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定期連載のトピックス

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Side A:今期、制作に携わったアニソン達

 みなさんこんにちわ。株式会社アイウィル、音楽制作プロデューサーの佐藤純之介です。連載第三回目にして大幅に更新を遅らせてしまいました……。お待ちいただいた皆様申し訳ございません。今回は趣向を変えて、この秋に携わったアニソンを制作時のエピソード等を交えながら紹介させて頂ければと思います!

 

TVアニメ『コメット・ルシファー』
http://comet-lucifer.jp

ハイレゾ有
OP主題歌「コメットルシファー」
イメージソング「コスモスのように」/fhána

 OP主題歌「コメットルシファー」はfhána至上最速BPMにして、アニメタイトルをそのまま楽曲タイトルにした意欲作! タイアップするアニメはfhánaの世界線の一部と捉え、作品世界観とのシンクロを図ってきた彼らの集大成。打ち込みサウンドのイメージが強い彼らが、昨年一緒にツアーを回ったリズム隊であるDr,鈴木達也さん、Bass,田辺トシノさんをレコーディングメンバーに迎えパワフルで勢いのあるグルーヴを纏い制作した今までリリースしたどの楽曲とも異なるロックナンバーです。イメージソング「コスモスのように」は劇伴を担当する加藤達也とのコラボレーションで生まれたバラード。違った角度のインテリジェンスが交差し、高い熱量を持った楽曲に仕上がっています。また今回はハイレゾのみならず、通常CDと新しい高音質ディスクの規格であるUHQCDでの同時リリース等も音にこだわる彼らならではアプローチ。サウンドも楽曲も先端を行く彼らに要注目です!

 

TVアニメ『ヒミツのここたま』
http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/cocotama/index2.html

OP主題歌「ころころここたま!」/ERIKA
ED主題歌「ここんぽいぽいここったま!」/メロリーとここたまファイブ

 お子様向けアニメ! OP主題歌にはオーディションで選ばれたシンガーERIKAさんを迎えて、カラフルでキャッチーなアニソンを歌って頂きました! 作曲編曲はTVアニメ『インフィニット・ストラトス』の「SUPER∞STREAM」やラブライブ!の楽曲等を手掛ける山口朗彦氏。子供向け作品の楽曲ながら、細部にまで拘ったサウンドにも注目! ED主題歌はメロリー(CV:豊崎愛生)をメインボーカルに据えた賑やかなキャラクターソング! ここたま達が踊るかわいらしいエンディングムービーにも注目です!

 

TVアニメ『櫻子さんの足元には死体が埋まっている』
http://sakurakosan.jp

ハイレゾ有
ED主題歌「打ち寄せられた忘却の残響に」/TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND feat.大竹佑季

ハイレゾ有
挿入歌「DOKURO ~恍骨礼讃歌 第1章~」/聖鬼Mk-II

 劇伴を担当しているTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDによる21年間のキャリアの中で初のシングル「打ち寄せられた忘却の残響に」はシンガーにソロやSnow*として活躍する大竹佑季を向えた意欲作。アニソンとしては非常に珍しい東欧系エレクトロニカをベースにアプローチしつつ、独特のテクノサウンドとクラシカルな大編成ストリングスを融合、大竹佑季の歌声を通じて一本の映画の様な印象を持つ楽曲を目指しました。是非、目を閉じて聴いてもらいたいです。対して挿入歌「DOKURO ~恍骨礼讃歌 第1章~」は完全なヘビメタサウンド! 原作の中で、主人公櫻子さんが大ファンだという劇中バンド”聖鬼Mk-II”について語られる箇所をすべて汲み取り小説の世界から現世に召喚した問題作……。作詞作曲編曲はすべてTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND、参加ミュージシャンもボーカルに冠徹弥さん、ギターにルーク篁参謀を迎えた本格的なヘビメタをテクノバンドに制作依頼をし(笑)、ハイレゾのヘビメタという風変わりな楽曲が生まれました。一聴の価値有りです!

 

TVアニメ『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』
http://concreterevolutio.com

挿入歌「あの素晴らしい愛をもう一度」/川本真琴
挿入歌「空に星があるように」/宇都宮隆
挿入歌「青年は荒野を目指す」/西寺郷太
挿入歌「風が泣いている」/日高央

 こちら、挿入歌のプロデュースを担当しております。昭和40年代をモチーフにしつつも、テクノロジーが進化したパラレルワールドの作品世界の中で流れるヒット曲というコンセプトの元、ストーリーに彩りを添える”声”に力のあるアーティストの皆様にご協力を頂きました。アニメと参加アーティストによる挿入歌の融合は昭和40年代~50年代生まれの方のハートに強く響くはず……! まだまだ未放送の楽曲も沢山有りますので、お見逃し無きよう!これら楽曲すべてが収録されたTVアニメ『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』神化・傑作曲集は2015年12月23日発売です!

 

TVアニメ『おそ松さん』
http://osomatsusan.com/index.html

ED主題歌「SIX SAME FACE~今夜は最高!!!!!!~」(TVサイズ)/イヤミ feat.おそ松×カラ松×チョロ松×一松×十四松×トド松

 

 TVアニメ『櫻子さんの足元には死体が埋まっている』ではOP以外の全楽曲、『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』挿入歌への参加等、今期最も働いていると評判のTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの作詞作曲編曲による80年代風ディスコナンバー! メンバーが曲中に「シェーーーー!」を入れたいという発想から作曲がスタート、六つ子達のボヤキとイヤミの歌で飾ってます。前回のこの連載で掲載したビンテージリズムマシンはこの楽曲で使用しています! 仕掛けたっぷりのフルサイズをお楽しみに!

 

TVアニメ『プリパラ』
http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/pripara/index2.html

ED主題歌「レインボウ・メロディー♪」/プリパラ ドリーム☆オールスターズ

 今、人気急上昇のアイドルアニメ『プリパラ』のオールキャストで歌うポップソング! 11人分のボーカルレコーディングは大変でしたが、一人ずつ声が重なっていき全員揃った時の感動は何物にも代えがたい感動がありました。作詞はTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの松井洋平、作曲編曲には気鋭の音楽クリエーター集団Arte Refactの桑原聖、酒井拓也コンビが担当。物語を大団円に導き未来に向かう希望の歌です! 

 

スフィア
http://www.planet-sphere.jp/main.php

ハイレゾ有
18thシングル「DREAMS,Count down!」

結成5年目を迎え、ますます歌とパフォーマンスに磨きがかかっていく4人によるニューシングル! アニソンではあまり多用されないスウィングしたビートながら、しっかりと4人の個性をグルーヴで表現できるのは流石! MVも仕掛けが沢山あって見ていて自然と体が動く楽しい内容! 新しいスフィアの一面が見れます!

 

ラブライブ!
http://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/

スマートフォンゲーム「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル」コラボシングル「HEART to HEART!」/μ’s

 「タカラモノズ」以来のスクフェスコラボシングル! スピード感のあるロックテイストのサウンドと青春メッセージ! 聴くと元気になれる1曲! μ’sの9人にしか表現出来ない輝きを大事にレコーディングしました! CWには変化球、ミュージカルテイストの「嵐のなかの恋だから」は『ラブライブ!』楽曲初参加の酒井陽一君作曲編曲による力作です!

 

ラブライブ!サンシャイン!!
http://www.lovelive-anime.jp/uranohoshi/

1stシングル「君のこころは輝いてるかい?」/Aqours

「電撃G'sマガジン」の読者参加企画からスタートしたスクールアイドルプロジェクトの新企画! 『ラブライブ!サンシャイン!!』から待望のCDがリリーススタート。10月7日発売のAqoursの1stシングル! ディレクターとしてお手伝いしております。一度聴いたら忘れられない強烈なまでにキラキラ眩しい青春ソング達! これからの彼女達の動向に注目!

 

と言うわけで第三回目、いかがでしたでしょうか??それぞれの現場での想い入れや思い出があり、まだまだ書き足りないのですが……(汗) もうすでに来年放映のアニメ用の楽曲制作が始まっております。今期の反響や意見を活かして皆様に新しい驚きや感動をお届け出来るように頑張りたいと思います。ではまた!

 

 

今日のアニソンハイレゾ!

KMM団「ウィッチ☆アクティビティ」
2014年1月に放送されたアニメ『ウィッチクラフトワークス』のED主題歌。80年代テクノ系歌謡曲の影響を強く濃く受けたサウンドにキュートな声優さんのキャラクターボイスが組み合わさった楽曲は発売当時話題となりスマッシュヒット、作詞作曲編曲を担当したTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDがアニソン業界から注目を浴びる切っ掛けとなった楽曲です! 本物のヴィンテージシンセサイザーを用いたトラックメイク、YMOが所属していたALFAレーベルのエンジニアである寺田康彦氏、飯尾芳文氏がミックスを担当する等、80年代テクノポップへの愛情篭った作品です! 懐メロが好きな人にもオススメ!

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Side B:音楽ガジェット紹介!

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12月5日に劇場公開されるアニメ『紅殻のパンドラ』の音楽を担当するTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDのレコーディング風景から。ヴィンテージリズムマシンを一同に集め片っ端からサンプリング、『紅殻のパンドラ』専用のサウンドライブラリーを制作している所です。既存で売られている音色集を避け、作品担当の都度新しいライブラリー作ることで新鮮且つ本物のサウンドを皆様に届けるのが使命……!

『紅殻のパンドラ』オフィシャルサイト

 

 


 

佐藤純之介 プロフィール

株式会社アイウィル音楽制作プロデューサー。 1975年大阪生まれ。YMOに憧れ90年代後期よりテレビや演劇の音楽制作の仕事を始め、2001年に上京。レコーディングエンジニアとしてJ-POPの制作に参加した後に、2006年アニソンレーベル、株式会社ランティスに入社、2011年ランティスの音楽制作部が独立した株式会社アイウィルに転籍。現在はプロデューサー、ディレクター、エンジニアとしてアニソンを中心に音楽制作に携わる。

 


 

佐藤純之介×クラムボン・ミトのスペシャル対談も!「違いのわかるハイレゾ放談

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佐藤さんがディレクターとして携わるμ’sの楽曲はこちらから!「みんなで叶える物語 ラブライブ!特集

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第12回:「マイ・ウェイ」フランク・シナトラ

~ハイレゾを聴きながら、妄想で歌い上げる「マイ・ウェイ」~

 

 「マイ・ウェイ」は、カラオケで歌ったら最高に盛り上がる曲である。と同時にヘタクソが歌えば大やけどをする曲でもある。中途半端な歌唱力でマイクを握ったら、場がシラケるのを通り越して、憎しみの目で見られる可能性が高い。よほど自信のないかぎり、シロウトは「マイ・ウェイ」には手を出さない方が身のためであろう。

 しかし「マイ・ウェイ」を聴くのなら話は別だ。僕みたいなシロウトでも、どんどん聴いていい。というか何度も繰り返し聴きたくなるのが「マイ・ウェイ」である。実際には歌わないが、頭の中で「マーイ、ウェーイ!」と歌い上げる自分を妄想してしまう。自己陶酔を極めるために、何度も繰り返して聴く。人前で歌わないのだから、せめて頭の中だけでは歌わせてほしい。

 その「マイ・ウェイ」、沢山のカヴァーがあるにもかかわらず、今も昔もフランク・シナトラの歌唱で聴くのが好きだ。どこまで歌い上げてもイヤミに聞えないのは、さすがシナトラ。歌手自身に風格があっての「マイ・ウェイ」なのである。

 「マイ・ウェイ」は1969年のヒット曲ということで、シナトラにしてはどこかフォーク・ロック調のアレンジで始まる。しかしストリングスやビッグ・バンドが加わると、やはりショー・ビズ的な風味となる。

 これがシナトラらしいし、「マイ・ウェイ」を不滅のものにしたアレンジとも思うのだが、オーディオ的には同時期のロックと比べると聴き所に乏しい。10代の頃、45回転ドーナッツ盤を聴いている時、僕はいつもそう思っていた。どこか枯れたサウンドで、大円団で味わう陶酔度は120%でも、オーディオ的には「まあ、いいか」だったのだ。

 しかしベスト盤『Ultimate Sinatra』のハイレゾ(FLAC 44.1kHz/24bit)に入っている「マイ・ウェイ」を聴いて、長年の思いも消え去ったのだった。解像度が云々と言うより、音に確固たる“芯”が入った感じだ。シナトラの円熟したヴォーカルに対抗できるほど、伴奏も胸板の厚い音になった気がする。

 ハイレゾの「マイ・ウェイ」を聴いていると、ドーナッツ盤の時以上に陶酔しまくりである。今夜も頭の中で思い切り「マイ・ウェイ」を歌い上げている。妄想を極めるのにも、ハイレゾは効果があるのだなあと知った。

 

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ヒット曲・名演を収録した『アルティメット・シナトラ』
(FLAC|44.1kHz/24bit)

お求めやすい全26曲入り
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全105曲(!)入りのコンプリート盤!
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【牧野 良幸 プロフィール】
 
1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。
 
 
 
 

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Vol.19 Theme : 「ROCKバンドはなぜスカル・モチーフのTシャツを着るのか!?

 

 暦の上ではとっくだったのに、やっと秋の到来を感じる今日この頃……寒くなるのはデメリットだけじゃございません、重ね着が出来る季節、つまりファッション好きにはたまらない季節でもあるわけです。

 我々バンドマンは結構、ファッション的にというよりも、割と短絡的にスカルのモチーフを着がちですが、それでもPUNK=ドクロなイメージは鉄板ですよね? 今回はそんなイメージを作り出した張本人、THE MISFITSをご紹介します。

 イギリスでSEX PISTOLSTHE CLASHTHE DAMNEDら、オリジナルPUNK勢が猛威を奮っていた1977年、大西洋を挟んだアメリカでも続々とPUNKバンドが産声をあげていました……マリリン・モンローの遺作『荒馬と女』の原題を冠したバンドを立ち上げたVo.のグレン・ダンジグにより、N.Y.のお膝元ニュージャージーにて結成されたのがミスフィッツ。当初はメンバーが入れ替わり立ち替わりしながらブルージーなガレージROCKを演奏していましたが(「Attitude」等)、Ba.にジェリー・オンリーと、Gt.にボビー・スティールが加入した頃から、時代の波もあってPUNK化していきます。PUNK版ドアーズとも呼べそうなダンジグの野太い、しかし伸びのある力強い歌声で(「Last Caress」等)、地元やN.Y.のクラブでメキメキと頭角を現します。

 そこに生粋のB級ホラー/SF映画好きなダンジグのアイデアで、黒ずくめの衣装に身を包み、顔にスカルのメイクを施し、前髪の真ん中だけを伸ばす「デビロック」ヘアーにしたりと、バンド全体でハロウィンのコスプレ的なコンセプトを打ち出しました……するとこれがアンダーグラウンドなシーンでバカ受け! ダークなEMOさとPOPさのバランスが取れた楽曲と相まって、ミスフィッツのLIVEはモッシュの嵐と化します。

 80年代に入ってGt.にジェリーの弟ドイルが加入し、バンドのマッチョ度を更に上げた頃にはバンドの音楽性も完成し、性急な2ビートの上でダンジグの野太いシャウトが乗っかるサウンドはその後のハードコアPUNKへの序章となり(「Mommy Can I Go Out And Kill Tonight」「Nike-A-Go-Go」等)、曲中で多用されるウォーウォーとシンガロングするスタイルはその後のOi PUNKやSKA PUNKへも影響を与えます(「Night Of The Living Dead」「Astro Zombies」等)。そして何よりスカルを多用したファッションやロゴは、その後ホラーPUNKと呼ばれて多くのフォロワーを生みだし、まさにN.Y.でのショウは黒ずくめのライブキッズで埋め尽くされることになるのですが……。

 1982年にアルバム『Walk Among Us』で念願のメジャー・デビューを果たすも、オーバーグラウンドでの成功は得られず、翌年の2nd『Earth A.D./Wolfs Blood』を完成させた頃には、バンド内で不協和音が鳴り始めます……殆どの曲を手がけていたダンジグにとって、元々は初心者だったジェリーやドイルへの不満が鬱積し、アルバムのリリース2ヶ月前のショウの最中、遂にダンジグはミスフィッツの解散を宣言してしまいます。

 しかしアンダーグラウンドでカルト的な人気を博していたミスフィッツは、その後メタリカガンズといった錚々たる面子らのカヴァーやリスペクトを受けて、ジェリーとドイルの兄弟によって90年代に復活。新Vo.を迎えて97年には傑作アルバム『American Psycho』をリリースします。表題曲「American Psycho」に代表されるように、2ビートからウォーウォー・シンガロング・コーラスまで、ファン達が待ち望んでいたミスフィッツ感をこれでもかと詰め込み、全世界でカルト的に広がったファン達のためにツアーで飛び回ってくれています。現在はジェリー自らVo.を取るトリオ・スタイルで活動中のミスフィッツ、あなたもスカル・デザインのアイテムを羽織る時のBGMとして、部屋で爆音でプレイしてみてはいかがでしょう!?

 


 

1stアルバム
『Walk Among Us』

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97年の復活作!
『American Psycho』

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【日高央 プロフィール】
 
ひだか・とおる:1968年生まれ、千葉県出身。1997年BEAT CRUSADERSとして活動開始。2004年、メジャーレーベルに移籍。シングル「HIT IN THE USA」がアニメ『BECK』のオープニングテーマに起用されたことをきっかけにヒット。2010年に解散。ソロやMONOBRIGHTへの参加を経て、2012年12月にTHE STARBEMSを結成。2014年11月に2ndアルバム『Vanishing City』をリリースした。

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 故・忌野清志郎率いる日本語ロックの先駆け、RCサクセションのアルバム『PLEASE』『BLUE』、そしてライブ盤『RHAPSODY』がハイレゾ化された。映画『ラブ&ピース』(監督:園子温)や今秋スタートのテレビドラマ『おかしの家』(主演:オダギリジョー、尾野真千子)の主題歌に起用されるなど、時を超えてなお新しい、そんな魅力を放ち続けている彼ら。moraではデビュー前のライブハウス時代からつぶさに彼らの道行きを見つめ、ディレクターとして今回ハイレゾ化された作品をともに送り出した現・オフィスオーガスタ社長、森川欣信氏へのインタビューを実施。不遇を味わった結成初期のエピソードやレコーディング秘話など、氏にしか語ることのできない臨場感あふれるお話の数々は全ロックファン必読だ。

(リード:mora readings 編集部)

 


 

【プロフィール】

森川 欣信(もりかわ よしのぶ)
1952年8月22日 高知県高知市生まれ。
ワーナー・パイオニアを経てキティエンタープライズに入社、13年間制作部に在籍後1992年音楽制作プロダクションとして(有)オフィスオーガスタを設立(2000年3月株式会社に変更)。
1997年音楽出版社として(有)オーガスタパブリッシングを設立。

 


 

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インタビューの様子。(イラスト:牧野良幸)

 

――まずは森川さんのRCサクセションとの出会いについて教えてください。

森川 69年、僕が高校2年のときですね。TBSで「ヤング720」という、文字どおり朝の7時20分からやっている音楽やカルチャーの情報番組があったんです。その中にアマチュア・バンドのコーナーがあって、僕もバンドをやっていたのでオーディションに行ったんです。オーディションと言ったって、会議室みたいな部屋で、そのコーナーを任されているADの前でマイクもなしで歌わされるんですよ。そのときにRCもオーディションを受けに来てたんです。彼らは僕らより後だったので、廊下で待たされていたんですが、そこにいたのが清志郎と破廉ケンチとリンコ・ワッショーの3人で。そのときはもちろんRCなんて知らなかったんですが、すれ違ってなんとなく印象には残っていました。後日、番組に彼らが出て、「どろだらけの海」という曲を演奏しているのを観て、この前いたやつらだと思って、そのときにRCサクセションという名前も知ったんです。

――演奏を観てどう思われましたか?

森川 そのときから清志郎はもうああいう声でした。もう少し幼い感じの声だったかもしれないけど、強烈な印象がありましたよね。そのあと、8月の末に東芝(東芝音楽工業)主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」というアマチュアのバンド・コンテストが渋谷公会堂であって、僕の友達が出ていたので観に行ったんですよ。そのときに清志郎たちが出てきたんです。またあいつらだと思ったんですけど(笑)。彼らは「どろだらけの海」を歌って3位になって、翌年(1970年)、「宝くじは買わない」でデビューしました。当時、ラジオで流れているのを聴きましたけど、清志郎の声は個性的で好きでしたが、演奏は生で観たときの迫力はないなあと思いましたね(笑)。

――当時からライブがすごかったということなんでしょうね。

森川 僕は高校を出てから浪人したんですが、あるとき渋谷公会堂でビートルズのフィルム・コンサートがあって、その帰りにジァン・ジァン(小劇場/ライブハウス)の前を通りかかったら手書きの看板にRCサクセションと書いてあったので、入ったんですよ。そのときのRCはほんとにすごかったですね。40分ぐらいのステージでしたけど、コーラスや楽器のアンサンブルも含めものすごい迫力でした。アコースティック・ギターでここまでやっているやつがいるんだって、ほんとにビックリしましたね。それから1年経たないぐらいに「ぼくの好きな先生」(1972年)がヒットしたんですよね。アルバム『初期のRCサクセション』も出て。僕は都市センターホールへ彼らのアルバム発売ワンマン・ライブを観に行った記憶があります。ジァン・ジァンのときほどではないにしろ、やはりパワーがありました。「ぼくの好きな先生」が当たっていたからお客さんも満員でした。でも、彼らはそれから瞬く間に消えていったんですけど(笑)。実はそれと前後して、僕もバンドをやっていたから、RCと2回ぐらい一緒にライブに出たことがあるんですよ。武蔵野美術大学と明治大学の学園祭で、僕らがフロント・アクトをやって、RCがメインで。

――そのころは、まだ直接の交流はなかったんですか?

森川 なかったですね。楽屋なんかでは一緒になっていたけど、彼らの周りはなんとなく話しかけづらい雰囲気が漂ってて(笑)。君らのことが好きだっていうのは伝えたかったけど、自己紹介するのもなんだから……。その後2~3年、彼らはいつしかまったくメディアから消えてしまって、僕が大学を卒業するころかな、ラジオで「スローバラード」(1976年)が流れてきたんです。同時にアルバム『シングル・マン』もリリースされ、ラジオ・スポットをものすごく打ってたんですよ。清志郎の声は懐かしかったし、アルバムを買ったらそれも素晴らしい内容で。コンサートに行きたいと思ったけど、どこでやってるのかわからない感じだったんですよね。情報が無かったです。実際コンサートらしいものはやってなかったようですが。だからそのころ彼らのライブを観ることはできなかったんですけど。そのあと、大学を卒業して貿易会社に就職してからかな、新宿のロフトでRCがやっているというのを聞いて、観に行ったんですよ。そのときには、ギターの破廉ケンチが抜けて、清志郎とベースのリンコさんと土井耕太郎(dr)の3人組になっていて、清志郎はレスポールを弾いてましたね。リンコさんもエレキ・ベースだったし、もうフォーク・ユニットじゃなくなっていました。お客さんはRCを観に来ているというより、ただロフトへ飲みに来てるだけみたいな、演奏なんかほとんど誰も聴いてない悲惨な状況でしたね。でもすでに「よォーこそ」とかやってた。「ボスしけてるぜ」も確かやってたかな。清志郎のボーカルは相変わらずパワーありましたが内に籠っている感じで覇気がない、どこか投げやりで客に聴かせるつもりもないし、MCもろくにしない、僕は「あぁ、これでRCは終わっていくんだろうなぁ」と思いました。世間はニューミュージックの全盛期だったし、彼らがやってることはそれに逆行している感じですしね。これで俺ももうRCを観ることはないんだろうなと思ってお別れしたわけですよ(笑)。

――そうだったんですね……。

森川 それから1年半ぐらい経ってからかな、僕はワーナーパイオニアに転職したんです。ワーナーの先輩ディレクターが古井戸の加奈崎(芳太郎)さんのソロ・アルバムを作っているというので、「RCの清志郎のソロ・アルバムを作るほうがいいのに」なんて馬鹿なことを僕が言ったんです。まだ、どこか清志郎のファンでしたし。そしたら、彼らはパンク・バンドになって渋谷の屋根裏でやってるよ、って。パンクって清志郎らしい感じだなって思いました。それで、今日、加奈崎さんのレコーディングに清志郎が来るから紹介するよ、詳しいことを訊いてみればって言われて。ビックリしました。ワーナーの上にあるスタジオで待っていたら、夕方になって清志郎がボーッと来て、そのときに初めて話したんです。

――ついに直接の対面になったんですね。

森川 そう。それで、今までああだったこうだったっていう話をしたら、清志郎もビックリしてました。で、その日に僕は、厚かましくもあいつの車に乗り込んで、送ってもらったんだよね。ボロボロのサニーでした。

――それは、「スローバラード」に出てくる車ですね!?

森川 たぶんそうだと思います。その車の中でいろいろ話をしました。今度、屋根裏へ観に来てくれよって言うんで観に行ったんですよ。そこからですね、親しくなったのは。

――森川さんが屋根裏へ観に行ったときには、CHABOさんはもう入っていたんですか?

森川 入っていました。ギターがCHABOと元カルメン・マキ&OZの春日(博文)、ベースがリンコさん、ドラムももう新井田耕造になってた。だから、小川銀次が入る前のRCですね。そのとき、清志郎はすごく生き生きとしてました。MCで悪態つかないし。どこかユーモアがあった。声も昔より太くて、どこかスッキリ垢抜けたように僕には感じられて、一般の人にもとっつきやすくなったんじゃないかなと思いました。『RHAPSODY』(1980年)や『PLEASE』(同年)に入ってる曲はほとんどやってましたね。『RHAPSODY』のショーと近い感じで、強烈に面白かったです。あんなライブは生まれて初めて観た。翌日会社で、「RCを(ワーナーで)絶対にやるべきだ」っていう話をしたんですよ。それがきっかけで中毒のように僕は屋根裏に通うようになりました。ワーナーのスタッフを連れて行ったら、いいねって言ってくれる人も出てきました。僕は俄然やる気で。でも清志郎たちと話したら、キティと契約があるということだったので、キティに契約を切ってくれないかって話に行ったんですよ。契約してたってレコードを出さないんだから、それならワーナーでやらせてくれませんかって。僕も若くてよく契約の重要さとかわかってなかったから、そんな筋違いなことをやったんだよね(笑)。キティからは、RCは切らないよっていう返答が返ってきました。それで、諦めるしかないかと思ったんです。ところが、僕はワーナーの(社員ではなく)契約ディレクターだったんですけど、そのころ社内事情がいろいろあって、契約ディレクターは首を切られることになったんです。そこでキティを紹介してもらえることになって、二転三転あったんですけど、結局キティに入ることになって、それでRCをやれることになったんです。

――それは縁があったということですね。運命とでも言いますか。

森川 僕がキティに入ったころ、ちょうど清志郎もレコーディングが決まったと言って喜んでいました。それで、「ステップ!」(1979年)のレコーディングから、僕はちょこちょことスタジオに顔出すようになりました。あと、プロモーションする人がいなかったので、かなり悪戦苦闘しました。雑誌社を回ったりとかシンパ作りに奔走しました。キティにRCがいる間は、もうRCの仕事しかしてなかったですね。実は僕がキティに入ったのは、多賀(英典)社長の運転手としてだったんです(笑)。多賀社長から「お前は何をやりたいんだ」って聞かれたから、「RCの制作です」って言ったら、ほかにやる人がいないからやっていいよっていう話になって、それで多賀社長の運転手はやらないまま、RC担当になったんです。

――そうだったんですか。では、その「ステップ!」をハイレゾで聴いていただきたいと思います。

♪「ステップ!」(1979年)pc_btn_play.png

森川 ハイレゾだとハイがこんなに聴こえるんだね。厚みもあるし。ハイもそうだけど、ちょっと聴こえすぎな感じもあって、そうか、あのころ、こんなふうな音を作ってたのかとわかって、ちょっと恥ずかしくもなりますね(笑)。

――この曲のバックはスタジオ・ミュージシャンがやっているんですよね。

森川 そう、僕がキティに入ったときにはもうミュージシャンも決まってて。清志郎たちは「ステップ!」を8ビートでやってたんだけど、こういう16ビートの感じにアレンジもされてたんです。(所属事務所の)りぼんのディレクターがまだ彼らの演奏を認めてなかったんですよね。僕は、バンドなんだし、RCのメンバーでやったほうがいいんじゃないのって思ってたんですけど。清志郎としてはレコードを出してくれるってことで嬉しかったんでしょうけど、心の中では不満だったと思います。だから、次の「雨あがりの夜空に」(1980年)は強引に自分たちでやったんだけど、かといって自分たちの思うような音にはならなかったんですよ。RC主導ではないし、変なオーバーダビングはされちゃうし。歌詞の一部はいじられるし。なにより当時のエンジニアは、まだロックのレコーディングに慣れていなかったこともあったし。聴きやすくバランスを取るというか……。そういうことで、清志郎たちは不満があったみたいですね。

――キティからの最初のアルバム『RHAPSODY』(1980年)がライブ盤になったのは、そういう不満があったからなんでしょうか?

森川 そうです。スタジオでは自分たちが思うような音が録れない。ライブはあんなにいいのに、ということで。カセットで録ったライブの音を聴くと、すごく迫力があっていいんですよ。ピーク・レベル超えてるようなラフな感じでやかましくて。テープ・リミッターが自然にかかってて。それで清志郎たちは、ああいう感じにならないのかなってずっと言ってて。だから、アルバムを作る話になったときに、ライヴ・アルバムにしようということになったんです。

――それは森川さんのアイディアではなかったんですか?

森川 うん、僕じゃない。メンバーからですね。それで久保講堂を押さえて、16か24チャンネルのレコーダーを持ち込んで録ったんです。あのライブはツアーでもなんでもないんですよ。レコーディングのためのライブでした。それをあとでスタジオで、ものすごく修正しました。歌詞を間違えたところだけじゃなくて、ギターもベースもかなり入れ替えてます。だから、このアルバム・ジャケットにはどこにも“ライブ”って書いてないんですよ。

――では、その『RHAPSODY』から1曲聴くとしたら何がいいでしょうか?

森川 「よォーこそ」かな。だって、あんな曲ほかにないでしょう?(笑)

♪「よォーこそ」(1980年)pc_btn_play.png

森川 こんなこと言っていいかどうかわからないけど、ハイレゾになって、ドラムが軽い音で録れてるところとかが目立つ気がする。あのころはオフマイク(楽器からあえて距離を離してセットするマイク)とか、いっぱい立ててなかったんでしょうね。それが昔の録り方だったんでしょうけど、全体的に音がクリアになったな分、そういうのがよくわかりますよね。

――音がクリアすぎて臨場感が足りないという気もしますか?

森川 いや、『RHAPSODY』はもともとあまり臨場感はないから(笑)。かなり修正してるし、やっぱりスタジオでミックス・ダウンするとなんとなくこぢんまりしてしまうというか……ライブの良さが出ていないって、清志郎たちも葛藤してましたね。

――そして、同じ年(1980年)の12月にキティからの初のスタジオ盤、『PLEASE』が出るわけですね。

森川 僕はこのアルバムの音はなかなかいいと思ってたんだけど、清志郎たちは不満があったみたいですね。自分たちが思っている音とは全然違うって。自分たちが聴いてきた洋楽みたいな太い音や空気感がなんで出ないのかとか、ドラムとベースの音がなんで空間的に深くならないのかとか。当時は卓の上のリバーブとかEQなんかで処理してた。コンプレッサーはあったけどボーカルにしか使ってなかった。エンジニアも要求に応えようと苦労して工夫はしてたけど……僕はそんな中でも『PLEASE』はすごくバランスよく録れたと思ったんですけど、清志郎たちにしてみたら音が軽い、薄いっていうのはあったようですね。

――キティからの初めてのスタジオ・アルバムということで、かなり気合が入っていたから余計そう思ったのかもしれませんね。

森川 テイクもかなり重ねましたね。7月ぐらいから録り始めて、10月の初めぐらいまでかかったのを覚えてます。僕は『RHAPSODY』や『PLEASE』には、本当にRCの隆盛を極めたような名曲がバランスよく入っていると思います。清志郎って、そのときそのときのことを歌う人で、このときの彼は若くて、貧しくて、無名なわけですよ。そんな気持ちを込めた曲なのに、聴くとさらっとした仕上がりなんですよね。なんで認められないんだとか、こんちくしょうとか、焦っているような気持ちとか、そういうのがパッケージされなかったと思っていたんじゃないかな。エンジニアはきれいに録ろうとするし、聴きやすく仕上げようとしますからね。

――では、『PLEASE』からも1曲聴いてみたいと思います。

森川 『PLEASE』なら「トランジスタ・ラジオ」かな。

♪「トランジスタ・ラジオ」(1980年)pc_btn_play.png

森川 いいですね。これはアルバム全体通してそうですけど、曲が素晴らしいし、清志郎の声もよく出てる。ただ、まだ若いからか、ちょっと声が細いような気はしますね。聴いてて思い出したんですけど、“彼女 教科書ひろげてるとき”というところに3度上の裏声のハーモニーを入れようって、僕は帰りの車の中で清志郎に言ったんです。そしたら清志郎に、「お前ね、それはビートルズだよ」って言われてね(註:森川氏はビートズル・マニアとしても有名)。「ダメ?」って訊いたら、「ビートルズは甘い!」とかなんとか言われたのを覚えてる(笑)。どっちかというと彼らはストーンズっぽかったからね。でもこの曲はマージー・ビートというか、ビートルズっぽいんですけどね。オールディーズの感じもある、わかりやすくてシンプルな曲を作ろうって、朝、ラジオ関東に行くときの車の中で清志郎とコード進行の話して、それでできてきた曲なんです。彼らも売れなきゃいけない、受けなきゃいけないと思っていたから、ただガナっているだけじゃない曲を作ろうというのは意識してたんだと思います。

――「Sweet Soul Music」ではサザン・ソウルと言いますか、オーティス・レディングへの愛情が表現されていますよね。

森川 これは最初、上田正樹のために清志郎が書いた曲だったんです。でも上田バージョンはいいテイクが録れなくて。僕はすごくいい曲だと思っていたから、RCでやったほうがいいよって感じで、自然の流れでレコーディングに至りました。彼らはその前からソウルみたいなものが好きだったんだけど、まだそれほど黒っぽいノリは出せていなかった。それがこのころになって、真似じゃなくて、向こうのものを自分の中で消化して、オリジナリティを出せるようになったと思います。このころGee2wo(key)が入ったでしょ? 彼がクラビネットとかを弾くから、ファンキーな味を出しやすくなったということもありますね。

♪「Sweet Soul Music」(1980年)pc_btn_play.png

――この曲はハイレゾ化がとても効果的な曲に思えますが、いかがでしょうか?

森川 そうですね、ブラスの音とかいいですね。楽器と声のバランスもいいように思います。前はボーカルだけ飛び出したように聴こえたんですけど。

――『RHAPSODY』では小川銀次さんがいましたけど、『PLEASE』ではギターはCHABOさんだけになってしまいましたよね。CHABOさんとしてはそこに責任感というか、プレッシャーみたいなものは感じていたんでしょうか?

森川 感じていましたよ。もともとCHABOって古井戸時代からアコギ歴が長かった人だから、バッキングのギタリストとしては素晴らしかったけど、弾きまくる人じゃなかったし。銀次がいなくなってからは、どうやってあの音を埋めなきゃいけないかとかって考えてましたね。だから、この時点でCHABOはエレキがものすごく上達したと思います。

――なるほど、やはりそうなんですね。

森川 今思い出したんだけど、「ぼくはタオル」をスタジオで初めて聴いたとき、僕はレッド・ツェッペリンを思い出して、「移民の歌」じゃないけど、頭にターザンみたいな声を入れようって言ったんです。ジャングル・ビートだし。そしたら清志郎が「ターザンみたいな声って言われてもわからないから、森川、やってみろ」っていうから、ア~ア~ってやったんですよ。そしたら清志郎がそれを気に入って、それがそのままレコードに入ったんです(笑)。

――そうなんですか(笑)、ぜひそれも聴いてみましょう!

♪「ぼくはタオル」(1980年)pc_btn_play.png

森川 こんな声してたんだね(笑)。

――ハイレゾで甦ってしまいましたね(笑)。さて、1981年に『BLUE』がリリースされます。これは、清志郎さんたちが『PLEASE』の音に対してあまり満足していなくて、そのために一発録りを試みたと言われていますが、先ほどの話からするとそれは正しいようですね。

森川 そうですね。『BLUE』はエンジニアをリンコさんの弟の小林キンスケに替えたんです。彼はRCのライブのPAをやってた人なんです。だから、すごくライブっぽい音とスタジオ録音のバランスが取れるんじゃないかということで起用したわけです。スタジオも自分たちが当時ずっとリハーサルをやっていた並木橋のスタジオJで、そこに16チャンのレコーダーがあったんで、それで録ろうってことになりました。清志郎たちがよく、『PLEASE』は“歌謡曲ミックス”みたいなバランスだって言ってたから。それでキンスケは頑張ったんですけど、スタジオの鳴りもあるし、録り方もあっただろうし、機材的にもまだまだだったし、僕らもやり方がわからなかったし、清志郎たちもわかっていなかった。だから、『BLUE』って極端にボーカルが小さいでしょ? 洋楽って日本のものほどボーカルがオンじゃない、引っ込んでるって言われるけど、でもそれでちゃんとバランスを保っているんですよね。『BLUE』の場合には、バッキングの音を大きくしてボーカルを抑えるとロックっぽくなるんじゃないかという試みでやったんだと思いますが、はたして成功したかというと疑問です。

――では、「ロックン・ロール・ショー」を聴いていただきたいと思います。

♪「ロックン・ロール・ショー」(1981年)pc_btn_play.png

森川 ボーカルに何かフェイジングのような変なエフェクトがかかってるね、コンプかな(笑)。録り終えてからトータル・リミッターみたいなのをかけたのかな、これ。不思議なサウンドですね。

――確かに不思議なサウンドですし、声がやや遠い感じもしますね。でも、ハイレゾだからそういうところがよりわかるということはありますよね。

森川 そうですね。でも僕はこのアルバム、好きは好きなんです。当時は斬新なミックスだなって思いました。この中にも昔からの曲がまだ多く入ってるんですよ。新曲は「ガ・ガ・ガ・ガ・ガ」と、CHABOの「チャンスは今夜」ぐらいかな。「Johnny Blue」はCHABOが古井戸でやってた曲を少し変えたものだし、「よそ者」も原型はずっと前からあったんじゃないかな。ほとんどが前からある曲ですね。彼らは持ち曲がすごくあったんですよ。30曲ぐらいは使える曲があったから。

――「チャンスは今夜」でCHABOさんが初めてボーカルを取ったのは、そろそろバンドとして新たな展開を図ろうとか、そういうことだったのでしょうか?

森川 ビートルズだってジョージも歌うし、ストーンズだってキースの歌う曲がアルバムに1曲入ってたりするでしょう? CHABOもギタリストだけど素晴らしいソングライターであるしボーカリストでもあるから、彼のボーカル曲を入れようということになったんですよね。バンドっていう意識がより強くなってたんじゃないかな。

――今回『PLEASE』のボーナス・トラックとして「雨あがりの夜空に」のシングル・バージョンが入っていますので、それもお聴きください。

森川 ちょっと間抜けなシンセが入ってるやつだね。このアレンジはやめようぜって言ったんだけどね(笑)。清志郎たちがやってるままでいいよって。

♪「雨あがりの夜空に」(1980年)pc_btn_play.png

森川 楽器が多すぎますね。シンセとか全然いらないと思うし、ピアノもうるさい。小川銀次がサビの後ろで素晴らしい対旋律のフレーズを弾いているんですけど、それがあんまり聴こえない。あのときにもっと勇気を出して、音をいっぱい入れるのはやめようって言ったほうがよかったな。ハイレゾで聴くと恥ずかしくなるね(笑)。屋根裏でやってたときのRCってほんとに良かったんですよ。そこに、例えば僕もそうだけど、レコード会社のスタッフが意見を言うし、事務所の人もいろいろ言うでしょ? あの屋根裏のライブのすごさをそのままパッケージするには、僕らが余計なことを言わないほうが良かったのかもしれないという気はしますね。まぁ、お互い遠慮もありましたから。僕がやらないほうがRCはもっと売れたのかもしれない(笑)。

――今振り返ってみて、森川さんにとってRCというバンドはどういう存在ですか?

森川 清志郎というのは稀有なボーカリストだというだけではなく、詩人であり曲を作る天才でもありましたね。そこにCHABOをはじめ清志郎を理解している素晴らしく絶妙なメンバーがいた。それこそまさにバンドです。今の日本のロックというのは海外のロックの真似をしているんじゃなくて、日本独自のものですけど、それは清志郎たちが作り上げたものだと思います。日本語のロック、そしてロック・バンドというものをね。

(インタビュー&テキスト:細川真平)

 


 

「ステップ!」「君が僕を知ってる」
「上を向いて歩こう」「雨あがりの夜空に」の4曲を追加収録!
『PLEASE+4』

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「ボスしけてるぜ」「キモちE」の2曲を追加収録!
『BLUE+2』

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アナログ・マスターテープからの最新リマスタリングが実現!
『RHAPSODY(Live)』

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「匠の記憶~Memories of Legend~」バックナンバーはこちら

 

 

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Side A:アニソンアーティストって?

 みなさんこんにちわ。株式会社アイウィル、音楽制作プロデューサー佐藤純之介です。第一回目からマニアックと評判のmora連載第二回目! お待たせしました!

 前回、アニソンとJ-POPの違いやアニソンがアニメファンに深く愛される所以についてお話したのですが、今回は「アニソンアーティスト」についてお話できればと思います。声優さんがキャラクターの名義でアニメのシチュエーションや心象描写を歌うキャラクターソングに対して、主題歌を担うアニソンアーティストの存在も近年のアニメにとって非常に欠かせない存在です。テレビで流れるオープニングやエンディングの89秒の中で、いかにクオリティ高く映像とシンクロするのか、作品が内包する重要なメッセージやテーマをいかに歌で届けるか、がアニメそのもののヒットにも繋がる可能性を秘めており、時としてアニメそのものの話題以上の注目を浴びる事もある程、アニソンアーティストは非常に重要なポジションを担っています。

 では、どうやってアニソンアーティストがアニメ主題歌を作っているのか?ですが、アニメのプロデューサー、監督、音響監督、レーベルのプロデューサー等様々なアニメスタッフの意見や想いをヒントにしつつ、アーティストの方向性、作品との相性や世界観に寄り添い……と様々な意見を踏まえるのですが、すべてを取り入れるとどっち付かずの楽曲になってしまうので、音楽プロデューサーやディレクターが大事な要素を厳選しアーティストやクリエーターと共にデモソングを作成し改めてアニメスタッフにプレゼン、必要に応じてリテイクに応じたり別楽曲の提案を行い採用を受けレコーディングへと進みます。この際大事なのはとにかくバランス!アニメに寄り過ぎた楽曲だとアーティストの主張が消えてしまい、アーティストに寄り過ぎた楽曲だとアニメとのシンクロ二シティが下がってしまう。これでは音楽としてのクオリティが高く出来たとしても、アニソンとしてはあまり良い結果にはなりません。ただのタイアップソングとしてではなく、絶妙なバランスのすべてを包み込み、アーティストとしての主張とアニメ作品の共通のメッセージを見出し、どちらのファンにも喜んでもらえる楽曲を表現できるのが、評価されるアニソンアーティストの持つ実力であり魅力です。

 私が音楽制作プロデューサーを務めるアニソンアーティスト、fhánaを例に具体的なアニソン制作の裏話をご紹介したいと思います。fhánaは3人のサウンドプロデューサー、佐藤純一、yuxuki waga、kevin mitsunagaとボーカルtowanaによる4人組ユニットで、2013年夏にTVアニメ『有頂天家族』エンディング主題歌「ケセラセラ」でランティスよりデビュー。男子メンバーがそれぞれ一人でも楽曲制作出来るだけのスキルを持つ上に、メンバー全員が大のアニメ&ゲームファン!まさにアニソンを歌うために集まったユニットです。彼らのアニメに対する理解力、アニソン制作に対する情熱はとても熱く、作品世界に深く寄り添いすべてを包み込む練られたサウンドとメロディーは業界全体にも評判を呼び、デビュー2年目にして6クール分のアニメ主題歌を担当しています。彼らとの楽曲制作の際に私から提案しているのはスタート地点としてのキーワードと向かうべき方向のみ。TVアニメ『ウィッチクラフトワークス』のOPテーマとなった3rdシングル「divine intervention」では、「魔法」「愛する人を守る」等のキーワードに加え、アニメーション制作プロダクションがバトルシーンの演出や映像のスピード感に定評のあるJ.C.STAFFと言うことで BPMをぐっと早くし、89秒の中で展開を沢山作ることで映像編集ポイントを作りオープニングアニメーションとのシンクロ感を高めれるように作曲をしてもらったり、4thシングル「いつかの、いくつかのきみとのせかい」ではアニメの原作コミック『僕らはみんな河合荘』第4巻の表紙で主人公の律が読んでいる作品世界にだけ存在する架空の本の題名を曲のタイトルとすることで、大きな存在感を示しました。この秋にfhánaがオープニング主題歌を担当するTVアニメ『コメット・ルシファー』のオープニング曲もまだ詳細は言えませんが、これ以上無いほどにアニメへの親和感を表現しているので、発表された暁には制作現場の裏側やアーティストが込めた想いも想像しながら聴いていただけると幸いです。

 と言うわけで第2回目、担当アーティストへの愛ゆえ少し語りすぎましたが、他のジャンルとのアニソンの最大の違いは当然ですがアニメありき。作詞や作曲、編曲をする上で常にアニメ作品のストーリー性、アニメーションの作風を意識することで独自の表現手法が生まれ、まだまだ発展していく新しいジャンルです。新しく登場するアニメ作品の数だけアニソンが生まれていく中でどうやって個性を伸ばしていくのか、リスナーのハートを掴むのか日々トライしています。この連載がキッカケでアニソンに深く興味持って貰える人が増えれば幸いです。ではまた!

 

今日のアニソンハイレゾ!

fhána『Outside of Melancholy』

fhánaの1stアルバム!2013年デビューからのアニメ主題歌5曲を収録。アニソンではない完全書き下ろしのオリジナルの楽曲も多数収録し、全14曲の聴き応えあるアルバムとなっています。関わったアニメの作品世界を一つの世界線に例え、それぞれがすべてfhánaの音楽性そのものと解釈し、軸をブラさない彼らの音楽は時代に囚われない普遍性を持っています。

ハイレゾで購入

 

 

Side B:音楽ガジェット紹介!

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ROLAND TRシリーズ

電子楽器メーカーROLANDが80年代に発売した私物のドラムマシン各種……。10月から始まるとあるアニメのエンディングテーマで使用。ランダムでエンディング主題歌で使用するドラムマシーンが変わります。誰か気づいてくれるマニアックな人はいるのでしょうか……(大汗)

 


 

佐藤純之介 プロフィール

株式会社アイウィル音楽制作プロデューサー。 1975年大阪生まれ。YMOに憧れ90年代後期よりテレビや演劇の音楽制作の仕事を始め、2001年に上京。レコーディングエンジニアとしてJ-POPの制作に参加した後に、2006年アニソンレーベル、株式会社ランティスに入社、2011年ランティスの音楽制作部が独立した株式会社アイウィルに転籍。現在はプロデューサー、ディレクター、エンジニアとしてアニソンを中心に音楽制作に携わる。

 


 

佐藤純之介×クラムボン・ミトのスペシャル対談も!「違いのわかるハイレゾ放談

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佐藤さんがディレクターとして携わるμ’sの楽曲はこちらから!「みんなで叶える物語 ラブライブ!特集

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