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定期連載のトピックス

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 一家そろって見てほしい映画があります。デートでぜひ見てほしい映画があります。クラス全員で見て、ぜひ感想文を発表しあってほしい映画があります。

 最近公開された作品では、『ストレイト・アウタ・コンプトン』(公式サイト)がそれです。ストーリー展開のわかりやすさと面白さ、音楽のかっこよさ、クレンショー・ブールヴァードなどディープなブラック・ミュージック好きなら一度は耳にしたことがあるであろう土地の描写。スクリーン越しに、80年代西海岸のヤバい空気が伝わってくるかのようでした。“いやー、すげえ! 懐かしいけど、古くねえ!”、ぼくの血は思いっきり騒ぎました。

 

 ストーリーのモデルとなったヒップホップ・グループ、N.W.A.が結成されたのは1986年。その2年後に、アルバム・デビューをしました。ぼくの最初のヒップホップ体験は83年のハービー・ハンコック「ロックイット」(アルバム『Future Shock』収録)です。翌年にはタイム・ゾーン(アフリカ・バンバータ)の「ザ・ワイルド・スタイル」やハービーの「メガミックス」といった12インチ・シングルを聴き、夏に北海道・夕張で行なわれたハービーの来日公演でグランド・ミキサーD.ST(現DXT)の“レコードを楽器として使う”技を見て驚き、さっそく家にあるポータブルのプレイヤーでレコードを逆再生したりして、それを自作自演の宅録カセット・テープ(当時のぼくは音楽家も目指していました)にオーヴァー・ダビングしたものです。自分が上京してジャズ雑誌の編集部に入ったのは90年代になろうとしていた頃ですが、まもなく友人を通じてビブラストーンやジャジー・アッパー・カットのメンバー、インタースコープ・レーベルの国内発売元だったレコード会社の担当者などと知り合うことができました。アウトバーンから出ていた「remix」やリットーミュージック「GROOVE」の編集長とも面識ができて、「ジャズとヒップホップ」というテーマで原稿を依頼したり、逆にこちらが「ドロドロ・ジャズ名盤選」(今はスピリチュアル・ジャズという和製英語が定着しているようですが、それはずっと先の話です)を寄稿したりと、「ジャズと、ヒップホップを含むクラブ・カルチャーを一緒にしてワチャワチャ楽しめないかな」という感じで毎日を過ごしていました。

 

 マイルス・デイヴィスがラップを取り入れた『ドゥー・バップ』を吹き込んだのは91年のことです。マイルスはヒップホップの面白さを大いに認めていたようですが、ほかのジャズ・ミュージシャンはどうなのか? その時期、サンプリングされることの多かった面々に、ぼくは直撃取材をしました。バーナード・パーディーやチャック・レイニーやヒューストン・パーソンは「まあ、別にいいんじゃないの。使用料が振り込まれていれば」という感じでした。もちろん渋い顔をした面々もいました。ルー・ドナルドソンは「私の音楽と、ヒップホップやラップは全然関係ない! 私はブルースやビ・バップに取り組んできたにすぎない。なんだい、ヒップホップてのは? あれは音楽か? 誘われたとしてもヒップホップはやらないよ」。そしてジャック・マクダフにも尋ねました。忘れもしない93年の初来日中、京王プラザホテルの彼の部屋で、です。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが当時すでにマクダフは脚が不自由でした。パジャマ姿で寝っ転がる彼へのインタビューです。「ああ、それについてはよく訊かれるよ。だがな、俺の音楽とヒップホップは関係ない。影響を与えたと勝手に解釈されるのも、個人的には全然嬉しくないね」。

 しかしマクダフは初期ラップの名門レーベル、シュガーヒルにアルバムを残しているのです。ラッパーとの交流があったとか、ヒップホップの誕生を手助けしたとかはなかったのでしょうか。ときくと「全然ない。たまたまシュガーヒルから誘いが来たからレコーディングしただけだ。だいたいヒップホップは物騒だよ、shootとかkillとかそういう言葉をガナって……。私の音楽がサンプリングされて、そういう言葉の後ろで鳴っている図を想像するだけでも、いやな気持ちだ」。

 

 マクダフの楽曲はア・トライブ・コールド・クエスト、ピート・ロック&C.L.スムース、ファットボーイ・スリム等にサンプリングされてきました。そんな彼が、若き日に残したアルバムが『ザ・ハニードリッパー』です。1961年の録音ですが、ぼくは80年代にアメリカで復刻されたアナログ盤で長く親しみました。それがいま、ハイレゾで聴けるのですから、天国のマクダフもテクノロジーの進化にびっくり仰天しているはずです。ここで編集部のAさんからの感想を見てみましょう。

「音が立体的に聴こえる! ハイレゾだとより、空間感、配置がわかる。何よりもハモンド・オルガンの音色が気になる。少しこもった感じの(電気の出力が弱かったであるとか、当時の状況も関係しているのだろうか)……」

 

The Honeydripper/Jack McDuff

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■執筆者プロフィール

 

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原田和典(はらだ・かずのり)

ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは @KazzHarada

 

 

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Vol.28 Theme : 曖昧な時代だからこそ、やるならとことんやろうぜな男

日高央の「今さら聴けないルーツを掘る旅」バックナンバーはこちら

 

 年末年始のROCKレジェンド訃報ラッシュが落ち着いて、やっと平常運転に戻れそうな春……しかしプロレス界ではハヤブサの急逝があり、やはり物悲しい3月……そうこうしている間にグラミーも終わり、今年もテイラー・スウィフト一択みたいな報道になってたけど、俺たち輩(やから)バンドマンからすると、POPで健全なテイラーだけじゃあ物足りない……誰か骨のある受賞者はおらんかったんかい!? と思ってたらいたいた……ケンドリック・ラマーが(テイラーのシングル「Bad Blood」で共演してるんだけどね)。

 かのデヴィッド・ボウイも、そのプロデューサーのトニー・ビスコンティもずっと愛聴し、ボウイの新作(結果、遺作になってしまった:涙)『★(Blackstar)』に大いなるインスパイアを与えたという傑作『To Pimp A Butterfly』でグラミー5冠をゲットしたケンドリック・ラマー。LA随一……いや、アメリカ全土でも犯罪率No.1と言われるコンプトン出身の彼は、同じくコンプトンから生まれた一大極悪HIP HOPグループN.W.A.の影響を受けつつも、同じくLAのヒーローにして非業の死を遂げた2PACからの影響も公言するラッパー。

 ここまではよくあるHIP HOPのサクセスストーリーだし、それだけなら彼の事をスルーしてもおかしくなかったんだけど……最初にケンドリック・ラマーを認識したのはシングル「The Recipe」のリリック・ビデオがSNS上でプッシュされていた時。Dr. Dreのサグなラップに、ケンドリックのメロウなラップが被さる対比が面白いし、何より良い曲だなと感じ早速チェック。そのスムースさからてっきりN.Y.とか東海岸のラッパーかと思ったら、まさかのLAコンプトン出身! 上記の通り思いっきりギャングスタな街から出てきたとは想定外……なんでも出身地の治安の悪さに辟易として、逆に音楽に打ち込んだという好青年っぷり。

 しかしリリックはコンプトンの現実を反映させたハードな内容。殺人事件や売春婦をテーマに、限りなくノンフィクショナルなストーリーを紡ぎ出し、それらを生々しく描くというよりは、とても詩的に、ポエティックに表現して、誰が聴いても読んでも色んな角度から考えさせられるという優れもの。しかも歌声やトラックはメロウ目なので、その対比も超クール。ヤバみしかない。

 出世作でもある2ndにしてメジャー第一弾アルバム『good kid, m.A.A.d city』も<狂った街の善良な少年>という、まさにケンドリックが見てきた現実を詩的に表現したもので、その卓越したセンスにDr.ドレーやスヌープ・ドッグらHIP HOP界の大物達が魅了されたのもうなずける話。

 そしてグラミーを総なめにした続く3rdにして大傑作『To Pimp A Butterfly』では、ジャジーさや生演奏の比重を上げメロウさも増しているのに、同時にリリックのエッジもどんどん尖ってる振り幅の広さを見せつける……成功の落とし穴を名優ウェズリー・スナイプスの脱税エピソードになぞらえたオープニング「Wesley's Theory」から、ラッパーとして認められる事の葛藤と売春婦の生き様を同時進行でなぞらえた「For Free?」へ、そしてアフリカから奴隷として連れてこられた黒人の歴史を、アメリカで大ヒットした伝説のドラマ<ルーツ>になぞらえた「King Kunta」と、頭3曲の流れで既にブラック・カルチャーの100年史を俯瞰する深さ。かつ曲はキャッチーという離れ業! これは21世紀の『ジギー・スターダスト』HIP HOP版! そりゃグラミー獲るよ、傑作だもん!

 サグいだけのラップとか、クールめのHIP HOPも良いんだけど、ケンドリック・ラマーの凄さはその両方を同時に体現するところ……サグいのにスマート、知的なのに泥臭い世界観も併せ持つ……そんなラッパーはなかなかいない。しかもコンプトン出身というリアルさも相まって、年齢や人種を問わずリスペクトを集める、まさに西海岸のニュースター! さらについこないだ、アルバム用にレコーディングしておいた未発表曲を集めたアルバム『untitled unmastered.』をサプライズ・リリース! 当然チャートでも軒並み一位! どこまで天才なんだか……テメェの耳でYO! チェック!

 

~今回紹介した作品~

To Pimp A Butterfly/Kendrick Lamar

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未発表曲集『untitled unmastered.』

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【日高央 プロフィール】

ひだか・とおる:1968年生まれ、千葉県出身。1997年BEAT CRUSADERSとして活動開始。2004年、メジャーレーベルに移籍。シングル「HIT IN THE USA」がアニメ『BECK』のオープニングテーマに起用されたことをきっかけにヒット。2010年に解散。ソロやMONOBRIGHTへの参加を経て、2012年12月にTHE STARBEMSを結成。2014年11月に2ndアルバム『Vanishing City』をリリースした。

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 当時本国ではほぼ無名の状態ながら、来日公演として行われた武道館ライブの模様を収めた『At Budokan』の逆輸入によって一躍人気バンドの座に上り詰めたチープ・トリック。近年に至るまでなかなか例のないこのスター誕生の裏側には何があったのか? 当時EPICソニーにて日本側の担当ディレクターとして活躍されていた野中規雄さんに、当時の思い出を振り返っていただきました。

 


 

【プロフィール】

野中規雄(のなか・のりお)

1948年生まれ。群馬県出身。72年にCBS・ソニー入社。ザ・クラッシュをはじめ、数々の洋楽アーティストを手がけた。退職後は(株)日本洋楽研究会を設立。日本が培ってきた洋楽を後世に残そうと働きかけている。FM COCOLO 放送のラジオ番組『PIRATES ROCK』の制作も6年目に入っている。

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――チープ・トリックを担当するようになった経緯を教えていただけますでしょうか。

野中 クイーン、キッス、エアロスミスって、「ミュージック・ライフ」が言い出した“三大バンド”っていうのをみんなが使うようになって。それがだんだん2年経ち3年経ちってベテランになってくると、次の顔がほしくなる。雑誌では常に新しいバンドを女の子たちに紹介していく必要があるので、その探してる中でチープ・トリックがピックアップされたっていう。でもプロモーションの力というよりは読者の反響が新しいバンドの中では一番大きかったので、東郷かおる子さん(ミュージック・ライフ編集長)が「これでいきましょう!」みたいな感じで。

――時期的には?

野中 (1stアルバム『Cheap Trick』を指して)ここ。このアルバムはすぐに出したことは出したんだけど、あんまりアメリカでも当たってないし、最初は日本でもそんなにいくと思ってなかったの。77年はエアロスミスの来日があって、まだ担当としては(エアロスミスというバンドの存在が)自分の中では大きいわけよ。しかもその時にジューダス・プリーストがCBSに移籍して、『背徳の門』が出る。それとクラッシュがイギリスでデビューしたって情報もあるから、そうするとそれらのバンドの中では(チープ・トリックは)一番下なのよ、自分の中の期待値としては。でも「ミュージック・ライフ」で新人紹介のグラビア載せたらバンと反応があったというのと、一枚目から渋谷陽一さん(ロッキング・オン編集長)がこれはいいっていう風に言ってくれてて。これはもしかしたらいけるんじゃないかって思ってたところに、このアルバム(2ndアルバム『In Color(邦題:蒼ざめたハイウェイ)』)がきたわけですよ。

――なるほど。

野中 77年の9月発売なので、このアルバムを聴いた7月くらいには「これドカーンとくるわ」と。お客さんの受けとアルバムの出来が間違いなく重なるなっていう感触と確信で。だから実のところ言うとチープ・トリックってそれほど大きなことやってないの、担当としては。

――そうなんですか。

野中 身を任せてたから。ユーザーの人に。

――ロビン・ザンダーとトム・ピーターソンっていうあの二人の美形のルックスと楽曲がまずはポイントだったんでしょうか。

野中 新人のアルバム・サンプルの中から好きなの選んでいいよって上司に言われたので、「じゃあこれ、チープ・トリックってのでいきますよ」と。エアロスミスのプロデューサーでもある、ジャック・ダグラスのプロデュースだったし。「こんなのオヤジが二人いて、受けるわけないだろ」とか言われた当初から、そもそもそんなに期待してなかったんですよ。これ(『蒼ざめたハイウェイ』)が出るまではね。ここで初めて「いい男二人とおじさん二人」ってコンセプトがはっきり出たわけだよね(笑)

――キャラ設定みたいなのを意図的にやったりとかはあったんですか、当時。

野中 このチープ・トリックってバンドに関しては全部(メンバーの)リック・ニールセンのプロデュースだから、日本側が何かイメージ作ったとかいうことじゃなくて。変なの二人といい男二人っていうのは、リックが作ったコンセプトなんだよね。ただ特にこのロビンが日本の女の子に受けたんだよ。いい男ってのは世界中にたくさんいるんだけど、ロビンの“いい男度”が刺さった。あの頃の日本の女の子たちの好みにね。

――僕もチープ・トリック大好きだったんですけど、やっぱりそのリックの変態的な感じ、ギターコレクター的な感じとか、そっちがあってこそということも言われてましたよね。

野中 このアルバム(『蒼ざめたハイウェイ』)の音が来たときに、ある意味「ミュージック・ライフ」をとるか「ロッキング・オン」をとるか選択しなきゃいけないわけです。どういうことかっていうと、たとえば日本に取材にきたときに、どこに一番最初に取材してもらうかっていう。海外取材なんかの写真も、どこに最初に持っていくかっていうことがあるので。そういうときにやっぱり「ミュージック・ライフ」にしようって思ったのは……ある意味でその後のバンドにとって正解だったかもしれない。とにかくビジュアルだったんだよ。その頃のロビンのね、俺のつけたキャッチフレーズは……「青いリンゴ」だったの。

――ははははは!(笑) ちなみに僕は関西だったんですけど、やっぱり「今夜は帰さない」っていうのが、とにかくラジオでたくさんかかってたっていう記憶があって。それでけっこう洗脳されたっていうか。

野中 このアルバムの中の2曲だけは絶対にシングル・ヒットさせたいと思ったんだ。アメリカとは全然関係なく日本だけのシングルカットができてた時代だし、アメリカでは人気のないこのバンド、日本は勝手にやってやろうと。まずはこの2曲に邦題を付けたい、しかも若い女の子向けにということで、「甘い罠」「今夜は帰さない」と付けて。

――女子ウケを狙ったタイトルにしようっていう。

野中 そう。エアロスミスの「お説教」と「やりたい気持ち」は2秒くらいでつけたけど(笑)、これはね、たぶん一日二日かかったと思う。特に「今夜は帰さない」は時間かかった。アルバムの中で邦題がついてるのはこの2曲だけだもんね。この2曲だけで決めるっていう意思がばりばり出てるよね。

――では、ちょっと聴いてみましょうか。

 

♪「今夜は帰さない」(試聴

アルバム『In Color(蒼ざめたハイウェイ)』収録
(原題:「Clock Strikes Ten」)

 

――ビートルズっぽくてサウンドが今っぽいっていうので持ってかれましたね。やっぱりビートルズって年上の人のものだったんで。

野中 そうだね。もろビートルズのおいしいところもらってるから。だからビートルズをデビューのころから体験してきた人間にとっては、「なんだこれパクリじゃないか」って言う人もいるけど、そうじゃない人たちにとってはまた新しい感じに聴こえたかもしれない。

――この流れで武道館ということになるんですかね。

野中 9月の時点でもうこの『蒼ざめたハイウェイ』がめちゃくちゃ売れちゃってるわけ。その頃に音楽舎ってところからチープ・トリック呼びますと。へえ、どこでですかって聞いたら、「武道館ですよ」と。こちらとしては「武道館? ありえないでしょう」と。5月にデビューして、ヒットアルバムが9月で、翌年の3月に武道館なんて、いくらなんだって無理でしょっていう話をしたんだけど、「いやもう決めたんだからやります」「ミュージック・ライフも人気凄いって言ってます」みたいに返されて。まあ、うちがリスクを負うわけじゃないからいいかなって思ってたら、(音楽評論家の)福田一郎さんが「アメリカの前座バンドを武道館でやるなんて何事か!」みたいに怒ったんですよ。

――(笑)

野中 つまりね、武道館っていうのはビートルズから始まったように、実力もステータスもあるバンドがやる場所なんだと。

――そんな簡単に出るなよと。

野中 そうそう。アメリカで誰かの前座しかやってないようなバンドがちょっと人気が出たからって武道館でやるなんてありえないって。だいたい30分か45分しかやれてないはずだから、そいつらが武道館のステージができるわけがないと。ハコとサイズでもって負けちゃうだろっていう風に福田先生は言ってたんですよね。

――まあわりと正論ですよね。

野中 そう。で、みんな「そう言われてみたらそうかもな……」と思うわけじゃない。ところが、それをクリアしちゃったのは、チープ・トリックっていうバンドとあのファンだよね。まず第一にチープ・トリックが30分45分のバンドじゃなくて、2時間でもできるバンドだったということ。前座をやっていたけれども本来彼らはずっと地元でやっていたから演奏力もあるし、構成もできる想像以上のライブバンドだったということがひとつと、武道館を埋めたお客さんたちが「ギャー!」って言ってくれたおかげで、ステージもレコーディングも派手になった。

――でもその前にもうレコーディングを決められてるわけなんで、それはわかってなかったわけじゃないですか。見切り発車なわけで。

野中 あのね、“LIVE IN JAPAN”って当時の日本のレコード会社はわりとみんな録ってたのよ。ブラジル音楽でもジャズでも日本にきたら“LIVE IN JAPAN”を録るっていうのがあって、もうひとつは洋楽のディレクターっていうのは自分で音が作れないから、音を作りたいんだな。

――企画を。

野中 そうそう。自分の制作でレコードを出すのに一番手っ取り早いのが“LIVE IN JAPAN”。だから来日アーティストが来るときはだいたいオファーしてるわけ。で、その頃の契約っていうのは、今みたいに地球上全部同じ契約書でできてるもんじゃなくて、テリトリーごとに違ってたりしたものだから、日本だけで発売するのはわりとね、楽だったの。本国でレコード会社とアーティストが結んでる契約に触れずに日本だけプラスアルファの契約ができたのね。でもその代わり、「日本だけだからね、他の国に持っていくなよ」って条件がついて。それでエアロスミスは断られたの。

――あ、なるほど。

野中 ジャニス・イアンは録れた。でも売れてないから、無名なレコードだけどさ(笑) 同じようにジューダス・プリーストも録った。どんなアーティストにも当たり前のように“LIVE IN JAPAN”録りたいっていうオファーは出してたの。

――なるほど。じゃあそのときはそんなにヨダレが出てたってわけでもなく……。

野中 いやヨダレは出てたよ(笑)。1978年の4月来日でしょ、10月には新会社・EPICソニーができるから、その第一弾にしてががーん!と広告打とうと。結局「Don’t Look Back」(ボストンの2ndアルバム。EPICソニーの洋楽第一弾アルバムになった)の次になったけど、7万枚だか8万枚だか売れたわけ。なのでもう成果は上がったなと、担当ディレクターとしては、『蒼ざめたハイウェイ』が売れて、来日公演があって、『Heaven Tonight(邦題:天国の罠)』も売れて、『At Budokan』 まで7万か8万売れて御の字、もうこれで特賞(ボーナス)の査定はいいわけよ、すでに(笑) だってアメリカでも売れてないバンドで武道館いっぱいにして、そのライブ盤が10万枚近く売れちゃったわけだから、ああOKOK、俺っていい仕事したなと。そしたらアメリカで『At Budokan』が発売になったの。アメリカの発売まで野中がやったかと言われたら、何も動いてないからね。

――最初は(日本からアメリカへの)輸出盤ってことですよね。

野中 そう。だから謙遜ではなくてチープ・トリックの場合は運のよさがね、どんどんどんどん重なっていったっていう。そういえば、つい数年前にアメリカのエピックの当時のシカゴのプロモーター……そいつがこの日本盤をDJのところに持っていって、「これ面白いぜ」って言った張本人だってのがわかって。

――ああ、歴史の生き証人というか……縁結びをしてくれた人が。

野中 そうそう。もちろん全然知らない人なんだけど、もし会えたら面白いよね。日本の担当者である自分と、アメリカで最初にこのアルバム(日本盤)を認めたその人とが。そうして輸出盤が評判になって、6万枚だか7万枚だか日本から出荷された頃、EPICはラジオOA用に何曲かピックアップしたDJコピーみたいなものを放送局に配布したんだけど、もう間に合わなくなって、遂には「アメリカでも発売することにしたから、アルバムカバーのアートワークを送れ」って連絡が入った。それからすぐにイギリス盤も出る、ドイツでもカナダでも出る、どこで出るで、うわーすごいなこれはって言ってたら、あっという間に200万枚みたいな。

――とんでもないですね……日本で発売してから向こうでチャートアクションが出るまでの期間ってどれくらいなんですか?

野中 えっとね、半年ぐらい。年明けには輸入盤が向こうに届いてるからね。シカゴのDJが「ビートルズみたいだ!」って紹介したのが広がっていったんだけど、実はアメリカのDJもリスナーもビートルズ以降ああいう(観客が)「ギャー!」って歓声を上げる文化を知らないんだよね。ところが日本はずっと伝統としてあったから。クイーンもそうだし、ベイ・シティ・ローラーズもそうだったから、チープ・トリックで「ギャー!」って言うのは当たり前なんだよね。でも、アメリカの人たちはクイーンでもベイ・シティ・ローラーズでもあそこまでじゃなかった。いきなりチープ・トリックのライブ音源の「ギャー!」をラジオで聴いて、「何コレ!?」って。目新しさっていうか、珍しさがあったんだよね。

――曲は何がシングルカットされたんですか?

野中 アメリカも日本の真似で「I Want You to Want Me」(邦題:甘い罠)を。それが初めてのチープ・トリックのシングルヒットになったんだよね。

――武道館はレコーディングのセッティングだとかジャケットだとか、どういう風に関わられたのでしょうか。

野中 鈴木智雄さんっていうエンジニア(当時CBSソニー所属)がチープ・トリックを録ってくれることになって。あの人のところにいたスタッフが実はジャニス・イアンを録ったのと同じスタッフなのよ。だからジャニスを録ったときと同じ機材と同じスタッフで二度目なので、じゃあそういうことでお願いしますって、あとはお任せ。

――録ったのは一日だけですか?

野中 武道館と、あと大阪。大阪での演奏も混ぜてあるんだよね。

――ディープ・パープル(アルバム『Live in Japan』)方式で。

野中 そうそう。

――ジャケットには関わられていたんですか?

野中 ジャケットは……たぶん三浦憲治さんだと思うんだけど。あと長谷部宏さんとうちが頼んだカメラマンの人の写真の中から選んで、ジャケットを起こした。

――日本発売で当然イニシアチブもあるし、アートワークもそのまま向こうに行ったっていうことですよね。

野中 そうそうそう。でも本人たちは後になってどこかで読んだけど、気に入ってないんだって。なんかヤギかロバみたいに見える、とか言って(笑)

 

野中 いまでこそパワーポップだとか言われてるけどさ、あの頃はイメージとしてはやっぱりアイドルバンドだよね。捉えられ方としては。だから男の子のファンは少なかった。98%ぐらい女の子だったんじゃない? 隠れチープ・トリックファンって男の子はいたけど……表に出てこれないのよ、恥ずかしくて。

――(笑) 自分はすごい好きでしたけど、確かにライブに行こうとかいう風にはならなかったかもですね。やっぱり『Dream Police』が出て、あまりにソフトになってたんで超がっかりしたっていう……。

野中 そうだよね。あのね、これも何回かいろんなところで言ってるんだけど、このアルバム(『At Budokan』)が出たことによる悪い影響ってのがこういうところに出てくるわけだよ。で、具体的に何かっていうとこれ(『Dream Police』)だってプラチナ・ディスク獲ってるんだよ。

――はい。

野中 売れてるのにみんな『At Budokan』しか言わないわけ。アメリカのマスコミの人もファンの人も……だから「『At Budokan』のチープ・トリック」っていうことをずっと言われちゃって。結果90年くらいからダメになっちゃったね。その段階で終わったと思ったもん、俺も。「あ、消えたな」と。「チープ・トリックってバンドが昔いたよね」みたいな。ところがそれが盛り返してきてるってのが最近なんだよね。

――ついにロックの殿堂入りしましたよね。

野中 今年にね。ロックの殿堂入りってのはさ、すごいんだけど、(チープ・トリックには)似合わないよね。しかも一緒に殿堂入りするのがシカゴとディープ・パープルで。そこにチープ・トリックって……チープ・トリックはノミネート自体初めてされたのよ。5回も6回もノミネートされて取れないのもいる中でね。その人たちに比べると、ノミネートされてすぐ決定!みたいなさ。

――でもミュージシャンへの影響力ってのはすごくありますよね。パワーポップのシーンやら、スマパン(The Smashing Pumpkins)だなんだって。

野中 ミュージシャンに好かれる、いわゆるミュージシャンズ・ミュージシャン。特にリックがそうみたいだよね。自分のところのレーベルからか、インディーズだったと思うんだけど、『ロックフォード』ってバンドの出身地をタイトルにした原点帰りのアルバムを出して、そのアルバムの次に35周年の来日公演をやるの。2008年。その年かその翌年くらい、『ザ・レイテスト』ってアルバムを出すわけ。この『ロックフォード』と『ザ・レイテスト』って2枚のアルバムが、出来がすごくいいのよ。だから結局チープ・トリックってね、曲がいいっていうのはやっぱり一番強くて。しかもそれを表現するロビン・ザンダーっていう歌手はとんでもない歌手だと思う。いまにして思うに。曲によって歌い方が変わる。最初のうちは俺も女の子にウケるアイドルでいいやとか思ってたんだけど、実はこのリックが仕掛けてるバンドのコンセプトとか楽曲っていうのを、特に最近のアルバムを聴くと、すごくクオリティが高いのよ。『ザ・レイテスト』ってのはね、捨て曲なしでほんとにいいですよ。それがもう7年前のアルバムかな。で、今年4月にチープトリックの新譜がユニバーサルから出るんだけど、ビッグ・マシーンっていうテイラー・スウィフトやエアロスミスのスティーヴン・タイラーが契約してるレーベルで。これもいいよ。

 

――『At Budokan』で一曲選ぶとしたら何ですか?

野中 やっぱり一曲目の「Hello There」じゃないかな。暗転の瞬間にぞぞぞぞぞってしたんだよなあ、あの時。

 

♪「Hello There」(試聴

アルバム『At Budokan』収録

 

野中 音を出す前に「ギャーッ!」ってなって。やったわと。ギャーッと言わせてやったわと。

――(笑)

野中 あれはね、担当者冥利につきるってやつだったと思う。自分の担当してたアーティストが、アメリカで全く売れてないのに日本に来てこのありさま、みたいな(笑)
『At Budokan』が78年じゃない? その後2008年に一回だけ武道館でやりに来てるのよ、30周年ということで。さっき言った『ロックフォード』と『ザ・レイテスト』の間に武道館が入ってるわけ。結局彼らにとっていい意味でも悪い意味でもポイントになってた武道館を、自分たちのふるさとの名前を冠した――ロックフォード――っていうアルバムを作って、もう一回やり直そうみたいな、その流れの中に入れたんだよね。一回だけ。で、実はその年の6月に野中、定年退職なのよ。

――すごいシンクロですね(笑)

野中 しかもね、その日はチープ・トリックが武道館やっていて、もう一個ビルボード東京でジャニス・イアンがやってたのよ。

――ご担当されていた。

野中 そんなことがあって(笑) だから武道館を観た翌日にビルボード東京でジャニス・イアンを見たんだけど。その辺の自分の個人的なことも含めて思い入れがあってさ。

――チープ・トリックのメンバーとは合われたんですか、そのタイミングで。

野中 ええ。チープ・トリックは……たびたび会ってる。

――メンバーの方々はそれぞれどんな方なんですか?

野中 それぞれのってのは上手く言えないけど、ただこのグループのすごいのは、ライブをいまでもやってることだよね。

――現役感がある。

野中 だからさっきの「殿堂入りが似合わない」っていうのは、現役だからなんだよね。あと偉そうにしてないの、4人がライブをやってても。で、いまも100本以上やってるらしいんだよ。毎年。リックなんてもう70歳近いんだよ!?

――バーニー(・カルロス)なんかもっと上ですよね? 確かいまはライブには参加していないとか。

野中 バーニーはああ見えてリックよりは若いんだけどね。仰る通りもうツアーバンドからは外れてて、いまはリックの息子がドラムを叩いてる。しかしそれでも100本はできないよ。もし日本のバンドが結成何十周年とかでツアーやったとしてさ、それでおしまいじゃない。10本15本切って「今年はいい記念の年でした、お疲れ様でした、またいつか会いましょう」じゃない。毎年100本やってんだよ!? だからそれがチープ・トリックの現役感でありすごさであり、ロックの殿堂入りが似合わない最大の理由で、ニューアルバム聴いてもいいじゃんって思わせるってことだと思うよ。だから担当してた当時よりも後になってきてチープ・トリックってすごいんだなって担当者が気がついたっていう(笑) 時間が経つにつれてすごかったんだな、みたいな。世間におけるバンドの評価も、そういう気がするしね。

 

(インタビュー&テキスト:mora readings編集部)

 


 

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「匠の記憶~Memories of Legend~」バックナンバーはこちら

 

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第17回:マイケル・ジャクソン『オフ・ザ・ウォール』

~一夜にしてハイレゾの怪物アルバムに~

 

 

 マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』がついにハイレゾで登場した。FLAC(96kHz/24bit)での配信。アルバムへの思いはいろいろあるが、まずはハイレゾを聴いてみよう。

 1曲目の「今夜はドント・ストップ」から猛烈な音がシャワーのように飛び出してきた。ひとつひとつの楽器音に張りがあり、まるで駿馬の筋肉をもつような音である。そのせいか細かいパーカッションの音があちこちでよく聞える。これは「粒立ちがいい音」というよりも「生命感のある音」と言ったほうがふさわしい。続く「ロック・ウィズ・ユー」も同じくらいパワフルだ。加えてバッキング・コーラスの繊細な響きにも耳を奪われた。

 

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 この2曲を聴いただけで、『オフ・ザ・ウォール』のハイレゾがこれまでのハイレゾとは一線を画す仕上がりだというのが分かる。これ以上言葉で説明すると、とんでもない形容詞を使いかねないので、ここは僕なりにハイレゾの音をイラスト化したので、そちらをご覧いただきたい。実際のハイレゾの音はこのイラストでも十分に描けなかったくらい精緻でパワーあふれる音、生命力のあふれる音である。

 

 一般にマイケル・ジャクソンといえば『スリラー』が最高傑作とされている。しかし音楽的な好みなら『スリラー』よりも『オフ・ザ・ウォール』を好む人も多い。かくいう僕もそうだ。『オフ・ザ・ウォール』には、丁度ビートルズの初期がそうであるように、エヴァー・グリーンなマイケル・ジャクソンを感じるからである。若いマイケルの音楽性に脂の乗りきったクインシー・ジョーンズがマジックを施したアルバム。それが『オフ・ザ・ウォール』であろう。

 ただ音質的にはやはり『スリラー』のほうが上という思いはあった。というか『スリラー』があまりに高音質すぎたのであるが。その『スリラー』が15年以上も前にSACDという高音質ソフトでリリース(現在はハイレゾでも配信中)されたのにたいして、『オフ・ザ・ウォール』はずっと音沙汰なしだったのだ。

 そんなところにようやく届いた『オフ・ザ・ウォール』のハイレゾなのである。嫌でも期待は高まるのであるが、そんな期待を軽々と越えるほどハイレゾの音質は、それこそ想定外だった。エヴァー・グリーンなマイケルやクインシー・ジョーンズのマジックと張り合うほどに、ハイレゾの高音質がバシバシと押し寄せてくるのである。これらが三位一体となって、ハイレゾで聴く『オフ・ザ・ウォール』は『スリラー』なみの怪物アルバムになった気がする。

 

 ここ数年ハイレゾを聴く機会が多くなったのであるが、次から次へと配信されるハイレゾを聴いていると、正直、最初の感動が薄れてきて耳が慣れてしまったところがある。同時に音の良し悪しを判断するハードルが上がってきたことも実感していた。要するに、好むと好まざるにかかわらず、少々の高音質では感動しない体質になってしまったのである。

 しかしこの『オフ・ザ・ウォール』のハイレゾは、そんな僕の麻痺しかけていた耳に一撃を与えた。「今夜はドント・ストップ」が始まるや、まるで生まれて初めてハイレゾを聴いたような衝撃だったのだから。たぶん僕だけでなくほとんどの方が同じ感想をもたれると思う。ここのところ「ハイレゾのおススメは?」と訊かれると、あれもこれもと浮かんで何も選べなかった状態であったが、これからは『オフ・ザ・ウォール』を上げることに躊躇しないであろう。そう考えると『オフ・ザ・ウォール』は一夜にしてハイレゾの代表作になった。その意味でもやはり怪物アルバムだ。さすがマイケル・ジャクソンと言うほかはない。

 


 

☆大好評配信中!☆

Off the Wall/Michael Jackson
(FLAC|96.0kHz/24bit)

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【牧野 良幸 プロフィール】
 
1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。
 
 
 
 
 

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Vol.27 Theme : ワッキーの半分マンより四半世紀も先に半分マンを実践していた偉人

日高央の「今さら聴けないルーツを掘る旅」バックナンバーはこちら

 

 モーターヘッドのレミー、デヴィッド・ボウイ、イーグルスのグレン・フライ、そして今回追悼するのは……アース・ウィンド&ファイア(以下アース)のVo.モーリス・ホワイト。音楽界の進撃の巨人たちが次々と逝去してしまうので、なんか2016年ももう半分ぐらい過ぎたような気がするけどまだ初春。濃い一年になることは間違いなさそう!

 リアルタイムでアースを知ったのは、まさにお茶の間のイメージを決定した「Let’s Groove」の80年代アース(特大ヒット作『Raise!』収録)。ホーンや女性コーラス隊も交えた大所帯のバンド編成で、シンセもフィーチャーした派手なアレンジとラメッラメの衣装、当時の最新合成技術によるMVもド派手で、小林克也大先生MCの『ベストヒットUSA』にチャートインしてきた映像が初対面かしら? キャッチーな楽曲の魅力もさることながら、何より御大モーリス・ホワイトの半分アフロ……溢れんばかりのアフロが、頭の後ろ半分、後頭部にしかないという衝撃の髪型! の絶大なインパクトが今でも鮮明に焼き付いている……むしろ曲よりもルックスのパンチで忘れられなくなったというか(笑)。

 その後モーリス・ホワイトとダブルVo.というスタイルで歌ってたフィリップ・ベイリーが(最初はモーリス御大のインパクトが強すぎて彼の存在に気付いてなかった、すまん!)、ソロを出したり、フィル・コリンズとのデュエット「Easy Lover」をヒットさせる等して存在感を出してくると、なるほどモーリスの太い声と、フィリップの繊細なファルセットの組み合わせがアースの真骨頂なのか! と気付き、過去の代表作も積極的にディグるように。

 すると70年代アースは、自分が思っていたようなド派手なだけのグループではなく、当時の最先端であるプログレやブラスROCKを融合した、全く新しいファンクBANDであることが判明! しかも御大モーリス・ホワイトは、幼少の頃ブッカーTと幼馴染で、元々はJAZZドラマー出身でエタ・ジェームズやラムゼイ・ルイスの作品で叩いてたりと、カッコイイ経歴が続々出てくる、出てくる……ごめん、メチャクチャ腕のあるミュージシャンだったのね……「半分アフロ」とか呼んでてゴメン!(笑)

 しかもソロでもセルフ・タイトルな『Maurice White』を大ヒットさせてるし(これまた当時最先端のA.O.R.風味な、大人のR&Bアルバム。大名曲「Stand By Me」のアフロなカヴァーもカッコイイ好盤)、「Best Of My Love」のヒットを放った女性Vo.グループのエモーションズや、大ヒット映画『フットルース』のサントラで「Let's Hear It For The Boy」を歌ったデニース・ウィリアムズのプロデュースなんかも手がけてて、メチャメチャ多彩! っつうか天才レベルじゃん……マジで「半分アフロ」呼ばわりゴメン!

 晩年はパーキンソン病や神経症を患って、アースのLIVEにも不参加だったりで表舞台からは姿を消していたものの、裏方としてプロデュース業務には携わっていたようで、やはり根っからのミュージシャン。真のミュージック・ラヴァーな姿勢を貫きながらも今年永眠……激動の70~80年代を生き抜いてきた音楽魂は、きっと天国でもファンキーな音楽を奏でていることでしょう……そんなモーリス・ホワイト大先生に、とっておきの情報を一つ……YOUR SONG IS GOODのGt.、ヨシザワ "モーリス" マサトモは、学生時代パーマかけた時にあなたそっくりのルックスになってしまったので、あだ名が<モーリス>になったそうです……多分、半分アフロみたいになっちゃったんだと思います!(笑)

 

名曲の数々を収録のベスト盤!

The Best Of Earth, Wind & Fire Vol. 1

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【日高央 プロフィール】

ひだか・とおる:1968年生まれ、千葉県出身。1997年BEAT CRUSADERSとして活動開始。2004年、メジャーレーベルに移籍。シングル「HIT IN THE USA」がアニメ『BECK』のオープニングテーマに起用されたことをきっかけにヒット。2010年に解散。ソロやMONOBRIGHTへの参加を経て、2012年12月にTHE STARBEMSを結成。2014年11月に2ndアルバム『Vanishing City』をリリースした。

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