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定期連載のトピックス

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第20回:ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』

~今も“現在進行形の傑作”~

 

 今年は発売50周年ということで『ペット・サウンズ』が盛り上がっている。この4月にブライアン・ウィルソンが来日して『ペット・サウンズ』の再現ライヴをおこなうとも言う。もちろんハイレゾでも『ペット・サウンズ』は盛り上がっていて、MonoバージョンMonoとStereoの両方を収めたヴァージョンが配信されている。

 今日ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』は、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と並んでロック史上最も重要なアルバムとして評価されている。しかしこの2作品の受け入れられ方はまったく対照的であったようである。『サージェント・ぺパーズ』は発売と同時に傑作の評価を得たが、『ペット・サウンズ』が傑作と評価されるには長い時間が必要だった。

 僕個人にしても『サージェント・ペパーズ』が好きになるには1秒とかからなかったが、『ペット・サウンズ』が好きになるにはそれなりの歳月を要した。初めて聴いた時は自分が不感症になってしまったのかと思うくらいポップス的な興奮が起きなかったものである。演奏は恐ろしく個性的なのに、音楽として強く自己主張してこないのだ。

 “へそ”が抜け落ちているというか、自分が幽体離脱して聴いているような錯覚さえ覚えた。それでいてラストの電車と踏切、犬の鳴き声で現実世界に戻されてしまうのだから、音楽的カタルシスが最後まで宙ぶらりんなのである。それが僕の『ペット・サウンズ』の最初の頃の印象だ。つまり世間が傑作と言うわりには取っ付きにくかったのである。

 しかしこの「取っ付きにくさ」こそが『ペット・サウンズ』を『サージェント・ペパーズ』以上に深く、永遠なものにしている気がするのである。言わば“現在進行形の傑作”であろうか。だから『ペット・サウンズ』を好きになるのに時間がかかってしまった僕から、初めて聴く人にアドバイスをするとしたら「どうか、しばらく聴き続けてみて」という事である。ある時、視界が開けて猛烈に好きになる瞬間がくるから(最初から好きになる人は問題なし)。

 一旦『ペット・サウンズ』が好きになると、このアルバムはもう“底なし”である。何度聴いても飽きない。というか聴けば聴くほど、世界は拡張され新たな魅力を発見する。さっき幽体離脱と書いたが、このアルバムにはどこか“幽玄の世界”があるような気さえする。

 

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 ためしにライヴ盤『Live In London』(ハイレゾ配信あり)で『ペット・サウンズ』収録の「Wouldn’t It Be Nice」「God Only Knows 」などを聴きくらべてみてほしい。これらはライヴだと完璧にかっこいい西洋風ポップスである。曲自体の良さをあらためて認識するのであるが、ここには『ペット・サウンズ』で聴くときの“幽玄”な趣きはない(演奏にブライアン・ウィルソンが参加してないことは考えないことにする)。

 どちらがいい悪いではなく、『ペット・サウンズ』というアルバムは世界でたった一つしかない音響世界ということだ。もともとハイファイな音ではないけれど、その音さえもこのアルバムの命である。ハイレゾではStereoヴァージョンのほうが、多様な使用楽器が耳に入りやすいし、音のまわりの空間も広めなので、ハイレゾの効果が感じられると思う。

 しかしMonoにはMonoの世界がある。オリジナルの音がそうだから、いわゆるMono特有のガツンとした音はハイレゾでもあらわれないが(そうなったら『ペット・サウンズ』でなくなってしまう?)、ハイレゾだとベースの音はしっかり出てくるし、Mono特有の光臨のように一点放射であらわれる音が魅力だ。MonoとStereo、どちらを聴くにしても、または両方聴くにしても、アナログLP、CDときて、ハイレゾが“現在進行形の傑作”を引き継ぐ器となるだろう。

 


 

ステレオ音源とモノラル音源を同時収録!

The Beach Boys
『Pet Sounds』

(FLAC|192.0kHz/24bit)

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The Beach Boys ハイレゾ配信一覧はこちらから

 


 

【牧野 良幸 プロフィール】

1958年 愛知県岡崎市生まれ。

1980関西大学社会学部卒業。

大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。

近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

 

マッキーjp:牧野良幸公式サイト

 

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第19回:AC/DC『Rock or Bust』

~まさに“悪魔のハイレゾ”、アンガスのギターに魂を売り渡しそう~

 

 AC/DCはオーストラリア出身のロックバンドであるが、アメリカン・ロックのテイストがあり、ハード・ロックでもある。しかしそんなカテゴリー分けが必要ないほどに、アンガス・ヤングのリード・ギターがバンドの顔となっている。アンガスのギター・リフが始まっただけで、盛り上がるのだ。

 そんなAC/DCのハイレゾがついにmoraから登場した。2014年作品『Rock Of Bust』がFLACの96kHz/24bitで配信されたのだ。しかしこんなことを書くと、AC/DCのライヴではおなじみの赤い角を付けた熱狂的ファンにこう言われそうである。「おい、そこのオーディオ野郎、AC/DCをハイレゾで聴く必要があるのかよ!?」と。

 そう言われるとスピーカーの前で腕組みをしながら聴いている僕としては返答に困ってしまう。確かに熱狂的なノリを誘うAC/DCの音楽に高音質が合うだろうか、必要だろうか、と。

 しかし実際にハイレゾを聴いてみると杞憂であった。アンガスのギターのザラっとしながらも厚味のある音がじつに気持ちいいのだ。ハードではあるが、ちょうどカステラのように適度な密度なのがハイレゾならではだろう。僕はクラシックも好きで室内楽をたまに聴くのであるが、弦楽器の豊かな響きと同じくらい、豊かな響きをアンガスのギターに感じた。

 

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 ギターと言えば、このアルバムにはアンガスの兄であり、リズムギターを受け持つマルコム・ヤングが健康上の理由で参加していない。しかしマルコムのかわり参加している、ヤング兄弟の甥スティーヴィー・ヤングのリズムギターもハイレゾでは心地良い。あとドス、チャス! ドス、チャス!と刻むドラムもハイレゾでは重厚感がたっぷり。ブライアン・ジョンソンのヴォーカルも相変わらず一途に歌い込んでいく。

 つまるところAC/DCのドライヴ感はこのハイレゾでも健在なのだ。「Rock or Bust」「Play Ball」「Rock the Blues Away」……次々とあらわれる“金太郎飴”的な曲に引込まれる。ハイレゾの音もこれまた“金太郎飴”的にどの曲でも効果満点。8曲目の「Baptism By Fire」などは、どちらかと言えばクラシック向けのスピーカー・B&W804で鳴らしているにもかかわらず、“大スタジアムのノリ”なので思わず拳を上げてしまう。このハイレゾなら赤い角を付けた熱狂的ファンも満足してくれるのではあるまいか。

 それにしてもハイレゾで聴くアンガス・ヤングのギター・プレイはやはり素晴らしい。まさに“悪魔のハイレゾ”。こうなると前作『悪魔の氷 (Black Ice)』もハイレゾでリリースしてもらいたいものである。

 


 

好評配信中!

AC/DC
『Rock or Bust』

(FLAC|96.0kHz/24bit)

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【牧野 良幸 プロフィール】
 
1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。
 
 
 

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Vol.29 Theme : ギターが弾けなくてもロック出来るのさ

日高央の「今さら聴けないルーツを掘る旅」バックナンバーはこちら

 

 先週「ROCKレジェンド訃報シリーズが落ち着いた~」的なこと書いた途端に、また一人逝ってしまった……キース・エマーソン。シアターブルック等でおなじみの鍵盤奏者エマーソン北村氏が名前を引用しているように、英国を代表するROCK界屈指のキーボード・プレイヤー。70年代プログレ期のミュージシャンなので、俺もリアルタイムは80年代の映画『幻魔大戦』のサントラぐらいから意識した後追い組なんだけど……やはりROCKを後追い・深掘りしていると避けては通れない人物。レッツ深掘り。

 もともとはエマーソン……キースって呼ぶとキース・リチャードっぽいので、あえてエマーソンで行くよ……エマーソンは、60年代にザ・ナイスというプログレの先駆け的なバンドでデビュー。とはいえまだシンセサイザーが普及していないので、ハモンド・オルガンを軸としたジャズROCK的なアプローチでスマッシュヒットを量産。

 しかしメンバー達の度重なるドラッグ問題で活動が滞り(いつの時代も大差ないね)、業を煮やしたエマーソンはキング・クリムゾンからベースVo.のグレッグ・レイクを引き抜き、エマーソン・レイク&パーマー、通称ELPを結成。各自が前身バンドでスマッシュヒットを出していたし、アメリカでもクロスビー・スティルス&ナッシュ通称CS&Nといった各バンドから一人ずつ参加するスーパーグループ・ムーブメントがあったのも手伝って、イギリス版スーパーグループとして話題に。

 それまでバンドの花形はギタリストであったのに、ハモンドをギターアンプに繋いで歪ませたり、グワングワンに揺らして中のスプリングを鳴らしてハウらせたり、アンプに近付けてフィードバックノイズを出す等々、エマーソンは本来ギタリストがやるべきパートをキーボードでこなし、その前人未到のパフォーマンスで(あと鍵盤にナイフを突き立てて鳴りっぱなしにするとかパンチ&とんちが最高!)、1970年の第3回ワイト島ポップ・フェスティバルでステージデビューしたELPはたちまち英国音楽シーンを席巻。本格的なプログレ時代の到来もあって、クラシック音楽を大胆に引用した1st『エマーソン・レイク・アンド・パーマー』は欧米を中心にスマッシュヒット。

 そしてビートルズが実質上のラストアルバム『アビー・ロード』で導入したことでモーグ・シンセサイザーが脚光を浴びており、エマーソンはELPにシンセも導入。それまでのシンセは扱いも難しく高額であったため、楽曲にほんのフックをつける程度か、ノイズやノベルティ・ソングの効果音として使われていたので、エマーソンによるきちんとした鍵盤楽器としての演奏は世間に相当のインパクトをもたらし、傑作2nd『タルカス』で遂に全英1位に。エマーソン先生が今でも鍵盤界でリスペクトを集めるのには沢山の理由があったわけね。

 続くライブアルバムにしてELPの最高作との呼び声高い『展覧会の絵』は、1stのクラシック引用と2ndのシンセ感が融合した傑作として遂に世界中で1位を獲得。キーボード・プレイヤーとしてのエマーソン先生はもちろん、ELPとしての評価をも決定的に。プログレの複雑さを綿密に再現するスキルフルな演奏と、ライブ独自の何が起こるか判らない緊張感が相まって、不思議なムードを体感出来る一枚でもあるので、入門編としても良ござんす。

 その後もコンスタントなリリースや、豪雨に見舞われた伝説の後楽園ライブを含む来日公演などを実現しつつも、スターバンドにありがちな大きくなり過ぎてメンバー間の軋轢が増し、1980年に活動休止。ドラムのカール・パーマーは80年代にエイジアとして成功したり、そのパーマーが忙しかったのでレインボー等でおなじみのコージー・パウエルを加えたエマーソン・レイク&パウエルとして再始動したり(ちゃんと頭文字ELPだし)、エマーソン先生はホラー映画のサントラを数多く手がけ、前述のアニメ映画『幻魔大戦』のサントラでお茶の間にも浸透。

 しかし右手の怪我によりかつてのような完璧な演奏が出来ないことを悲観してか、今年3月にピストル自殺……一部ではネット上で「最近のエマーソンは下手クソ」的な中傷を気に病んだりもしていたというから……Internet Kills The Keybord Star……その鍵盤タッチと同様に繊細なハートを持ったキース・エマーソンのプレイを、是非ご堪能あれ。ギターレスROCKの先駆けとしてももっと評価されて良いはず。

 

『エマーソン、レイク&パーマー』
FLAC|48.0kHz/24bit

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『タルカス』
FLAC|48.0kHz/24bit

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『展覧会の絵』
FLAC|48.0kHz/24bit

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エマーソン・レイク・アンド・パーマー 配信一覧はこちら

 


 

【日高央 プロフィール】

ひだか・とおる:1968年生まれ、千葉県出身。1997年BEAT CRUSADERSとして活動開始。2004年、メジャーレーベルに移籍。シングル「HIT IN THE USA」がアニメ『BECK』のオープニングテーマに起用されたことをきっかけにヒット。2010年に解散。ソロやMONOBRIGHTへの参加を経て、2012年12月にTHE STARBEMSを結成。2014年11月に2ndアルバム『Vanishing City』をリリースした。

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第18回:シュガー・ベイブ『SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition- <2015 REMIX>』

~ハイレゾで、デビュー盤にしてプロフェッショナルなアルバムに~

 

 

僕がシュガー・ベイブという名前を初めて知ったのは高校生の時だ。兄貴が買ってきた荒井由実の『MISSLIM』に収められていた「12月の雨」という曲でだった。「12月の雨」にはそれまで、邦楽はおろか洋楽でも聴いたことがないようなコーラスが加えられていた。それを歌っていたのがシュガー・ベイブだったのである。

『MISSLIM』はユーミンの最高傑作と言っていいアルバムだと思う。その中でも「12月の雨」はアルバムの白眉である。言ってみれば、ユーミンのキャリアの頂点で、ユーミンを食ってしまったのがシュガー・ベイブということになる。もちろんそれくらいで、いささかも動じないユーミンであるが、かの荒井由実の背後に埋もれないほどシュガー・ベイブにも存在感があったということだ。僕にしてみればちょっとした事件だった。

しかしクレジットには「シュガー・ベイブ」という名前が載っているだけ。これも同じ頃兄貴が買ってきた、はっぴいえんどの解散コンサートのライヴ盤にもシュガー・ベイブの名前を発見したが、それでもまだ彼らの顔は見えてこなかった。いったいどんなコーラス・グループ(!)なんだ? 気にしていたのは兄貴も同じだったのだろう、やがて兄貴が1枚のレコードを購入する。それが『SONGS』だった。

 

僕もさっそく聴いた。「ユーミンのバックからアルバムを出せるまで出世したんですね」という、生意気に言えば、おめでとう、という気持ちで『SONGS』に針を落としたのである。はたして、流れてきたは「12月の雨」のコーラスと同じく、それまでの邦楽や洋楽で聴いたことがないような音楽だった(シュガー・ベイブがコーラス・グループではなくバンドであることはすぐに修正した)。

「素敵なショーのはじまりだよ〜」と歌うシュガー・ベイブは、当時70年代ロックにどっぷりだった僕には、ちょっとアマチュアぽい音楽に思えたが、そこには「我が道を行く」ゆるぎない自信を感じた。しかし同時に「僕たちの音楽も聴いてくれ!」という自意識も痛いほど感じた。『SONGS』は何度針を落としても、若者の自信と不安、両方が入り混じった蒼い時間が流れたものだった……。

 

長々と昔のことを書いたのは、今回のハイレゾが、かつて聴いたLPとかなり違う印象、また違う音になっているなあと感激したからである。もっともあの頃、やや回転の鈍ったターンテーブルのステレオで聴きこんだLPと、今日の大きなトールボーイ・スピーカーで音量を上げて聴くハイレゾとを比べるのは正確さにかけるかもしれない。しかしそれを差し引いても、今回のリマスタリングとハイレゾ自体の効果というのはすごくあるなあ、と思ってしまったのである。

 

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ハイレゾで聴く『SONGS』は頑強な音である。いってみれば、その後の山下達郎の『RIDE ON TIME』や『FOR YOU』のような“タツロー・サウンド”と互角に渡り合う音になっている気がする。だからブラスのアクセントの部分には「とっくに“タツロー”してたんだ」と、ニヤリとする。またドラムも小気味良い。小回りのきくオカズが前へ前へと曲を進めていくところが快感だ。このロック的な推進力は、FLACの「48kHz」という低めの周波数が合っているのか、若々しく伝わってくる。

ハイレゾは力強いだけではない。コーラスの重なりや、音の減衰する“きわ”も綺麗だなあと思う。加えて楽器や声の分離感(描き分け)がすごく出ているように思う。音のまわりに空気感を感じるところも随所にあった。こうなると『SONGS』にはオーディオ・マニアの好む、いわゆる“優秀録音盤”という肩書きを与えてもいいような気さえした。

 

40年前のLPで感じた「我が道を行く」精神はハイレゾでも健在だけれど、「僕たちの音楽を聴いてくれ!」という声はもう聞えてこない。同時に「アマチュアっぽい」という印象も消えた。かわりに思うのは、デビュー盤にもかかわらず作り込まれた「プロフェッショナルなアルバム」という思いである。というか、これが当時のシュガー・ベイブを伝える真の音なのだろう。ジャケットに描かれた老婦人もこれには「おやまあ」と驚いているのではないだろうか。

 


 

好評配信中!

シュガー・ベイブ
『SONGS』
-40th Anniversary Ultimate Edition- <2015 REMIX>

(FLAC|48.0kHz/24bit)

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【牧野 良幸 プロフィール】
 
1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。
 
 
 
 

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 前回に引き続き、ソニー・ミュージック・グループにて洋楽担当ディレクターとして活躍されていた野中規雄さんにお話を伺います。今回のお題は言わずと知れたスーパー・バンド、エアロスミス! しかし彼らも当初はヒットを疑問視され、「倉庫の中にあった売れないアルバム」から発掘されてきたというから驚きです。いかにしてクイーン、キッスと並ぶ「三大バンド」と称されるまでに至ったのか!? またしても飛び出した貴重な証言の数々をお楽しみください。

 


 

【プロフィール】

野中規雄(のなか・のりお)

1948年生まれ。群馬県出身。72年にCBS・ソニー入社。ザ・クラッシュをはじめ、数々の洋楽アーティストを手がけた。退職後は(株)日本洋楽研究会を設立。日本が培ってきた洋楽を後世に残そうと働きかけている。FM COCOLO 放送のラジオ番組『PIRATES ROCK』の制作も6年目に入っている。

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――エアロスミスを担当するきっかけは何だったのでしょうか?

野中 アメリカではデビューアルバムが1973年、1974年に2枚目なんだけど、アメリカでほとんど売れてないし、日本には担当したいディレクターもいなくて、日本では未発売だったのよ。輸入盤が倉庫の中にしまわれたまま。当時のCBSソニーにはサンタナ、シカゴ、サイモン&ガーファンクル、ジャニス・ジョプリンとか大物がいっぱいいて、そういうレコードを担当してる先輩ディレクターたちには興味を持たれない取りこぼされたレコードだったんだね。で、1974年にディレクターになったばかりの新米ディレクターの野中はモット・ザ・フープルしか担当してなかったので、他のアーティストを探してた。でも売れ線はみんな先輩が担当しちゃってる。

――だから、発掘しなきゃいけない。

野中 そう、だからしょうがないので倉庫に行って、ボツになった中に担当できそうなアーティストがいるんじゃないかと。それで一枚ずつずーっと探していったら、エアロスミスのデビューアルバムがあった。これ担当していいでしょうかね? って上司に聞いたら簡単に「いいよ~」って。でもその時はアメリカでも売れなかったレコードをいまさら出しても無理だろうということで、とりあえず「じゃあ私もらいましたから」と預かった。 で、3枚目の発売がアメリカの予定に上がって来てた時期に「よし、出そう!」って。それでまずは2枚目の『Get Your Wings』を75年の5月21日に『飛べ!エアロスミス』という邦題で出した。もう次の新譜が見えてるからね、タイミングを見てたってのはある。一年間に発売できるアルバムが3枚あるわけなんで、「ミュージック・ライフ」なんか三回顔出せるかもって計算もできる。

――なるほど。

野中 普通は一年に一枚くらいしか出さないから、一枚出すと翌年まで待たないと新譜は来ないけど、この場合はためてたから、2nd→3rd→1stっていう風に予定通り出していけた。そうしたら運がいいことに4枚目が『Rocks』っていうアルバムで、それがめちゃくちゃいいアルバムだった。それで爆発したみたいな。

――それは全米でも同時にですよね。

野中 そう。このときはもうすでにある程度売れてたんで、『Rocks』は音が届くのを待ってましたって感じ。営業も「今度のエアロスミスの新譜がきたら推しますよ」って体制で……1976年の7月だね。

――私は初めて買ったのが『Rocks』なんです、帯が金色の。

野中 エンボス加工されていてね、宝石のジュエルみたいな。

――ですね。その『Rocks』ですけど、邦題がついてないじゃないですか。それは何かあったんですか?

野中 75,6年あたりから邦題ってものが減ってきてるんだよ、時代的に。もうひとつはエアロスミスが『Rocks』の頃はある程度人気があって確立してたから、邦題で奇をてらう必要がなくなった。じゃあどうして3枚目までは邦題が多かったかというと、売れてない時代は邦題で禍々しいイメージにしないと、新人で、バンド名もカタカナで、タイトルもカタカナだと全部カタカナじゃないですか。そうするとそれがはたしてハードロックなのか、フォークなのか何もわからないから、たとえば『野獣生誕』(※1stアルバム『Aerosmith』の邦題)……これでイージーリスニングなわけはないんだから(笑) あと、少なくともエアロスミスの1枚目2枚目ぐらいまでは、音楽専門誌にもレコードレビューが出なかったのよ、ほとんど。

――ああ。

野中 小っちゃくタイトルと曲目、あとレーベル名と価格、それぐらいしか出ないので。そこで目立つには、邦題の活字しかないじゃない? だからカタカナにはしなかった。でも『Rocks』の頃にはもう邦題はいらないなって。

――続く『Draw the Line』も当然そのままで。

野中 そうそう。あとは世の中もそろそろ……ロックはそっちのほうが(邦題をつけないほうが)かっこいいって雰囲気になり始めた頃じゃないかな。ポップスはまだずっと残ってたけど。

――なるほど。話は戻るんですが……倉庫からピックアップされたときに、何が発売する決め手になったのかなと。

野中 それはもう、「Dream On」だよね。

――あ、楽曲だったんですね。

野中 楽曲。その一曲だけだね。だってあのアルバム、レコーディングもぺらんぺらんだし、将来このバンドが一流のバンドになるなんてとてもじゃないけど思えない音をしてたんで。ただその中で「Dream On」だけは楽曲として絶対的に頭に残ったの。この曲がいいと思うんで、「私担当したいんですけど」となった。それが後々シングルヒットするわけじゃん? アメリカでも。そういうときが一番うれしいんだよ。わー当たってた! みたいな。

――戻ってちゃんとそこも評価されてるってことですよね。

野中 ずいぶん後だよね。実際にヒットしたのは。

――75年~76年初めくらいですね。ではその一曲を聴いてみましょうか。

 

♪「Dream On」試聴

『Aerosmith』収録

 

野中 これが噂のハイレゾ? ブラッド・ウィットフォードのギターの音がこんなに聴こえるなんてありえないよね(笑)

――ははは(笑)

野中 そんなに(音が)入ってたのかっていう。

――解像度が上がってるんで。

野中 今まで曇りガラスみたいだったもんがスパーッて全部現れてくるもんね。

――よく言われるのが、地デジだとごまかせる女優の肌が4Kだと見えちゃう、みたいな(笑)

野中 クリアだよね。でもこれオリジナルの音源は同じなんだよね。

――そうですね。リマスターはしてると思いますけど。

野中 ということは、スタジオでこのぐらいで録ってたってことなのかな。

――そうでしょうね。アナログと比較したらどうかってのは、ちょっとあるんですけど。

野中 だって、あの一枚目のアルバムがこんな音になってたら……違うアプローチしてたよ。

――(笑)

野中 セコかったんだから、アルバムが……(年表を見ながら)これ見るとね、アメリカでの発売が73年の1月だって、1st。日本は76年の1月ってことは……3年間も出てなかったってことか。いまの時代だったらありえないよね。

――2枚目の『Get Your Wings』も、決め手はやっぱり楽曲だったんですか?

野中 『Get Your Wings』は、自分にとって2組目の担当アーティストをいつ出そうかって時期だから、中身がいいか悪いかということより、このアルバムから出すんだと。プロモーションは、磯田さんってサンタナのディレクターの人がやってたブルー・オイスター・カルトってバンドと一緒に、ヘヴィメタルキャンペーンってのをやったよね。ヘヴィメタルって言葉は今でいう「ヘビメタ」とは違う文学用語みたいな立ち位置で、ブルー・オイスター・カルトは確かにそうでも、エアロスミスはそうじゃないんだけど、「ハードロックだからまあいっか、入れちゃえ」みたいな(笑) それと二つ一緒にすれば広告にも載るじゃない。会社はブルー・オイスター・カルトのほうが推しだったんで、エアロスミスを下のほうに付けて。 時期的にはツェッペリンがそろそろピーク打ったかな、みたいな頃で、74年にクイーンが日本デビューして一気に売れてた。「ミュージック・ライフ」は、ツェッペリンの次の世代のスター候補に、クイーンひとつじゃなく二つ三つ組ませたいっていうことでキッスを次にピックアップした。エアロスミスは実はお情けなの(笑) 日本って昔から「三羽ガラス」とかいろいろ言うじゃん。三つ四つ一緒にしてやりたがる……で、クイーンとキッスはほぼ決まりで、じゃあ三羽目を誰にしようかっていう時に、音楽性も違うんだけど「ソニーのエアロスミスでいいんじゃないの」ってことになったみたい。あとはルックスも大きいよね。クイーンが王子様風じゃない? キッスはメイクがあって。その後につづく、“ワル”のエアロスミス……特にスティーブン・タイラーの猿みたいな顔! 音楽もビジュアルも三者三様で。数字的には当時の枚数で言うと、クイーンが60万枚、キッスが30万枚。エアロスミスは10万枚だから、クイーンの6分の1しか売れてないんだよ。「三大バンド」ってことで押し上げてもらって並ぶようになったけど、実は売上的にはもうめちゃくちゃ差があったんですよね。

――そして、『Rocks』の頃には日本もアメリカも揃って大ブレイク。

野中 アメリカは3枚目の『Toys in the Attic』からもうすでに当たってたんだよね。日本ではそこそこだったけど。日本では完全に『Rocks』からで。

――シングルの「Walk This Way」も変なタイミングで売れてませんでしたっけ?

野中 えっとね、「Walk This Way」はアメリカもシングルカットが遅かったの。76年の終わりごろじゃないかな。『Rocks』の後にシングルが出たって感じだったね。……で、さっきの邦題の話でいうとまさに「Walk This Way」に「お説教」ってつけたわけじゃない。「お説教」ってつけて発売したのは『闇夜のヘヴィ・ロック』だから……75年か。で、来日が決まったときにアメリカでシングルカットが「Walk This Way」だとわかったわけよ。まさかシングルカットになると思ってないし、前のアルバムの収録曲だし。それが来日記念盤になっちゃったので、急遽カタカナに変えたの。

――(笑)

野中 来日記念盤が「お説教」じゃまずいよなと(笑) 普通だとあのタイミングでシングルカットされるはずがないようなタイミングでのシングルカットだよ。だからこっちも焦って、シングル盤はカタカナで「ウォーク・ディス・ウェイ」、アルバムの曲目も次の版からカタカナにした。でも相変わらず、「お説教」で持ってる人がいるんだよね(笑)

――それは今ではかなりのレアアイテムになっていますよね。ではせっかくなんで「お説教」……もとい、「Walk This Way」を聴いてみましょうか。

 

♪「Walk This Way」試聴

『Toys In The Attic』収録

 

野中 これは驚くほどの音ではないね。

――この頃になると盤もマスタリングだったり、元々がよくなってるということじゃないですかね。……ところで僕は関西なんですけど、気のせいかもしれないですが、「Sweet Emotion」がよくかかっていた記憶があって。

野中 「Sweet Emotion」もね、シングルカットしてるよ。カタカナに直して。

――確か最初のタイトルは「やりたい気持ち」だったんですよね(笑)

野中 そうそう(笑) でもあれは「お説教」と違って、そのまま直訳だからね。「やりたい気持ち」っていうようなタイトルつけるバンドが、(行儀の)いいバンドであるわけがないじゃない。

――不良性、というか。

野中 そう、どっちかというとその方向に持っていきたかったというのもあるし。あと『Toys In Attic』は『闇夜のヘヴィ・ロック』っていう風になってるでしょ。あの頃は「ロックンロール」って言葉がね、なかなか使えなかったの。

――ダサいってことですか?

野中 あのね……「シャナナ」っぽかったの。

――ああ(笑)

野中 ストーンズをロックンロールって言ってる人もいたけど、ロックンロールっていう言い方自体がね、やっぱりリーゼントでこうやってる……

――オールディーズな。

野中 そうそう、そんなイメージになっちゃってて。だからエアロスミスはロックンロールなんだけど、ロックンロールって言いにくくて。音はもっと重いよと。チャラチャラ軽くツイストなんてやってないよと。そういうのもあって「ヘヴィロック」ってつけてたんだよね。

――ストーンズのコピー品、みたいにも言われてたじゃないですか。でもサウンドはストーンズのコピーじゃなくてヘヴィだったんで……それはやっぱり若かった当時の僕たちには、こっちのほうがかっこいいなというのは思いましたね。

野中 それは確かに意識してた。どっちかって言ったら、あえて言うならハードロックに近いんですよというのをアピールしたかったみたいな感じでね。

――それが『Rocks』でひとつ結実したということで。

野中 そうそう。『Rocks』はさっき金色の帯が付いてたって言ってたじゃない? それも金帯にしたくなるくらい間違いなくこれは名盤になるって自信があったからで。イニシャル10万近くからスタートしたんだよ。

――そうなんですね。一曲目から「来るぞ!」という感じがたまらないアルバムで。

野中 いまでも覚えてるのがね、スタジオのスピーカーから音が出た瞬間に「勝ったわ~」って(笑) 税関を通ったマスターテープが届くのを信濃町のスタジオで待ち構えてて、準備のできたマスターを日本で一番最初に聴くのが自分だっていう興奮もあるんだけど。邦楽の人と違って、洋楽のディレクターは作っていく過程を間近で見ていることができないから、出来上がったものを聴くだけじゃない。だからもうドキドキだよね。どんなのができてるのか……あとはもう直せないんだから(笑)で、そのときは頭っから「勝った! これは来るぞ!!」ってスタジオから電話かけまくったの。「ミュージック・ライフ」の編集長だった東郷かおる子さんとか、渋谷陽一さんとか、伊藤政則さんとか、大貫憲章さんとか……そういう人たちにもうスタジオから「聴こえる!? 聴こえる!?」って。電話だからよく聴こえるわけないんだけど(笑)

――やっぱり「Back In The Saddle」からやられた感じですか?

野中 そうだね。あのオープニング……「デンデンデンデン♪」という。イントロだけでも聴いてみようか。

 

♪「Back In The Saddle」試聴

『Rocks』収録

 

野中 壁みたいなのが「ガツーン!」ときたんだよね。このイントロが。……で、このアルバムの後で来日するのよ。初めて自分担当のアーティストが来日、それが日本武道館で、これもラッキーといえばラッキーなんだけど。

――武道館までいける! という手応えはあったんですか?

野中 その頃にはもう一気に人気が出ていて。76年はクイーン、キッス、エアロスミスが席巻していた。エアロスミスが初めて「ミュージック・ライフ」の表紙になったのも76年だね……その時にこれは有名な話なんだけど、シンコーミュージックの営業の人が「なんでこんなものを表紙にするんだ」って言ったらしいの。「毎号クイーンにしとけばいいんだ」ぐらいの。

――(笑)

野中 エアロスミスの初めての表紙は、スティーブン・タイラーの顔のどアップで。でもそれが売れたんだって。で、営業の人も「あ、売れるんだ」という反応だったらしいです、聞いたところによると。で『Rocks』が出た頃にはなんとなく、「エアロスミスも初来日で武道館やれちゃうんじゃない?」っていう雰囲気になってた。ウドー(音楽事務所)さんもどんどん新しいロックのアーティストを招聘してたし。

――折田さん(※折田育造さん。レッド・ツェッペリンの日本での担当ディレクターを務めた。当時のエピソードはmora readingsでも過去に語っていただいている)の話……レッド・ツェッペリンの“蛮行”じゃないですけど、エアロスミスのメンバーはどうだったんですか。

野中 エアロのメンバーはね……行儀がよかったと思う。トラブルはなかった。ただ、マネージメントの社長が来たんだけど、マネージメントとバンドは上手くいってなかったかな、今から思えばその兆しがあった。あと来日ネタとしては、結構これも有名なんだけど、エアロスミスが日本で初めてコンサートをやったのは前橋なの。

――群馬県の。

野中 そう。前橋っていうのは地方都市だし、エアロスミス以降そういう旬の洋楽のロックバンドがコンサートを前橋でやったことは一度もない。で、前橋ってのは野中の出身地なのよ。だから自分の田舎に連れていったんじゃないかっていう風にも言われたんだけど、それは偶然だよね。入社3,4年のディレクターが自分の田舎にアーティストをブッキングなんてできるわけないんだから(笑) でも途中から面倒くさいからもうそれでいいやと、「はい、連れて行きました」と言うようになっちゃったんだけど(笑) あれはいわばゲネプロ的な、慣らし公演だったよね。

――追っかけとかは大丈夫でしたか?

野中 追っかけはいたけど、移動に困るほどじゃなかった。関越自動車道がまだないから往復は電車でね。これもどこかで言ってるんだけど、高崎駅のホームでメンバーがかけそばを食べたんだよ。それが初めて食べた日本食で。

――(笑) そのあと、割と間を空けずに『Draw the Line』でしたよね。

野中 そう。で、『Draw the Line』がダメだったのよ。さっき『Rocks』でスタジオで衝撃を受けて「売れるぞ!」って自信を持ったって言ったじゃない。『Draw the Line』は聴いた瞬間に「ヤバい!」って思ったわけ。「これは売れない」っていう……担当者として。『Rocks』が当たって、武道館公演もできて、ガーッとウケているときに、このアルバムじゃ終わっちゃうぞ……という。

――そうですか……僕は一番リアルタイムだったんで「きた!!」って思いましたけどね。それこそ一曲目から……。

野中 その時にどうしたかっていうと、もう「エアロスミスの最高傑作だ!」って言いまくったわけ。音を聴かせる前にね。音を黙って聴かせると、低く評価されるのは目に見えてるので、音を出さないで、もうエアロスミスは行き着くところまで来たと。「ロックバンドはこれ以上いけないほどすごい地点まで来てしまった!」みたいな(笑)

――わからないお前が馬鹿だ! ぐらいの……。

野中 そうそう(笑) あとジャケットもキツかったのよ、やっぱし。

――イラストをあしらったものでしたよね。

野中 だからジャケットと音がわかった瞬間に、もう有無を言わせないと。CBSソニーって会社の名前使ってでも悪口を書かせない! っていう……宣伝のスタッフにもそういうプロモーションを徹底させてたと思う。

――そうですか……じゃあ僕はプロモーションにちょっと頭をやられてたのかもしれませんね(苦笑)

野中 正直言えば、悪口言いそうな人間の口を封じる…そういう禁じ手だよね。

――(笑) ではそんな「Draw the Line」を……。

 

♪「Draw the Line」試聴

『Draw The Line』収録

 

野中 でもね、今聴くとちゃんとね、いいのよ。

――いや、先ほども申し上げましたが、僕は大好きなんです(笑)

野中 それはたとえば同じような目にあったのはクラッシュで、『London Calling』っていう大名盤があって、その次に『Sandinista!』聴いたときに「これもヤバいな」って思ったわけよ。

――がらりと内容が変わりましたもんね。

野中 そう。で、同じようなことを味わったんだけど、今聴くとこれもいいアルバムなんだよね。その当時から時が過ぎて自分もいろいろ音楽を聴いてきたから、初めて聴いたときと印象が変わるのは当然だよなって。いまはもう『Draw the Line』もいいんじゃない、って思う。逆にいうとそうやってアーティストが作品を新しく出していこうとするのに対して、ファンというか、ファンの代表であるはずの担当ディレクターがついていけてなかったってことだと思うんだよね。「できたら『Rocks』の延長線上であと3枚くらい出してほしい!」みたいに思ってたわけだからさ。

――(バンドのほうが)先に行っていたってことですね。

野中 うん、そう思うよ。

――このあと、エアロスミスとの関わりは……

野中 野中は『Draw the Line』までしかやってないんだ。77年の暮れ……78年の1月の人事異動でCBSソニーから離れるのよ。そこからはEPICソニーで、チープ・トリックなんかを担当することになったわけだ。

――そうなんですね。では最後に思い出の一曲といえば……。

野中 そうだな…………「Rats In The Cellar」かな。

 

♪「Rats In The Cellar」試聴

『Rocks』収録

 

野中 すばらしいね。

――そういえば、『Rocks』ってガレージか何かでレコーディングしたって話ありませんでしたっけ。

野中 『Draw the Line』をお城で録ったというのはあったな。何とかキャッスルって名前がついてるんだけど、お城じゃなくて修道院らしいのよ。

――ああ、そうなんですね。

野中 ジャック・ダグラスがとにかく音をこもった音にしたいっていうのがあったと聞いたんだけど、もろにドラッグの真っ最中の頃なんだよね。だから「Draw the Line」ってタイトルもそれなんじゃないかと。だから(当時の)状況はよくないんだよ、エアロスミス自体は。それをジャック・ダグラスが一生懸命作り上げたっていう。本来そういう風には訳さないんだけど「Draw the Line」を「限界ギリギリ」って訳したのは、エアロスミスが限界ギリギリの状態で作り上げたアルバムだっていう意味を込めたんだ。

――「一線を画す」ってキャッチもありましたよね。

野中 そうそう。「乾坤一擲」ってのも使ってたね(笑)

 

(インタビュー&テキスト:mora readings編集部)

 


 

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