここじゃないかな。他は、ガーッと歌が引っ張っていく感じですよ。

 

■大瀧詠一『A LONG VACATION』『EACH TIME』

――こういう、重ねた音って、特に、ハイレゾだったり、オーディオで楽しめると思いますが、リスナーとしてはいかがですか?

光村 僕は、最近、ナイアガラ(大瀧詠一のレーベル)ものばかり聴いているので、大瀧さんの本を読みながら、この曲はどうやってレコーディングされたのか?って想像したりしていますよ。『A LONG VACATION』とか『EACH TIME』なんかはフィル・スペクターばりのウォール・オブ・サウンドで、同じ音をいっぱい重ねて自然な残響感を出している。そういう音の重なりもそうですが、余韻みたいなものも意識して聴くことが増えたかな。どういう部屋で鳴っているか想像したり……。
坂倉 僕は基本的に家でもヘッドホンやイヤホンで聴くので、そこで目を閉じて、気持ちがいい音を聴きたいタイプで。それでいくとハイレゾが一番好きかもしれないですね。音の重なりが美しいとか、奥行きがすごく気持ちいいんですよね。ロックのバーーンと音が面になってくるものも、もちろん気持ちがいいんですけど、また違う味わいというか。好みだなー。
古村 僕は、ハイレゾだと、自分が演る側だとしても、演った意味みたいなものがダイレクトに聴こえるので、そういうのが楽しい。だから、ハイレゾだと重ねがいがある。普段、俺ら、楽器をやっていて、楽器耳で聴いちゃうところもあるんですけど、その耳だと、ハイレゾは何を聴いても楽しいなと思ってしまいますね。

――ハイレゾだと制作者の意図がより見えますよね。先ほどの音を重ねている部分は、大変だったろうなとも思いましたし。

光村 ただ、僕らは96kHz/24bitのハイレゾ版も作り始めたのがアコースティック・アルバムからなので、それからは実はレコーディングにあまり時間がかかってないです。ミュージシャン的な観点でいくと、自分で聴いている耳の感覚に近いから、パッと鳴った音の時点で納得できるという、そういうよさはあるかな。アコギなんかは如実で。ホントにたっぷり身体に響く音だと思うので、「渦と渦」のカップリングで「僕は30になるけれど」という曲は、自分がアコギを弾いている時の感覚と近くてびっくりしましたね。

――演奏で聴いてる音とこうして聴いている感覚が近いということですね。

光村 そうですね。この曲は、たまたま、ドラムをタイトな音にしようという作戦を立てていたから、小さな部屋で録ることになって、いつもドラムを録っている大きな部屋が空いたんですよ。それで、アコギをその部屋で1人で録ったんですよ。それで、せっかく広い部屋だから響きも録ろうと思って、いつもだとマイクを立てても2本とかなんですけど、4、5本立てたんですよ。そしたらアコギ1本、1人で弾いているだけなのに、アコギの音に包まれているような感じがして。本当に部屋の中で聴いているみたいな感じがすごくわかった。通常、そういう広がりを出すときは、もう一度アコギで同じことを弾いてダブらせて、左右、音の広がりを持たせるというようなことをやるんですけど。「これ1本でいいじゃん!」って。その感じがね、ハイレゾだとより出ている。僕のあのときの感動が蘇りますよ。

――そのアコギの音をこちらも体験できるという……。

光村 アコギだけでなく、人の声も同じですけどね。僕の声も特にクセがあるというか。レンジが広いので、ハイレゾになると、僕のクセみたいなものがよりくっきりはっきり見えてくる。そのクセも、わざと出している部分もあって、わざとらしいところは、わざとらしく出ているから。

 

■気持ちはスペシャルズでしたが……ハイレゾ先生は厳しい!

――矢野顕子さんの「ラーメンたべたい」をスカ調でカバーしていますが、どうしてこの曲を選んだんでしょうか?

対馬 ラーメンが大好きで(笑)。
光村 NICOのソウルフードなので。各地廻ると、その土地の名物とか食べさせてもらってありがたいんですけど、何日か経つとラーメンが食べたくなる。今回も、ツアー中にすごくラーメンが食べたくなって、「カバーしようか」って。ま、でも、スカって、バンドであまりやっていなかったんですけど、裏打ちのギターがハイレゾになると、なんちゃってでやっている感じがバレちゃってて。気持ちはスペシャルズだったんですけど。

――(笑)。

対馬 やってるときはノリノリ。
光村 ミックスしている時もね、「おお、スカの空気作ってんじゃん」と思ってたんですけど。ハイレゾになった瞬間、お調子もの感が出てて(笑)。厳しいですね、ハイレゾ先生は。

――(笑)。今の、バンドがノッている感じも出ていますから。そういう、バンドのいい時期にハイレゾのフォーマットが出てきたとも思いますが。

光村 僕らは、アコースティック・アルバムというわかりやすいところから入れたというのはあるけど、まだまだ研究しがいがあるなって思うんです。エンジニアの方ともしょっちゅう議論して。レコーディング終わっても、スタジオで遅くまで、いろんなアンプとか、96kHz/24bitが48kHz/24bitになったらどうなるかとか試してて。それで夜更かししちゃって。ホンッと、いろいろとやりようがあるなって。ハイレゾって、とても器の大きなメディアなんですよね。だから、デカい部屋に住んでいるのと同じで、どういうインテリアで彩るか、個性が出てくる。研究のしがいがあるフォーマットだなと思います。

――ストリーミングサービスも出てきて、音楽も、いろんなフォーマットで提供される中で、ハイレゾのような技術革新が音作りにも影響していくわけですね。

光村 選択肢のひとつですよね。
対馬 アコースティック・アルバムを作った時にレコード盤も初めて作って、CD、ハイレゾと、それぞれに味と雰囲気があって音の差をスゴく感じました。ハイレゾは、いい意味でみんなの音がちゃんと分離してよく聴こえるなと。演っている本人にはハイレゾだと恥ずかしいところもあって。ああ、そこも……というところまで、よく聴こえちゃったりするから(笑)。

――いろんな音がクリアに(笑)。

光村 まあ、レコーディングの環境は、ずっと僕らはハイレゾだったわけで、そこで、みんなで吟味して納得して満足して、今までだとCDの音源に圧縮してきた。だから、ミュージシャンの気持ちを知るみたいな、そういう瞬間を聴きたい人には、ひとつの選択肢になりますよね。僕もイチ音楽ファンとして絶対知りたいので。

 

■ジョン・メイヤーのアコースティック音とマイケル・ジャクソンのシンセ音

――音楽ファンなら、ハイレゾはマニアックに楽しめますよね。具体的に感動した作品ってありますか?

光村 僕が、最近感動したのはジョン・メイヤーの『パラダイス・バレー』というアルバムです。アコースティックの楽器の分量が多いというのもあるんですけど。

――アナログレコーディングというより、現代レコーディングされたもののハイレゾ版ですね。

光村 そうですね。ちょうどCD盤を先に買っていて、いいアルバムだなと思っていたものの、ハイレゾで聴いたら、さらに、この人たち楽器ウマいなって。CDでは、衝動が押さえつけられていたんだっていう感動がありました。僕らも、まだもうちょっと慣れないとな。マイケル・ジャクソンのアルバムを聴いたときに思ったのが、結構、迫力があるなと。自分の中では繊細なフォーマットだと思っていたんですけど、こんなにパワーがあって、派手なんだって。

――アナログでシンセを録音するという贅沢なことをしているので、それが煌びやかな表現になっていて、『スリラー』とか本当にすごいんですよね。シンセやストリングスが思いもよらないことになっているパターンは、薬師丸ひろ子さんの「探偵物語」(大瀧詠一作曲)のような歌謡曲もスゴいです。

光村 ハイレゾもいろんな解釈があるから、何を持ってヨシとするのかは、やはり研究ですよね。

――山下達郎さんはロックは48kHz/24bitがベストだとも(引用元:ナタリー)。

光村 そこは僕も感じるところがありますね。だからこそハイレゾはハイレゾでアレンジしたいというのもありますね。マニアックになりすぎるかな(笑)。

 

■選択の幅が広がって、音作りはもっと自由になる!

――ハイレゾで、バンドの可能性を感じるところもありますか?

光村 すごく、機材も好きだし、レコーディングも実験するのが好きだし、かつ、本当に、ケーブル1本、電圧だけでも変わるから、こだわっている部分が如実に反映されるというのは、こだわりがいがあるなって思います。だから、自分たちもより、こだわるポイントがはっきりしてくるのかなと。選択の幅が広がって、自由な分、自分が居心地がいいポイントをより自由に選びやすくなったなと思うので、その中でまた進化していければいいなと思います。既に、現時点で、改良したいポイントがいっぱいあるので。

――おお、例えば、どういうところ?

光村 歌というポイントで考えると、もっと目の前で歌っているように聴こえるんじゃないかなと思うんです。どこまで前に出せるかというのは、過渡期にある気がしていて。他にも、いろいろあるんですよ。Neve(RUPERT NEVE DESIGNS社)の卓(=レコーディングで使用するミキサー)で録ってみたいとか、この機材使ってみたいとか。あと、全部ライン(=マイクを通さずに直接つないで録音すること)で録ってみたいとか。もう、本1冊分くらい語れそう(笑)。そういうのが好きなのは僕だけなんですけど。
対馬 いろいろやってみたいというのはあって、そこで起きる化学反応もあるので。「いいね、それ!」って。
光村 そういう意味では、嫌がるメンバーがいないのがありがたい(笑)。
古村 自分で、いろいろ気づかされる環境にあるので、そこは肝に銘じつつ……。
坂倉 でも、やったことが報われるというか。ちゃんと違いがわかるというところでは、楽しみが増えますよね。だから、ハイレゾって楽しみばっかりかな。ただ、キリがなくなっちゃって、違うところにいっちゃってるんじゃないのっていうような、それだけは気をつけようかな(笑)。

――このあとは、日本武道館が控えていますね。

光村 今度は、大阪城ホールもあるので。自分たちとしては、もっといろんな人を巻き込んでいきたいし、いろんな場所に行って、その思いが伝わればいいなと思います。

――ライヴ音源も、ぜひハイレゾで出してください!

 

New Single『渦と渦』

M1. 渦と渦
M2. 僕は30になるけれど
M3. ラーメンたべたい
 

 

NICO Touches the Walls アーティストページはこちら

 


 

NICO Touches the Walls

2004年4月に光村龍哉(Vo, G)、古村大介(G)、坂倉心悟(B)の3人で結成。同年7月に対馬祥太郎(Dr)が加入し、2005年から東京・渋谷と千葉・柏を中心にライブ活動をスタートさせる。2007年11月にミニアルバム『How are you?』でメジャーデビューを果たし、2008年9月に1stフルアルバム『Who are you?』をリリース。2010年3月には初の日本武道館ワンマンライブを開催した。以降もコンスタントに作品を発表し、2014年2月に初のベストアルバム『ニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ ベスト』をリリースした。2014年8月には2度目となる日本武道館単独公演も大成功を収めた。2015年2月に新たな試みとなるアコースティックアルバム『Howdy!! We are ACO Touches the Walls』を発表。同年6月にシングル「まっすぐなうた」を、そして9月2日にニューシングル「渦と渦」をリリースする。

 


 

 

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 レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジによるリマスタリング・シリーズ、最後のタームとなる『プレゼンス』『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』『コーダ(最終楽章)』が7月31日に配信されました。
 これを記念してmora readingsでは、レッド・ツェッペリンの日本での担当としてその「伝説」を最も近い場所で目に焼き付け、「胸いっぱいの愛を」など印象的な邦題を生み出したその人、折田育造さんにインタビューを実施。生粋の音楽人としての確かな熱量に裏打ちされた、ここでしか読むことのできない貴重な証言の数々をお楽しみください。

(mora readings編集部)

 


 

【プロフィール】

折田育造(おりた いくぞう)

1941年11月29日 生まれ。
1965年3月 慶應義塾大学経済學部卒。
1965年4月日本グラモフォン(株)[現ポリドール(株)]入社。
1970年10月ワーナー・パイオニア(株)[現(株)ワーナー・ミュージック・ジャパン]入社。
1986年1月 同社邦楽部部長。1988年9月同社洋楽部部長。
1989年11月 ウィア・ミュージック(株)代表取締役専務を経て1990年9月 同社代表取締役社長に就任。
1991年8月 (株)ワーナー・ミュージック・ジャパン代表取締役社長就任。1995年2月 同社退職。
1995年3月ポリドール株式会社代表取締役社長就任

洋楽・邦楽問わず、あらゆるジャンルの音楽に精通する、根っからの音楽人間。
現在も、折田氏の信奉者は業界でも数多い。


インタビュー&テキスト:細川真平
1964年、香川県生まれ。早稲田大学卒業。出版社、レコード会社勤務を経て音楽ライターに。ジェフ・ベックほか多数のCDライナーノーツ、国内外有名アーティストへのインタビュー、音楽誌/ギター誌の記事等を手がける。

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――折田さんは1965年に日本グラモフォンに入社され、69年にレッド・ツェッペリンがデビューしたときに初代担当になられたわけですが、まずは当時の状況を教えてください。

折田 67年の1月に、アトランティック・レーベルがビクターからグラモフォンに移ってきたんだよね。ビクターはジャズのタイトルにばかり力を入れていて、リズム&ブルースのヒット・レコードをいっぱい持っていたアトランティック側はそれが気に入らなかった。だから俺たちは、まずは向こうでヒットしたものは全部出そうと。営業は堅く売れるジャズを出したがっていたから、編成会議ではいつも大喧嘩してたけどね(笑)。そんな中から68年には、前年に飛行機事故で亡くなったオーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」の大ヒットが生まれた。でもその後、黒人のリズム&ブルースは急速に売れなくなっていってね。でも、グラモフォンは当然のことながらイギリスのポリドールからリリースされていたジミ・ヘンドリックスとかクリームとかも持っていて、そういうのは売れていたんだ。そういうこともあって、68年半ばには会社としてもロックに力を入るようになっていたんだよ。そしたら、10月の終わりにニューヨークのアトランティックから連絡があったんだ。今度、レッド・ツェッペリンというロック・バンドと、20万ドルという破格の契約金で契約したと。

――リズム&ブルースの凋落と、ハード・ロックの原型としてのブルース・ロックの躍進があって、そこに新たな可能性を秘めたバンドとしてツェッペリンが登場したということなんですね。

折田 そう。で、11月の終わりに音が来たのよ。1枚目はイギリスでは12月に出たけど、アメリカでは69年の1月。日本では1月の編成会議にかけて、当時としては一番早い6月25日の発売になった。そのときに日本では宣伝用にツェッペリン飛行船の風船を作ったの。これを俺がアメリカに行くときに持っていったら、アトランティックのやつらからえらく受けてさ(笑)。欲しいって言われて、あとからずいぶん追加オーダーしたよ。

――当然、「幻惑されて」などの邦題も折田さんが付けられたんですよね?

折田 もちろんそうだよ。苦労して付けた覚えがあるね(笑)。

――では、その「幻惑されて」をハイレゾ音源で聴いてみましょうか。

 

note「幻惑されて」
(原題:Dazed And Confused|試聴

 

折田 やっぱりかっこいいね。ツェッペリンのいいところはドラマティックにグーッと盛り上がってくるところだよね。その匙加減がいいんだ。これは音楽的にどうこうというよりも、感覚、センスだと思うんだよね。

――1曲目の「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」のイントロも、ハイレゾで聴くとそのすごさがより感じられると言われている部分ですので、それも聴いてみましょう。

 

note「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」
(原題:Good Times Bad Times|試聴

 

折田 うん、これだよ! ジミー・ペイジというのは本当に音にこだわっているからね。それが分かるよね、これを聴くと。71年にツェッペリンが来日したときに、来日公演をレコーディングしたんだ。広島以外の全公演をね。それがリリースされなかった理由は簡単でさ、ペイジが音を聴いて“ワースト・レコーディング(最低の録音)”って言って、発売を許してくれなかったからだよ。自分の理想とする音じゃなかったんだろうね。そのあとのディープ・パープルの『ライヴ・イン・ジャパン』がなんで出たかっていうと、エンジニアとして、かの有名なマーティン・バーチを呼んだら来たからだよ。音の良さにメンバーが納得してくれたんだ。

――ツェッペリンの1枚目が出たときの日本での評判はどうだったんですか?

折田 あのころ音楽雑誌は『ミュージック・ライフ』ぐらいしかなかったけど、待ってました! という感じだったよ。困ったのは写真がなくてさ、同じ写真ばかり使うしかなかった(笑)。あと、深夜ラジオが乗ってくれたね。まだ若かった福田一郎さんとか中村とうようさんとかがDJをされていてね。

――2枚目も同じ69年に出ますよね。

折田 これはペイジに知られたら怒られちゃうんだけどさ、向こうから来たハブ巻き(上下2枚のフランジがなく、ハブのみにテープが巻かれ状態)のマスターテープを、会社のあるやつがドジってバラバラにしちゃってさ、元のきれいな状態に戻すのが大変だったんだよ(笑)。2枚目を最初聴いたときには、やっぱり1曲目の「胸いっぱいの愛を」がかっこよかったよなあ。

――もちろん「胸いっぱいの愛を」という邦題も折田さんが付けられたんですよね? もうそれだけで尊敬しますけど(笑)。

折田 これも考えるのにかなり苦労したんだよ!(笑)

――ではこれも、ハイレゾで聴いてみましょうか。

 

note「胸いっぱいの愛を」
(原題:Whole Lotta Love|試聴

 

折田 よくこんなリフが考えられるよね。それをベースがフォローしていく感じが、すごく聴き取れる。で、やっぱり、そのあと入ってくるボンゾのドラムがすごいんだよね。

――当時聴いたときの衝撃が甦りますか?

折田 いや、それは違うな。だって当時は初めて聴くわけだから、感激の度合いが全然違うよ。思い出すのは、あのころってレコードにするときにデシベル(音量)を抑えちゃってたのよ。会社の規定があってさ。これ以上デシベルを上げると針飛びしちゃうっていうことでね。でも俺は、工場へ行ってカッティングのチェックをして、デシベルを上げさせてたんだよ(笑)。じゃないとしょぼい音になっちゃうからさ。

――マニアの間では、当時の日本グラモフォンの国内盤はオリジナル輸入盤よりも音がいいと言われているのですが、そういう理由があったんですね。

折田 へえ、そんなこと言われてるんだ。じゃあそのせいだろうね。

――その後、70年に折田さんは新たに設立されたワーナーパイオニアに移り、ツェッペリンを含むアトランティックもそちらに移籍しますよよね。

折田 71年の正月がワーナーパイオニア創設初の新譜発売日で、ツェッペリンの「移民の歌」のシングルもそのひとつだったね。これは10万枚売れたよ。で、そのあと1月25日に3枚目のアルバムが出た。前年12月にグラモフォンから出て、すでに売れに売れていたんだけどね。

――ということは、3枚目はグラモフォンとワーナーの両方から出たんですか?

折田 そうだよ。「移民の歌」のシングルはアトランティックに連絡して、ワーナーからしか出せないようにしてくれって頼んだんだけどね。それでさ、ワーナーパイオニアは設立に当たって、70年11月に記者発表をしたんだけど、そのときにアメリカからアトランティック社長のアーメット・アーテガンが来てくれたの。その場で彼は、“当社のレッド・ツェッペリンを日本に行かせるから”ってぶち上げたんだよ。それで71年9月の来日が決まったわけ。武道館を2回、広島県立体育館、大阪フェスティバルホールを2回。俺はライブを観て、ツェッペリンというのは本物だと感じたね。他のバンドとは違う、別格だって。

――広島はチャリティ・コンサートでしたね。

折田 あれはペイジというか、バンド側からの発案だったね。原爆記念館ではペイジもプラントもすごくショックを受けていた。そのあと、広島市長に会ってコンサートの売り上げの700万円を寄付したんだ。で、その夜がライブ。広島県立体育館は古いから、音がでかすぎて壁が崩れたんだよ(笑)。

――チャリティを行う反面、彼らの行状はかなり悪かったようですね(笑)。

折田 世界中でこれよりひどいのはザ・フーぐらいしかいないと事前に聞かされていたけどね(笑)。広島から大阪へは夜のうちに寝台列車で移動したんだけど、付いてきてたグルーピーを探してペイジが他人の部屋を勝手に開けまくるしさ。大阪のロイヤル・ホテルでは、ボンゾがお土産に買ったおもちゃの日本刀を振り回したっていう話があったけど、あれをやったのはアトランティックから来ていたフィル・カーソンなんだよ。でも確かに部屋は壊したね。東京でもそうだった。めちゃくちゃにしたよ。まったく破天荒だったよな。

――ちなみになんですが、そうした費用というのは誰が持ったんですか?

折田 事前にアトランティックから連絡が来てたんだよ。やつらはいろんなことをやるから、その費用はあとでまとめてアトランティックに請求してくれって。で、アトランティックはそれをツェッペリンの印税から差し引くんだ。だから、やつらは自分でちゃんと払っていたってことなんだよ。そこが偉いよね(笑)。

――そのあとの3枚目、4枚目あたりで、ハイレゾで聴いてみたい曲はありますか?

折田 ギターの切れがいいってことで、「ブラック・ドッグ」がいいかな。

 

note「ブラック・ドッグ」
(原題:Black Dog|試聴

 

折田 うーん、ペイジのリフがとにかくすごいよね。でもそれだけじゃなくて、ギタリストとして多彩だということもよく分かるね。

――『聖なる館』、『フィジカル・グラフィティ』の中だといかがでしょうか?

折田 「カシミール」(『フィジカル・グラフィティ』に収録)だね。あの途中の盛り上がりのところとか聴きたいね。

 

note「カシミール」
(原題:Kashmir|試聴

 

折田 お、いいね、やっぱり立体感が違うね。ツェッペリンというのは、ブルース、ジャズ、フォークから、こういう民族音楽風なものまで、本当に幅広く取り入れていたよね。それが当時の評論家には分かってなかったんじゃないかな。なんて言うか、フェイクとして捉えられてしまったというかさ。だからこうしてリマスターされた音源を聴いて、やっと最近じゃないか、ツェッペリンのすごさが本当に理解されるようになったのは。ツェッペリンって、そのエネルギーを聴いちゃうみたいなところがあるから、今になってやっと音楽的に聴いて、音楽的に評価できるようになってきたというかさ。

――今年の7月31日に新たにハイレゾでリリースされたのが、最後の3作、『プレゼンス』、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』、『最終楽章 (コーダ)』です。ここからは、ボンゾのものすごいドラミングが聴ける「モントルーのボンゾ」(『最終楽章 (コーダ)』に収録)を聴いてみましょうか。

折田 こんな風に聴こえるんだね。昔はまとまりで聴いていたけど、ひとつひとつの太鼓の音がしっかりと聴こえるよね。ボンゾって力任せに叩いていただけじゃなかったっていうことも分かる(笑)。あと、小さい音で聴いても音圧が感じられるよ。

――振り返ってみて、ツェッペリンがロック史に残したものは何だったと思われますか?

折田 誰もツェッペリンの真似はできないね。影響はいっぱい残ってるよ、バンドやってりゃ、彼らみたいになりたいってみんな思うしね。でもロバート・プラントみたいに声が出るやつも、ジョン・ボーナムみたいに叩けるやつもいない。そういう真似できないすごさっていうのを残したっていうかな。あと、すごくイギリスのバンドだなという気がするよね。アメリカからはこういうバンドは出ないね。アメリカにはブルースがその場にあったけど、イギリスはそうじゃないから。よそ者なんだよ。でも、本場にいないからこそ、客観的に見ることができるわけで、それがよかったんだよ。あとさっきも言ったけど、ツェッペリンにはいろんな要素が入ってるよね。ブルースやジャズだけじゃなくて、ブリティッシュ・トラッドとかさ。そういうところもすごいし、何と言っても「天国への階段」はその集大成だよね。この曲なんかを聴くと、ちくしょう!って気になるね。

――なるほど、折田さんにとってツェッペリンというのは、“ちくしょう!”と言いたくなる対象でもあるんですね?(笑)

折田 そりゃそうだよ。ああいうバンドを作れたらどんなにいいだろうと思うよね。世界中のやつらが思ってるよ。ちくしょう!って(笑)。

(インタビュー&テキスト:細川真平)

 


 

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