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松尾潔のトピックス

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第4曲目:Perfume「マカロニ」(2008)

 

 録画したものの未見だった昨年末の「NHK紅白歌合戦」を、1月も下旬の今ごろになってようやく観ました。年末の慌ただしさから距離を置いたこの時期に観る紅白もなかなか一興ですよ。明菜、聖子、ひろ子という80年代アイドルの巨星たちが番組に勢ぞろいすることの特別感。なかでも中森明菜の出演シーンは、テレビを観てるだけで事件の目撃者になったような、ざらりとした感触を久々にあたえてくれました。やっぱり目が離せないチャームの主だなあ、明菜さんは。

 いっぽう、お三方よりぐんと若いaiko、浜崎あゆみ、倖田來未といった30代の歌姫たちの落選も目立ちました。音楽界そして芸能界の最上層に身を置きつづけることの困難をあらためて感じさせます。浜崎と倖田に関しては、紅白の常連であると同時にレコ大受賞者でもありますし(浜崎は2001年から3年連続、倖田は2005年)。ぼくはここ数年のあゆの佇まいを好ましく思っているので(とりわけ宇多田ヒカル曲のカバーは出色でした)、特にそう思ってしまうのかもしれませんが。
 

 そんな諸行無常を感じさせる紅組勢力図の中で、気がつけば中堅という言葉が似合う安定感を身につけていたのがPerfumeの3人、大本彩乃(のっち)、樫野有香(かしゆか)、西脇綾香(あ〜ちゃん)です。まず歌唱前の紹介テロップに付された出場回数に目を疑いました。7回目。え、7回目! Perfumeが?彼女たち、スターになってからそんなに経っちゃったの? 「ポリリズム」からもうそんなに経っちゃったか、と。

 その存在が広く知られるきっかけとなったのは2007年9月リリースの「ポリリズム」ですが、それより前から感度の高いアイドルファンや音楽ファンの間では、作詞作曲からマスタリングにいたるまでの音まわりをひとりで仕切るプロデューサーの中田ヤスタカとセットでPerfumeは注目されていた模様。テクノアイドル、テクノプロデューサーなんて騒がれたりして。ですがぼくはPerfumeを観たこともなければ、中田さんのユニットCAPSULE(カプセル)もまったく知りませんでした。「ポリリズム」でNHKとACジャパン(当時は広告公共機構)の、つまりはNHKと全民放による共同キャンペーン(リサイクル啓発)という大舞台に出てきたときも、見慣れない女の子たちだけどずいぶんな大抜擢だな、事務所どこだろう?と訝しく思ったくらいで。ま、アミューズだったんですけど。

 アミューズといえばそりゃアナタ、昭和の名花、女性3人組アイドルの頂点とされたキャンディーズの伝説的マネージャー・大里洋吉さん創業の事務所ですからね。それを知っている以上、Perfumeをテクノアイドルと分類する以前に「平成版キャンディーズ」として見てしまうのは自然なことでございましょう。彼女たちが2002年に広島のローカルアイドルとしてインディーズでデビュー、2005年にはメジャーデビューしていたと知り、その意外にも長いキャリアに驚いたのはかなり後になってからです。
 

 蓋を開けてみれば「ポリリズム」はみごと週間7位のヒットを記録し、その後も超のつくロングセラーとなりました。ひとつ前のシングル「Fan Service[sweet]」が31位どまりだったことを考えれば、7位という数字が示す飛躍ぶりもよくわかろうというもの。大抜擢、つまり大勝負のタイミングできちんと結果を出したPerfumeと中田ヤスタカの快進撃はここから始まったといえるでしょう。「ポリリズム」の余韻が残るなか翌2008年1月に発売されたシングル「Baby crusing Love」は堂々の3位。そして4月のアルバム『GAME』でついに1位。これで一気に来ました! 何がってPerfume+ヤスタカの波が。黄金期が。『GAME』は暮れの日本レコード大賞優秀アルバムを受賞したほか、大晦日には紅白に初出場して出世曲「ポリリズム」を披露しています。

 この年、レコ大の本丸である「大賞」を初めて制したのはEXILEでした。受賞曲「Ti Amo」のプロデュースと作詞作曲を手がけたぼくは、レコ大本番を会場の新国立劇場の客席で(最後に名前が呼ばれて登壇するまでは)観るという栄に浴しましたが、ジェロが「海雪」で最優秀新人賞にかがやいた瞬間をぼーっと眺めながら、「ま、裏の新人賞はPerfumeだな」と独りごちたものです。2005年デビューの彼女たちにはもちろん新人賞ノミネートの資格さえありませんでしたが、その実ジェロをふくむ新人賞5組の誰よりも若かったのですから。のっちとかしゆかはハタチになったばかり、あ〜ちゃんにいたってはまだ19歳。その若さでの優秀アルバム賞受賞は最優秀新人賞以上の価値があったかもしれません。

 50万枚近くを売り上げたという『GAME』は、ぼくが初めて手にとったPerfumeのCD でもあります。もとよりマチュアな歌モノを好むぼくですから、成熟を拒絶したロボットのごときボーカル処理が施されたPerfumeの歌を何曲も聴きつづけるのはけして趣味ではありません。でも『GAME』にはぼくの心をつよく鷲掴みする楽曲が1曲収められていました。それが「マカロニ」という一風変わったタイトルの曲です。Perfumeに詳しい知人から聞いたところによれば、先述の「Baby crusing Love」のダブルリード曲として初めて世に出た時からファンの間では名曲と認定済みだったとか。
 

 「マカロニ」は静かな強さをたたえています。溌剌と歌い踊るタイプの楽曲ではない。かといってスローバラードでもない。ミッドテンポでメロディをじっくり聴かせるタイプの楽曲です。まず思い浮かべたのはフランスの人気エレクトロ・デュオ、ダフト・パンクの「Something About Us」。2001年のヒットアルバム『Discovery』収録のメロウチューンです。いや「思い浮かべた」という表現は正確ではないな。「ポリリズム」の時点で中田ヤスタカがアンダーワールド〜ダフト・パンク以降のミュージシャンであることは明白だったのですから。初めから彼らの影響をさがし出そうとしてぼくは「マカロニ」に向きあっていたのかもしれません(ちなみにアンダーワールドは2012年のロンドン五輪開会式の総合演出を務めた映画監督のダニー・ボイルと親密であることでも知られ、実際に同開会式では音楽監督を任されたイギリスのユニットです)。

 ダフト・パンクの「Something About Us」の価値が高いのは、編曲やミキシングなど音の意匠を剥ぎとっても「うた」としての普遍的魅力が残るから。詞と曲だけでも「よいうた」として成立する。日本でもJUJUがこの曲をアコースティックにカバーして、アレンジを変えても名曲の評価に傷がつかないことを実証しています。このお洒落な美女は脱いでも着替えても美女だと。

 同様の価値は「マカロニ」にもあります。フォークギター1本でも気持ちよく歌える普遍的かつ上質なラブソングなのだから。初々しいカップルのなにげない情景が淡々と描かれてこのうたは始まります。主人公の女の子には暖かみを帯びた観察眼があり、ふたりのぎこちない所作を「そんな空気もいいよね やわらかいよね」とつつみ込むやさしさもある。母性? そうかもしれませんね。

 Fm7→Gm7→Cm7というAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)ではわりとポピュラーなコード進行がえんえんと循環するトラックは、人懐っこいベースの音色とコード弾きに徹したエレクトリック・ピアノが印象的。装飾的になることを避けるかのように引き算で表情を演出してゆきます。案外この種のトラックにはR&Bスタイルの情熱的なボーカルもフィットするものですが、無論Perfumeはそんな橋は渡りません。あくまでノンビブラート唱法でフレーズの終わりを短く手堅くまとめました。それゆえ禁欲的な雰囲気も生まれ、主人公カップルは性行為におよんでいないのではないかという妄想をかきたてます。まあ当時のPerfumeの3人の実年齢も大いに関係しているでしょうが。
 

 サビに入ります。入り口の「これくらいのかんじで いつまでもいたいよね」というフレーズ、これがもうたまらない。まずノート(音符)の連なり=メロディとしてのすばらしさ。「これくらい」の「く」から「ら」にかけての跳躍度の高いメロディには、何度聴いても心を揺さぶられますね、ぼくは。

 くわえて詞としての素晴らしさにも目を向けなければ「マカロニ」の評価は成立しません。サビ始めの「これくらい」は曲の進行に応じて「どれくらい」と変わり、いったん「これくらい」に戻り、一転「わからない」と着地する。ほら、こうやって4つを並べるだけで恋愛の諸相を語りつくすことができるでしょう? そのことは、10代のリスナーにも、恋がもはや遠い花火に思えてしまう既婚者にも無理なく理解できるはず。この一見平易な4つの言葉を等間隔に配することで生まれる深みこそが歌謡POPのケミストリー。

 曲中で最も多くの肺活量を要するメロディは大サビ部分です。最も高い体温を感じさせる箇所でもあります。ここに中田ヤスタカは「最後のときがいつか来るならば それまでずっとキミを守りたい」という歌詞をあたえました。そうか、やっぱりこの子(主人公)も別れの気配を感じているのだな……。ぼくが「Ti Amo」で不倫の恋から抜け出せない女主人公にあえて「未来(あした)を見たくない」「生きてく覚悟はできてる」という矛盾を語らせた構図と似ているかも、と当時ふと感じたことを今でもよく憶えています。「マカロニ」には覚悟より諦観という表現が似合うぶん、よりクールな印象を受けますが。

 ここでの中田さんの仕事は、いわゆる「知性」ではなく「ポップミュージック的知性」がなければできないこと。「うた」だからできること、とも言えます。ポップミュージックづくりの現場で求められる知性のあり方は、一にも二にも「ストリートワイズ」なんです。「ワイズ」ではなく。「マカロニ」はそのよき手本でしょう。体現者としてのPerfumeの表現力も申し分ないし。
 

 すぐれた絵は少し離れて見ると新しい発見があるものですが、すぐれた音楽もまた「引き」で接してみることが大切ではないでしょうか。リリースからある程度の時間が流れると「マカロニ」はちがった表情を見せはじめました。当初ダフト・パンクを想起させた音意匠も、いまのぼくにはむしろボズ・スキャッグスがTOTOと作りあげた「Miss Sun」(1980年リリースだが、実際の制作は1977年といわれている)や、ユーミン流AORの極北「夕闇をひとり」(1981年)あたりが描く音景色と連なっているように感じられます。マカロニの穴の向こうにひろがる景色は存外に奥深いものでした。

 

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今回ご紹介した楽曲「マカロニ」はこのアルバムに収録!

Perfume『GAME』

 

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 
 
 
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「松尾潔のメロウな歌謡POP」バックナンバーはこちらから
 

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第3曲目:松原みき「真夜中のドア~Stay With Me」(1979)

 

 昨年末、竹内まりやの武道館コンサートに足を運びました。前回2010年の武道館にもまして高い満足感を得ることができた素敵な時間でした。セットリストの中心は、ニッポン音楽業界のCDエラを象徴するヒット作であり、以降すべての女性シンガーのベストアルバムの作り方に大きな影響を与えたとされる1994年のベスト盤『Impressions』(セールスは4ミリオン!!)収録の名曲たち。1曲ごとに観客の感動が伝わるようでした。同時に痛感したのは、人生の機微を丁寧に歌いあげることが増えた近年の楽曲群の出来もすばらしく、それこそが彼女の最たる強みだという事実。還暦目前にもかかわらず懐メロショーに堕することがないのには然るべき理由があるのです。

 だからこそ、とここではあえて言わせてもらいますが、アイドル時代のレパートリーを唄うまりやさんには格別のかがやきがありました。なかでも79年のレコード大賞新人賞受賞曲「SEPTEMBER」は際立っていましたね。第1期竹内まりやの代表曲であると同時に、仮にこの国に「キャンパス・ポップ」というジャンルが存在するとしたらその金字塔と呼びたいほど。思い起こせば〈女子大生が動いているところ〉をぼくはテレビの竹内まりやで初めて見たように思います。

 なにせ「SEPTEMBER」の主人公の女の子は意中の男の子から「ディクショナリー」を借りちゃうんですよ。で、フラれたことに気づくと、辞書いやディクショナリーを返すときにそこから「ラブ」という言葉を切り抜くという。何でしょう、この甘酸っぱい THE レジスタンスは。優等生感に加えて中産階級感がつよいと申しますか。現役慶応大生だったまりやさんをヒロインに据え、キャンパス(日吉?いや三田?)を舞台にしたこのビタースウィート劇場の支配人は、そう松本隆にきまっている!

 というわけで、ぼくにとって「SEPTEMBER」はまず詞世界の印象が強烈だったわけですが、さきの武道館公演を観ながら痛感したのは、今さらながら林哲司による作曲と編曲も最高なんだなと。武道館では山下達郎のレギュラーにしてスーパーなバンドがオリジナル・バージョンに比較的忠実に演奏しており、達郎さんの原曲へのリスペクトぶりが伝わる内容となっていました。

 

 そんな林哲司が「SEPTEMBER」とほぼ同時期にやはり作編曲を手がけたのが、松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」です。同時期という記憶に間違いがないかあらためて確認してみたところ、「SEPTEMBER」が同年8月21日、「ドア」が11月5日のリリースでした。キラキラな女子大生感を強調していた竹内まりやは当時すでに24歳、いっぽう歌声から大人の女の色香を放っていた松原みきがじつは芳紀まさに19歳だったという事実におどろいてしまいます。

 作編曲者が同じ林さんと知らずとも、この2曲の質感がどことなく似ていることは当時11歳のぼくも肌合いで感じとっていました。カッティングギターの用い方とかエレクトリックピアノの運指とか挙げていくとキリがないですが、象徴的なのはサビ前のタメ(ブレイク)でしょうね。ここでサビが来るぞ!というスイッチの入れ方がきわめて似通っています。まあその時代の音づくりの定番フォーマットのひとつでもありました。

 たしかNHKの人気音楽番組『レッツゴーヤング』だったと思うのですが、松原みきがジャズピアニスト世良譲と共に登場し、彼にはデビュー前からお世話になっていたと語っていたことを憶えています。恩人とまで言ったかどうかは記憶に定かではないですが。母親がジャズシンガーという出自をもつ彼女のボーカルは「真夜中のドア」でも隙あらばブルーノートスケール(ジャズやブルースで用いられる音階)に走ろうとしている。適度にハスキー、でも高音部になるときらめき出すその声にジャズはよく似合います。曲調だけではなく陰影ゆたかなそのボーカルスタイルが彼女に実年齢以上の成熟感を与えていたのですね。和製カレン・カーペンターと評されるように均整のとれた美しいボーカルの主である竹内まりやとはそこが対照的でした。昼のまりや、夜のみき。

 「真夜中のドア」には創作のインスピレーションになったとおぼしき洋楽曲が存在します。70年代のAORファンの間では古典として認知されている「It’s The Falling In Love」がそれです。一般的にはクインシー・ジョーンズがプロデュースしたマイケル・ジャクソンのメガヒット・アルバム『Off The Wall』(1979年)に収められていたマイケルとパティ・オースティンのデュエット・バージョンで広く知られています。同じ79年にはディー・ディー・ブリッジウォーターが、翌80年にはディオンヌ・ワーウィックもカバーしていますが、「ドア」が範としたのはこの曲の作詞者でもある女性シンガー、キャロル・ベイヤー・セイガーのオリジナル版でしょう。発表時期が「ドア」の前年の78年であることに加え、何よりサウンドとコーラス始まりという曲構成が似てますよ。ちなみに作曲者はデイヴィッド・フォスター、プロデューサーはブルックス・アーサーという大レジェンドたち。コーラスからはマイケル・マクドナルド(またも!)の綿菓子ライクな歌声も聞こえてきます。

 

 もとい、「真夜中のドア」であります。木漏れ日のような暖かみに満ちた「SEPTEMBER」との決定的差異をもたらしているのは、夜の情景を描いた歌詞。これを書いたのが三浦徳子であることに留意したい。松田聖子にデビュー曲「裸足の季節」から「夏の扉」まで5曲連続で詞を提供し、彼女のイメージの初期設定という大役を果たした三浦徳子なのです。6枚目の「白いパラソル」からは誰あろう松本隆がその役を継ぎ、ご存じの通り松田聖子はロマンティック街道を歩んでいくのですが、それ以前の三浦さん時代のセイコはかなり「元気っ娘」の印象でしたからね。

 「真夜中のドア」の主人公は活動的な女性です。よく動くし、よく泣きもする。自分の言葉で話す。ベッドでも饒舌だったかもしれない。そんな彼女が惚れた男がいた。情熱的な恋をした。でもそれも今では行きづまり、息づまり。男の変節は愚かな罪だが、それをつくったのは女、許さないのも女。女の過信と頑固もまた同様に愚かであるという神の視点がここにはあります。そして物語がある。「昨夜(ゆうべ)」と「あの季節」がフラッシュバックし、女はもはや現実と幻想が錯綜してその区別が判然としない。この錯綜かげんは非常に映画的で、いま聴けばアレハンドロ・アメナーバルの『オープン・ユア・アイズ』やポール・ハギスの『サード・パーソン』といった映画を思わせもします。4分半の間にいくつか季節がめぐる構成は前年のヒットである大橋純子「たそがれマイ・ラブ」を少し意識したのかな。いや、あの時代にはよくあった構成ですからね。それだけ歌謡曲は物語の受け皿として機能していたということでしょう。

 ところで「真夜中のドア」のイントロのコーラスアレンジはシングルとアルバムとでは違っています。松原みき本人のボーカルがフィーチャーされたシングル版がぼくの好みなんですが、先程チェックしたところmoraにはしっかりそのバージョンがありまして安心安心。

 オリコンによれば「SEPTEMBER」は最高39位、セールス10.3万枚。「真夜中のドア」は最高28位、10.4万枚。いずれもトップテンどころか20位にも入っていなかったことに拍子抜けしてしまいます。でも心ある音楽ファンは瞬発的にではなく長きにわたってこの2曲を愛しつづけてきたのです。そもそも低温ヤケドのようにじわじわ効いてくる曲なのでしょうね。

 

 幸せなことに今ぼくたちはYouTubeで松原みきと世良譲の共演を観ることができる。世良さんが音楽監修を務めて毎回出演もしていたTBS『サウンド・イン“S”』で歌われたビッグバンド形式による「あいつのブラウンシューズ」です。好きな曲でした。その作曲者が竹内まりやの大学時代のバンド仲間である杉真理と知れば、人生や縁というものの不思議を感じずにはいられません。

 ちなみに松原みきは80 年発表のセカンドアルバム『Who are you?』の収録曲「Rainy Day Woman」で松本隆と邂逅を遂げていますが、これは「SEPTEMBER」や「真夜中のドア」ほどの注目を集めるには至りませんでした(ぼくは好きなんですが)。ソングライターのはしくれとして体験的に語るなら、やはり歌い手と作り手の相性というものはあって、だからこそ名曲誕生の現場は尊い光につつまれるのだと思います。いや、思いたい。

 

 ちなみに松原みきは2004年の秋に子宮頸がんのため亡くなります。44歳の若さでした。はてと思い世良譲のことを調べたところ、彼が亡くなったのも同じ年であったことを知り、ぼくはいま言葉を失っているところです。

 

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今回ご紹介した楽曲「真夜中のドア~Stay With Me」のご購入は以下から!

Light Mellow 松原みき/松原みき

 

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 
 
 
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第2曲目:キリンジ「エイリアンズ」(2000)

 

 第1回目では昭和の歌謡曲を取りあげましたので、今回はメロウなJ-POPを。最初にご紹介したいのはキリンジの2000年発表のシングル「エイリアンズ」です。

 

 ところで「J-POP」というタームですが、この造語の発信源が1988年に開局した東京の FM局「J-WAVE」であることはご存じでしょうか。まあぼくの体感だと今のような使われかたが定着したのは90年代半ばですけど。とまれ、堀込高樹(69年生)と堀込泰行(72年生)の兄弟デュオとして96年に結成され、1998年にメジャーデビューしたキリンジをJ-POPアーティストと呼ぶことにいささかの躊躇もありません。

 キリンジを聴くたびに痛感するのは、彼らがすぐれた洋楽リスナーであり、文学や映画をふくむサブカルチャー全般に造詣が深いことです。初期の彼らが強烈に発していたサブカルっぽさ(ここでは「シニカル」や「アイロニカル」とほぼ同義)は、それがどれほど弟の泰行さんの美声披露の場になっていたとしても、お兄さんの高樹さんの個性に負うところが大きいように目に映りました。曲名のセンスひとつにしてもそこに現代アメリカ文学(あるいは村上春樹、青山南、柴田元幸といったその紹介者たち)からの影響を見出すのはきわめて自然なことでした。

 

 6枚目のシングル「エイリアンズ」の作詞と作曲をてがけるのは弟の泰行です。編曲をキリンジと共に手がけるのはこの曲のプロデューサーでもある冨田恵一さん。冨田ラボと改名される前のお仕事ですね。選び抜かれた音色とジャズの手法をふんだんに盛り込んだアンサンブルには全く隙がありません。

 ここで描かれる詞世界は純文学的と呼んで差しつかえないもの。「遙か空に旅客機(ボーイング)」「公団」「僻地」「バイパス」「誰かの不機嫌も寝静まる夜」といった歌詞から想像されるのは、東京近郊のありふれたベッドタウンのありふれた夜の情景です。主人公とその彼女は自分らしく生きることに不器用で、ままならなさを抱えたまま日々を過ごしている。

 既存の何物にもしっくり帰属しかねている若者たちの苦悩のありようを「エイリアンズ」と言いきる手際に文学の香りが漂いますが、それを圧倒的に美しいメロディと耽美的ともいえるメロウなサウンドにのせて唄っているのが肝。実際のところ、これだけの詞世界が構築できるのであれば作編曲の仕事が多少おろそかであったとしても「耳で楽しむ純文学」として一定の評価が得られたことでしょう。でも心あるミュージシャンにとっては屈辱的評価でしかない「ブンガク」に堕することなく、あくまでポップミュージックに昇華させたところにキリンジの音楽人としての矜持を強烈に感じます。彼らが同業者から高い評価を受けているのは当然かもしれません。

 恋人にむかってどこか自嘲的に「僕の短所をジョークにしても眉をひそめないで」と海容を乞う主人公を描くことで、キリンジは「自分らしさ」をこじらせたまま成人してしまった若者の甘えを肯定する姿勢をみせます。詞中における「甘え」を音楽としての「甘やかさ」に昇華させる手腕はメジャーデビュー3年目のこの時点で早くも完成の域に達しています。

 甘やかさはサビの「キミが好きだよ エイリアン」で頂点に達しますが、そんな際でも高樹(ん?泰行かな?)がニヒルな色合いで下ハモを唄うことを忘れない。ちょうどお汁粉にひとつまみの塩を加えるように。甘い調べを奏でるキリンジは、がしかし甘いだけではないのです。

 

 オリコン42位、また収録アルバム『3』も18位というキリンジ史上最高位(当時)を記録した「エイリアンズ」がキリンジの代表作であることに異論を唱えるひとはいません。ただ、同年同月に同じ冨田恵一さんプロデュースで世に出たMISIAの「Everything」が200万枚を超す破格のセールスだったことを考えれば、「エイリアンズ」の数字は正直かなり物足りないもの。この曲を偏愛していたぼくも、これが日本のマーケットの限界なのかと落胆を感じずにはいられませんでした。そりゃあ「Everything」がMISIA一世一代の名バラードであることは認めますし、主題歌となったドラマ「やまとなでしこ」の高視聴率は凄まじかったものですが。

 ところが、世に出て15年近く経ったいまでは「エイリアンズ」は結構な数のカバーを生み出しているではありませんか(なかでも秦基博バージョンは秀逸!)。そこにぼくはこの曲のタイムレスな底力をみるのでした。ああ、ちゃんと届いていたんだと。

 

 ちなみに2013年に泰行が脱退したキリンジは複数の新メンバーを加えたバンド編成で再出発、泰行はソロ活動を展開しています。

 

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今回ご紹介した楽曲「エイリアンズ」のご購入は以下から!

3/キリンジ

 

文中で紹介のあった「秦 基博」によるカバーは以下から!(ライブ音源)

アイ/秦 基博

 
 

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 
 
 
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 初回スペシャル! ロング版 

 

第1曲目:大橋純子「たそがれマイ・ラブ」(1978)

 

 moraユーザーのみなさん、はじめまして。

  音楽プロデューサーの松尾潔です。作詞や作曲もします。要するに「うた」をつくることを仕事にしています。そんなぼくが連載を始めることになりました。テーマを日本のうたに絞って文章を書くのは実に久々のこと。というか、初めてのWEB連載です。まあユルく長く続けられればと思っていますので、どうかよしなにお付き合いくださいね。

 さてタイトルにある「歌謡POP」。耳慣れない? それはごもっとも。連載を始めるにあたってぼくが造ったコトバなんですから。moraスタッフからは「メロウなJ-POP」という仮題をいただいたのですが、J-POPというタームの登場以前に世に出た曲たち、つまり当時「歌謡曲」と呼ばれていたものを取りあげることも多くなりそうなので改題した次第。

 2015年のいま「歌謡曲」というコトバを使う時、そこには「J-POPというタームでは規定できない日本語大衆歌謡」というニュアンスが強いように思われます。世代によっては「歌謡曲」と「演歌」はニアイコールなのかもしれませんね。それってゆゆしき事態だなとぼくは危惧してるわけですが。こんな現状をふまえて「(J-POP登場以前の)歌謡曲+現行J-POP」という意味で「歌謡POP」なる造語にたどり着きました。ま、その意味するところは連載を進めるうちにはっきりおわかりいただけることでしょう。

 

 さて1曲目に取りあげるのが大橋純子「たそがれマイ・ラブ」。1978年、いやここは昭和53年と呼びたい気分ですが、とにかく40年近く前のヒットであります。連載タイトルの意味と意図を説明するにあたって、これ以上ふさわしい曲はない! 作詞は阿久悠、作曲と編曲は筒美京平。まずはこの黄金コンビの手によるメロウ・チューンから語らないことには始まりません。

 「たそがれマイ・ラブ」が世に出た時、ぼくはちょうど10歳でした。小学5年生の夏です。えらくオシャレな、大人っぽい印象を受けましたが、同時に小5男子でも口ずさんでしまうようなキャッチーさを兼ねそなえた曲でもありました。

 その年の正月に放映が始まった画期的な歌番組『ザ・ベストテン』で初めて観た大橋純子は、小柄ながらショートヘアと顔からこぼれそうな大きな目が印象的な美女。ああ大人のオンナのひとだなあと。繰り返し言いますけど、何しろこっちは10歳ですから。現在なら「中原淳一が描く美少女がそのまま成長して生身の姿でマイクを握った感じ」とか何とかもっともらしく表現できますが、当時はそんな語彙も知識もないからさ。

 

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(↑「たそがれマイ・ラブ」発売当時のレコードジャケット)

 

 いま調べてみると当時純子さんはまだ28歳だったんですね。28歳といいますと、つい先月、石原さとみさんが28歳になったというニュースが出てたばかりですな。昨年のドラマ『きょうは会社休みます。』で「30歳処女」という役柄を好演して評判をとった綾瀬はるかさんは、実際に今年30歳だというし、それっていまの30歳が幼すぎるのか、昭和の28歳が老成していたのか。日本は変わったのか、変わらないのか……あ、失礼、風呂敷広げすぎました。

 もとい「たそがれマイ・ラブ」。もうイントロからいいんだなあ。さすがは日本が誇るメロウ・マエストロ、筒美京平。弾力性に富んだギターリフや反復性が癖になるリズムパターンがその数ヶ月前に出たカーリー・サイモンの「You Belong To Me」(オリジナルはマイケル・マクドナルド在籍時のドゥービー・ブラザーズ。77年作)の影響下にあることは、この辺の洋楽事情をかじったファンなら容易に指摘できそうなポイントですが、当時はほら、そんな知識もないからさ。

 ブルー・アイド・ソウル文脈で語られることも多いマイケル・マクドナルドがカーリーと共作し、御大アリフ・マーディンがプロデュースした「You Belong To Me」は、おそらくはカーリー・サイモンにとって最もR&Bフィーリングに満ちたレパートリー。90年代にアニタ・ベイカー、21世紀に入ってからもジェニファー・ロペスという超大物ディーバたちがカバーしたこともよく頷けるメロウな名曲です。

 でも、そんな背景や音楽的出自を抜きにしても「たそがれマイ・ラブ」のほうが多くの日本人にはグッとくるはず。コード進行やメロディ展開の妙も大きいですが、最たる理由はやはり何といっても大橋純子さんの美声につきるでしょう。もしかするとその美しさは日本で生活することではじめて判別できるものかもしれません。炊きたての白米のかがやきを見たときに感じる美しさと同種というか。

 豊かな声量で知られた純子さんがこの曲では控えめに歌っているのも、哀しい愛の結末を暗示するうえでたいへん効果的(当時ご本人はそのことに納得がいかなかった旨の発言があったにせよ、です)。フェラーリがあえて低速走行するような優美さが漂います。余談ながら、1998年にMISIAがデビューするにあたってぼくはブレーンのひとりとして参加しましたが、そのとき頭のなかにははっきりと大橋純子の存在がありました。

 

 そして、「たそがれマイ・ラブ」は歌詞ですよ歌詞。夏と冬の2部構成で綴られる、男女の機微。歌謡曲の詞世界としては類型的ともいえるテーマですが、これを阿久悠は現在のJ-POPと比べると驚くほど言葉みじかく、しかし色あざやかに描ききるのです。映像を喚起するチカラといったら、もう途轍もなくて。どことなく捨て鉢な、あるいはデカダンな女主人公の腹の据わりかたはきわめてオ・ト・ナ。つまり至高のメロウ。もう阿久悠劇場と言いきってしまいたい。

 日本中の女子小中学生に振り付けの真似をさせたピンク・レディーの「UFO」で4度目のレコード大賞をとった阿久悠が、同じ年にこんな「どメロウ」な楽曲も残しているという事実は、いま音楽プロデューサーや作詞家を名乗るぼくの目には超人的所業として映ります。もっと正直にいうとひどく打ちのめされます。きっと間違いなく、映画をつくる心持ちで作詞に向きあっていたんでしょう、阿久さんは。

 この曲の原題が「ベルリン・マイ・ラブ」ということを知ったのは、ぼくが音楽プロデュースの仕事を始めてからのこと。道理で2番の歌詞のなかで白い粉雪が舞い踊るのが「石畳」なのかと。横浜元町じゃなかったのかと。のちに小説家として『瀬戸内少年野球団』(篠田正浩監督によって映画化もされた)などの傑作を残す阿久悠の念頭にあったのは伯林=ベルリンが舞台の森鴎外『舞姫』なのか、ボブ・フォッシーのミュージカル『キャバレー』なのか、はたまたMGM映画の古典『グランド・ホテル』なのか……止まらぬ妄連想を持てあますのもリスナーズ・プレジャーのうち。これぞ名曲にめぐり逢えた証なり。

 

 ちなみにぼくは「たそがれマイ・ラブ」のカバーにこれまで2度挑戦しています。まず1999年に嶋野百恵さん、2005年には稲垣潤一さんで。おふたりとも個性的な声質と素敵な歌心をもった歌い手さんですが、プロデューサーのぼくの力量が足りなかったせいでオリジナルのクオリティには遠くおよびませんでしたね。忌憚なくいえばしくじりました。猛省しております。

 そのしくじり、そして京平先生と面識を得て直接ヒットづくりの要諦らしきものを学んだ経験をもとに、「たそがれマイ・ラブ」へのオマージュを捧げる気概で臨んだのが、昨秋リリースしたJUJUの「ラストシーン」です。ぼくは46歳、「たそがれマイ・ラブ」に出逢ってからちょうど干支が3周してましたとさ。長かったなあ。短かったなあ。

 

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今回ご紹介した楽曲「たそがれマイ・ラブ」のご購入は以下から!

ゴールデン☆ベスト 大橋純子 シングルス/大橋純子

 

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 
 
 
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「松尾潔のメロウな歌謡POP」バックナンバーはこちらから
 
 
 

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今月よりサービス開始となった音楽コラムコーナー「mora readings」から新たな連載がスタートします!
 
新年1月6日よりスタートの第一弾は、EXILE、平井堅、CHEMISTRY、久保田利伸、JUJU、鈴木雅之らを手掛けてきた名プロデューサー・松尾潔さん。
R&Bやヒップホップの文筆家としても著名な松尾さんに、初めて歌謡曲からJ-POPにいたる日本の名曲の真髄を説いて頂きます!
 
毎週更新の予定です。ご期待ください!
 
 
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松尾 潔

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

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