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松尾潔のトピックス

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第7曲目:松田聖子「小麦色のマーメイド」(1982)

※前編はこちらから

 

 と、ここまで作曲者と編曲者とプロデューサーに惜しみない賛辞を捧げてきましたが、そのうえで言うならばこの曲の最大の肝はやはり松本隆(当時33歳)の歌詞にあるというのが現時点でのぼくの結論です。
 マーメイド、それは人魚。アンデルセン童話『人魚姫』を持ち出すまでもなく、人魚は美の象徴であると同時に悲運や悲恋のメタファーとして用いられることもよくあります。特に「陸(おか)に上がった人魚」は。
 日本文学の世界に目を向けてみると、谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』は白人という「美」への崇拝あるいは妄執を語りつくした作品でしたし、新潟に伝わる人魚伝説に想を得た小川未明の『赤い蝋燭と人魚』のような悲話があることもよく知られています。創作者たちの興味をつねにかき立てるテーマといえるでしょう。

 「小麦色のマーメイド」はその歌詞のなかで恋の終わりまでは描いていません。でもきっとこの若い恋も永遠につづくことはないだろう。そう思わせるだけの不安定な要素が巧みに散りばめられています。
 「涼しげなデッキ・チェアー」で「りんご酒(シードルのことですね)」でくつろぐ女性主人公はプールサイドにいる。「常夏色の夢」を追いかけることができるプールは、間違っても公営プールではない。亜熱帯のリゾートと考えるのが自然です。ホテルかコンドミニアム、あるいは別荘でしょうね。
 「プールに飛びこむ」恋人は「小指で投げキッス」をするようなキザな、いやオシャレな男。ご存じのようにシードルの多くは発泡性です。オシャレな男とのプール・デートで飲むシードルは〈若い恋の行方はうたかたのようなものである〉のメタファーと解釈してもあながち穿ちすぎではないでしょう。
 ただ「りんご酒」という表現には、当時まだ中学生だったぼくは異物感を覚えたものです。直前の「デッキ・チェアー」との対比が余計にそう思わせたのかもしれません。「りんご酒」の部分には4つのノート(音符)が相当しますから、ならばここに「シードル」とあてればよかったのか。あるいは「シャンパン」や「クレマン」や「ペティヤン」といったスパークリングワインの呼称をあてればもっとすわりがよかったのではないか。長じて酒好きの大人になったぼくの妄連想は、今とめどなく続きます。

 しかし、そこにあえて「りんご酒」という古風な響きの日本語を持ってくるのが教養人・松本隆のモダニズムと思いたい。予想を裏切り、期待にこたえつづけてきた詩人の面目躍如といったところでしょう。
 そしてそれは「ぶどう酒(ワイン)」であってはならない。この曲が世に出てからちょうど四半世紀後の2007年に鈴木雅之さん(当時50歳)に「Champagne」という曲を提供しているぼくは体感としてわかるのですが、歌詞でつかう単語としての「シャンパン」からは成熟のイメージが不可分なのです。確かにハタチの聖子にはそぐわない。アルコール低めのシードルこそが気分だというのはよく理解できます。
 つまり松本さんは〈サイダー以上、シャンパン未満〉の気分を「りんご酒(シードル)」の一語で言い表したのでしょう。まあフランス語の「シードル」(cidre)は英語でいう「サイダー」(cider)と同じ意味になってしまい、〈甘みと酸味をふくむ清涼飲料水〉である日本語の「サイダー」との混同を招きかねません。ゆえにこの曲ではあえて「シードル」の使用を避けた、という理由もあるのかもしれませんが。
 日本の「サイダー」にあたる清涼飲料水はイギリスでは「レモネード」(lemonade)と呼びますが、聖子の前作シングル「渚のバルコニー」のB面曲はやはり松本隆とユーミンとのコンビによる「レモネードの夏」です(編曲は松任谷正隆ではなく新川博)。多分に妄想気味にいうなら、そこには「レモネード」から「りんご酒」というイメージの流れがあったのかもしれませんね(余談ながら「レモネードの夏」は先ごろヒットしたお笑いコンビの某ヒット曲のインスピレーションかと取り沙汰された1曲です)。

 「あなたをつかまえて泳ぐ」マーメイドには足がある。ちょっぴりグロテスクな設定です。それも「裸足」。「小麦色」に日灼けしている。そうか、このマーメイドは柄にもなく泳ぎが得意ではないのか――。
 いや、そんなに単純な話ではなさそうです。
 人魚を自認する彼女が今うまく泳げないわけがあるとしたら、それは海にいるべき人魚がプールという不慣れな場所にいるからではないでしょうか。海水育ちの人魚が淡水プールに放たれた不安、もっと言えば窮屈な思いを描いた歌という解釈は感傷的に過ぎるでしょうか。
 ここで松田聖子が福岡県出身ということを考慮すれば、海を「地方(ふるさと)」、プールを「都会(東京)」と読み解くことも可能です。75年、やはり当時20歳だった太田裕美に「木綿のハンカチーフ」(作曲は筒美京平)を提供し、地方(おそらく西日本エリア。なぜなら男性主人公が乗った列車は「東へと向う」ので)と都会(東京)との間で引き裂かれそうな若い恋愛を歌わせた松本さんですからね。
 あるいは歌う聖子の20歳という実年齢に着目するなら、海を「少女期」、プールを「大人の世界」と見立ててもよいかもしれません。となると、そこで「小指で投げキッス」のような物慣れた振る舞いをみせたり、「急にまじめ顔」をつくっては「すねて怒る君も可愛いよ」と上から目線でつぶやく彼は、きっと年上。まさか親子ほどの年齢差のある家族持ち男性との不倫ではないでしょうね……これはぼくが大人になって久しいある時期から抱きはじめた疑念なんですけど。
 「きらい」と「好き」、「嘘」と「本気」を交互に発する主人公は恋愛期特有の躁状態にいます。ゆれる。ゆれている。自我の確立にはまだ時間がかかりそうな不安定さ――。ぼく自身は成熟した大人の女性に惹かれる性質だとことわったうえで言いますが、自分がいくつになっても〈ゆれる年頃〉の女性をこのむタイプの男たちは多いものです。彼らにとっては、ここで描かれる推定年齢二十歳のマーメイド像はじつにチャーミングであることでしょう。

 2番サビが終わって転調するあたりで、この曲は最高の盛りあがりをみせます。転調サビの冒頭には“wink, wink, wink”はありません。なるほど転調自体が〈サビスイッチ〉ですからね。2サビ後にいったん全休符してブレイクをとり、音階をひとつずつ上がっていくシンセサイザー(「1982年」と刻印するかのような音色)で短い間奏を挿入、そしてサビに戻る。ここでの正隆さんのアレンジは、もう完璧な調和美。ため息が出る美しさ。
 間奏後は半音上げた1番サビを繰りかえし歌っているだけかと思いきや、ありゃまあ、「あなたをつかまえて泳ぐの」の最後が「生きるの」に変わっているではないですか。転調のあいだに女性主人公がそこまで妄想を肥大させていたのかと、聴く者は事の重大さに気づくわけです。
 これを夏の恋(=泳ぐ)が永遠の愛(=生きる)へと昇華したと解釈できるほどぼくは人が好くはありません。この子ちょっと重すぎるのでは、相手の男はひいちゃうんじゃないかな……なんて余計な心配もしてしまいます。
 ですが、半音上げることで「泳ぐ」よりも「生きる」をより高い音で歌う松田聖子の声はここで最高のきらめきを放ちます。文字通り「生きる」が生きている。かがやく生命力が注入される。これがあるとないとでは楽曲の印象がかなり違っていたはずです。
 さらにとどめを刺すのがサビの最後に付け加えられた「好きよ きらいよ」。好きの反対は嫌いではなく無関心であると言ったのは有島武郎ですが、じっさい往々にして「きらい」は「好き」の変種であるもの。ここで聖子が極度にトーンを下げてつぶやくように歌う「きらいよ」が、〈大好きよ〉を意味することは誰の目にも明らかです。汚れちまった大人であるぼくも、ハタチの主人公の恋の成就を祈ってあげたくなるのでした――。

 以上、今回はこれまで以上に妄連想の羽根を大きく広げて語ってみました。
 〈松本隆と松田聖子とリンゴ〉をめぐる物語については、翌83年の8月にリリースされたナンバーワン・ヒット「ガラスの林檎」(作曲は細野晴臣)で、シングルのタイトルにまでたどり着いたことを後日談として記しておきます。
 まあ正直に言えば、リリース当時14歳のぼくがこの曲を初めて聴いた印象は〈初めて海外リゾートに行った若いカップルが、現地で舞い上がったり自分たちに酔いしれたりする曲でしょ?〉という皮相的極まりないものでした。ある意味においてはその見方は依然有効かもしれませんが。
 がしかし、不思議なことに、自分が女性主人公の年齢を過ぎ、その親ほどの年齢となった33年後の今のほうが、この曲の滋味をより深く楽しめるのです。若すぎて近すぎて見えなかったことの多さに気づくからかもしれません。だってメロウはいつも過去形なのですから。

 

 


 

 

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オリジナルアルバムには未収録の名曲

松田聖子『小麦色のマーメイド』

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松田聖子のハイレゾ化作品はこちらから

プロデューサー・若松宗雄さんへのインタビューはこちらから

 

 


 

 

松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 

 

 


 

 

「松尾潔のメロウな歌謡POP」バックナンバーはこちらから
 
 

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第7曲目:松田聖子「小麦色のマーメイド」(1982)

 

 読者のみなさん、お久しぶりです!およそ3ヶ月ぶりにこの連載に戻ってまいりました。お休みのあいだにもPerfumeスガシカオさんを取りあげた回について多くの方がたから感想のお声をいただきました。ありがとうございます。なかにはアーティストご本人からの反応もありましたよ。

 さて、松田聖子さんのデビュー35周年記念アルバムのリリースが先ごろアナウンスされて話題になっています。昨年末の『NHK紅白歌合戦』で大トリを務めた彼女が、番組瞬間最高視聴率を記録して貫禄を見せつけたのは記憶に新しいですが、このところ作品リリース的にも圧倒的な存在感を示しています。
 というのも、デビューの1980年から2008年までにソニーミュージックから発売したオリジナル・アルバム32作全309曲が、昨年12月から毎月5タイトルずつハイレゾ配信化されているから。それもいよいよ大団円を迎えようとしています。
 連載再開第1回はそんな松田聖子の懐かしいナンバーを取りあげてみましょう。

 ご紹介する曲は、そろそろ夏の気配を感じるいまの季節にぴったりの「小麦色のマーメイド」。松田聖子10枚目のシングルにして1982年夏のナンバーワン・ヒットです。ときに聖子20歳。ハタチの夏のメロウ。
 作詞は松本隆、作曲は呉田軽穂(大女優グレタ・ガルボに由来)こと松任谷由実、そして編曲は松任谷正隆という黄金トリオ。この年ユーミンは1月に「赤いスイートピー」で初めて聖子へ曲提供するのですが、4月の「渚のバルコニー」につづいて3連作の掉尾を飾ったのがこの「小麦色のマーメイド」です。

 ぼくは松田聖子のファンど真ん中ともいえる世代なのですが、じつは数多のヒットシングルをリアルタイムで買ったことは一度もありません。でも今ディスコグラフィーを見て気づいたのは、80年のデビューシングル「裸足の季節」から85年の20枚目のシングル「天使のウィンク」あたりまではそらで歌えるという事実。少なくともサビくらいは。これって凄いことだなと。ライバル中森明菜の初期シングルにも同じことが言えるわけですが。

 かように強力な〈刷りこみ力〉を有す松田聖子初期作品のなかでも「小麦色のマーメイド」は異色の趣をたたえています。キラキラした楽曲群の輝きのなかにあって、これだけはマットな質感。あるいは、ツヤ消しの美、とも言い換え可能。サウンドプロダクションがメロウなAOR流儀だから、といった音意匠以前の話で、何しろサビのメロディがとことん地味なのです。当時、一聴しただけではどこからサビなのか判然としなかったリスナーも多かったのではないでしょうか。

 もちろん、検証的態度で耳を傾ければ“wink, wink, wink”という英語パートが〈サビスイッチ〉として機能していることに気づきます。そもそもサビ前に英語の短いフレーズを配すのはわりとポピュラーな作曲手法。いまパッと思い浮かぶだけでも、平井堅「瞳をとじて」では“I wish forever”が、Mr.Children「Innocent World」では“Mr.myself”が、小柳ゆき「あなたのキスを数えましょう」では“Missin’you”が〈サビスイッチ〉となり、その後に派手なサビを呼び込むことによって役割を全うするのです。

 ところが「小麦色のマーメイド」の場合、スイッチが入ったところまでは確認できるものの、直後のサビは超節電モードの薄暗さ。まぶしくないのです。あえて地味に作ったとしか思えません。駆けのぼらない。されど沈みもしない。フロート・オン。ただ漂うだけ。
 察するに、この「地味」は「滋味」に通じ、聴きこむほどに味わいの豊かさが増すというのが作者たちの意図なのでしょう。そこが黄金トリオたる所以。言葉遊びついでに言うなら、繰りかえしの「鑑賞」に堪え得る音楽は大人の「感傷」にも相応しいということなのかも。

 聞くところによれば、松田聖子の当時のプロデューサーであるソニーの若松宗雄氏はサビの展開の乏しさに不満を抱き、いわゆるサビらしい広がりが欲しいと作曲者のユーミンに改訂を依頼したそう。しかし、当時28歳の若さながら10年以上におよぶプロ作曲家としてのキャリアを誇るユーミンは、メロディに新たに手を加えることを拒否したのだとか。最終的にユーミンの主張を受け入れ、現在の形で世に出すことを決めた若松氏の覚悟がこの曲の運命を決定づけました。

 まずはBPM80程度に抑えたテンポ設定の妙。たとえるなら、濡れたプールサイドを滑らぬよう注意してそろりと歩くスピード。このテンポが松田聖子の歌声の魅力を十分に引きだした主たる理由です。張りあげた時にはとかくキラキラな印象を与えがちなこの声は、そのじつ大人の女の色香をつよく思わせるハスキー成分も多量にふくむ希有なもの。レアな音色の楽器をどれだけ美しく響かせるか。この命題に正面から向きあった若き日の正隆さん(当時31歳)の意気や良し。

 名手ドン・セベスキーのCTI作品を思わせる管弦アレンジの成熟した美しさ、全編にわたって「はしゃぎ」を抑えたリズム隊の巧みさ、各楽器(特にミュートギターとスネアドラム)の音色の選択における妥協のなさ。真昼の暑さではなく午後の気だるさを丹念に描くことで、プールサイドの夏景色を映しだすことに成功したのです。

 

(後編につづく)

 

 


 

 

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オリジナルアルバムには未収録の名曲

松田聖子『小麦色のマーメイド』

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 

 

 


 

 

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イントロダクションとなる前回の記事はこちらから

 

第6曲目:スガ シカオ「愛について」(1998)

 

 デビューの年1997年にスガ シカオはシングル4枚、アルバム1枚を量産します。そのさまは長すぎる幼虫の時期を経て遅い春をむさぼる昆虫を思わせました。そんな大放電大会の掉尾を飾ったシングルが「愛について」です。日暮れから明けがたまでが似合う印象的なかすれ声をしたこの男性シンガーは、冒頭で「ただひとつ 木枯らしにこごえる日には」と肌寒い季節の到来を告げます。その歌詞から察するに、11月21日というリリースタイミングは周到な準備の産物だったのでしょう。オリコンの左半分(50位以内)に入ったシングルが1枚もないまま9月に出したアルバム『Clover』がトップ10入りという快挙を遂げた直後の作品とあって、「愛について」は自身の最高位(当時)となる44位のスマッシュヒットとなりました。のぼり坂の44位には数字以上の意味があることは言うまでもありません。

 ずばり、傑作でした。長時間の正座を解いたときのじーんと痺れるような痛みと快感の双方がありました。その印象は偶然から来るものではなく、この力量ある男性アーティストの経験と知識によってもたらされていたことは明らかでした。まずイントロにそれまでの3枚のシングルとの差別化がうかがえます。黒いリズムを押し出すのではなく、アイズレー・ブラザーズのクリス・ジャスパーを思わせるメロウなアナログシンセが真っ先に耳をとらえます。そして2ndシングル「黄金の月」ではやや控えめな印象をあたえていた“フーウー”という甘い多重コーラスが早くも登場します。良薬の証であるかのようにスガ印の薬はいつも苦みを失うことがないのだけれど、それでも今回は糖衣したぶん口に含みやすくなった……そんな印象がこのイントロにはありました。ままならぬ人生はビタースウィートと謳っているかのようでした。

 ここでもループは重用されています。メロディの進行とともにコードは変化しても、やがて規則的にBM7→E♭7に戻るのです。戻ってくるまでにはそれなりに起伏があっても、終点がまた始点となる。それを繰りかえすうちに終点と始点の区別は徐々に意味をなくし、この物語はどこから始まったのかさえ曖昧になってきます。

 ループ状のコード進行で歌われるラブソングはメリーゴーラウンドに似ています。つまり、愛というものは終わることなく浮き沈みを続けながら同心円状を回りつづけるものだと。行きっぱなしではいけない。帰り道をなくした思いを愛とは呼ばない。愛情の歩みだけではなく、性愛の営みもそうかもしれません。ひとりで片道切符を握りしめた男に未来をあずけられる女性はいますか?

 サウンドが呼び起こすイメージはわかりました。では実際の歌詞はどうか。 タイトルでも歌詞中でも「愛」が名詞としてしか用いられていないことにまず留意してみましょう。動詞にならない愛。「ぼくら」ふたりは観念としての愛にまだ十全たる命を吹き込めてはいないということ。だからこそ「もう少し愛についてうまく話せる時がきたら」一緒に暮らそうと男は提案するのです。慎重とも弱気とも誠実とも解釈できるけれど、繊細であることだけは確かなようです。もしかするとこれまでに同棲や結婚にしくじったことがあるのかもしれません。いや、それともこれは目の前の恋人を思いやる気持ちの現れなのか……ま、そう思えるひとは幸せですね。

 そもそも「愛について」というタイトルが投げかける、その大きさ。一見あるいは一聴しただけではこの日本語表現はファンクのビートにそぐわない気もします。ですがこの視座が生みだす「ねじれ」が強力なフックへと好ましく変態していることにやがて気づくことでしょう。タイトルの由来についてスガと直接話したことはありませんが、ハルキストを公言する彼のことですから、村上訳のレイモンド・カーヴァー短編集『愛について語るときに我々の語ること』は当然視野に収めていたはずですよね。余談ですがスガ楽曲は村上春樹本人の耳にも届いており、「愛について」のカップリング曲「バクダン・ジュース」が2004年の小説『アフターダーク』に織り込まれていたほか、翌2005年の音楽エッセイ集『意味がなければスイングはない』でもスガを論じています。ライブにも足を運んだりしているのだとか。

 でもリリース当時にぼくが真っ先に思いだしたのは、高校時代に触れた武者小路実篤の同名随筆だったりします(だとしたら笑えるのですが)。次に連想したのはフォーキー・ソウルの至宝ビル・ウィザーズの滋味あふれる78年作品『’Bout Love』。ウィザーズはスガと同じく30代でメジャーデビューした歌手でもありますからね。この直訳という可能性も否定できないかと(たぶん違うな)。

 ぼくが感嘆してしまうのは、こういった妄連想のすべてが、じつは「愛」ではなく「について」という響きから喚起されたイメージであるという事実です。「について」の勝利。この詩作センスは凡夫にはなかなか持ち得ないものですが、賞味の対象となるだけの普遍性はある。その絶妙なバランスこそ「スガ シカオという非凡」の鮮やかな証左です。

 

 もうひとつ、歌詞のなかで非凡なきらめきを見せる箇所をご紹介しましょう。1番のサビのあとに付加されたAメロ該当部分、その冒頭の「夜がきて あたたかいスープを飲もう」です。正直に告白すると、ぼくは長い間この部分の言葉遣いに違和感がありました。口語表現として「夜がきて」でも意味は通じるだろうけれど、より相応しいフレーズは「夜がきたら」ではないか。もちろんそうすると母音がひとつ増えてしまうけれど、それはアウフタクト(弱起)、つまり小節の前から歌いだすことで対応できたはず。ためしに歌ってみたら変拍子の趣も生まれて案外アリなんだけどなあ……。

 この違和感が解消されたのはわりと最近のことです。主人公の男女は「木枯らしにこごえる」ようなカップル。小さき市民なのでしょう。特筆すべき反社会的な資質は備えていないように見受けられます。それどころか勤勉さやつつましやかさを感じさせます。「仕事はかなりできた」と本人が述懐する会社員時代のスガの分身でしょうか。正しき社会生活を送るひとにとって、夜は必ず「きて」くれるもの。「きたら」じゃ困る。社会が乱れますからね。

 ハタチくらいからずっとフリーランスの立場で音楽業界にどっぷり浸かってきたぼくには、定時で仕事を始めたり終えたりする感覚は縁遠いものでした。時として昼(勤労時間)は明け方までつづくものだし、そもそも夜(自由時間)は「はじめる」ものであって「くる」ものではなかった。エクスキューズめいた言い方になりますが、プロのミュージシャンや音楽業界人には珍しくない感覚です。むしろこの世界で常識とされるのはこのゆるい感覚かも(だからといって良識とは思っていませんよ)。現にぼくも40代で人の親になるまではこの常識が支配的なコミュニティで毎日を過ごしてきました。

 しかし、スガ シカオはそうではなかった。97年の時点で、夜が「きて」と断言できた。「土俗的」というニュアンスの俗語を由来とするファンクを得意としているのに。これを「会社員生活の経験が生きた」と結論づけるのは早計に過ぎるかもしれませんが、はっきり言えるのは当時の彼が社会の大半を占める人びとのリアルな日常感覚と感性を有していたということです。遅いデビューでしたが、それまで見てきた景色から大きな収穫はあったのだと思います。人生に意味のない一秒なんてないのでしょう(最近知ったのですが、「愛について」の初出は95年リリースのインディーズ盤なんだそうですね)。

 

 ところでスガ シカオの名前が格段に広く浸透したのは自分の歌声やサウンドによってではなく、98年の年頭にリリースされたSMAPの初ミリオンセラー・ヒット「夜空ノムコウ」の作者としてでした。実はスガはここでは作詞しただけで、作曲は川村結花、編曲はCHOKKAKUが手がけています。ですが印象的に片仮名が用いられたタイトルはこの曲を「スガ シカオ度100%」と思わせるに十分でした。ややこしいことにCDシングルのカップリング曲「リンゴジュース」は作詞も作曲もスガだったので(編曲はCHOKKAKU)、このことが「夜空ノムコウ」の作曲もスガ シカオが手がけているという誤解を助長してしまったのかもしれません。歌詞だけにかぎっていえばこの盤に収められた言葉の全てがスガ製だったのですから。つまり「スガ シカオの語り部=SMAP」という構図が成立していたのです。

 1998年の年間シングルランキングのトップは161.1万枚を売り上げたGLAY「誘惑」でしたが、「夜空ノムコウ」はそれに肉薄する157.1万枚で2位を記録。スガ シカオの名前は一躍メジャーな響きを帯びることになります。その時点で川村結花(たいへん優秀な作曲家、シンガーソングライターです)の知名度がさほど高くなかったこともスガ シカオの神格化にあたっては有利に働いたかもしれません。「愛について」も収めた2枚目のアルバム『FAMILY』を6月にリリース、その出来がすばらしかったことで彼の名声は決定的なものとなりました。

 

 翌99年の9月にぼくは彼と再会しました。NHK-BS2の番組『BS音盤夜話』にそれぞれゲストとして招かれたのです。音楽評論家・萩原健太さんの司会のもと、1枚の名盤を取りあげてその魅力や意味性を語りつくすという座談会形式の生番組。ぼくたちが招かれたのは、はたしてスライ&ザ・ファミリー・ストーンの69年の名盤『Stand!』の回でした。パネリストに近田春夫さんとピーター・バラカンさんという稀代の論客を据えたこの番組で、ぼくたちは1時間にわたって語りあいました。これは楽しかったですね。全員で『Stand!』という名の重箱の隅をつつくような感じで。大人の部室トークといった趣でした。

 スガは2年前の初対面の時とは別人のような自信に満ちていました。スライ楽曲のリズム解釈について長いリスナー歴を感じさせる体験的見地で独自の解釈を披露もしてくれました。まさに旬のロックスターのかがやきを身にまとっていましたし、笑顔も絶えなかったように記憶しています。でもぼくはヒット経験がスガの人格を変えたとはまったく思いませんでした。プロの音楽業界にある程度身を置いた結果、もともと持ち合わせていた人なつっこさを彼も躊躇なく出せるようになっただけではないか。そう感じました。

 番組は無事終了。スタッフのみなさんから出演者たちへのねぎらいの言葉もいただき、さあ解散という段になったその時、パネリスト席を立つピーター・バラカンさんのもとにスガが近寄っていきます。はて、このふたりは以前からの知り合いだったのか……すこし怪訝に思いましたが、何やら面白そうなのでぼくもそのやりとりを見守ることにしました。「あのう、これにサインしていただけますか?」おそるおそるそう言ってスガがおもむろに取り出したのは、ボロボロに傷んだ文庫本。彼は本番のスタジオに入る前からこの本をポケットにしのばせていたのですね。ちらりと見えた表紙でそれが何であるかすぐにわかりました。なぜなら、ぼくもその本の読者だったからです。昭和64年、いや平成元年(1989年)に新潮文庫から出たバラカンさんの名著『魂(ソウル)のゆくえ』。この本にめぐり逢ってソウルミュージックを聴きはじめたという者、もっと言うならこの本を教典としてロックからソウルに宗旨変えしたという者はぼくの同世代に少なくありません。

 思いがけぬ申し出をバラカン氏は快諾した様子。本を差しだすスガの手は小刻みに震えています(誇張ではありません)。自著にペンを走らせたあと、リベラルで知られるロンドン生まれのブロードキャスターはにっこり笑ってそれを持ち主に返しました。旬のロックスターは笑っているようでもあり、泣いているようでもあります。2年前に目の表情をうかがうことさえできないほど帽子を目深にかぶっていた、あの新人ミュージシャンがそこにはいました。

 

 と、ここまで書いて当時のバラカン氏が何歳だったのか気になり調べてみました。その前月、つまり1999年8月に48歳になったばかりだったのですね。そうか、現在のスガさんはあの日のピーター・バラカンと同じ歳なのか……。時が流れるのは早いものですね。

 でも2015年のいま、ぼくは知っています。「愛について」で初めてファンクのリズムに出逢い、以来その信者となったひとたちが結構な数にのぼることを。そこには確かに魂(ソウル)のリレーがあることを。

 

 


 

 

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「愛について」「バクダン・ジュース」に加え、
SMAPに提供した「リンゴ・ジュース」のセルフカバーも
収録した2ndアルバム!

スガ シカオ『FAMILY』

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 

 

 


 

 

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第6曲目:スガ シカオ「愛について」(1998) ~イントロダクション~

 

 自分もそのひとりなので強い実感を込めて言いますが、いま40代後半の音楽業界人にとって1997年のスガ シカオのデビューはかなり衝撃がありました。まずはその遅いデビュー。66年生まれの彼はすでに30代だったのです。何せその5年も前に天に召された尾崎豊のたったひとつ年下に過ぎなかったのですから。まあその比較は極端としても、20代前半でデビューしたミュージシャンなら、しかるべき結果が出ていなければ引退しても不思議ではない年ごろでした。

 そしてもうひとつ、楽曲がブラックミュージック、とりわけファンクからの影響を色濃く感じさせることにも注目が集まりました。ただし、日本におけるブラックミュージック・オリエンティッドな歌い手の主流である鈴木雅之久保田利伸中西圭三といったスタンダップ・シンガーたちのように、圧倒的な歌のうまさを売りにしていたわけではありません。かといって岡村靖幸のように踊りながら歌うわけでもなく、ギターを手にしている。豊かな声量ではなく、豊かなリスナー体験を感じさせる独特の歌い回しで勝負する印象は、どことなく大沢誉志幸を思い出させました。黒く塗るのではなく、影の濃さで何かを語ろうとするスタンス。陰翳礼讃。

 60年代から70年代にかけて大活躍したサンフランシスコのファンクロック・バンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンへの傾倒ぶりは、デビュー曲「ヒットチャートをかけぬけろ」にもよく表れていました。デビュー後10年間にわたってスガが活動を共にした自分のバンド名が、スライ愛を端的に表現した「シカオ&ザ・ファミリー・シュガー(Sugarは苗字のSUGAから)」だったのは有名な話です。

 サウンドをつらぬくブラックネスと対照的に、そのボーカルは黒人のイミテーション感がいたって希薄。ここは評価の分かれるところでしたね。考えてみれば、ファンクの天才スライ・ストーンをリスペクトしているからといって、イコール歌ウマ黒人シンガー好きということにはならないのですから。スガより2学年下のJ-POP一大アイコン小沢健二もまたスライに惹かれたひとりですが、サウンドプロダクションのみならず、何とアルバムタイトル、アートワークまでを公然と引用(剽窃?)して一大傑作『LIFE』(94年)をものにした彼のボーカルに、黒人音楽からのストレートな影響を見出すのはむずかしい。スガもオザケンもボーカル表現そのものよりもリードボーカルを取り囲む世界観の構築にこそ音楽制作の妙味をつよく感じているのでしょうね。

 

 スガ シカオは大学卒業後、サラリーマン生活を経て95年くらいからインディー盤をリリースしていたそうですが、ぼくが彼の存在を知ったのは97年にメジャー・デビューシングル「ヒットチャートをかけぬけろ」をリリースしたときでした。おっ、これはいいかもと手が伸びたのは2枚目の「黄金の月」。初期スガサウンドの特徴といえる、太いベースに導かれる不穏なループ、せわしなく鳴るワウギター、間隙を縫うように響くエレクトリック・ピアノ、ストリングス的な役割を負った多重コーラス……こういった編曲上の要素をすでにバランスよく備えていました。ここではスライ&ザ・ファミリー・ストーンへの傾倒ぶりはより顕著なものとなっており、彼らの代表曲のひとつ「Family Affair」でビリー・プレストンが弾いたローズピアノの歴史的フレーズをそれとわかるよう愛情たっぷりに引用してもいます。そういった洋楽オタクぶりは無邪気な好ましいものとしてぼくの目に映りました。ルーサー・ヴァンドロスR・ケリーのようなベッドルーム〜ソウルバー的なR&B美学からは程遠いですが、これもまたブラックミュージックという種が咲かせた花、精神のリレーだと。

 スガにはサウンドプロデューサー的才覚に加えてもうひとつ強い武器がありました。突出した詩作能力です。「黄金の月」の歌詞を支配する寂寥感には新人という呼び名がおよそ似合いません。「ぼくの情熱はいまや流したはずの涙より冷たくなってしまった」という冒頭の一節に文学の香りを嗅ぎとるのは自然な反応でした。またJ-POPの世界に新たな村上春樹チルドレン登場かと。ハルキ・ムラカミ色をつよく感じさせるミュージシャンは小沢健二やキリンジアジカンをはじめとして数多いですが、スガシカオの歌詞には生きそこない、もしくは死にぞこないの甘やかな腐敗臭がぷんぷん。そこが大きな魅力になっています。静かなる敗残者のファンク、とでも呼びたいような。鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明、加島祥造といった所謂「荒地派詩人」の影が見え隠れすることに妙に納得もしてしまうのは、ぼくがスガのたったひとつ年下だからでしょうか。

 そう、自分と同世代のミュージシャンのうたについて考えをめぐらせることはこのうえなく楽しい反面、どこか気恥ずかしさを伴うものです。なにより人生体験の分母がニアイコール。影響を受けた音楽や小説、映画などを察しやすいことは確か。そのいっぽうで「この人ってぼくとそんなに歳が違わないはずなのに、どうしてこんなことを知っている(あるいは、知らない)のだろう?」と疑問を抱いてしまうこともある。だからこそ興味も尽きないわけですが。

 

 ぼくがスガとスペースシャワーの番組で初めて共演したのはそのころのこと。照れているのか緊張しているのかそれともデビュー戦略のひとつなのか、極端に帽子を目深に被るスガ。「黄金の月」のMVでもそうでしたっけ。マイクが回ってくるたびにモジモジしてしまう彼を見るにつけ、こりゃ相当な恥ずかしがりやだなあとあきれてしまったものです。番組MCのユースケ・サンタマリアさんは、実際にはスガより年下のぼくのことを、かなり年長の評論家と誤解していた様子で、番組の最後に「じゃあマツオさんからシカオちゃんにひと言アドバイスを」と求められました。ぼくはいかにも感じ悪いその役割に一瞬とまどったものの、それでも咄嗟に「もっと自信を持って自分の好きなようにやったらいいんじゃないですか」といった内容を返したものです。スガの口元には困惑の表情が浮かんでいるように見えました。

 そのコメントが短絡的に過ぎたことをぼくは痛いほど知ることになります。このあと次第に明らかになるのですが、スガシカオの音楽は「あー楽しい!!」とか「うーっ、悲しい……」といった針の振り切れた感情ではなく、もやもやとしたり、ざらついたりする日常の心象風景や機微といったものを丁寧に描くことで居場所を拡大していったからです。彼ならではの独特の筆致とサウンドで。いま思えば、洞察と思慮に欠けたコメントを吐くぼくは、あたかも繊細な中間色の表現に腐心する美術家に向かって「もっと売れたいならパキッ、スカッとした景気のいいトーンでやれよ」と迫る悪徳画商のように視聴者の目に映ったかもしれません。

 

>>本編に続く

 

 


 

 

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今回ご紹介した楽曲、
「ヒットチャートをかけぬけろ」「黄金の月」
収録の1stアルバム!

スガ シカオ『Clover』

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 

 

 


 

 

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第5曲目:安全地帯「恋の予感」(1984)

 

 もし生まれ変わって自分で好きな声を選べるとするなら誰の声がいいか。ぼくが迷わずに玉置浩二の名前を挙げます。彼の声にはそれだけでメロウネスを感じるから。エディット・ピアフは「電話帳を読みあげるだけで」人を感動させることができると言われたけれど、少なくともぼくにとっては玉置浩二の声もまたその域にある。

 ただし電話帳は日本のものでなければ効果が薄いと思われます。つまり日本語を美しく響かせる声帯の主なんですね。あくまで外来語としての「ワインレッド」であり、英語の「wine red」ではないのです。もちろん「burgundy」でもないし、ましてやフランス語の「bourgogne」ではあり得ない。日本語でも「ワイン色」までいくと飛鳥涼(ASKA)に分があるかもしれず、加減として「ワインレッド」がちょうどよい。うつくしい音色の楽器を鳴らすためにはそれに相応しいメロディを奏でなければならないように、楽器としての価値が高い声を効果的に響かせるためには相応の言葉をえらぶ必要がある。玉置浩二の声には井上陽水の歌詞が似合います。

 玉置浩二そして安全地帯の曲から1曲となれば、当然「ワインレッドの心」もよいのですが、ここではよりメロウな味わいが深い「恋の予感」を選んでみましょうか。もちろん作詞は陽水さんです。夜に似合うのは無論のこと、真昼に聴いても部屋に射し込んでくる陽の光の角がとれるような気にさせるから不思議。シンプルに四分を刻む鍵盤と調和するボーカル。20代半ばにして熟成感のある歌声はなるほどワインレッドの呼び名どおりです。そしてあのころの日本の音楽業界にはそんな成熟の美を愛玩するだけの懐のふかさがありました。30年ほど前の話です。

 ここでの井上陽水はストーリーを紡ぐことよりイメージを喚起することに専念しているように見受けられます。誤解をおそれずに言うなら、なにか熱く謳っているようで何も語っていない。そんな人を食ったところがあります。うつくしき巨大な空洞と言うべきか。

 主人公の女性は「きれいになりたい」し、「『好きだ』といえない」満たされぬ思いを抱いていることが提示されるが、その背景を詳らかにすることは作詞者の興味の対象ではない。むしろ曲の冒頭で「なぜ」を連呼させることに重きをおき、物語ではなく音韻そして音響を優先することに躊躇がありません。楽器屋の店先で短いフレーズをデモンストレーション演奏し、「ほらお客さん、いい音がでるでしょう?」と商品を売り込む店頭販売のプロのごとし。この楽器を最も美しく響かせるにはこのやり方にかぎる、という確信めいたものさえ感じさせます。そしてこの手練れのプロ販売員には力強い相棒がいる。控えめながら耽美なサウンド構築に長けた名匠、アレンジャー星勝です。

 じっさい、万人受けのするいい音で鳴るんだな、この楽器が。その名、玉置浩二。ボーカリストとしての凄みが圧倒的すぎて軽視されがちですが、作曲家としての才能もまた格別であることを最後に言い添えておきましょう。ああ、もしも生まれ変わったなら。

 

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今回ご紹介した楽曲「恋の予感」のオリジナル・バージョンはこのアルバムに収録!

安全地帯『安全地帯III~抱きしめたい

 

2010年の新録バージョンも!

安全地帯『オレンジ/恋の予感』

 

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松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。

 
 
 
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