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定期連載のトピックス

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~今月の一枚~

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Bob Dylan [Fallen Angels]

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 東京ってやっぱりすごい街なんだなと思います。去る4月、ボブ・ディランエリック・クラプトンブライアン・ウィルソンアイアン・メイデンがほぼ同時に滞在していたのですから。

 

 ぼくがディランに初めて感銘を受けたのは1983年下旬リリースの『インフィデル』というアルバムです(原題はInfidels)。もちろんそれまでにぼくは、ディランが“フォークの神様”と呼ばれ、日本のフォークやニューミュージック(と当時は呼ばれていました)のシンガー・ソングライターたちに影響を与えていたことを音楽雑誌などで知ってはいました。が、当時のぼくはフォークにさほど関心がなく(URCレーベルを聴いて驚くのはずっと後です)、RCサクセションアナーキーザ・スターリンヴァン・ヘイレンなどのロックに夢中でしたし、YMOの“散開”にはクラスの音楽好きみんなで騒然となって、ジャズ関連もマイルス・デイヴィス復活の印象がまだ鮮烈だったり、ジェームズ・ブラッド・ウルマー近藤等則渡辺香津美が意欲的なサウンドを送り出していたりで油断できませんでした。それまでオリジナル曲中心に演奏していたキース・ジャレットが、突如“スタンダーズ”なる3人組プロジェクトでスタンダード・ナンバーを演奏し始めたのもこの時期です。ワールド・ミュージックという言葉がすでにあったのかどうかは記憶にありませんが、アフリカ・バンバータキング・サニー・アデなどもFMラジオからけっこう流れていました。この83年春、ぼくは初めて法事で東京に行き、札幌以上の都会が地球に存在するのだということを体感しました。

 

 『インフィデル』を最初に聴いたのもFMラジオでした。スライ&ロビーという、当時めざましい勢いだったレゲエ界のリズム・チームが参加しているということがセールス・ポイントだったように思います。というのは番組のディスク・ジョッキーが、そこを強調して紹介していたからです。重く引きずるようなビートに、ディランのざらついた声が重なり、うねりにうねって中学生のぼくの心をつかみにきました。ファンキーだなあ、もう降参です。だからでしょうか、ぼくはディランに、ハーモニカホルダーをつけたアコースティック・ギターをかき鳴らし、社会的なトピックを盛り込んだ曲を早口で歌う、というイメージがあまりないのです。ただ歌声のよさ、サウンドのかっこよさにしびれ、好きになりました。初めてライブを見たのは1997年のことだったと思います。それからは来るたびに1公演は見ようと決めているのですが、いまにして思えばギターを弾いてオリジナル曲を勢いたっぷりに歌っていた頃のディランをもうちょっと多めに体験しておけばよかったな、という気持ちもあります。ここ数回の来日公演を体験された方ならご存知でしょう、十数年間、ディランはほとんどギターをプレイしていないはずです。そして鍵盤楽器を弾きながら歌うことが増えました……と書きたいところですが、先日の渋谷・Bunkamuraオーチャードホールのライブでは鍵盤もあまり演奏しませんでした。殆どの曲でステージ中央に立ち、スタンドマイクの前で朗々と歌ったのです。どんなオリジナル曲を? どんなグレイテスト・ヒッツを?

 

 いいえ、演目はいわゆるスタンダード・ナンバー、ロックやフォーク界隈のファンよりもジャズ関連のヴォーカリストを聴きこんだひとたちが「うんうん」とうなずくに違いない楽曲が半数でした。もっとくだいていえば、フランク・シナトラナット・キング・コールビリー・ホリデイが歌っていたような、第二次大戦戦前から大戦後まもなくに書かれた曲のカヴァーが主です。「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」、「ザ・ナイト・ウィ・コールド・イット・ア・デイ」、「オール・オア・ナッシング・アット・オール」、「枯葉」。メロディをほとんど崩さず、スキャットを入れることもなく、ディランは朗々と、実に聴きとりやすい英語で明瞭に歌い込みます。「枯葉」に出てくる“winter’s song”という箇所、そこだけ急に音程が上昇するので、よほどの歌手でも最初に高めの音程をとって下がってくるか、もしくは低めのところから上に向けてグリッサンドするか、そのどちらかをとることが多いような印象が個人的にはあります。しかしディランはバッチリ、その音程に命中させました(少なくとも、ぼくの耳にはそう感じられました)。やり直しの利かないライブという場、しかも満員のオーディエンスの前で、ビシッと。なんという音感の持ち主なのだろう。なんというプロフェッショナルな歌うたいなのだろう。ゾゾッと鳥肌が立ちました。アイ・ラブ・ユーと心の中で叫びました。あの魅力的な声に、この音感。作詞作曲をしない、他人の書いた曲を歌う、いちシンガーに徹していたとしても、彼は歴史に名を残したに違いない。ぼくはそう確信しました。

 

 新作についてのインフォメーションは、この執筆時点では皆無に近いのですが、前作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』と同じ時のセッションで、名エンジニアのアル・シュミットが録音を担当しているのは間違いないようです。11曲目「ザット・オールド・ブラック・マジック」の前奏にspliceの形跡がうかがえますが(ありえない速さでドラマーが、スティックからブラッシュに持ち替えています)、基本的には一発録りであるように聴こえました(編集部注:その後、正式に一発録りであることがアナウンスされた)。「スカイラーク」「イット・ハド・トゥ・ビー・ユー」など曲によっては低い音程のほうにメロディをフェイクしているところもありますが、それがレコーディングのその日その時のディランの“気分”だったのでしょう。枯れているのにやけに艶っぽい歌声、弦楽器を中心とした幻想的なバンド・アンサンブル。ハイレゾで入手し、ボリュームをあげて聴けば聴くほど、音の色気に魅了されるに違いありません。

 

 ぼくは近年のディランに、“スタンダーズ”を始めた頃のキース・ジャレットをダブらせています。またキースはディランのファンで、キャリアの初期に「マイ・バック・ペイジズ」をカヴァーしたこともあります(もっとも、手本にしたのはディランの自作自演ではなく、ザ・バーズのヴァージョンのようですが)。その“スタンダーズ”も2013年、30年にわたる活動に終止符を打ちました。ディランの歌声とキースのピアノ、たったふたりだけのスタンダード・ナンバー集が制作されたらどんなに幸せだろう。それは永遠に叶わぬ夢なのでしょうか。

 

 


 

■執筆者プロフィール

 

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原田和典(はらだ・かずのり)

ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは @KazzHarada

 

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第22回:ディープ・パープル「ハイウェイ・スター」

~ロック小僧ならハイレゾでノリノリ~

 

 僕のようなオヤジでも70年代初頭はニキビ面の中学生であり、高校生であった。昔の友だち(こちらもオヤジ)に会えば、たちまちロック小僧に戻ってしまうのである。最近も高校生の頃の友人Sとハード・ロックの話で盛り上がった。

 

 「ハード・ロックで一番すごいバンドは何だった?」とS。
 「そりゃあ、ツェッペリンじゃないかな」と僕は言った。しかしSは言うのだった。
 「僕はディープ・パープルだと思うな。ツェッペリンもディープ・パープルのノリノリにはかなわないよ」

 

 Sの言うディープ・パープルのノリノリとは「ハイウェイ・スター」のことを指しているのは、40年以上も前、一緒にこの曲を爆音で聴いた間柄だから一卵性双生児のように分かる。

 

 「ハイウェイ・スター」、流行ったなあ。
 今でこそハード・ロックにはいろいろあって、メタルとか細分化されているけれども、当時はもっと素朴で、ヘヴィにノリノリなのがハード・ロックだった。一度走りだしたらアクセルは踏みっぱなし。その意味で思索的なツェッペリンではなく、ディープ・パープルを一番に上げたSの意見は正直なものだと思う。

 実際、僕も「ハイウェイ・スター」のノリノリにはブッ飛んだものである。
 ただそれは『Made in Japan』の1曲目に収録されている「ハイウェイ・スター」を意味する。Sも頭にあったのはそちらの演奏だろう。ちょうど『Made In Japan』(発売時は『ライヴ・イン・ジャパン』)が発売された時で、二人ともその迫力の虜になっていたからだ。

 

 しかし今回のエッセイに書く「ハイウェイ・スター」は『Made In Japan』収録のものではなく、『Machine Head』に収録されたオリジナルの「ハイウェイ・スター」である。というのも『Made In Japan』が出たせいで、長い間スタジオ録音の「ハイウェイ・スター」はおとなしい演奏と思い込んでいた。それが今回ハイレゾで聴いてみて、とんでもない迫力にビックリしてしまったからだ。

 

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 まずはスタジオ録音なのにライヴ感のあるパワーに驚かされる。それがセッション録音ならではのキチンと作られた音場で聴けるのだから、実に心地良いハード・ロックになる。『Made In Japan』の「ハイウェィ・スター」が公衆のまっただ中でのライヴ感としたら、こちらは自分一人でバンドと対峙しているライヴ感である。

 ハイレゾの音質もアナログレコードではないかと思うほどコクがある。配信されているのはFLAC(96.0kHz/24bit)であるが、アナログ・ライクな音を再現することで定評のDSD(DSF)ではないかと錯覚するほどコッテリしている。僕にしてみればハイレゾでスタジオ録音の「ハイウェイ・スター」もノリノリのハード・ロックになった感があった(もともと有名なだけに、気付くのが遅くてスミマセン)。

 

 ちなみに先ほどから書いている『Made In Japan』もハイレゾで出ている。今さら説明するまでもないほどの名盤なので解説は不要だと思うが、ハイレゾでは生まれたばかりのような新鮮な音だ。リッチー・ブラックモアの疾走するギターソロもクリアだから、フレーズの細かいところまで耳がついていける。もちろんクリアになったからといっても、オリジナルのライヴの迫力は健在なので心配無用だ。

 

 ついでに書けば74年作品の『Burn(紫の炎)』もハイレゾで配信されている。『Burn』ではイアン・ギランが脱退して、新生ディープ・パープルとしてのスタートであったが、『Made In Japan』の爆発的人気の余波も手伝って、これも当時のロック小僧には歓迎を持って迎えられたレコードだ。

 なかでもタイトル曲「Burn」は、はやばやと「ハイウェイ・スター」と並ぶ“ディープ・パープル入門曲”の座についたと思う。ひょっとしたら最初にSが言ったディープ・パープルのノリノリは、この「Burn」を念頭においていたのかもしれない。ハイレゾは重たすぎず、軽すぎずで、スピード感のあるサウンドを堪能できる。

 

 今回は僕が当時ディープに聴き込んだ3つのアルバムについて触れたが、『Deep Purple In Rock』や『Fireball』などのアルバムもハイレゾで配信されている。今だにロック小僧の人なら、ディープ・パープルのハイレゾにきっとノリノリになることだろう。

 


 

 

Deep Purple
『Machine Head』

FLAC|96.0kHz/24bit

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Deep Purple
『Made In Japan (Remastered)』

FLAC|96.0kHz/24bit

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Deep Purple
『Burn』

FLAC|96.0kHz/24bit

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Deep Purple ハイレゾ配信一覧はこちらから

 


 

【牧野 良幸 プロフィール】

1958年 愛知県岡崎市生まれ。

1980関西大学社会学部卒業。

大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。

近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

 

マッキーjp:牧野良幸公式サイト

 

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第21回:ボブ・ディラン「ブルーにこんがらがって」

~初めての“ディラン体験”は『血の轍』から~

 

 僕がボブ・ディランから1枚を選ぶとすると、どうしても1975年の作品『血の轍(Blood on the Tracks)』になってしまう。今でこそディランのほとんどのアルバムをSACDやアナログLPで持っているが(ブートレグまではさすがに追いかけていない)、長い間、僕の“ディラン体験”といえば『血の轍』だけだったのだ。

 僕が音楽を聴き始めた1970年代初め、ボブ・ディランは伝説的存在だった。しかし当時の洋楽はディランの存在を霞ませてしまうほど絢爛豪華だった。シンガーソングライター、プログレッシブロック、グラムロック、ハードロック、ブラスロック、ラテンロック……。過去を振り返る暇もないほどに毎日新しいロックが生まれていた。それを「新しい」とも思わず、ご飯のように当たり前に聴いていたのだから、いかに「風に吹かれて」で有名な“フォークの神様”といえども興奮しようがなかったのだった。

 この頃はディランも時期が悪かった。なにせ73年にCBSソニーがプッシュしたニューアルバムが『ビリー・ザ・キッド』という映画のサントラだったのだから。アルバム収録の「天国への扉」は今日有名であるが、僕には当時流行ったという記憶がどうもない。それよりも映画に出演したディランの姿ばかりが記憶に残っている。

 翌74年にはディラン初の全米1位となる『プラネット・ウェイブス』、そしてライヴ『偉大なる復活』も発売されたのだけれど、いかんせんこれらはCBSソニーから発売されなかったせいか惹き付けられなかった。(『プラネット・ウェイブス』はのちにCBSソニーから発売され、ハイレゾ配信もあり。これもいいアルバムです)。

 

 そしてようやく75年の『血の轍』である。レコード会社も再びCBSソニーになって、ロック雑誌に載った広告が派手だった気がする。あの頃のCBSソニーの広告って、他社を引き離してワクワクするものがあったのだ。

 しかしインパクトがあったのは広告だけではなく、ディランの音楽そのものだった。それまでちょいちょいカジっていたディランは、どうも音楽的興奮にかけると思っていたのであるが、『血の轍』にはディランらしからぬ(?)ポピュラーで親しみやすいメロディが沢山あったのである。つまり70年代ロック小僧にも、すんなりと聴けるアルバムだったのだ。

 といってもレコードを買ったわけではない。当時僕は高校3年生。『血の轍』はたぶんNHK-FMの「サウンド・オブ・ポップス」で放送されたのではないかと思う。新譜のLPを全曲放送することで有名な番組だ。僕としてはオープンリール・テープにとりあえず録音してみたわけであるが、これがすごく良かったのだ。特に最初の「ブルーにこんがらがって(Tangled Up in Blue )」。ディラン独特の単調な展開ながら、ぐいぐいと引込まれる緊張感のある音楽だった。「ブルーにこんがらがって」だけでノックアウトされたと言っていい。

 しかし、そのあともいい曲が続く。「運命のひとひねり(Simple Twist of Fate )」「愚かな風( Idiot Wind)」などなど。あえて邦題で書くのは、各曲につけられた日本語タイトルがなんとも詩的で、曲とピッタリ合っていたからである。バンドのサウンドも絢爛豪華な70年代ロックのまっただ中に登場したにもかかわらず、まったく遜色ない出来だった。

 

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 しかしこの『血の轍』のみで僕の“ディラン体験”は終わってしまうのである。
 先に書いたようにディランのアルバムをほぼ揃えるのは、実は21世紀を迎えたSACDでリリースされた時だ。他のアルバムを聴きこんでみると、あの頃はやっぱり子どもだったなあと思う。今では『血の轍』以前のフォーク調の作品、ロックに転向した頃の作品も素晴らしいと思う。『血の轍』以降の今日にいたるまでのアルバムも、もちろんディランらしさがあって好きである。

 ただ、こうしてディランの全部が好きになっても『血の轍』は特別な一枚だ。やはり高校生の時に回転するオープンリールを眺めながら聴いた印象は強い。社会人になった時は中古のアナログレコードを買い求めた。オヤジになった頃はSACDハイブリッド盤で買い求めた。『血の轍』との付き合いは長いのだ。

 

 そして今はハイレゾでの付き合いになった。それも高音質なSACDと同じDSD(DSF)での配信である。音をビシッとクリアに表現するPCM系のflacもいいけれど、オリジナルの音の濁り、厚味までも伝えるDSD(DSF)がやっぱりディランには合う。

 DSDのハイレゾを聴いてみると、やっぱり「ブルーにこんがらかって」が格別である。アコースティック楽器が多様されているけれど、へんに胃もたれしないで、ナチュラルに広がるところがハイレゾならではだ。ディランのヴォーカルも明るくのびやか。もちろん、次の「運命のひとひねり」も聴いてしまう。そしてそのあとの曲も、これまた昔どおり聴いてしまう。

 ひっきょう『血の轍』のアピール度は昔と変わらない。だから、初めて“ディラン体験”をする若いリスナーに、僕としては『血の轍』をおススメしたい。そしてそのむこうには数々の歴史的アルバムがハイレゾで用意されている。よかったらそれらも聴いてみてほしい。

 


 

~今回紹介した一枚~

BOB DYLAN
『Blood on the Tracks』(邦題:血の轍)

DSD(DSF)|2.8MHz/1bit

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BOB DYLAN ハイレゾ配信一覧はこちらから

 


 

【牧野 良幸 プロフィール】

1958年 愛知県岡崎市生まれ。

1980関西大学社会学部卒業。

大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。

近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

 

マッキーjp:牧野良幸公式サイト

 

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Vol.30 Theme : 殿下昇天・天下聖典

日高央の「今さら聴けないルーツを掘る旅」バックナンバーはこちら

 

 2016年は呪われているのだろうか……なかなか収まりを見せない地震が続いたり、まさかプリンスがこんなにも早く逝ってしまうなんて誰が想像しただろう……今回は彼の偉業を振り返ってみようかと。

 筆者が最初に触れた殿下(プリンスの日本での愛称)は、アルバム『Controversy』辺りで、ベストヒットUSAを始め洋楽番組で取り上げられ始めた頃だったんだけど……まずはヴィジュアルのインパクトに驚愕! 宝塚ばりの豪華絢爛な衣装に身を包む殿下を囲むのはエロい女性ギタリストと女性キーボーディスト、そして額に「KAMIKAZE」のはちまきを(しかも逆さに)付けた黒人ギタリスト、そして医者のコスプレをしたキーボーディストと、誰の頭にも「?」が浮かぶのも当然なド派手かつコンセプト不明な面々。誰がゲイで誰がヘテロか判らない倒錯した演出(女性メンバー同士のキスシーン等)もあいまって、当時の邦題『戦慄の貴公子』の名に恥じない奇天烈さ。

 しかし楽曲のPOPさ、ファンキーなのにいなたさよりもROCKの勢い溢れる楽曲群が、観る度、聴く度にだんだんクセになる不思議さ。それまでのブラックミュージック……R&BともHIP HOPとも違う、全く異質の存在。でも異質だからこそ際立つPOPさ。その証拠に次作『1999』で遂に全米TOP10入り。2枚組アルバムというボリュームにもかかわらず、一面に3曲ずつ収録というコンパクトさと、シングルカットされた「Little Red Corvette」がMTV隆盛とあいまって超ヘビロテされたのもあって大ヒットを記録。でもこの頃の殿下はまだ、ド派手な一発屋でキワモノ扱いされてる風潮の方が強かったかも……。

 それを覆した出世作が『Purple Rain』。無謀にも自ら主演して映画を制作し、そのサントラとして発表されたという、今から考えるととても変則的なアルバムなのに……結果、半年ほど全米一位をキープする特大ヒット! ここ日本を始め、アメリカ以外でも全世界的に大ヒット! 遂にプリンスは世界の殿下として降臨! この頃にはクネクネする殿下特有のダンスもクールでヒップな物となり、チェッカーズとかがステージアクションを似せてたのも良い思い出(マイクスタンド倒して足で戻す、みたいなJB譲りのアクション)。

 マイケル・ジャクソンにおける『スリラー』的な代表作が、プリンスにとってはこの『Purple Rain』で、興行的には成功したものの批評家からはボロクソ言われた映画『パープル・レイン』と違って(苦笑)、まさにROCKとFUNKを自由自在に行き来するプリンスの魅力が爆発した傑作となっており(基本、殿下の作品にハズレはないが)、こんなに派手なアルバムからの1stシングルが「When Doves Cry」というミドルテンポのナンバーってのがまず挑戦的でカッコイイ! シーケンスの使い方は現在のテクノに繋がるミニマルさで超クールだし、でもそんなクールな演奏の上に乗るボーカリゼーションの熱さとの対比もスゴい。間違いなく殿下の代表曲の一つである名曲。邦題「ビートに抱かれて」もあながち間違ってない!(笑)

 猥褻な演出とは裏腹に、シェークスピアばりのシリアスな人間模様を想起させる歌詞も良いし、殿下が弾きまくってるギターのまぁ上手いこと! 続くシングル「Let’s Go Crazy」は一転してアップテンポのロックンロールなのに、やはりミニマムなシーケンスが効いてて、このアレンジは当時吉川晃司辺りが参考にしてたりして、日本の音楽界にも大いに波及。そして表題曲「Purple Rain」は、シングルこそ4分前後にエディットされてるものの、ミュージックビデオはアルバム収録通り8分超えの大作に。それでも美メロとプリンスの熱いシャウト、悶絶のギターテクで全然聴ける名曲に。ロックでファンクでテクノでプログレってもうどんだけ天才なの!? 前作のジャケも含め、ここら辺から殿下=紫、のイメージが確立したのも良い想い出。

 っつーか一回で書き切れないわ、殿下との想い出……いや、殿下への恋文。というわけで次回も俺のプリンス論をば。それまで殿下の作品をみっちり聴いて予習せよ!

 


 

~プリンス初期の代表作~

 

Controversy

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1999

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Purple Rain

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▽ハイレゾ配信の紹介など▽

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【日高央 プロフィール】

ひだか・とおる:1968年生まれ、千葉県出身。1997年BEAT CRUSADERSとして活動開始。2004年、メジャーレーベルに移籍。シングル「HIT IN THE USA」がアニメ『BECK』のオープニングテーマに起用されたことをきっかけにヒット。2010年に解散。ソロやMONOBRIGHTへの参加を経て、2012年12月にTHE STARBEMSを結成。2014年11月に2ndアルバム『Vanishing City』をリリースした。

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~今月の一枚~

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Snarky Puppy, Metropole Orkest
[Sylva]

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 今年は4月になっても肌寒い日が続いていて、なんだか鼻もぐずぐずしてしまって、「春はまだ来ぬのかのう。早く出でよ、春」などと江戸口調でスズメやカラスに語りかける朝が続いていたものですが、ようやく少しずつコンスタントな暖かさが訪れはじめました。みなさんの新生活が軌道に乗っていることをお祈りします。ビバ、フレッシュライフ!

 

 というわけで今回はバリバリの気鋭グループ、スナーキー・パピーの登場です。といっても結成は2004年、テキサスにて。つまり新進というわけではないのですが、ここ数年、前年比250%ぐらいの知名度と人気を獲得しています。初来日は2013年です。ぼくは「ブルーノート東京」公演初日のファースト・セットに行き、ステージ狭しと広がる人数の多さと楽器類の多さに「おおっ!」を驚きながら演奏を楽しみましたが、正直言って動員数は満席というわけではありませんでした。しかし翌年の再登場では怒涛のような盛り上がりをみせ、2015年の野外フェス「ブルーノート・ジャズ・フェスティヴァル」では圧巻のパフォーマンスで、詰めかけた観客を踊らせ沸かせました。はっきり言ってしまうと同フェスのほかの出演者であるジェフ・ベックパット・メセニーより興奮させてくれました(もちろん彼らの半世紀に及ぶ音楽界への貢献には敬意を表します)。でも、それが自分にとっては音楽のあるべき姿なのです。地位を確立した大ベテランばかりが支持されていては、なんか面白くないじゃないですか。昨日と同じじゃ、生きてる価値が足りないじゃないですか。常に次世代、次々世代がワンサカ出てきてしのぎを削っている状態こそがシーンに活気を与え、リスナーに喜びをもたらすことにつながるんじゃないかと思うのです。講談だってそうです。宝井馬琴の歴史的録音に聴き入るのもよいですが、神田松之丞の溢れ出る切れ味をライヴで味わう、それができるのは今このときを生きている我々だけです。

 

 もう40代半ばになってしまった中年・原田が、自分より二世代下ぐらいであろうファンともみくちゃになりながら楽しんだスナーキー・パピー。昨年5月に発表されたアルバム『Sylva』はアメリカ「ビルボード」のヒートシーカーズ・アルバム・チャート、トップ・カレント・ジャズ・アルバム、コンテンポラリー・ジャズ・アルバムの各部門で1位に輝きました。大まかに言えば“ヒートシーカーズ”はこれまで総合チャートの100位に入ったことがないアーティストを対象にしたもの、“トップ・カレント”は“いま、巷で話題の”というような意味でしょうか。とにもかくにも、当アルバムでスナーキー・パピーの名声は確かなものとなったような気がします。そして彼らは、この『Sylva』で2年ぶり2度目のグラミー賞を獲得しています。前回は「ベストR&Bパフォーマンス」部門でしたが、今回は「ベスト・コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバム」部門でのグランプリです。つまり両方ともジャズ部門ではないのですが、そんなスナーキー・パピーが半世紀以上の歴史を持つジャズの名門レーベル“インパルス”と契約したり、ジャズフェスに登場して、ジャズファンをも振り向かせているのですから、痛快です。

 

 ぼくより二世代ぐらい下にあたる編集部のAさんは『Sylva』を聴いて、こんな感想を寄せてくれました。

 

 「自分は、どちらかというとポストロック/マスロックの流れを好んでいて(バトルスとか、マーズ・ヴォルタとか)、完全に「その耳」で楽しく聴けてしまうのですが、それでいいのでしょうか…? 鍵盤楽器の飛び道具的な(歪ませた、リードギターにも匹敵する?)使い方と、変則的なリズム。ギターの音作りにしても、シンセの音色の選び方にしても、曲によっては思いっきり濁らせているところがありますし。インストなのですが、サウンドトラックというよりはこれ自体で一篇の映画を観ているような、ストーリー性のあるアルバムだと思います。ラスト曲前半のストリングスを入れた展開などは、日本のポストロックバンド「MONO」を思い出しました」

 

 うれしいじゃありませんか。オスカー・ピーターソン『We Get Requests』を聴いてもらった後に感想を求めたときとは、言葉の弾み方が違う。「同世代の音楽」として共感しているのでしょう。それに、こういう意見、なかなかオッサンからは沸いてこない。マーズ・ヴォルタといえば、ドラマーのディーントニ・パークスが8月にジョン・ケイルのバンドで来日しますが、「拍子抜けするほどさりげない形で、とんでもないミクスチャーをスッとなしとげてしまう。だけどサウンドの中身は熱い」あたり、大いに共通性ありなのではないかと思います。あと『Sylva』で個人的に気になったのは、弦楽オーケストラとの共演ということもあるのか、踊れる箇所やファンキーな箇所が皆無に近い、と感じられたことです。むしろじっくりと聴き入らせる、立ち止まって考えさせるようなサウンドが続くのです。つまりぼくはこのアルバムにスナーキー・パピーの新たな一面を見ました。こんな冒険的な音を、老舗ジャズ・レーベルとの契約第1弾にもってくるとは、リーダーのマイケル・リーグは相当な策士です。

 

 このところロバート”スパット”シーライト & ネイト・ワース『フォーティファイド』、ビル・ローレンス『アフターサン』、コリー・ヘンリー『リヴァイヴァル』(ゴリゴリのゴスペル・アルバム)など関連メンバーのソロ作品のリリースも色とりどりのスナーキー・パピー。このあたりの増殖具合、自分的にはEXILEやEXILE TRIBEや三代目 J Soul BrothersやGENERATIONS界隈を思い起こしますが、とにかく「次に何が出てくるかわからないワクワク感」を感じさせてくれる男たちです。6月には赤坂BLITZでワンマン・ライヴを開くとのこと。5月に行なわれるエスペランサ・スポルディングのZepp DiverCity公演に続く快挙となることでしょう。4ケタの観客を収容できる会場、基本オールスタンディングのはずです。「ジャズ系のアーティストとしても認知されている気鋭が、マスに支持される時代」が、苔のむすまで続くことを願います。

 

 


 

■執筆者プロフィール

 

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原田和典(はらだ・かずのり)

ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは @KazzHarada

 
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