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第23回:ドゥービー・ブラザーズ「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」

〜あの軽快なリズムはカッコよかった〜

 

 アメリカンロックの人気バンド、ドゥービー・ブラザーズのアルバムがハイレゾでどっと配信された。それで今回取り上げるのは、1978年の『Minute by Minute』から「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」である。

 

 今日まで幾多の変遷を繰り返してきたドゥービー・ブラザーズであるけれども、彼らの最大のヒット作はやはり78年の『Minute by Minute』だと思う。なにせ〈第22回グラミー賞最優秀レコード賞〉に輝いた名盤だ。ヒットシングル「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」も〈グラミー賞最優秀楽曲賞〉を受賞した。

 

 

 ワイルドなイメージのドゥービー・ブラザーズが、グラミー賞というセレブな賞を取ったことに当時はビックリしたものである。しかしそれもそのはず、『Minute by Minute』も、シングル「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」も都会的で洗練された曲だった。今なら「AOR」と言えばすむのであるが、ともかくドゥービーはマイケル・マクドナルドが加入して数年前とはかなり違うバンドになっていたのだった。

 その「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」。当時は「ある愚か者の場合」という邦題がつけられていたけれども、実際はグラミー賞以上のインパクトがあったと思う。とにかくあの、タタタン、タタ、タタタン、タタという軽快なリズムが斬新で、めちゃめちゃカッコよかったのだ。その影響かどうかわからないが、当時は洋楽から日本の歌謡曲まで、いろいろなところで似たようなリズムを聴いた記憶がある。

 

 続く80年の『One Step Closer』もマイケル・マクドナルド色が出た作品だ。実のところ僕が初めて本格的にドゥービーを聴いたのはこのアルバムだった。NHK-FMが新譜紹介で、LPをまるごと流したのをエアチェックしたのだ。

 

 

 この年の春、僕は大学を卒業したものの就職せずドロップアウト(当時はフリーターという便利な言葉はなかった)。先のことを思うと不安な夜もあったが、そんな時も『One Step Closer』を聴いていると心強くなって、絵描きになりたいという夢を失わずに過ごせたのだった。思い出深いアルバムである。

 

 しかし僕にとっては最高のドゥービーでも、その変貌を誰もが受け入れたわけではなかった。
 ある日先輩ロックファンに「ドゥービーは『Minute by Minute』や『One Step Closer』が好きです」と言ったところ、「今のドゥービーが好きじゃねぇ…、ドゥービーは昔のほうがドゥービーでしょ」と冷や水を浴びせられたことがある。

 

 確かに僕だって70年代初頭はロック小僧を始めていたからドゥービー・ブラザーズの活躍は知っていた。『The Captain and Me』からは「チャイナ・グローブ」も大ヒットしていた。しかし食わず嫌いというか、ジャケットのイメージから泥臭いバンドに思えてレコードを買うまでにいたらなかったのだ。

 

 

 続く『What Were Once Vices Are Now Habits』も『ドゥービー天国』という邦題がついていたものだから、「“天国”という言葉は荒っぽいなあ」とこれまたスルー。さらに次の『Stampede』ではジャケットの乗馬姿に、またしてもアメリカ南部のイメージに捕われてスルーしたのだった。

 

 

 

 

 

 しかしである。新生ドゥービーが好きになったあと、それら初期のアルバムを聴くとそんなに泥臭くないと思ったのである。「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」「チャイナ・グローブ」など、当時の大ヒット曲は実にノリがいい。例のタタタン、タタ、タタタン、タタと同じくらいノリがいい。今では「ドゥービーは昔のほうが」という言葉にも賛同していていて、どうしてあの頃聴かなかったのかなあと思う。まあ当時は“愚か者の”高校生だったのだろう。

 

 それでようやくハイレゾの話である。

 「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」の入っている『Minute by Minute』はパンチの効いた音で心地良い。ただ昔はひたすらタイトな印象だったけれども、ハイレゾではそこここに、アナログ時代のなごりか、ゆったりとした鳴り方もあって、柔と剛をかねそなえた理想の“グラミー・アルバム”になった気がする。

 『One Step Closer』は前に書いたエアチェックのカセット、その後買った中古LPと、今でもちょくちょく聴くアルバムであるが、僕の再生システムではハイレゾはLPよりも音の厚みがあり、かつ繊細になっている気がした。特にバックコーラスが美しい。これからは思い出のLPよりもハイレゾのほうを聴いてしまうことだろう。

 最後に『The Captain and Me』。
 やはり素晴らしい。マクドナルド加入後の都会的なドゥービーも素晴らしいが、初期の野性味とスピード感は特筆ものであろう。とくにハイレゾでは荒々しい演奏がストレートに届くものだから、すごく躍動感を感じる。サザンロックとか、そういうククリさえ越えた音楽がここにあったのだとあらためて実感した。

 

 ドゥービー・ブラザーズのアルバムは他にも名作がハイレゾ配信されている。合わせて聴いていただけたらと思う。

 

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The Doobie Brothers ハイレゾ配信一覧はこちらから

 


 

【牧野 良幸 プロフィール】

1958年 愛知県岡崎市生まれ。

1980関西大学社会学部卒業。

大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。

近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

 

マッキーjp:牧野良幸公式サイト

 

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~今月の一枚~

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Bob Dylan [Fallen Angels]

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 東京ってやっぱりすごい街なんだなと思います。去る4月、ボブ・ディランエリック・クラプトンブライアン・ウィルソンアイアン・メイデンがほぼ同時に滞在していたのですから。

 

 ぼくがディランに初めて感銘を受けたのは1983年下旬リリースの『インフィデル』というアルバムです(原題はInfidels)。もちろんそれまでにぼくは、ディランが“フォークの神様”と呼ばれ、日本のフォークやニューミュージック(と当時は呼ばれていました)のシンガー・ソングライターたちに影響を与えていたことを音楽雑誌などで知ってはいました。が、当時のぼくはフォークにさほど関心がなく(URCレーベルを聴いて驚くのはずっと後です)、RCサクセションアナーキーザ・スターリンヴァン・ヘイレンなどのロックに夢中でしたし、YMOの“散開”にはクラスの音楽好きみんなで騒然となって、ジャズ関連もマイルス・デイヴィス復活の印象がまだ鮮烈だったり、ジェームズ・ブラッド・ウルマー近藤等則渡辺香津美が意欲的なサウンドを送り出していたりで油断できませんでした。それまでオリジナル曲中心に演奏していたキース・ジャレットが、突如“スタンダーズ”なる3人組プロジェクトでスタンダード・ナンバーを演奏し始めたのもこの時期です。ワールド・ミュージックという言葉がすでにあったのかどうかは記憶にありませんが、アフリカ・バンバータキング・サニー・アデなどもFMラジオからけっこう流れていました。この83年春、ぼくは初めて法事で東京に行き、札幌以上の都会が地球に存在するのだということを体感しました。

 

 『インフィデル』を最初に聴いたのもFMラジオでした。スライ&ロビーという、当時めざましい勢いだったレゲエ界のリズム・チームが参加しているということがセールス・ポイントだったように思います。というのは番組のディスク・ジョッキーが、そこを強調して紹介していたからです。重く引きずるようなビートに、ディランのざらついた声が重なり、うねりにうねって中学生のぼくの心をつかみにきました。ファンキーだなあ、もう降参です。だからでしょうか、ぼくはディランに、ハーモニカホルダーをつけたアコースティック・ギターをかき鳴らし、社会的なトピックを盛り込んだ曲を早口で歌う、というイメージがあまりないのです。ただ歌声のよさ、サウンドのかっこよさにしびれ、好きになりました。初めてライブを見たのは1997年のことだったと思います。それからは来るたびに1公演は見ようと決めているのですが、いまにして思えばギターを弾いてオリジナル曲を勢いたっぷりに歌っていた頃のディランをもうちょっと多めに体験しておけばよかったな、という気持ちもあります。ここ数回の来日公演を体験された方ならご存知でしょう、十数年間、ディランはほとんどギターをプレイしていないはずです。そして鍵盤楽器を弾きながら歌うことが増えました……と書きたいところですが、先日の渋谷・Bunkamuraオーチャードホールのライブでは鍵盤もあまり演奏しませんでした。殆どの曲でステージ中央に立ち、スタンドマイクの前で朗々と歌ったのです。どんなオリジナル曲を? どんなグレイテスト・ヒッツを?

 

 いいえ、演目はいわゆるスタンダード・ナンバー、ロックやフォーク界隈のファンよりもジャズ関連のヴォーカリストを聴きこんだひとたちが「うんうん」とうなずくに違いない楽曲が半数でした。もっとくだいていえば、フランク・シナトラナット・キング・コールビリー・ホリデイが歌っていたような、第二次大戦戦前から大戦後まもなくに書かれた曲のカヴァーが主です。「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」、「ザ・ナイト・ウィ・コールド・イット・ア・デイ」、「オール・オア・ナッシング・アット・オール」、「枯葉」。メロディをほとんど崩さず、スキャットを入れることもなく、ディランは朗々と、実に聴きとりやすい英語で明瞭に歌い込みます。「枯葉」に出てくる“winter’s song”という箇所、そこだけ急に音程が上昇するので、よほどの歌手でも最初に高めの音程をとって下がってくるか、もしくは低めのところから上に向けてグリッサンドするか、そのどちらかをとることが多いような印象が個人的にはあります。しかしディランはバッチリ、その音程に命中させました(少なくとも、ぼくの耳にはそう感じられました)。やり直しの利かないライブという場、しかも満員のオーディエンスの前で、ビシッと。なんという音感の持ち主なのだろう。なんというプロフェッショナルな歌うたいなのだろう。ゾゾッと鳥肌が立ちました。アイ・ラブ・ユーと心の中で叫びました。あの魅力的な声に、この音感。作詞作曲をしない、他人の書いた曲を歌う、いちシンガーに徹していたとしても、彼は歴史に名を残したに違いない。ぼくはそう確信しました。

 

 新作についてのインフォメーションは、この執筆時点では皆無に近いのですが、前作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』と同じ時のセッションで、名エンジニアのアル・シュミットが録音を担当しているのは間違いないようです。11曲目「ザット・オールド・ブラック・マジック」の前奏にspliceの形跡がうかがえますが(ありえない速さでドラマーが、スティックからブラッシュに持ち替えています)、基本的には一発録りであるように聴こえました(編集部注:その後、正式に一発録りであることがアナウンスされた)。「スカイラーク」「イット・ハド・トゥ・ビー・ユー」など曲によっては低い音程のほうにメロディをフェイクしているところもありますが、それがレコーディングのその日その時のディランの“気分”だったのでしょう。枯れているのにやけに艶っぽい歌声、弦楽器を中心とした幻想的なバンド・アンサンブル。ハイレゾで入手し、ボリュームをあげて聴けば聴くほど、音の色気に魅了されるに違いありません。

 

 ぼくは近年のディランに、“スタンダーズ”を始めた頃のキース・ジャレットをダブらせています。またキースはディランのファンで、キャリアの初期に「マイ・バック・ペイジズ」をカヴァーしたこともあります(もっとも、手本にしたのはディランの自作自演ではなく、ザ・バーズのヴァージョンのようですが)。その“スタンダーズ”も2013年、30年にわたる活動に終止符を打ちました。ディランの歌声とキースのピアノ、たったふたりだけのスタンダード・ナンバー集が制作されたらどんなに幸せだろう。それは永遠に叶わぬ夢なのでしょうか。

 

 


 

■執筆者プロフィール

 

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原田和典(はらだ・かずのり)

ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは @KazzHarada

 

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第22回:ディープ・パープル「ハイウェイ・スター」

~ロック小僧ならハイレゾでノリノリ~

 

 僕のようなオヤジでも70年代初頭はニキビ面の中学生であり、高校生であった。昔の友だち(こちらもオヤジ)に会えば、たちまちロック小僧に戻ってしまうのである。最近も高校生の頃の友人Sとハード・ロックの話で盛り上がった。

 

 「ハード・ロックで一番すごいバンドは何だった?」とS。
 「そりゃあ、ツェッペリンじゃないかな」と僕は言った。しかしSは言うのだった。
 「僕はディープ・パープルだと思うな。ツェッペリンもディープ・パープルのノリノリにはかなわないよ」

 

 Sの言うディープ・パープルのノリノリとは「ハイウェイ・スター」のことを指しているのは、40年以上も前、一緒にこの曲を爆音で聴いた間柄だから一卵性双生児のように分かる。

 

 「ハイウェイ・スター」、流行ったなあ。
 今でこそハード・ロックにはいろいろあって、メタルとか細分化されているけれども、当時はもっと素朴で、ヘヴィにノリノリなのがハード・ロックだった。一度走りだしたらアクセルは踏みっぱなし。その意味で思索的なツェッペリンではなく、ディープ・パープルを一番に上げたSの意見は正直なものだと思う。

 実際、僕も「ハイウェイ・スター」のノリノリにはブッ飛んだものである。
 ただそれは『Made in Japan』の1曲目に収録されている「ハイウェイ・スター」を意味する。Sも頭にあったのはそちらの演奏だろう。ちょうど『Made In Japan』(発売時は『ライヴ・イン・ジャパン』)が発売された時で、二人ともその迫力の虜になっていたからだ。

 

 しかし今回のエッセイに書く「ハイウェイ・スター」は『Made In Japan』収録のものではなく、『Machine Head』に収録されたオリジナルの「ハイウェイ・スター」である。というのも『Made In Japan』が出たせいで、長い間スタジオ録音の「ハイウェイ・スター」はおとなしい演奏と思い込んでいた。それが今回ハイレゾで聴いてみて、とんでもない迫力にビックリしてしまったからだ。

 

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 まずはスタジオ録音なのにライヴ感のあるパワーに驚かされる。それがセッション録音ならではのキチンと作られた音場で聴けるのだから、実に心地良いハード・ロックになる。『Made In Japan』の「ハイウェィ・スター」が公衆のまっただ中でのライヴ感としたら、こちらは自分一人でバンドと対峙しているライヴ感である。

 ハイレゾの音質もアナログレコードではないかと思うほどコクがある。配信されているのはFLAC(96.0kHz/24bit)であるが、アナログ・ライクな音を再現することで定評のDSD(DSF)ではないかと錯覚するほどコッテリしている。僕にしてみればハイレゾでスタジオ録音の「ハイウェイ・スター」もノリノリのハード・ロックになった感があった(もともと有名なだけに、気付くのが遅くてスミマセン)。

 

 ちなみに先ほどから書いている『Made In Japan』もハイレゾで出ている。今さら説明するまでもないほどの名盤なので解説は不要だと思うが、ハイレゾでは生まれたばかりのような新鮮な音だ。リッチー・ブラックモアの疾走するギターソロもクリアだから、フレーズの細かいところまで耳がついていける。もちろんクリアになったからといっても、オリジナルのライヴの迫力は健在なので心配無用だ。

 

 ついでに書けば74年作品の『Burn(紫の炎)』もハイレゾで配信されている。『Burn』ではイアン・ギランが脱退して、新生ディープ・パープルとしてのスタートであったが、『Made In Japan』の爆発的人気の余波も手伝って、これも当時のロック小僧には歓迎を持って迎えられたレコードだ。

 なかでもタイトル曲「Burn」は、はやばやと「ハイウェイ・スター」と並ぶ“ディープ・パープル入門曲”の座についたと思う。ひょっとしたら最初にSが言ったディープ・パープルのノリノリは、この「Burn」を念頭においていたのかもしれない。ハイレゾは重たすぎず、軽すぎずで、スピード感のあるサウンドを堪能できる。

 

 今回は僕が当時ディープに聴き込んだ3つのアルバムについて触れたが、『Deep Purple In Rock』や『Fireball』などのアルバムもハイレゾで配信されている。今だにロック小僧の人なら、ディープ・パープルのハイレゾにきっとノリノリになることだろう。

 


 

 

Deep Purple
『Machine Head』

FLAC|96.0kHz/24bit

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Deep Purple
『Made In Japan (Remastered)』

FLAC|96.0kHz/24bit

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Deep Purple
『Burn』

FLAC|96.0kHz/24bit

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Deep Purple ハイレゾ配信一覧はこちらから

 


 

【牧野 良幸 プロフィール】

1958年 愛知県岡崎市生まれ。

1980関西大学社会学部卒業。

大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。

近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

 

マッキーjp:牧野良幸公式サイト

 

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2016年、音楽シーンにおける新しい才能の登場。 "ダ・ヴィンチのサーバー"から練られたバンド名だというSrv.Vinci(サーバ・ヴィンチ)。まるでミニシアター系映画のようなインテリジェンスある雰囲気を醸し出しながらも、そのたたずまいやエッジーな演奏からバイオレンスさを畳み掛けてくる1992年生まれによる4人組ロックバンドだ。ヒリヒリとした演奏力、世界観ある表現力の高さ。ライブのたびに新しい表情をSrv.Vinciは魅せてくれる。

取材・文:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 


 

2016年4月29日(金)22時15分 @恵比寿BATICA

<live setlist>

1. intro
2. ロウラヴ
3. Heroine
4. PPL
5. Re:
6. Diving to you
7. Plastic Rain
8. Stem

 

スタンリー・キューブリックの映像美を昇華した世界観とでもいうべきか、ギターを背負いながらキーボードを操る鬼才 常田大希による異世界への扉を開けるかのような妖しきサンプリング音源からスタートした、まるでワルプルギスの夜のようなドープな宴。

 

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「intro」を経て、音楽配信サイト『MORA』にてハイレゾ音源のフリーダウンロードで話題となった「ロウラヴ」から本編はスタート。常田が解き放つ強烈なギターリフの調べ&ラップのインパクト、新井和輝によるスキルフルにうねりをあげる流麗なるベースの迫力、前へ前へ突き進んでいく手数の多い勢喜遊のドラムのアクセントなど、魔法にも近い支配力の強いアンサンブルの力。

 

新井和輝(B)や勢喜遊(Ds)と共に、昨年加入した、常田の幼なじみでもある異色なヴォーカリスト191からも目が離せない。身長が高いながら、あえて座って歌うこだわりのヴォーカリゼーション。時空を超えて俯瞰するかのような視点で歌われる澄んだ歌声が、ワイルドに個性的な常田のダミ声ラップと絡み合う掛け合いから生まれるストーリーテリングの妙。191加入以前に生み出された人気曲「Heroine」も、新ヴァージョンとして生まれ変わっていた。途中、ハードコア風に加熱する緩急あるアプローチにフロアは爆裂に盛りあがりをみせていたことが忘れられない。

 

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中盤「PPL」、「Re:」、「Diving to you」というグルーヴィーな展開に魅了されながら、191によるオーディエンスを煽りまくる「ヤバいんだよオレ達は!」というMCで会場に一体感が生まれた。そして、空気感を再構築するかのように奏でられたのはSrv.Vinci史上最も華麗かつ美しいメロディーを醸し出す「Plastic Rain」だった。

 

そんなSrv.Vinciは、現時点での代表曲「ロウラヴ」に続く新曲「都」をハイレゾ音源にて、5月より期間限定で無料配信をしているのでチェックしてみてほしい。日本の音楽シーンを確実に変える逸材であることは間違いないはずだ。

 


 

ハイレゾ無料楽曲配信中!

 

『都』

『ロウラヴ』

 


 

Srv.Vinci 公式サイト

Srv.Vinci 公式Twitter(@srv_vinci)

 

 

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第21回:ボブ・ディラン「ブルーにこんがらがって」

~初めての“ディラン体験”は『血の轍』から~

 

 僕がボブ・ディランから1枚を選ぶとすると、どうしても1975年の作品『血の轍(Blood on the Tracks)』になってしまう。今でこそディランのほとんどのアルバムをSACDやアナログLPで持っているが(ブートレグまではさすがに追いかけていない)、長い間、僕の“ディラン体験”といえば『血の轍』だけだったのだ。

 僕が音楽を聴き始めた1970年代初め、ボブ・ディランは伝説的存在だった。しかし当時の洋楽はディランの存在を霞ませてしまうほど絢爛豪華だった。シンガーソングライター、プログレッシブロック、グラムロック、ハードロック、ブラスロック、ラテンロック……。過去を振り返る暇もないほどに毎日新しいロックが生まれていた。それを「新しい」とも思わず、ご飯のように当たり前に聴いていたのだから、いかに「風に吹かれて」で有名な“フォークの神様”といえども興奮しようがなかったのだった。

 この頃はディランも時期が悪かった。なにせ73年にCBSソニーがプッシュしたニューアルバムが『ビリー・ザ・キッド』という映画のサントラだったのだから。アルバム収録の「天国への扉」は今日有名であるが、僕には当時流行ったという記憶がどうもない。それよりも映画に出演したディランの姿ばかりが記憶に残っている。

 翌74年にはディラン初の全米1位となる『プラネット・ウェイブス』、そしてライヴ『偉大なる復活』も発売されたのだけれど、いかんせんこれらはCBSソニーから発売されなかったせいか惹き付けられなかった。(『プラネット・ウェイブス』はのちにCBSソニーから発売され、ハイレゾ配信もあり。これもいいアルバムです)。

 

 そしてようやく75年の『血の轍』である。レコード会社も再びCBSソニーになって、ロック雑誌に載った広告が派手だった気がする。あの頃のCBSソニーの広告って、他社を引き離してワクワクするものがあったのだ。

 しかしインパクトがあったのは広告だけではなく、ディランの音楽そのものだった。それまでちょいちょいカジっていたディランは、どうも音楽的興奮にかけると思っていたのであるが、『血の轍』にはディランらしからぬ(?)ポピュラーで親しみやすいメロディが沢山あったのである。つまり70年代ロック小僧にも、すんなりと聴けるアルバムだったのだ。

 といってもレコードを買ったわけではない。当時僕は高校3年生。『血の轍』はたぶんNHK-FMの「サウンド・オブ・ポップス」で放送されたのではないかと思う。新譜のLPを全曲放送することで有名な番組だ。僕としてはオープンリール・テープにとりあえず録音してみたわけであるが、これがすごく良かったのだ。特に最初の「ブルーにこんがらがって(Tangled Up in Blue )」。ディラン独特の単調な展開ながら、ぐいぐいと引込まれる緊張感のある音楽だった。「ブルーにこんがらがって」だけでノックアウトされたと言っていい。

 しかし、そのあともいい曲が続く。「運命のひとひねり(Simple Twist of Fate )」「愚かな風( Idiot Wind)」などなど。あえて邦題で書くのは、各曲につけられた日本語タイトルがなんとも詩的で、曲とピッタリ合っていたからである。バンドのサウンドも絢爛豪華な70年代ロックのまっただ中に登場したにもかかわらず、まったく遜色ない出来だった。

 

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 しかしこの『血の轍』のみで僕の“ディラン体験”は終わってしまうのである。
 先に書いたようにディランのアルバムをほぼ揃えるのは、実は21世紀を迎えたSACDでリリースされた時だ。他のアルバムを聴きこんでみると、あの頃はやっぱり子どもだったなあと思う。今では『血の轍』以前のフォーク調の作品、ロックに転向した頃の作品も素晴らしいと思う。『血の轍』以降の今日にいたるまでのアルバムも、もちろんディランらしさがあって好きである。

 ただ、こうしてディランの全部が好きになっても『血の轍』は特別な一枚だ。やはり高校生の時に回転するオープンリールを眺めながら聴いた印象は強い。社会人になった時は中古のアナログレコードを買い求めた。オヤジになった頃はSACDハイブリッド盤で買い求めた。『血の轍』との付き合いは長いのだ。

 

 そして今はハイレゾでの付き合いになった。それも高音質なSACDと同じDSD(DSF)での配信である。音をビシッとクリアに表現するPCM系のflacもいいけれど、オリジナルの音の濁り、厚味までも伝えるDSD(DSF)がやっぱりディランには合う。

 DSDのハイレゾを聴いてみると、やっぱり「ブルーにこんがらかって」が格別である。アコースティック楽器が多様されているけれど、へんに胃もたれしないで、ナチュラルに広がるところがハイレゾならではだ。ディランのヴォーカルも明るくのびやか。もちろん、次の「運命のひとひねり」も聴いてしまう。そしてそのあとの曲も、これまた昔どおり聴いてしまう。

 ひっきょう『血の轍』のアピール度は昔と変わらない。だから、初めて“ディラン体験”をする若いリスナーに、僕としては『血の轍』をおススメしたい。そしてそのむこうには数々の歴史的アルバムがハイレゾで用意されている。よかったらそれらも聴いてみてほしい。

 


 

~今回紹介した一枚~

BOB DYLAN
『Blood on the Tracks』(邦題:血の轍)

DSD(DSF)|2.8MHz/1bit

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BOB DYLAN ハイレゾ配信一覧はこちらから

 


 

【牧野 良幸 プロフィール】

1958年 愛知県岡崎市生まれ。

1980関西大学社会学部卒業。

大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。

近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

 

マッキーjp:牧野良幸公式サイト

 
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